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第五章:眷属たちとの本格的な戦いが始まる

第55話「朝風呂とようじょ」

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「あっくん、おはよーございます!」

「お……おはよう……りんちゃん」

 ガンガンと頭の中でビートを刻むドラムセットに眉をしかめながら、僕はりんちゃんと朝の挨拶を交わした。

 朝起きたら、僕の部屋には僕とエドアルド、そしてチコラが転がっていた。

 エドアルドの鼻の穴にはイカゲソが2本詰め込まれていて、眉毛は消し炭で太い繋がり眉毛にされている。上半身裸になった彼は、それでも気持ちよさそうにラグの上に眠っていた。
 チコラは空の蒸留酒のビンを口に咥えて、抱き枕のように抱えている。背中に生えている天使のような羽は、ポトフか何か、そんな煮物の残り汁が入った鍋にどっぷりと浸かっていた。

 僕はと言えば、ソファに覆いかぶさるようにして眠っていて、なぜか夜の商売でもしているような濃い化粧を施されている。
 灰色の髪の毛は2本の三つ編みにされていて、我ながらとても気持ち悪い。

 もちろん、りんちゃんたちと顔を合わせる前に全部洗い流したけど、僕はなぜこんな状況になっていたのか、全然記憶がなかった。

「あっくん、だいじょぶ?」

 額を押さえた僕を見上げて、りんちゃんがローブの裾を引く。
 こみ上げてきた酸っぱい物を飲み込むと、僕は何とか笑顔を作ってりんちゃんの頭を撫でた。

 食欲は全然無かったけど、それでも一応食卓へ向かう。
 そこには、いつも通りの佇まいのルーチェが、笑顔のまま目を瞑り、椅子の上で姿勢よく爆睡していた。

「あっくん。おはようございます」

「お……はよう。ルカ」

 困ったような顔でルーチェを見ていたルカが僕に挨拶をして、フラフラの僕の姿にまた困惑している。
 なんとか椅子を引いて自分の席に座ると、それを待っていたかのように、目の前に湯気の立っているクリーム色の液体が置かれた。
 ちらっとその手が伸びてきた方へ視線を向けると、ファンテがいつも通りの表情で頭を下げているのが見えた。

「ハニージンジャーミルクでございます。二日酔いに効くと言われておりますので、もし飲めるようでしたら是非」

「……うん。ありがと」

「二日酔い?」

 悪気なく聞いてくるりんちゃんに苦笑いを向けて、僕はその甘いミルクをすする。
 とろみのあるそのミルクは、胃の辺りでごぼごぼと泡立っていた何かをさっぱりと洗い流してくれるようだった。

「さぁ、お二人も」

 ファンテがりんちゃんとルカにもそれを渡す。
 そこに現れたマリアステラが、ぼさぼさの頭をぼりぼりかきながら「う~、ファンテさーん、私にもそれちょうだーい」と椅子に座るのとほぼ同時に、ファンテは彼女の前にもハニージンジャーミルクをコトッと置いた。

 小豆色のジャージの袖を手のひらまで伸ばして、熱いカップを両手で持った彼女は「ふーふー」と言いながらそれをすする。
 吹いた湯気が黒縁のメガネを曇らせ、彼女はそれをおでこの上に乗せた。

 見るともなくそれを見ていた僕と目が合い、マリアステラはちょっと頬を赤らめて「にへへ……」とだらしなく笑う。

 眠っているルーチェもマリアステラも、なんとなく機嫌が良さそうだ。
 僕は酔っぱらって何か大失敗を犯したんじゃないかと言う可能性を、とりあえず頭の中から消した。
 いや、起きた時のあの姿は大失敗だとは思うけど、とにかくルーチェやマリアステラが怒るようなことはしていないみたい。
 逆にあの状況で、それは上出来だと僕は思った。

「ファンテくん! これおいしい!」

「ほんと! おいしいです!」

「それはようございました」

 りんちゃんが屈託なく笑い、それに続いたルカの表情もぱっと輝く。
 僕はそれを見ただけで、ハニージンジャーミルクを飲んだ時よりも胃がすっきりするのを感じた。

 ルカがルーチェを揺り動かして起こし、ミルクを勧める。

「ふぇ?」

 じゅるっとよだれをすすって幸せそうな眠りから覚めたルーチェは、周囲を見回して僕と目が合うと、ぱぁっととろける様な笑顔を見せた。
 行儀よくそろえた膝の上に両手を置いて、もじもじと身をよじる。

 僕はさすがにこの2人の様子は機嫌がいいなんて言葉を超えているぞと、最初に考えていたのとは別な方向で大失敗した可能性を頭に浮かべた。

「ご……ごめん、僕今日は朝ごはん要らないや。お風呂入ってくる」

 そそくさと立ち上がり、りんちゃんに「ごめんね」と謝ると、僕はお風呂へと向かう。
 その僕の背中に、ルーチェとマリアステラの視線が注がれているのが、そういうことに疎い僕でも良くわかった。


  ◇  ◇  ◇  ◇


「ふぅ~~」

 少し熱めの湯船に肩まで浸かり、僕は体中のアルコールが蒸発していくのを感じて、大きく息を吐いた。

 自慢のお風呂。やっぱりここは最高だ。

 この前の眷属の襲来にも、お風呂はダメージを受けなかった。
 他の部屋や建物自体にはそれなりに被害はあったんだけど、ここが無傷だったのは不幸中の幸いだと言える。
 何しろ一から十までオリジナル設計のここは、修理をするにも街の特定の職人じゃないと手が出せない。
 街の復興に忙しいこの時期に、腕利きの職人を何人も、しかも『お風呂』と言うこの世界の人にとっては嗜好品にも等しい物のために拘束するのは、さすがにはばかられた。

「……あ~、僕、昨日何をしちゃったんだろ……」

 お風呂に浸かると思わず独り言が出てしまう。
 早くも滲んできた汗をガーゼのような布で拭いて、その布を頭に乗せた僕は、これ以上独り言が出ないように口まで湯船に沈んだ。

――バーン!

 突然、勢いよく浴室のドアを開けて、つながり眉毛でイカゲソを咥えたエドアルドと、羽が煮凝にこごりになったチコラが入って来る。
 全裸で小脇にチコラの入った鍋を抱えたエドアルドは、前を隠す様子も無く、堂々と浴室を進んだ。

「昨日は告白タイムやったんや!」

「さすがの俺様もあれには参ったぜ!」

 不必要なほどに元気よく、彼らは洗い場で汚れを落とす。
 ザバーッと大量のお湯で石鹸の泡を流したあと、2人は僕を挟むように両隣で湯に浸かった。

――かぽーん。

「ふぃぃぃぃ~」
「う゛えぇぇぇぇいっ」

 なぜだか落ち着くそんなお風呂の音と家族のうなり声を聞き、ついでに2人のさっき言った言葉を聞かなかったことにして、僕も一旦目をつぶってお風呂を楽しむ。
 3人で一緒に入るお風呂は、いつもながら旅行みたいで、ちょっとうきうきした。

 もぐもぐとイカゲソを噛んでいたエドアルドがゴクリとそれを飲み込む音が聞こえる。
 それって今朝鼻の穴に刺さってたやつなんじゃないだろうか?
 ちょっと気にはなったけど、本人が気にしてい無いようだし、チコラもツッコまないので、僕も黙っていることにした。

「……聞かへんのんか?」

「そうだ、あっくんお前気になってんだろ?」

 そんな僕を見透かしたように、2人が同時にそう言う。
 ……やっぱり隠し事って出来ないものだなぁ。
 僕は意を決して口を開いた。

「……うん、実はすごく気になってたんだ。エドアルド、さっきのイカゲソって、今朝鼻の穴に――」

「――そこじゃねぇ!」
「――なんでやねん!」

 両サイドから、僕の胸に同時にツッコミが入る。
 ばしゃっとはねた水でぐしょぐしょになった顔をガーゼで拭きながら、僕はどこにツッコまれたのか、何を聞くべきだったのか、真剣に悩んだ。

 まだ1分と湯船につかっていないエドアルドが「もう限界だ」と風呂から上がる。
 洗い場の床に座ると、彼は両足を広げてごろんと寝転がった。

「……せめて前くらい隠してよ、エドアルド」

「うるせー。男湯で何を隠さなきゃならねーんだよ」

「せやで! 男湯で前隠すんは最低の裏切り行為やで!」

 綺麗になった羽でふわふわと湯船からあがったチコラも、胸を張ってすべてをさらけ出す。
 まぁチコラはいつも裸だからどうでも良いだろうけど、僕はやっぱりちょっと恥ずかしいと言うか、気まずかった。

 さすがに僕ものぼせてきた。
 湯船から体をあげ、浴槽のフチに腰を掛ける。
 2人には悪いけど、僕は何気ない風を装って、頭にのせていたガーゼを足の付け根に移動させた。

「……しかし、さすがの俺様もまさかあそこで『2人とも大好きなんだ!』なんて言葉が出るとは思わなかったぜ」

「いやいや、それよりワイはそれに納得して喜ぶ2人も大概やと思うで」

「ほんとそれな。俺様はルーチェ一筋だぜって言ってんのに、二股ヤローを選ぶんだから女ってわかんねぇ」

「ホンマやで。これがあっくんやなかったらぶちのめしとった所や。実際ただの腐れ外道やで」

「え? ちょっと待って。……2人とも何言ってるの?」

 まるで僕が不在のように、勝手に僕の話をする2人を慌てて止めて、僕は詳しい説明をお願いする。
 2人とも喋りたがりなので情報はとりとめもなく流れ込んできたけど、話が飛んだり勝手な解釈が入っていてどうも要領を得ない。
 なんとかまとめると、どうやら僕がルーチェとマリアステラに『告白』をしたと言う話のようだった。


 ――昨晩、僕とエドアルドの酒宴にチコラ、ルーチェ、マリアステラの3人が乱入したところまでは覚えている。
 そこで僕らが何を話していたのかについてチコラがツッコみ、遠慮のないエドアルドは簡単に白状してしまった。

 ファンテに新しい酒やおつまみまで用意してもらって、僕の尋問体制は整う。
 酔った勢いもあった僕は、「りんちゃんを元の世界に返すと言う大事な目的があるのに、僕はそんな恋愛なんかしてる場合じゃないんだ!」と号泣し、「それなのに僕はルーチェの事もマリアの事も、本当に大好きで、気持ちを止められないんだ!」と酒を煽ったのだった。

 一応彼女たちもそれで全て納得したわけでは無いようだけど、チコラの話では「なんやかんやあって」結局、僕の気持ちも彼女たちの気持ちもお互い理解したうえで、りんちゃんの事に決着がつくまでは、これ以上の恋人関係を求めないことで合意したと言う事だった。

 僕は「りんちゃ~ん」と泣きじゃくり、僕曰く「可愛いマリア」と同じく「優しいルーチェ」に慰められる。
 そして、やっと落ち着いた僕と、僕の両サイドに陣取ったルーチェとマリアステラ、そしてルーチェに無碍むげに扱われたエドアルドと恋愛話に入れないチコラも加えて、僕らはタガが外れたように朝まで酒を飲んだのだった。

「……それって……最低じゃない?」

「最低や。ほんま腐れ外道やで」

「ああ、最低のクソヤローだな」

「……だよね」

「――だけどまぁ、あっくんならしょうがねぇ」

「せやな。しゃあない。逆によう言うたと褒めたるわ」

 2人はそう言ってくれたけど、こんなに失礼な話は無い。
 僕はお風呂を上がったら、ルーチェとマリアステラに謝ろうと心を決めた。

「あいつらに謝ろうとか思ってんじゃねェぞ?」

「え? どうして?」

「あっくん、覚えとらんのかもしれんけどな、昨日の夜はかなりの紆余曲折があったんやで……」

 チコラとエドアルドは目を合わせて、血の気が引いたような表情になるとブルっと体を震わせる。
 慌てて浴槽に浸かりなおした彼らに、もう一度「絶対に謝ったり、話を蒸し返したりするな」と念を押されて、僕は結局頷くことしかできなかった。


――ちなみに。

 チコラもエドアルドも、僕の化粧やエドアルドの眉毛、チコラの羽については、誰も記憶がないと言う事だった。
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