鹿翅島‐しかばねじま‐

寝る犬

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大和 武志(やまと たけし)の場合(◇ヒューマンドラマ◇ホラー◇ラブコメ)

大和 武志(やまと たけし)の場合(1/3)

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 島がゾンビハザードに見舞われたのは一週間ほど前のことだ。

 最初の二~三日で、ほとんどの人間は島外へ脱出するかゾンビになるかした。
 おかげで今はゾンビの唸り声以外の音は無く、島は静かで暮らしやすい。

 今日も俺は郊外にある自宅から、市街地のショッピングモールへと買い物に出かけた。

 自宅、と言っても元々は俺の家ではない。
 だが、世話になっていたオジキたちはもう島を離れているのだ。
 鍵も渡されているし、もう持ち主が戻ることも無い破棄された家なんか、誰がどう使っても何の問題もないだろう。

 海に面した崖から張り出すように作られた高級な家は、崖の面と街へと続く門以外、人間を拒絶するように、高さ数メートルの分厚い塀で囲まれている。
 重い鉄柵で塞がれた門は、地下にある自家発電の電気で開閉できたが、基本的に車を使用していない今は、人間用の小さな扉を手で開けて出入りしていた。

 街までの足は自転車を使う。
 ゾンビどもは音に反応するため、エンジンやモーターの音を出さない自転車は、運搬手段として重宝していた。

 デッキブラシに柳刃包丁を固定して作った槍と、首までを覆うヘルメット、それから地下室の棚にあった防刃装備で武装し、太いタイヤの自転車で坂を下る。

 天気も良く、空気も美味い。
 四十年間近くもヤクザそのものの生活を続けてきた俺にとって、日の出とともに目覚め、生きるために体を動かし、飯を食い、暗くなったら眠るこの生活は、驚きに満ちていた。
 思わず鼻歌が出る。
 しかし、視界の隅にゆらゆら動くゾンビの姿を認め、俺は気を引き締めた。

 街に近づくにつれ、ゾンビの数は増える。
 それでもよほど近づくか、こちらからちょっかいを出したり音を立てなければ、こいつらは襲っては来なかった。
 すいすいと快調に自転車を進め、大型ショッピングモールの裏口へと自転車を横付けする。

 慣れた手つきで一つ目の鉄柵のワイヤー錠を外し、また内側から錠を閉めた。

 二つ目の鉄柵と、奥にあるドアには鍵がかかっていない。
 外の状況を確かめながら出入りできるこの入口以外は、できる限り棚やなんかで塞いでおいた。

 つまり、この巨大ショッピングモールは俺専用の巨大倉庫みたいなもんだ。
 大型のカートを掴んでヘルメットを脱ぎ捨て、ポケットからメモを取り出す。

 今日は当面の食料と、映画やドラマのブルーレイディスク、それからテレビのアンテナを高く上げるため、やぐらの材料を取りに来た。
 最初の一日はテレビも見ることが出来たのだが、島にある中継局が止まってからは、ほとんどのチャンネルがノイズまみれで見られなくなっていたのだ。
 アンテナを高く上げて、ブースターでも噛ませれば映るようになるだろう。

 まずは建材売り場へと、俺は足を向けた。

 アルミのパイプと継手つぎてやネジ類を適当に集める。
 運んでいるときにガチャガチャ鳴ったり、バラバラにならないように、ガムテープでしっかり固定した。

 それを乗せたカートを引いてAV機器売り場へ。
 とりあえずゴツいアンテナブースターやケーブル類をバッグに突っ込む。

 その後は、古い任侠映画のシリーズを中心に、2~30枚のブルーレイディスクをまとめてバッグに入れた。

 今日の楽しいショッピングもそろそろ終わりだ。
 最後に訪れた食品売り場で、俺は違和感を感じた。

 

 このショッピングモールのゾンビは全部始末したと思っていたんだが、どうやらまだ残っていたようだ。
 倉庫にゾンビが居たのでは、今後の生活に支障が出る。
 カートから手を離し、そっと槍を構えると、俺は音を立てないように棚を回り込んだ。

 一つ目、居ない。
 二つ目、ここにも居ない。
 三つ目、棚の影にあまり大きくないゾンビが一体。床に屈みこみ、一心に何かを喰っている。

 小学校高学年くらいか。
 このサイズなら殺すのもそんなに難しくない。
 俺はそっと、槍の攻撃範囲へと近づいた。

 床に散らばっていたスナック菓子を踏んでしまい、小さく「ぱり」と音がなる。

 音に反応したゾンビが、思いもしなかった速さで振り返り、頭を抱えるのが見えた。

「ごめんなさい! わたしお腹がすいちゃって、が……我慢できなくて!」

 突き刺そうとした槍を止める。
 ……どうやら、こいつはゾンビではないようだ。

 俺は槍をおろし、ガクガクと震えながら何度も謝るガキに「しっ」と静かにするように言うと、辺りをうかがった。
 他に動くものは見えない。

「……おまえ一人か?」

「はい。あの……ごめんなさい。わたし、あの、おとといから何も食べてなくて――」

「――黙れ。質問にだけ答えろ。どこから入った?」

 ガキは片手で口をふさぎ、反対の手で正面入り口を指差す。
 棚やテーブルが乱雑に積み重ねられて塞がれた薄暗い正面入り口を振り返ると、ガラスの入り口の隅に子供一人がやっと通れるくらいの穴が開いてるのが見えた。

「ちっ」

 舌打ちをしながら、慌てて穴までベンチを引きずって塞ぐ。

 入り口のほかの部分にダメージが無いのを確認すると、俺はほっと息をついた。
 ガキを無視しながらカートへ戻り、缶詰や酒を必要以上にバッグへ入れる。

 こちらが無視しているのに気づいているのだろう。
 それでもチョコチョコと後ろをついてきたガキが、俺の視界へ入るように体を動かし、その忌々しい口を開いた。

「あの、お父さんもお母さんもゾンビになっちゃって、わたし……あ、斑鳩いかるが 真奈まなって言います。11歳です。なんでもお手伝いしますから、お願いです。一緒に連れて行ってください」

 それでも俺は聞こえないふりをしながら、足早に食料品売り場をうろつき、次々と予定にない食料までバッグに放り込む。
 ぐるぐると意味もなく同じところを回った末、俺は諦めて足を止めた。

 後ろを走ってついてきていたガキが、背中にぶつかって尻もちをつく。

 俺はひたいを手で覆い、ことさら大きくため息をついて見せた。

「おいガキ、いいか? 良く聞け。俺はお前を助けてやる気も、面倒を抱え込む気もない。その辺にある食料は好きなだけくれてやるから、さっさと失せろ」

「ガキじゃないです。真奈です」

「……そりゃあ悪かったな、真奈。……わかったから、消えろ」

 その辺のチンピラ程度なら一発で震えあがる顔で睨み付けてから、俺はさっさと帰る準備を始める。
 俺の横に立ったまま、じっと俺を見ている真奈に、専門店街から見つけてきたリュックを渡し、中に缶詰や水、救急用品などをいくらか詰めてやった。

 黙って受け取った真奈をうながし、裏口から一緒に外に出て、ワイヤー錠をかける。

「じゃあな」

 自転車にまたがった俺は、真奈をその場に残したまま、自転車を走らせた。
 角を曲がって少し走り、後ろを振り返る。

 周囲にゾンビは居ないようだが、さすがにちょっと気になったのだ。
 我ながら厄介な性格だと小さくため息をつきながら、俺は壁に背中をつけ、ショッピングモールの方をうかがった。

 モールの裏口には、さっきかけたワイヤー錠が、しっかりかかっているのが見える。
 そのすぐ横、先ほどと変わらぬ場所に、真奈はまだ立っていた。
 両手で重いリュックの肩ひもを握りながら、困ったような顔で辺りをキョロキョロと見回している。
 俺がこちらから覗いていることにも気づいていないようだ。

 注意力が無いな。と、俺は思う。
 これまで一週間生き延びて来られたのが奇跡みたいなもんだ。

 両親がゾンビになったと言っていた。
 11歳だとも言ったか。

 そんな境遇の子供は、これから生きていても辛いことしか無いだろう。

 幸い今のこの島では死はとても身近にあるのだ。
 願わくば、苦しみを感じることなく、両親と同じ運命をたどることを――。

 神は信じていないが、俺は何かに祈りをささげる。
 一瞬閉じた視線の端を、真奈ではない別の人間が、ゾンビに襲われている姿がかすめた。

「ヴぁあぁ……ァァアぁあぁ……」

「うわぁっ! くそっ」

 たぶん、観光気分で島にやってきたツアー客だろう。
 肩口の肉をゾンビに噛みちぎられ、地面に倒れる。
 あー、これはもうダメだ。あの傷では、あいつもすぐにゾンビ化するだろう。

「ぐぞっ! ぐっ……じねっ! ゾンビっ! がはっ!」

 男は手に持った金属バットで、なんとかゾンビを撃退する。
 首と口から大量に血を吹きだしながら、男はゾンビと共に地面に倒れた。

 さすがにこの状況なら逃げる一手だろう。
 そう思って視線を戻すと、あろうことか真奈は、逃げるどころか男に駆け寄った。

「あのっ! 大丈夫ですか?!」

 リュックをおろし、さっき詰めてやった包帯を取り出している。
 バカが。
 あいつはもう手遅れだ。

 考えるより早く、俺は手製の槍を片手に駆け出していた。

「今血を止めますからっ!」

「……あり……が……ヴぁぁぁアぁァァあ!」

「……えっ?! きゃああああ!!」

 叫ぶ真奈の背中越しに、ゾンビになった男の顔と手が見える。
 迷うことなく、走る勢いと全体重を込めて突き出した槍は、真奈の頬をかすめ、男の眼窩を貫いた。

――ゴッ

 男は吹き飛び、後頭部から地面に突っ込んでビクンっと痙攣けいれんする。
 槍を抜き、他のゾンビが居ないかどうか周囲をうかがうと、俺はへたり込んでいる真奈の胸ぐらをつかんで引きずり起こした。

「ふざけんなてめぇっ! 死にてぇのかっ!」

「あっ……うっ」

 自分の体重で首が閉まり、真奈は声も出せない。
 自分の身も守れないガキのくせに、学校で習ったような道徳心なんか見せびらかしやがって。
 そんなもの、ゾンビの島ここじゃクソの役にもたちゃしねぇってのに。
 イライラが募った俺は、真奈をさらに引き寄せ、おでこがぶつかるくらいの距離で睨み付けた。

「いいか、教えてやる。この島はもうお前の知ってる平和な『日本』じゃないんだ。人を助ける余裕があったら、そのぶんで自分が少しでも長く生きることを考えろ」

 真奈の顔は赤黒く変色し始めている。
 俺はじたばた暴れる真奈を地面に投げ捨て、ツバを吐き捨てた。

「っげほっ! ……ごほっ!」

 砂だらけのアスファルトに転がった真奈は、空気を求めて喘ぐ。
 首を押さえ、肩で息をしながら、それでも真奈は俺を見上げた。

「た……助けてくれて……ありがと……ございます」

 この期に及んで、まだ礼を言うのか。
 何なんだこいつは、ほんっとイライラする。

 俺は心を落ち着けるために、何度か足元のゾンビを蹴り飛ばした。

「あのっ、やめてください。その、もう死んでます」

「黙れ。こいつはもう人じゃない。いいか、もうひとつ教えてやる」

「……はい」

「この島には今、二種類の人間しかいない。それは『もうゾンビになった人間』と『これからゾンビになる人間』だ。生きる気があるなら近づくな。そして殺される前に殺せ」

 真奈は何かを言いかけたが、口をつぐむ。
 非難するようなその視線から目をそらし、ついでにもう一発、ゾンビを蹴り飛ばした。

 ちらりと真奈を確認し、ガリガリと頭をかく。
 俺はもう一度ショッピングモールの裏口を開き、振り向かないまま、真奈に声をかけた。

「俺と行動を共にする気なら、そのルールを守れよ。……ところでお前、自転車に乗れるか?」

 モールの売り場を思い出しながら、自転車売場へ向かう。
 背中から真奈の「はいっ! 乗れますっ」と言う元気のいい返事が掛けられたが、俺はやはり振り向くことをせず、足早に必要なものを集めに向かった。
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