鹿翅島‐しかばねじま‐

寝る犬

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真嶋 堅一(まじま けんいち)の場合(◇ホラー◇ヒューマンドラマ)

真嶋 堅一(まじま けんいち)の場合(1/3)

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 あいつを殺そうと思った。

 9か月ほど前。中学1年生だったぼくからなけなしのお金を奪い、面白そうに笑ったあいつを。
 名前も知らない、たぶん高校生くらいのあいつを。

 次のお小遣いをもらった日、ホームセンターで太さ0.25ミリ、長さ20メートルのピアノ線を買う。
 レシートとパッケージはコンビニのゴミ箱に捨てた。

 それから、あいつの姿を探した。
 ぼくがあいつを探していることが分からないように、ジョギングを始めたように見せかけ、誰にも聞き込みをせずに黙々と探す。
 あの乗りにくそうな改造バイクは簡単に見つかった。

 あとは行動パターン。
 これと言って決まった時間に何をするという習慣は無いようだったけど、それでも金曜の朝方、車両進入禁止の遊歩道をバイクで飛ばし、一度家に帰ることが多いのは確認できた。

 9月。
 金曜の早朝。
 午前3時。

 マジックで黒く塗りつぶしたピアノ線をポケットに忍ばせ、ぼくは遊歩道に向かう。
 軍手をはめ、あらかじめ目星をつけていた木の幹にピアノ線を結びつける。
 ちょうどバイクに乗ったあいつの首の高さにぴんと張ったそれを、ぼくは震えながら確認し、ごくりと唾を飲んだ。

 人通りの全くない中、1時間、2時間、じりじりとした気持ちであいつを待つ。
 ……今日は不発かもしれない。
 一度ピアノ線を外そうと立ち上がりかけたとき、あの下品なバイクの音が、遠くから近づいてきた。

 車両進入禁止の遊歩道だ。
 ルールを守れないあいつくらいしかここへは進入してこない。
 期待と不安にキーンと耳鳴りがし、目の前に霞がかかった。

 見通しのいい河川敷の遊歩道、緩い曲線を描きながら伸びるその道の端からヘッドライトが近づいてくるのを見つめていると、少し先にゆっくりと歩いている人影が見える。
 しかも2人……いや、3人か。
 このままではあいつがピアノ線で首を飛ばす前に、あの人たちの所で減速してしまうかもしれない。
 ぼくは何も考えず、慌ててその人たちのもとへと走った。

「あの……すみません、バイクが走ってくるからあぶないですよ」

 午前5時過ぎ。暗くてよく見えないが、その人たちはイヤホンで音楽でも聞いているのだろう。
 話しかけたぼくに、まったく反応を示さない。
 イライラしたぼくは、すぐそばまで近づき、もう一度大きめの声で、道の端に寄るようにと注意した。

「ヴぁアァァァあァぁ……」

 突然、その人たちは唸り声を上げる。
 暗闇の中、むき出しになった歯がわずかばかりの月の光を反射してヌラヌラと光るのが見えた。

 体に掴み掛られ、地面に打ち倒される。
 吐き気を催すような臭いが眼前まで迫った。

 半分雲に隠れていた月が姿を現し、闇に慣れたぼくの目にその顔を浮かび上がらせる。

 ほお肉が無くなり、歯がむき出しになった顔。目は黒く濁り、たぶん何も見えていないだろう。
 髪の毛は血糊で乱雑に固まり、まるで何週間も風呂に入っていないような異臭を放っていた。

 それを一言でいえば『ゾンビ』だ。

 映画の中でしか見たことの無いその怪物が、今まさにぼくに覆いかぶさり、唸り声をあげながら不潔な歯をつき立てようとしていた。

「うわあぁぁ!! 助けて!」

 なんとかそのあぎとから逃れようと、ぼくは力いっぱいゾンビを押し返す。
 しかしゾンビの力は強く、じりじりと鼻先5センチまで迫ったそのヌラヌラした歯に、ぼくの心は一瞬あきらめかけた。

「オラァ! なにやってんだゴルァ!」

 突然響く下品なバイクの音。それにもまして下品な言葉。
 そして、蹴り。

 ゾンビが吹き飛ばされ、ぼくは自由になる。

――ドルン、ドルルン。

 意味もなく空ぶかししたあいつは、リアサスペンションの横に固定されていた特殊警棒を肩に担ぎ、斜め下からゾンビにガンを飛ばした。

「てめぇら俺んのすぐ目の前で何やってやがる? 俺は鹿翅しかばねデスキラーの二代目特攻ぶっこみ隊長、大暮おおぐれだ。理由によっちゃあ……コロしちゃうぜ?!」

 大暮と名乗ったあいつの口上は、ゾンビに無視される。
 その態度にカチンと来たのだろう。襲い掛かろうとした別のゾンビの肩口を、大暮は躊躇ちゅうちょなく、思いっきり特殊警棒で殴りつけた。
 マンガなら「うっ」とうめいて倒れるところだ。事実、ゾンビの肩は奇妙な形にへこみ、鎖骨骨折くらいはしているように見える。
 それでも、左腕をぶらりとたらしながらゾンビは迫り、大暮は「んだコラァ!」と叫んで、前蹴りでゾンビを吹き飛ばした。

「んだよてめぇら?! 普通じゃねぇぞ!」

 蹴り倒してもすぐに起き上るゾンビを見て、彼もおかしいと気づきはじめる。
 立ち上がったぼくにちらりと視線を向けると、大暮は自分の背中を指差した。

「おい小僧、乗れ」

「はい?」

「バァカ! 乗れよ! 逃げんぞ!」

「あ、はい!」

「あとこれ持ってろ! 落とすなよ!」

 思わず返事して、すごく高い背もたれと大暮の体の間に滑り込んだぼくに向かって、大暮は特殊警棒を突き出す。
 3段階に伸びるスチール製の特殊警棒は、グリップの反対側がどろりとしたゲル状の血液にまみれていた。

 液体に触らないようにそれを持ったぼくが、どこにつかまったらいいのかと聞く間もなく、エンジンが唸りを上げ、タイヤが空転する。
 大暮はまっすぐ自分の家の方に進もうとしたが、このまま行くとピアノ線のトラップが待っていることを思い出したぼくは、ヘルメットもかぶっていない大暮の後頭部に顔を近づけた。

「こっちダメです! 反対! 反対に行かないと!」

「なんでだよ!?」

「あ、えっと……仲間! あいつらの仲間がいます!」

「チッ。マジかよ!」

 その場で地面についた足を軸にしてターン。
 振り回されたぼくの握った特殊警棒は、近くまで迫っていたゾンビの頭を殴り飛ばした。

「ははっ! やるじゃねぇか!」

 笑いながら、大暮はバイクを飛ばす。
 ぼくは振り落とされないように、シートについているベルトにつかまった。

 うっすらと明るくなり始めた早朝の河川敷。
 初めて乗るバイク。
 冷たくて気持ちのいい風。

 ぼくは思わず笑いそうになり、目の前にある大暮の金色の後頭部を見て、口を無理やりへの字に曲げた。
 なにを考えてるんだ。こいつはぼくからお金を巻き上げた悪人だぞ。
 頭を振って顔を引き締めようとするぼくを乗せたバイクは、やがてさびれたコンビニの駐車場に止まった。

「そこで待ってろ。それ持って入っと通報されっから」

 追いかけようとしたぼくを残し、血まみれの特殊警部を指差しながら、大暮はコンビニへ入って行く。
 あわてて警棒を背中に隠し、コンビニの影の壁にもたれていたぼくの頬に、やがて暖かい缶コーヒーが押し付けられた。

「ほれ」

「あ……ありがとうございます」

 思わずお礼を言ってしまう。
 こんなもの、ぼくから巻き上げたお金で何十本だって買えるじゃないか。
 言ってみれば、自分のお金で買ったようなものだ。
 そう思いながらも、冷たい風に当たった体に甘い缶コーヒーは染み渡るようにおいしかった。

大暮おおぐれアキラだ」

「はい?」

「俺の名前だよ! お前は? 名前」

「あ……真嶋まじまです。真嶋まじま堅一けんいち

 こいつは、名前も知らずにお金を奪ったのだ。
 もちろんぼくの顔も、ぼくからお金を奪ったことも覚えていない。
 そんなことに思い至り、ぼくは改めて心の中にどす黒い思いが湧き上がるのを感じた。

「そうか、堅一。で? さっきのは何だ?」

「さっきの?」

「さっきのだよ! お前を襲ってたやつら」

「あ、……ぼくもよくわからなくて……ジョギングしてたら突然襲われて……。あ! お礼が遅れました。……さっきは大暮さんに助けてもらわなかったら……ぼく……」

 またお礼を言ってしまった。
 でもまぁ大暮の命を狙っていたぼくを彼は助けてくれたのだ。お礼くらい言ってもバチは当たらないだろう。
 いろいろな思いが渦巻き最後は言葉が消えてしまったぼくをちらりと見て、大暮はぐいっとコーヒーを飲みほした。

「ああ『アキラくん』でいいぞ。そうか、わかんねぇのか。だけどあれはヤベェやつだぜ。クスリかなんかやってるパターンだ」

「いえ、あの……たぶんですけど……」

「なんだ?」

「あれは……あの……ゾンビだと……思います」

 笑われると思った。
 もしくは、ふざけるなと殴られるか。
 でも、首をすくめたぼくに帰ってきたのは「マジかよ……」と言う言葉だった。

「確かに……。ヤベェヤベェとは思ったがゾンビかよ! 堅一、お前噛まれてねぇよな?」

「え? はい。噛まれてはいないです」

「そうかぁ、よかったなぁ。ゾンビに噛まれた奴はよ、そいつもゾンビになるんだぜ。知ってっか?」

 知っている。でもそれは映画の中のゾンビの話だ。実際のゾンビにも当てはまるかどうかは分からない。
 でも結局『映画の中にしか居ない存在』のはずのゾンビが現実に現れたんだ。『映画の中のルール』が当てはまると考えるのが今は正しいような気がする。
 少し考えて、ぼくは首を縦に振った。

「……さてどうすっかな、ゾンビ」

「え? どうするって?」

「あいつらコロさねぇと家に帰れねぇからよ。妹たちにメシつくんねぇといけねぇし」

「メシ……って、おおぐ……アキラくんが作るんですか?」

「あぁ。うちの親、1年くらい前に子供置いて蒸発しやがってよ。今は俺が高校やめて小学生の妹たちを食わせてんだ」

「え……と、親戚とかは?」

「面倒見てくれるヤツなんかいねぇよ。……いや、妹たちを一人ずつなら引き取りたいってのは居たんだがな。誰も俺みてぇなのは引き取らねぇだろ? 妹たちは俺と離れたくないって泣くしよ。高校の教師や役所の連中には、こいつらは俺が育てるってタンカ切ってやったよ」

 1年くらい前と大暮は言った。
 ぼくからお金を奪ったのはその直後だろう。
 本当にお金に困っていたのかもしれない。

 ……いや、そんな理由なんかどうでもいい。妹たちのためのお金だろうが何だろうが、それで罪が許される訳じゃない。
 それでも、罪には情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地はあるのかもしれない。
 とにかく、大暮を……アキラくんを殺さなくてよかったと、さっき飲んだ缶コーヒーくらい甘いけど、ぼくはそう思った。

「じゃあ、急いで帰らなくちゃ。警察……警察に通報しようよ、アキラくん」

「警察か……いや、警察はダメだ」

「どうして?」

 どう考えても警察一択だとぼくは思う。
 不思議に思ってぼくより15センチは身長の高いアキラくんを見上げると、彼は気まずそうに顔をそむけた。

「……バイクだよ」

「バイク?」

「違法改造なんだよ! 見つかったら没収される」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ?!」

「バッカおめぇ、バイクは俺の命なんだよ! どんなに金に困ってもコイツだけは手放さなかったんだ。こんなとこでられてたまるかよ!」

 バカはどっちだとぼくは思う。
 それでもぼくは頭をひねってほかの道を考えた。
 ……ほかの道?

「ほかの道は無いの? 回り道とか」

「あぁ、ある。あるけど交番の前通るんだ」

「またそれ?! 通るだけならつかまらないかもしれないでしょ?!」

「だけどよ……」

「じゃあこうしようよ。交番の少し前でバイクを止めて、ぼくが交番にゾンビの話をしに行く。その間にアキラくんはバイクを引っぱってこっそり交番の前を通り過ぎて」

「お……そうか。それいいな! でかしたぜ堅一!」

 いつのまにか、ぼくは友達と話すときのようにアキラくんと自然に話をできていることに気づく。
 こうしてぼくらは、アキラくんの家を目指して朝の鹿翅島しかばねじまを疾走した。
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