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松戸 博士(まつど ひろし)の場合(◇コメディ)
松戸 博士(まつど ひろし)の場合
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金曜日の朝に目覚めると昼だった。
「おかしいな。私は金曜の朝に目覚めたはずなのだが……」
昼なお暗い研究室(と言う名の離れのプレハブ小屋)。
私はやぶにらみの三白眼に、銀縁のメガネを装着する。
体を起こした私に気づいた12歳の少女が、てててっと私に駆け寄った。
「兄さま兄さま、偉大なるマッドサイエンティストが、そんな些細なことを気にしてはいけませんわ」
「いや、彩子よ、これはもしかするとタイムリープに関する人類の『気づき』の第一歩かもしれない。科学者たるもの、そう最初からすべてを決めつけてはいけないのだよ」
妹、松戸 彩子は「おおー!」と目を輝かせ、尊敬の眼差しで私を見る。
私は前髪をふわっと払い、メガネを中指でクイッとなおして「フッ」と不敵に笑った。
「兄さま、今日は何をしますか? タイムマシーンの研究を続けますか? レーザーガンの研究にしますか? それとも……ゾンビ?」
「……そうだな……」
壁に掛けてある白衣をまとい、私はどうしようかと考える。
中学校の入学式の翌日から、学校にはもう一年半以上行っていない。
それにつられる様に学校を休みがちになった妹と、この研究室に籠るようになって一年。
様々な研究は、そこそこの成果を上げていた。
タイムマシーンの研究。
まずは過去と未来を知ることが大事だ。
未来を描いたアニメや過去の名作を見る。
日々情報は更新され続けている。これは今後も継続的な研究が必要だ。
レーザーガンの研究。
レーザーの前に、まず実体弾を打ち出す銃の構造から勉強すべきだ。
研究のために通販サイト「ジャングルドットコム」から取り寄せたガス式くぎ打ち機「ネイルガン」は、その研究の第一歩と言えよう。
1マガジンで100本の釘がセットされ、20メートル以上の飛距離を誇る本格派だ。
今はこの銃での射撃訓練が主な研究内容だった。
そして、ゾンビ。
「……ゾンビ?」
白衣のポケットに手を突っ込んで、私は首をひねる。
私の姿を真似して、ポケットに手を突っ込んだ妹が、同じように首をひねって私を見上げた。
「なぁ彩子、ゾンビってなんだ?」
「嫌ですわ兄さま。ゾンビと言ったらジョージ・A・ロメロのあのゾンビですわ。生きる死体ですわ」
「あー、そういう事ではなくてだな……」
妹も私と一緒に古い映画を大量に見ているせいで、変な知識は多い。
それにしても、ゾンビの研究なんてしたことは無いはずだが……。
何だったかなと頭を悩ませる私に向かって、妹は「はた」と言いながら左手のひらに右拳を乗せ、うんうんと頷いた。
「情報の提供が遅れました。今、この鹿翅島は、人類史上最初のゾンビパンデミックに陥っているのですわ」
ポケットから取り出したスマホにニュースサイトや動画サイトの情報がまとめて表示される。
そこでは、今日の早朝から始まったゾンビによる全島のパニックの様子が、刻々と更新されていた。
「ちなみに、ここ、松戸家にもゾンビが居る模様です。父さまと母さまは地下室にお逃げになったご様子ですが、さきほど予備電源が切れたため、地下室は真っ暗でパニック状態のようですわ」
「……彩子、そういう情報はもっと早めに頼む」
「はい、兄さま。以後気を付けます」
「よろしい」
私は白衣を翻し、右手にネイルガン、左手にポリカーボネイト製のライオットシールド(機動隊とかが持っているアレ)を装備した。
妹も、白衣の上にランドセルを背負い、もう両手に小さめのネイルガンを持っている。
何も言わずとも私たちはお互いの気持ちを分かっていた。
せん滅作戦、開始だ。
「行くぞ! こんなこともあろうかと、私は今まで研究を続けてきたのだ! 正義のマッドサイエンティスト、松戸 博士の研究成果を見せてやろう!」
「兄さま。素敵ですわ」
「当然だ!」
研究室を出ると、どこから侵入したのか、広い庭にはぽつぽつとゾンビの姿が見えた。
程よくバラけている。練習にはもってこいだ。
今までの研究通り、ゾンビは動きが遅い上に視力は殆ど無く、その行動は主に聴力に頼っているようだ。
そっとゾンビに近づき、向こうの攻撃の範囲外からネイルガンを打ち込む。
――ビスビスビスッ、ビスビスッ
勢いよく飛んだ4センチほどの長さの釘は、ゾンビのおでこ周辺に連続で突き刺さり、その動きを一瞬で止めた。
「ふむ……研究通り、前頭葉に傷を受ければ動きを止めるらしいな」
「お見事ですわ、兄さま」
目をハートマークの形にせんばかりの勢いで、妹はぴょんぴょんとその場で跳ねる。
わたしは前髪をふわっとかき上げると「行くぞ」と、まず庭のゾンビの掃討を始めた。
30分もかからずに庭のゾンビの殲滅と門扉の固定が完了する。
ゾンビが齧ったと思われる太陽光発電のケーブルを応急処置して、私たちは母屋の捜索に取り掛かった。
いくら部屋が20数部屋あるとは言え、庭に比べれば屋内は狭い。
一部屋ずつゾンビを確認し、何匹かの元使用人のゾンビを倒せば、松戸家の制圧は簡単だった。
「後は屋上と地下室だけだな」
屋上の扉をそっと開ける。
そこには誰もいない。
私は扉をロックして、妹の方を振り向いた。
「ヴぁぁァァアあぁぁ」
「兄さまっ!」
――ビスニスビスッ、ビスニスッ、ビスッ
私の見ている前で、妹の二丁ネイルガンが火を噴く。
右手のネイルガンから打ち出された釘が私の首筋を霞めて、背後の物陰に潜んでいたゾンビの脳天を打ち抜いた。
左手のネイルガンは屋根裏部屋へ続くハシゴから頭を出したゾンビを撃ち、そのまま流れる様に、私の足元に忍び寄っていたモルモットのゾンビを床に縫い付けた。
妹は、ぴくぴく動くモルモットの釘をぐいっと踏んで床に深く突き刺し、怒りに満ちた目で天井からずるずると落ちてきたゾンビに詰め寄ると、無言でネイルガンを連射する。
「兄さまを襲おうなんて百万年早いんですわ! このっ死体野郎っ! ですわっ!」
――ビスビスビスッ、カシュ、カシュ
妹は、釘の無くなったネイルガンに、ランドセルから取り出した釘100本シートを無言でセットすると、ハシゴの途中に引っかかったまま磔にされたゾンビを通り過ぎ、今度は私の背後から襲い掛かろうとしたゾンビを床に磔にした。
「……兄さま、ご無事ですか?」
「お、おう」
いつもの笑顔の妹だ。
一応天井裏も確認してカギを閉め、私たちは両親を助けに向かった。
さっき庭を確保した時に接続した太陽電池が予備電源に接続されたおかげで、室内の各セキュリティも回復している。
地下室の電動アシスト付きの重い扉を開くと、ガクガクと震える両親と対面することが出来た。
「松戸家のゾンビはほぼ殲滅した。私たちは街のゾンビを倒しに向かう……夕食までには戻る」
「夕食は兄さまの好きなハンバーグが良いですわ」
ただコクコクと頷く両親を一瞥して、私たちはガレージへと向かった。
先ほど確認しておいた、父親の趣味で買い求めた電動三輪バイクがある。
そこに灯油タンクを2つ積み込んで、私はセルを始動させた。
「兄さま、まずどこへ?」
私の背中にしがみつくようにして、妹が乗り込む。
「まずも何もない。……殲滅だ」
「兄さま素敵ですわ!」
「当然だ!」
電動シャッターが開き、その音に向かって周囲のゾンビが群がる。
片手でトライクを運転しながらネイルガンを撃つのはなかなか難しかったが、後ろに乗った妹が、次々と左右のネイルガンを操ってゾンビを倒してしまうので、私は途中から運転に集中することが出来た。
高級住宅街を抜け、人通りの多い……いや、この場合ゾンビ通りの多いとでも言うべきか、とにかく標的の沢山いる商店街へ向かう。
そこでネイルガンの弾といくつかの足りないものを補充して、私たちは中央のバスターミナルへとたどり着いた。
「なかなかに壮観だな」
思わず口に出る。
バスターミナルには、数百、いや、千匹以上のゾンビが蠢いていた。
――ピロリロリロリロ……
突然、妹のスマホが鳴る。
白衣のポケットで鳴るそれにつられて、周囲の数十匹のゾンビが、一斉にこちらを振り向いた。
「兄さま、今手が離せません」
腰をクイッとこちらへ向けるので、私はポケットからスマホを取り出した。
そこには「父さま」と表示されている。
通話ボタンを押して、私はそれを耳に当てた。
「……もしもし、今手が離せないのだが」
『本島の市長と連絡がついた、あと数分で自衛隊が救出部隊を送ってくるそうだ。お前たちも一度家に戻りなさい』
「自衛隊が……? こんな状況の島に、どうやって?」
『救出用のヘリコプターを出すそうだよ。バスターミナルで島民を検査の後収容してくれるそうだ』
バスターミナル?
まさにこの場所じゃないか。
こんなゾンビに埋め尽くされているような場所では、救出どころか着陸すらできないだろう。
「わかった。私たちは少し片づけをしてから家に戻る」
スマホの切断ボタンを押し、弾切れを起こした妹の変わりに周囲のゾンビを撃ち殺す。
白衣のポケットにスマホを入れると、私は妹に声をかけた。
「彩子、すこしここのゾンビを減らすことにしよう。疲れてはいないか?」
「ええ、大丈夫ですわ」
妹のランドセルから、先ほど仕入れた防犯ブザーを取り出す。
私はそのピンを抜くと、ビービーとけたたましい音を立てるそれを持ったまま、ゾンビの群れの中をぐるぐると走り始めた。
「彩子、追ってくるゾンビは倒さずとも良い。進行方向を塞ぐゾンビだけに集中してくれ」
「お任せください。兄さま」
音につられ、ゾンビたちの大群が私たちを追う。
バスターミナル中を縦横無尽に走り抜け、大半のゾンビを引きつけた私たちは、タクシー乗り場の方へと群れを誘導して、トライクから降りた。
「どうなさいますの?」
不思議そうに私を見る妹のランドセルから、更にいくつかの防犯ブザーを取り出す。
ゾンビたちに向かって灯油缶のふたを開けて倒すと、防犯ブザーのピンを全部抜いて灯油の海の中へ投げ込んだ。
灯油の中のブザーに向かって殺到するゾンビたちを後目に、私は少しトライクを走らせて距離をとる。
ちょろちょろと流れる灯油の端に向かって火のついたライターを投げ込むと、同時にトライクを走らせた。
一瞬の静寂。
そして爆発。
「わっはははは! ファイヤぁぁぁぁぁぁ!!!」
「兄さま素敵ですわ!」
「わははは! 当然だ!」
燃える数百のゾンビと、その爆発音につられてさらに炎の中へと身を躍らせる数十のゾンビ。
その赤と黒との共演の中、私は島へと近づくヘリコプターの音と、島内緊急放送設備から流れる放送を聞いた。
『生き残った人たち! 聞こえますか?! 聞こえたら15分以内に中央バスターミナルに集まってください! 感染検査の後、本島へ搬送します! 繰り返します……』
あちこちの放送設備に向かってゾンビが突進している。
見る見るうちに近づいた5~6機の輸送ヘリが、ゾンビがほとんど居なくなったバスターミナルに着陸するのを、私は満足して見つめた。
「島の方ですか!? 救助に来ました! 検査をしますのでこちらへ!」
「不要!」
「え?」
「私たちは、島民がここへ集まりやすいようゾンビを倒して回る! キミたちは一般庶民たちを救出したまえ!」
――シュウン! シュウウン!
電動トライクのアクセルを目いっぱいに吹かして、私たちは颯爽と走り去る。
その背中に「せめてお名前を……」と言う芝居がかった言葉がかけられた。
にやりと笑って、私はメガネをクイッと持ち上げる。
「私の名は松戸 博士! 世界をゾンビから救う、正義のマッドサイエンティストだ!!」
「兄さま素敵ですわ!!」
「うわはははは! 彩子! ……当然だ!」
こうして私たち松戸家は鹿翅島の島民の命を数多く救い、3日後に自前のクルーザーでこの島を後にする。
それは正義のマッドサイエンティスト松戸 博士の名が、世界に広がった最初の事件であった。
――松戸 博士(まつど ひろし)の場合(完)
「おかしいな。私は金曜の朝に目覚めたはずなのだが……」
昼なお暗い研究室(と言う名の離れのプレハブ小屋)。
私はやぶにらみの三白眼に、銀縁のメガネを装着する。
体を起こした私に気づいた12歳の少女が、てててっと私に駆け寄った。
「兄さま兄さま、偉大なるマッドサイエンティストが、そんな些細なことを気にしてはいけませんわ」
「いや、彩子よ、これはもしかするとタイムリープに関する人類の『気づき』の第一歩かもしれない。科学者たるもの、そう最初からすべてを決めつけてはいけないのだよ」
妹、松戸 彩子は「おおー!」と目を輝かせ、尊敬の眼差しで私を見る。
私は前髪をふわっと払い、メガネを中指でクイッとなおして「フッ」と不敵に笑った。
「兄さま、今日は何をしますか? タイムマシーンの研究を続けますか? レーザーガンの研究にしますか? それとも……ゾンビ?」
「……そうだな……」
壁に掛けてある白衣をまとい、私はどうしようかと考える。
中学校の入学式の翌日から、学校にはもう一年半以上行っていない。
それにつられる様に学校を休みがちになった妹と、この研究室に籠るようになって一年。
様々な研究は、そこそこの成果を上げていた。
タイムマシーンの研究。
まずは過去と未来を知ることが大事だ。
未来を描いたアニメや過去の名作を見る。
日々情報は更新され続けている。これは今後も継続的な研究が必要だ。
レーザーガンの研究。
レーザーの前に、まず実体弾を打ち出す銃の構造から勉強すべきだ。
研究のために通販サイト「ジャングルドットコム」から取り寄せたガス式くぎ打ち機「ネイルガン」は、その研究の第一歩と言えよう。
1マガジンで100本の釘がセットされ、20メートル以上の飛距離を誇る本格派だ。
今はこの銃での射撃訓練が主な研究内容だった。
そして、ゾンビ。
「……ゾンビ?」
白衣のポケットに手を突っ込んで、私は首をひねる。
私の姿を真似して、ポケットに手を突っ込んだ妹が、同じように首をひねって私を見上げた。
「なぁ彩子、ゾンビってなんだ?」
「嫌ですわ兄さま。ゾンビと言ったらジョージ・A・ロメロのあのゾンビですわ。生きる死体ですわ」
「あー、そういう事ではなくてだな……」
妹も私と一緒に古い映画を大量に見ているせいで、変な知識は多い。
それにしても、ゾンビの研究なんてしたことは無いはずだが……。
何だったかなと頭を悩ませる私に向かって、妹は「はた」と言いながら左手のひらに右拳を乗せ、うんうんと頷いた。
「情報の提供が遅れました。今、この鹿翅島は、人類史上最初のゾンビパンデミックに陥っているのですわ」
ポケットから取り出したスマホにニュースサイトや動画サイトの情報がまとめて表示される。
そこでは、今日の早朝から始まったゾンビによる全島のパニックの様子が、刻々と更新されていた。
「ちなみに、ここ、松戸家にもゾンビが居る模様です。父さまと母さまは地下室にお逃げになったご様子ですが、さきほど予備電源が切れたため、地下室は真っ暗でパニック状態のようですわ」
「……彩子、そういう情報はもっと早めに頼む」
「はい、兄さま。以後気を付けます」
「よろしい」
私は白衣を翻し、右手にネイルガン、左手にポリカーボネイト製のライオットシールド(機動隊とかが持っているアレ)を装備した。
妹も、白衣の上にランドセルを背負い、もう両手に小さめのネイルガンを持っている。
何も言わずとも私たちはお互いの気持ちを分かっていた。
せん滅作戦、開始だ。
「行くぞ! こんなこともあろうかと、私は今まで研究を続けてきたのだ! 正義のマッドサイエンティスト、松戸 博士の研究成果を見せてやろう!」
「兄さま。素敵ですわ」
「当然だ!」
研究室を出ると、どこから侵入したのか、広い庭にはぽつぽつとゾンビの姿が見えた。
程よくバラけている。練習にはもってこいだ。
今までの研究通り、ゾンビは動きが遅い上に視力は殆ど無く、その行動は主に聴力に頼っているようだ。
そっとゾンビに近づき、向こうの攻撃の範囲外からネイルガンを打ち込む。
――ビスビスビスッ、ビスビスッ
勢いよく飛んだ4センチほどの長さの釘は、ゾンビのおでこ周辺に連続で突き刺さり、その動きを一瞬で止めた。
「ふむ……研究通り、前頭葉に傷を受ければ動きを止めるらしいな」
「お見事ですわ、兄さま」
目をハートマークの形にせんばかりの勢いで、妹はぴょんぴょんとその場で跳ねる。
わたしは前髪をふわっとかき上げると「行くぞ」と、まず庭のゾンビの掃討を始めた。
30分もかからずに庭のゾンビの殲滅と門扉の固定が完了する。
ゾンビが齧ったと思われる太陽光発電のケーブルを応急処置して、私たちは母屋の捜索に取り掛かった。
いくら部屋が20数部屋あるとは言え、庭に比べれば屋内は狭い。
一部屋ずつゾンビを確認し、何匹かの元使用人のゾンビを倒せば、松戸家の制圧は簡単だった。
「後は屋上と地下室だけだな」
屋上の扉をそっと開ける。
そこには誰もいない。
私は扉をロックして、妹の方を振り向いた。
「ヴぁぁァァアあぁぁ」
「兄さまっ!」
――ビスニスビスッ、ビスニスッ、ビスッ
私の見ている前で、妹の二丁ネイルガンが火を噴く。
右手のネイルガンから打ち出された釘が私の首筋を霞めて、背後の物陰に潜んでいたゾンビの脳天を打ち抜いた。
左手のネイルガンは屋根裏部屋へ続くハシゴから頭を出したゾンビを撃ち、そのまま流れる様に、私の足元に忍び寄っていたモルモットのゾンビを床に縫い付けた。
妹は、ぴくぴく動くモルモットの釘をぐいっと踏んで床に深く突き刺し、怒りに満ちた目で天井からずるずると落ちてきたゾンビに詰め寄ると、無言でネイルガンを連射する。
「兄さまを襲おうなんて百万年早いんですわ! このっ死体野郎っ! ですわっ!」
――ビスビスビスッ、カシュ、カシュ
妹は、釘の無くなったネイルガンに、ランドセルから取り出した釘100本シートを無言でセットすると、ハシゴの途中に引っかかったまま磔にされたゾンビを通り過ぎ、今度は私の背後から襲い掛かろうとしたゾンビを床に磔にした。
「……兄さま、ご無事ですか?」
「お、おう」
いつもの笑顔の妹だ。
一応天井裏も確認してカギを閉め、私たちは両親を助けに向かった。
さっき庭を確保した時に接続した太陽電池が予備電源に接続されたおかげで、室内の各セキュリティも回復している。
地下室の電動アシスト付きの重い扉を開くと、ガクガクと震える両親と対面することが出来た。
「松戸家のゾンビはほぼ殲滅した。私たちは街のゾンビを倒しに向かう……夕食までには戻る」
「夕食は兄さまの好きなハンバーグが良いですわ」
ただコクコクと頷く両親を一瞥して、私たちはガレージへと向かった。
先ほど確認しておいた、父親の趣味で買い求めた電動三輪バイクがある。
そこに灯油タンクを2つ積み込んで、私はセルを始動させた。
「兄さま、まずどこへ?」
私の背中にしがみつくようにして、妹が乗り込む。
「まずも何もない。……殲滅だ」
「兄さま素敵ですわ!」
「当然だ!」
電動シャッターが開き、その音に向かって周囲のゾンビが群がる。
片手でトライクを運転しながらネイルガンを撃つのはなかなか難しかったが、後ろに乗った妹が、次々と左右のネイルガンを操ってゾンビを倒してしまうので、私は途中から運転に集中することが出来た。
高級住宅街を抜け、人通りの多い……いや、この場合ゾンビ通りの多いとでも言うべきか、とにかく標的の沢山いる商店街へ向かう。
そこでネイルガンの弾といくつかの足りないものを補充して、私たちは中央のバスターミナルへとたどり着いた。
「なかなかに壮観だな」
思わず口に出る。
バスターミナルには、数百、いや、千匹以上のゾンビが蠢いていた。
――ピロリロリロリロ……
突然、妹のスマホが鳴る。
白衣のポケットで鳴るそれにつられて、周囲の数十匹のゾンビが、一斉にこちらを振り向いた。
「兄さま、今手が離せません」
腰をクイッとこちらへ向けるので、私はポケットからスマホを取り出した。
そこには「父さま」と表示されている。
通話ボタンを押して、私はそれを耳に当てた。
「……もしもし、今手が離せないのだが」
『本島の市長と連絡がついた、あと数分で自衛隊が救出部隊を送ってくるそうだ。お前たちも一度家に戻りなさい』
「自衛隊が……? こんな状況の島に、どうやって?」
『救出用のヘリコプターを出すそうだよ。バスターミナルで島民を検査の後収容してくれるそうだ』
バスターミナル?
まさにこの場所じゃないか。
こんなゾンビに埋め尽くされているような場所では、救出どころか着陸すらできないだろう。
「わかった。私たちは少し片づけをしてから家に戻る」
スマホの切断ボタンを押し、弾切れを起こした妹の変わりに周囲のゾンビを撃ち殺す。
白衣のポケットにスマホを入れると、私は妹に声をかけた。
「彩子、すこしここのゾンビを減らすことにしよう。疲れてはいないか?」
「ええ、大丈夫ですわ」
妹のランドセルから、先ほど仕入れた防犯ブザーを取り出す。
私はそのピンを抜くと、ビービーとけたたましい音を立てるそれを持ったまま、ゾンビの群れの中をぐるぐると走り始めた。
「彩子、追ってくるゾンビは倒さずとも良い。進行方向を塞ぐゾンビだけに集中してくれ」
「お任せください。兄さま」
音につられ、ゾンビたちの大群が私たちを追う。
バスターミナル中を縦横無尽に走り抜け、大半のゾンビを引きつけた私たちは、タクシー乗り場の方へと群れを誘導して、トライクから降りた。
「どうなさいますの?」
不思議そうに私を見る妹のランドセルから、更にいくつかの防犯ブザーを取り出す。
ゾンビたちに向かって灯油缶のふたを開けて倒すと、防犯ブザーのピンを全部抜いて灯油の海の中へ投げ込んだ。
灯油の中のブザーに向かって殺到するゾンビたちを後目に、私は少しトライクを走らせて距離をとる。
ちょろちょろと流れる灯油の端に向かって火のついたライターを投げ込むと、同時にトライクを走らせた。
一瞬の静寂。
そして爆発。
「わっはははは! ファイヤぁぁぁぁぁぁ!!!」
「兄さま素敵ですわ!」
「わははは! 当然だ!」
燃える数百のゾンビと、その爆発音につられてさらに炎の中へと身を躍らせる数十のゾンビ。
その赤と黒との共演の中、私は島へと近づくヘリコプターの音と、島内緊急放送設備から流れる放送を聞いた。
『生き残った人たち! 聞こえますか?! 聞こえたら15分以内に中央バスターミナルに集まってください! 感染検査の後、本島へ搬送します! 繰り返します……』
あちこちの放送設備に向かってゾンビが突進している。
見る見るうちに近づいた5~6機の輸送ヘリが、ゾンビがほとんど居なくなったバスターミナルに着陸するのを、私は満足して見つめた。
「島の方ですか!? 救助に来ました! 検査をしますのでこちらへ!」
「不要!」
「え?」
「私たちは、島民がここへ集まりやすいようゾンビを倒して回る! キミたちは一般庶民たちを救出したまえ!」
――シュウン! シュウウン!
電動トライクのアクセルを目いっぱいに吹かして、私たちは颯爽と走り去る。
その背中に「せめてお名前を……」と言う芝居がかった言葉がかけられた。
にやりと笑って、私はメガネをクイッと持ち上げる。
「私の名は松戸 博士! 世界をゾンビから救う、正義のマッドサイエンティストだ!!」
「兄さま素敵ですわ!!」
「うわはははは! 彩子! ……当然だ!」
こうして私たち松戸家は鹿翅島の島民の命を数多く救い、3日後に自前のクルーザーでこの島を後にする。
それは正義のマッドサイエンティスト松戸 博士の名が、世界に広がった最初の事件であった。
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