氷炎の舞踏曲

小桜けい

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番外編4 +1

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 かつて多くの魔術師や錬金術師が、血の滲むような努力で追い求めた『生命の創造』という難題。
 サーフィを造ったホムンクルス技術は、その叡智の結晶だ。
 しかしそれは特殊な薬品と、とても難解な技術を必要とした。
 そして何より、母体を犠牲にしなければならなかった。
 ホムンクルス薬を注入された女性は死ぬ。その命と引き換えに、彼女そっくりの存在はガラス瓶の中で生を得るのだ。

 一つのマイナスと一つのプラス。差し引きでゼロ。
 変わらない命の個数。

 だから『創造とは、増産を前提とした行為』と考えるヘルマンは、ホムンクルス技術は失敗作だと思っている。


 ********


 サーフィを抱き締める氷の魔人が、小さな愉悦のうめきをあげた。子宮に子を形成する体液が注がれていく。
 今まで抱かれた回数は、どれほどになるのだろうと、快楽の余韻にぼんやりしながらサーフィは考える。



 翌朝、サーフィの目覚めは余り快調ではなかった。
 なんだか少し身体がだるく、熱っぽいような気がする。
  剣士として鍛えているせいか、風邪など滅多に引かないのに。
 ヘルマンはいつも通り、とっくに起きて(彼が眠るのは情事の後のほんの2、3時間だ)研究室にいるらしい。
 だるいとは言え、寝込むほどではないので、サーフィは着替え、朝食を作ろうとキッチンに降りた。

 そして……

「サーフィ。体調が悪いなら、早く言ってください」
「はい……」

 寝室で横たわったサーフィは、情けない顔で頷く。
 大好きなホットミルクの匂いを嗅いだ瞬間、なぜかとてつもない悪臭が鼻をつき、耐え切れず嘔吐してしまったのだ。
 胸のムカツキは納まらず、青ざめて床にうずくまっていた所をヘルマンに発見された。

「あのミルクは、腐っていたのでしょうか?」

 溜め息まじりにサーフィは呟く。
 今朝方、配達やさんが届けてくれたばかりだし、春といってもまだ雪の残る寒い季節だ。
 しかしあの悪臭は、腐っていたとしか思えない。

「いいえ。特に悪くはなっておりませんでしたよ」

 ヘルマンが首を振る。

「それより、僕は他に気がかりなことがあるのですが」

 そして酷く真剣な顔で、いくつか質問をした。
 サーフィは答えながら、だんだんとヘルマンの顔が険しさを増していくのに怖くなる。
 ヘルマンはサーフィの熱を測り、衣服を脱がせてあちこちを診察する。体液などを採取し、研究室へ駆け込んで行ってしまった。

 独り残されたサーフィは、頭から布団をかぶって目をぎゅっと瞑る。
 怖くて不安でたまらない。

 ヘルマンは並みの医者より、よほど医学に精通している。ただの風邪くらいなら、すぐ薬を調合してくれるし、サーフィが流行病にかかった時だって、あんな険しい顔はせず、適切な治療をしてくれた。
 そんな彼でも厄介だと思う、とんでもない病気なのかもしれない。

(もしかして……死?)

 あいかわらず身体は熱っぽいし、胃もムカムカして食欲がまるでない。こんな状態は生まれて初めてだ。
 怖くて怖くて、さらにムカムカは酷くなり、喉へ嗚咽が詰まる。

 サーフィは死が怖い。
 死は誰でも怖いだろうが、サーフィは幼い頃から、人よりずっとそれに近い場所にいた。
 国王に飽きられ、生き血を貰えなくなれば、すぐさま死んでしまう。
 生殺与奪を握られ、見えない血の刃は、常にサーフィの喉元にあった。
 だからこそ、死神の足音を誰よりも恐れた。がむしゃらに剣術を磨き、生き血を貰えるよう仇に媚びへつらった。
 それでも、生きるために必死であがきながら、一度は死んでもかまわないとさえ思い、城を無謀に抜け出そうとしたのだ。
 なのに、あんな決意や勇気は、もう微塵も残っていない。

 布団をかぶったまま蠢き、熱っぽい頬をシーツのひんやりした部分に押し当てる。零れた熱い涙が、肌触りの良い布へ生ぬるい染みをつくる。

(私、とても贅沢になってしまいました……)

 自分が情けない。
 大好きなヘルマンと、諦めかけていた自由まで得て、信じられないほど幸せな日々を過ごすようになったら、もっと死が怖くなった。
 いつか、欲しいもの全てを手に入れたら、その時は笑って死ねるのだと。だからそれまで必死に生きるのだと、自分を励まし生き抜いてきたのに、どういう体たらくだ。
 まだまだ、もっともっと、ずっとずっと、この幸せな日々を続けていたい。
 不老不死を望む人々の気持ちが、初めてわかった気がした。

 目端の涙を拭い鼻をすすった時、勢いよく扉が開く音がした。

「サーフィ!」
「?」

 心なしか上擦ったヘルマンの大声に、サーフィは布団からそっと顔をあげる。
 ヘルマンのこんな大声を聞いたのは初めてだし、いつでも完璧に礼節正しい彼は、家の中でもノックをせずに駆け込んでくるなど、ありえなかった。
 しかし、そんな細かい疑問を気にする暇もなく、布団を引っぺがされ、抱き締められた。
 ヘルマンはそのまま何も言わず、しっかりと抱き締められたまま。サーフィの不安はますます強くなる。
 耐え切れずゴクリと唾を飲み、震える声で尋ねた。

「私……ひどい病気なのでしょうか」

「――は?」

 ヘルマンが身体を少し離し、唖然とした顔をする。

「さっきから貴方の様子が変ですし、もうすぐ死んでしまうとか……」

 そう言った途端、いつも冷静なアイスブルーの瞳に、キッ!と怒気が走った。


「とんでもない!君は妊娠しているだけです!」


 今度は、サーフィが目を丸くする番だった。

「にんしん……?」

 そういえば先ほど、月のものがきちんと来ているか、など聞かれた事を思い出す。
 未完成なホムンクルスだったサーフィは、完全体になるまで生殖能力がなく、バーグレイ商会の護衛となってしばらくしてから、始めて月のものが来た。
 あの時も、突然の出血に慌てふためき、大笑いされたものだ。
 そうやって初潮が遅すぎたせいか、この二ヶ月ほど、あの面倒な出血がなかったのに気付かなかった。

「それでは……あの、つまり……」

 無意識に手を下腹部に添える。
 ここに、ヘルマンと自分の子どもが宿ったということになるのか。
 別段変わったようにも見えない体を眺めていると、ペタンと座り込んだ膝元に、何かキラキラ光る冷たいものが落ちてきた。

「!?」

 視線を上向け、ぎょっとする。
 アイスブルーの双眸から、細かな細かな氷の粒がパラパラと舞い落ちていた。
 目端から零れた細かな氷の粒は、ヘルマンの頬を転がり落ち、サーフィに触れると一瞬で溶ける。
 呆然としていると、もう一度抱き締められた。
 体温が上がっているせいか、いつもよりヘルマンの身体がひんやりと感じる。

「すみません。身体を冷やすのは良くないと、わかっているのですが……少しだけ」

 サーフィは夢中で頷く。
 恐怖から一転、驚愕を経てじんわりと喜びが体中に満ち溢れていく。
 何より、こんなに不器用に歓喜を露にするヘルマンなど、たとえ不老不死を得たとしても、この先何度も見れるものではないだろう。

「錬金術など……」

 サーフィの肩口に顔を埋めたまま、稀代の錬金術師でもある、へそ曲がりな氷の魔人は、少しだけ皮肉っぽい口調で、苦笑交じりに呟いた。

「そんなものを使わずとも、大昔から人間は、たった十ヶ月間で命を創造しているのに……」

 ****

「――ふぅーん。あのお父さまが泣いたの」

 子ども部屋のベッドで、シャルロッティは左右の色が違う目をパチパチさせる。
 ただいま夜の九時。フロッケンベルクの一般家庭では、五歳児の就寝時間はとっくにすぎている。

「内緒よ」

 つい話しすぎてしまったと、サーフィは慌てて唇に指をあてる。

「わかってるわよ」

 ちゃんと心得ている、とシャルは頷いた。

 眠る前にベッドで絵本を読んでもらう……は、一歳で卒業した。
 どうせならオチが見えている絵本より、もっと面白いのを読んで欲しいと、父に錬金術や薬草学の本を読んでもらいながら寝るのがシャルの習慣。
 そして本日は解剖学だったが、母は寝物語りにカエルの解剖などあんまりだと本を取り上げ、代わりにシャルが産まれた時の話をしてくれる事になったのだ。

 母が話し始めるやいな、父は心なしかビクリと肩をすくめ、さっさか退散していったが、そういうことか。
 シャルは内心でニヤニヤする。
 腹が立つほどパーフェクトなうえ、へそ曲がりでカッコつけなお父さまにも、可愛いとこがあるじゃない。

 カエルの臓器よりよっぽど面白かったお話に満足し、シャルは小さな欠伸をして目をつむる。
 頭の中身はまるで子どもらしくないと言われても、身体はちゃんと五歳児だ。
 とろとろと眠りに落ちながら、氷の涙を零して喜んだ父の顔と、その想いを想像する。
 きっと彼は、とてつもない達成感を味わったに違いない。


 差し引きゼロでなく、純粋なプラス1。
 完全なる純粋な生命の創造に成功。


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