氷炎の舞踏曲

小桜けい

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番外編3 プライスレス・プレゼント

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 プライスレス・プレゼント

 六月の某日。
 祝日でもなく、ヘルマンにとってもたいして意味のない日。
 少なくとも数年前まではそう言いきれた。
 そもそも、この国に来たのが運の尽きだったのかもしれないと、ヘルマンはときおり思う。
 ヘルマンがカダムのお抱え錬金術師を勤め、十八年が経っていた。
 そして炎色の瞳をした少女は、今年もまたヘルマンの凍りついた心を、揺さぶり溶かそうとするのだ。


 まだ薄暗い早朝。
 家の外にかすかな気配を感じ、ヘルマンは書斎の窓から外を覗いた。
 シシリーナ城の美しい庭を、長い白銀の髪をなびかせ、サーフィが一目散に走り去っていくのが見えた。
 その姿が見えなくなってから、玄関の扉を開けると、そこにはやっぱり今年も、小さな手製の花束が置かれていた。
『ヘルマンさま 誕生日おめでとうございます』と、これも手作りの小さなカードが添えられている。
 今日はヘルマンの誕生日。
 百五十年以上も昔、フロッケンベルクの離宮でひっそりと産声をあげた日だ。

 数年前、サーフィに誕生日を尋ねられ、特に思い入れもなく覚えていた日付を教えた。
 しかしそれいらい、この日が来るたび、必ず玄関に小さな花束が置かれるようになった。
 決して高価な品ではない。
 花束の花は、サーフィの部屋に飾られた花瓶からとったものだろう。包装紙とリボンは、ドレスを包んであった薄紙とリボンらしい。厚紙のカードは、ノートの背表紙を切り取ってつくられている。
 きらめく朝日が、原価ゼロの花束を美しく照らした。
 サーフィに与えられる極上品の全ては、カダムからの一方的な支給品であり、実のところ、銅貨一枚も自由に使えないのだから。
 お金がかかっていないのを恥じることはないと思うのだが、サーフィは気にしているようだ。
 だからヘルマンも、毎年黙って受け取る。

 ヘルマンはサーフィの誕生日パーティーに、いつも高価なプレゼントを持参するが、あれは社交的な意味合いだ。
 相手がサーフィだからではなく、北国の使者として、社交上の必要性からそれ相応の金額品を渡しているだけ。
 その昔、ヘルマンがフロッケンベルクの王子だった頃と同じようなものだ。
 あの頃は、珍しい花が満載の豪華な花束をいくつも贈られたけれど、そのどれよりも、この花束は綺麗に見える。
 自分でも良く解らない心の動きに、ヘルマンは眉を潜める。

 書斎に戻り、花瓶に花を生け、カードは机にしまった。
 引き出しの中でカードが、また一枚増えた。そして、今年で最後になるはずだ。
 サーフィの十八歳の誕生日も、あと少しでやってくる。

 部屋の隅に置いた薬品棚へ、ヘルマンはアイスブルーの視線を走らせた。行儀よく並んだ瓶の一つに、サーフィの鎖を断つための治療薬が入っている。
 計画通り、全て完璧にいくとすれば、あの治療薬を摂取させるため、彼女に酷く憎まれるだろう。
 全ての真相があきらかになったとしても、軽蔑や憎しみは抜けきらないかもしれない。
 だが、仕方ない。
 それだけの罪を、もう充分犯しているのだから。
 
(さて、それより……) 

 薬品棚から視線を外したヘルマンは、椅子に腰掛け別の難問に頭を悩ませる。

(今年のプレゼントは、何にしましょうか)

 これがサーフィに贈る、最後の誕生日プレゼントだ。
 万人うけする無難な品でなく、サーフィが本当に喜ぶものを渡したい。
 世の中はギブアンドテイク。借りっぱなしになどできるものか。
 玄関にひっそり置かれた、あの小さな花束ほど、価値のあるプレゼントを……。

 
 **** 
 
 
 サーフィがフロッケンベルクで暮らすようになり、一年近くがあっという間に経過した。

 明日は、六月の某日。
 祝日ではないが、サーフィにとって非常に重大な日。ヘルマンの誕生日だ。

(今年こそ……っ!!)

 内心で気合をいれ、拳を握る。
 大好きなヘルマンに、いつかちゃんとした誕生日プレゼントを贈りたいと、ずっと考えていた。
 シシリーナで吸血姫だった頃は、自由に出来るお金などなかったが、バーグレイ商会の護衛で貯めた給金も残っているし、士官学校で毎週、剣術師範を務めている分もある。
 プレゼントを買うには十分な金額だろう。

 でも……そのプレゼントは、一体何にすればいい?



 この時期、フロッケンベルク王都は雪もすっかり解け、空気も暖かくなっている。
 あと半月もすれば、各地から隊商が続々と森林を抜けてやってくる。乏しくなってきた食料品を彼らの馬車から補充し、代わりに冬の間作っておいた品々をたっぷり売るのだ。 
 もうすぐ訪れる夏への期待に、通りは盛大に活気づきはじめていた。
 見るだけでウキウキするようなショーウィンドウの列を、サーフィはじっくり覗きこむ。

 店はたくさんあり、飾られている品物はどれも素敵なのに、これぞというものが見つからないのはどうしてだ。
 この一年、ずっと探しているのに見つからないのは、どういうことだ。

 真剣そのものに店先を凝視していくサーフィは、まるで果し合いに望む騎士のようだ。

 もともと人目を引く美貌なので、殺気すら感じるその姿は余計に目立ち、道行く人がチラチラ振り返る。
 街角に立っていたプレッツェル売りの男は、その様子を面白そうに眺めていたが、しまいに見かねたらしい。近づき声をかけた。

「お嬢さん。そんなに怖い顔をして、何をお探しかな?」

「!!」

 ビクン!とバネじかけのようにサーフィは振り返り、ようやく我に返る。

「あっ!いえ、そ、それが…………え?」

 美味しそうなプレッツエルが満載の籠を持った中年の男は、深めに被った帽子の下で、にこやかに目を細めている。日に焼けた顔色は、染料で塗ったのだろうか。
 この人がこんな場所でプレッツェルを売っているなど、たいていの人は思いもしないだろうが、間違いない。

「陛……」

 思わず言いかけ、サーフィはあわてて口を押さえる。

「ごきげんよう、サーフィさん。一つサービスだ」

 お忍び大好きなフロッケンベルク国王にして、自称・ヘルマンの甥っ子。ヴェルナーは、香ばしいプレッツェルを一つ差し出した。


「――あぁ、なるほど。それは至難の業だ」

 公園のベンチに並んで腰かけ、サーフィが誕生日プレゼント選びに苦戦していることを聞くと、ヴェルナーはくっくと笑った。

「叔父上は、あまり物を持ちたがらない人だから」

「そうなのです……」

 そもそもヘルマンは、あまり品物を持たない。
 必要なものだけを必要な量だけ厳選して購入する。
 そこには一部の隙もなく、ヘルマンが持っていないものは、すなわち必要なしと判断された品なのだ。
 ああ……今はその完璧さが憎い。


「あの方は、いつも私の誕生日に素敵な品をくださいましたのに……」

 十八歳の誕生日プレゼントを思い出し、思わず溜め息が零れた。

 シシリーナ王宮から逃亡し、バーグレイ商会の護衛へ迎えられたサーフィは、アイリーンからトランクを一つ渡された。
 ヘルマンから預かった誕生日プレゼントだと聞き、驚いた。
 人生最悪の日になってしまった十八の誕生日、ヘルマンからプレゼントの包みを渡されはしたが、あれは他のものと一緒に王宮へ置いてきてしまったし、もっと小さな箱だった気がする。
 ドキドキしながら開けると、中には着替えや生活用品など、隊商の暮らしに必要な品が一そろい入っていた。

 『誕生日おめでとう。君の望んだ品は、僕には用意できないものでしたので、代わりにこちらを贈ります』

 同封されたカードの文字に、涙が溢れた。
 プレゼントに何が欲しいか聞かれ、サーフィはヘルマンの愛が欲しいと答えた。
 それは、ヘルマンをひどく困らせる要求だったのだろう。
 だから彼は、サーフィが二番目に欲しかった『自由』をくれたのだ。


「……何か、良いプレゼントの案がございませんでしょうか?」

 おずおずとサーフィは尋ねる。
 なんといっても、ヴェルナーはヘルマンと付き合いが長いし、サーフィの知らない側面を色々知っているようだ。
 そのうえサーフィより年長で人生経験も豊富であり、贈り物を頻繁にやりとりする国王の身分。おまけに既婚者で夫婦円満。
 夫へのプレゼントを相談するのに、これ以上ない適任者だろう。

「う~む、他の人ならともかく、叔父上となると……」

 ヴェルナーは顎に手をやり、真剣に考えていたが、やがて可笑しそうに肩をすくめた。

「私が知る限り、叔父上が欲しがったものなど、サーフィさん以外に無いのでな」

「そんな……」

 思いがけない返答に、サーフィは顔を赤くする。

「叔父上の誕生日、か……」

 公園からは、青空の下で尖塔を輝かせるフロッケンベルク城がよく見えた。城に視線を向け、ヴェルナーは感慨深そうに呟く。

「本来なら、フロッケンベルクの歴史に残る日だったかもしれないな」

「ええ……」

 サーフィは頷いたが、胸中は複雑だった。
 ヘルマンがもしフロッケンベルクの王族として生きていたら、全てが変わっていた。
 稀代の名君として、国暦に名を刻んでいたかもしれないし、フロッケンベルクそのものを、微塵も残さず消滅させていたかもしれない。
 だが少なくとも、サーフィとは出会わなかっただろう。

「力になれなくてすまない」

「いえ、ありがとうございます」


 ***

 ヴェルナーと別れ帰宅すると、意外な光景がサーフィをまっていた。
 なんとヘルマンは鞄にせっせと荷造りをしていた。上着も白衣から、外出用の黒いコートに着替えている。

「ヘルマンさま……?あの、どこかへ……?」

「ああ、急ですみませんが、今からロクサリスに行って参ります」

「え!?」

「あちらの女王陛下から、錬金術ギルドに急ぎの注文が参りましてね。少々難しい品ですので、一週間ほどかかりそうです」

「は……はぁ、そうですか……」

 フロッケンベルクと隣国ロクサリスは、昔から険悪な仲だったらしいが、今のアナスタシア女王が即位していらい、比較的友好になってきたそうだ。
 数年前、人狼や周辺国の大襲撃があった際も、ロクサリスはフロッケンベルク側に付き、周囲を驚かせたらしい。
 そんな隣国の女王相手なら、多少の無理を聞くのは当然かもしれない。

 へにゃぁぁと脱力しかかる身体を、サーフィは必死で起こす。

「サーフィ?何かまずい事がありましたか?」

「い、いえ……」

 ヘルマンのことだ。自分の誕生日を忘れているのではなく、大したことではないと気にもしていないだけだろう。
 一瞬、急いでもう一度プレゼントを探しに行こうかと思ったが、ヘルマンの様子では、今すぐにでも出かけてしまいそうだ。
 せめてこれだけ言おうと、サーフィはそっと後ろから声をかける。

「一日早いのですが……お誕生日おめでとうございます」

 荷造りをしていたヘルマンの動きが、ピタリと止まった。

「今年こそ、きちんとした誕生日プレゼントを買いたかったのですが、貴方が何を欲しいか、どうしても解らなくて……」

 そこまで言ったところで、やっとヘルマンは振り向いた。
 眉を潜め、怒っているようなこの表情だ。だがこれが、本当はどんな心境を表しているのか、サーフィはちゃんと知っている。

 素直でない氷の魔人は顔を赤くし、拗ねたように口を尖らせる。

「シシリーナで君が毎年くれたプレゼントも、とても素敵でしたよ」

「でも、あれは……」

「君を一度手離したあとも、僕は未練がましくカードを捨てられませんでした。今も全部取ってあります」

 ふわりと幸せそうに口元を緩めたヘルマンに、抱き締められる。そのまま耳元で、甘く囁かれた。

「サーフィ、キスをしてください」

「……え?」

「欲しいプレゼントを頂けるのでしょう?」

「え、ええ……」

「君は酔っ払うとなかなか積極的ですが、シラフの時にはしてくれませんからね」

 少々イジワルな囁きに、今度はサーフィの顔が真っ赤になる。
 心臓を壊れそうに動悸させながら両手をヘルマンの頬にそえ、ひんやりした唇に自分のそれを重ねた。
 軽く重ねるだけのそれを、促されるまま段々と深くしていく。
 頭がぼぅっとして立っていられなくなる頃、ひょいと抱き上げられた。

「ふぁ!?あ、あの……?」

「ロクサリスに行くのは、誕生日のごちそうを食べ終わってからにします」

「ごちそう……?」

「君に決まっているでしょう」

「!」

 *** 
 
 寝室で蕩かされながら、サーフィは思い知る。

 ヘルマンがよく言っていたとおり、世の中はギブアンドテイクだ。
 どれほど無償に見えたとしても、そこには見返りが存在する。
 プレゼントの代償を、サーフィもちゃんと得ているのだから。


 ヘルマンという人間が生まれた事を喜び、その数奇な人生を経て出会えた事に感謝するため、サーフィは今日この日を祝う。

 誕生日おめでとう。
 私の得るとびきりの報酬は、貴方の幸せです。

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