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番外編3 プライスレス・プレゼント
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プライスレス・プレゼント
六月の某日。
祝日でもなく、ヘルマンにとってもたいして意味のない日。
少なくとも数年前まではそう言いきれた。
そもそも、この国に来たのが運の尽きだったのかもしれないと、ヘルマンはときおり思う。
ヘルマンがカダムのお抱え錬金術師を勤め、十八年が経っていた。
そして炎色の瞳をした少女は、今年もまたヘルマンの凍りついた心を、揺さぶり溶かそうとするのだ。
まだ薄暗い早朝。
家の外にかすかな気配を感じ、ヘルマンは書斎の窓から外を覗いた。
シシリーナ城の美しい庭を、長い白銀の髪をなびかせ、サーフィが一目散に走り去っていくのが見えた。
その姿が見えなくなってから、玄関の扉を開けると、そこにはやっぱり今年も、小さな手製の花束が置かれていた。
『ヘルマンさま 誕生日おめでとうございます』と、これも手作りの小さなカードが添えられている。
今日はヘルマンの誕生日。
百五十年以上も昔、フロッケンベルクの離宮でひっそりと産声をあげた日だ。
数年前、サーフィに誕生日を尋ねられ、特に思い入れもなく覚えていた日付を教えた。
しかしそれいらい、この日が来るたび、必ず玄関に小さな花束が置かれるようになった。
決して高価な品ではない。
花束の花は、サーフィの部屋に飾られた花瓶からとったものだろう。包装紙とリボンは、ドレスを包んであった薄紙とリボンらしい。厚紙のカードは、ノートの背表紙を切り取ってつくられている。
きらめく朝日が、原価ゼロの花束を美しく照らした。
サーフィに与えられる極上品の全ては、カダムからの一方的な支給品であり、実のところ、銅貨一枚も自由に使えないのだから。
お金がかかっていないのを恥じることはないと思うのだが、サーフィは気にしているようだ。
だからヘルマンも、毎年黙って受け取る。
ヘルマンはサーフィの誕生日パーティーに、いつも高価なプレゼントを持参するが、あれは社交的な意味合いだ。
相手がサーフィだからではなく、北国の使者として、社交上の必要性からそれ相応の金額品を渡しているだけ。
その昔、ヘルマンがフロッケンベルクの王子だった頃と同じようなものだ。
あの頃は、珍しい花が満載の豪華な花束をいくつも贈られたけれど、そのどれよりも、この花束は綺麗に見える。
自分でも良く解らない心の動きに、ヘルマンは眉を潜める。
書斎に戻り、花瓶に花を生け、カードは机にしまった。
引き出しの中でカードが、また一枚増えた。そして、今年で最後になるはずだ。
サーフィの十八歳の誕生日も、あと少しでやってくる。
部屋の隅に置いた薬品棚へ、ヘルマンはアイスブルーの視線を走らせた。行儀よく並んだ瓶の一つに、サーフィの鎖を断つための治療薬が入っている。
計画通り、全て完璧にいくとすれば、あの治療薬を摂取させるため、彼女に酷く憎まれるだろう。
全ての真相があきらかになったとしても、軽蔑や憎しみは抜けきらないかもしれない。
だが、仕方ない。
それだけの罪を、もう充分犯しているのだから。
(さて、それより……)
薬品棚から視線を外したヘルマンは、椅子に腰掛け別の難問に頭を悩ませる。
(今年のプレゼントは、何にしましょうか)
これがサーフィに贈る、最後の誕生日プレゼントだ。
万人うけする無難な品でなく、サーフィが本当に喜ぶものを渡したい。
世の中はギブアンドテイク。借りっぱなしになどできるものか。
玄関にひっそり置かれた、あの小さな花束ほど、価値のあるプレゼントを……。
****
サーフィがフロッケンベルクで暮らすようになり、一年近くがあっという間に経過した。
明日は、六月の某日。
祝日ではないが、サーフィにとって非常に重大な日。ヘルマンの誕生日だ。
(今年こそ……っ!!)
内心で気合をいれ、拳を握る。
大好きなヘルマンに、いつかちゃんとした誕生日プレゼントを贈りたいと、ずっと考えていた。
シシリーナで吸血姫だった頃は、自由に出来るお金などなかったが、バーグレイ商会の護衛で貯めた給金も残っているし、士官学校で毎週、剣術師範を務めている分もある。
プレゼントを買うには十分な金額だろう。
でも……そのプレゼントは、一体何にすればいい?
この時期、フロッケンベルク王都は雪もすっかり解け、空気も暖かくなっている。
あと半月もすれば、各地から隊商が続々と森林を抜けてやってくる。乏しくなってきた食料品を彼らの馬車から補充し、代わりに冬の間作っておいた品々をたっぷり売るのだ。
もうすぐ訪れる夏への期待に、通りは盛大に活気づきはじめていた。
見るだけでウキウキするようなショーウィンドウの列を、サーフィはじっくり覗きこむ。
店はたくさんあり、飾られている品物はどれも素敵なのに、これぞというものが見つからないのはどうしてだ。
この一年、ずっと探しているのに見つからないのは、どういうことだ。
真剣そのものに店先を凝視していくサーフィは、まるで果し合いに望む騎士のようだ。
もともと人目を引く美貌なので、殺気すら感じるその姿は余計に目立ち、道行く人がチラチラ振り返る。
街角に立っていたプレッツェル売りの男は、その様子を面白そうに眺めていたが、しまいに見かねたらしい。近づき声をかけた。
「お嬢さん。そんなに怖い顔をして、何をお探しかな?」
「!!」
ビクン!とバネじかけのようにサーフィは振り返り、ようやく我に返る。
「あっ!いえ、そ、それが…………え?」
美味しそうなプレッツエルが満載の籠を持った中年の男は、深めに被った帽子の下で、にこやかに目を細めている。日に焼けた顔色は、染料で塗ったのだろうか。
この人がこんな場所でプレッツェルを売っているなど、たいていの人は思いもしないだろうが、間違いない。
「陛……」
思わず言いかけ、サーフィはあわてて口を押さえる。
「ごきげんよう、サーフィさん。一つサービスだ」
お忍び大好きなフロッケンベルク国王にして、自称・ヘルマンの甥っ子。ヴェルナーは、香ばしいプレッツェルを一つ差し出した。
「――あぁ、なるほど。それは至難の業だ」
公園のベンチに並んで腰かけ、サーフィが誕生日プレゼント選びに苦戦していることを聞くと、ヴェルナーはくっくと笑った。
「叔父上は、あまり物を持ちたがらない人だから」
「そうなのです……」
そもそもヘルマンは、あまり品物を持たない。
必要なものだけを必要な量だけ厳選して購入する。
そこには一部の隙もなく、ヘルマンが持っていないものは、すなわち必要なしと判断された品なのだ。
ああ……今はその完璧さが憎い。
「あの方は、いつも私の誕生日に素敵な品をくださいましたのに……」
十八歳の誕生日プレゼントを思い出し、思わず溜め息が零れた。
シシリーナ王宮から逃亡し、バーグレイ商会の護衛へ迎えられたサーフィは、アイリーンからトランクを一つ渡された。
ヘルマンから預かった誕生日プレゼントだと聞き、驚いた。
人生最悪の日になってしまった十八の誕生日、ヘルマンからプレゼントの包みを渡されはしたが、あれは他のものと一緒に王宮へ置いてきてしまったし、もっと小さな箱だった気がする。
ドキドキしながら開けると、中には着替えや生活用品など、隊商の暮らしに必要な品が一そろい入っていた。
『誕生日おめでとう。君の望んだ品は、僕には用意できないものでしたので、代わりにこちらを贈ります』
同封されたカードの文字に、涙が溢れた。
プレゼントに何が欲しいか聞かれ、サーフィはヘルマンの愛が欲しいと答えた。
それは、ヘルマンをひどく困らせる要求だったのだろう。
だから彼は、サーフィが二番目に欲しかった『自由』をくれたのだ。
「……何か、良いプレゼントの案がございませんでしょうか?」
おずおずとサーフィは尋ねる。
なんといっても、ヴェルナーはヘルマンと付き合いが長いし、サーフィの知らない側面を色々知っているようだ。
そのうえサーフィより年長で人生経験も豊富であり、贈り物を頻繁にやりとりする国王の身分。おまけに既婚者で夫婦円満。
夫へのプレゼントを相談するのに、これ以上ない適任者だろう。
「う~む、他の人ならともかく、叔父上となると……」
ヴェルナーは顎に手をやり、真剣に考えていたが、やがて可笑しそうに肩をすくめた。
「私が知る限り、叔父上が欲しがったものなど、サーフィさん以外に無いのでな」
「そんな……」
思いがけない返答に、サーフィは顔を赤くする。
「叔父上の誕生日、か……」
公園からは、青空の下で尖塔を輝かせるフロッケンベルク城がよく見えた。城に視線を向け、ヴェルナーは感慨深そうに呟く。
「本来なら、フロッケンベルクの歴史に残る日だったかもしれないな」
「ええ……」
サーフィは頷いたが、胸中は複雑だった。
ヘルマンがもしフロッケンベルクの王族として生きていたら、全てが変わっていた。
稀代の名君として、国暦に名を刻んでいたかもしれないし、フロッケンベルクそのものを、微塵も残さず消滅させていたかもしれない。
だが少なくとも、サーフィとは出会わなかっただろう。
「力になれなくてすまない」
「いえ、ありがとうございます」
***
ヴェルナーと別れ帰宅すると、意外な光景がサーフィをまっていた。
なんとヘルマンは鞄にせっせと荷造りをしていた。上着も白衣から、外出用の黒いコートに着替えている。
「ヘルマンさま……?あの、どこかへ……?」
「ああ、急ですみませんが、今からロクサリスに行って参ります」
「え!?」
「あちらの女王陛下から、錬金術ギルドに急ぎの注文が参りましてね。少々難しい品ですので、一週間ほどかかりそうです」
「は……はぁ、そうですか……」
フロッケンベルクと隣国ロクサリスは、昔から険悪な仲だったらしいが、今のアナスタシア女王が即位していらい、比較的友好になってきたそうだ。
数年前、人狼や周辺国の大襲撃があった際も、ロクサリスはフロッケンベルク側に付き、周囲を驚かせたらしい。
そんな隣国の女王相手なら、多少の無理を聞くのは当然かもしれない。
へにゃぁぁと脱力しかかる身体を、サーフィは必死で起こす。
「サーフィ?何かまずい事がありましたか?」
「い、いえ……」
ヘルマンのことだ。自分の誕生日を忘れているのではなく、大したことではないと気にもしていないだけだろう。
一瞬、急いでもう一度プレゼントを探しに行こうかと思ったが、ヘルマンの様子では、今すぐにでも出かけてしまいそうだ。
せめてこれだけ言おうと、サーフィはそっと後ろから声をかける。
「一日早いのですが……お誕生日おめでとうございます」
荷造りをしていたヘルマンの動きが、ピタリと止まった。
「今年こそ、きちんとした誕生日プレゼントを買いたかったのですが、貴方が何を欲しいか、どうしても解らなくて……」
そこまで言ったところで、やっとヘルマンは振り向いた。
眉を潜め、怒っているようなこの表情だ。だがこれが、本当はどんな心境を表しているのか、サーフィはちゃんと知っている。
素直でない氷の魔人は顔を赤くし、拗ねたように口を尖らせる。
「シシリーナで君が毎年くれたプレゼントも、とても素敵でしたよ」
「でも、あれは……」
「君を一度手離したあとも、僕は未練がましくカードを捨てられませんでした。今も全部取ってあります」
ふわりと幸せそうに口元を緩めたヘルマンに、抱き締められる。そのまま耳元で、甘く囁かれた。
「サーフィ、キスをしてください」
「……え?」
「欲しいプレゼントを頂けるのでしょう?」
「え、ええ……」
「君は酔っ払うとなかなか積極的ですが、シラフの時にはしてくれませんからね」
少々イジワルな囁きに、今度はサーフィの顔が真っ赤になる。
心臓を壊れそうに動悸させながら両手をヘルマンの頬にそえ、ひんやりした唇に自分のそれを重ねた。
軽く重ねるだけのそれを、促されるまま段々と深くしていく。
頭がぼぅっとして立っていられなくなる頃、ひょいと抱き上げられた。
「ふぁ!?あ、あの……?」
「ロクサリスに行くのは、誕生日のごちそうを食べ終わってからにします」
「ごちそう……?」
「君に決まっているでしょう」
「!」
***
寝室で蕩かされながら、サーフィは思い知る。
ヘルマンがよく言っていたとおり、世の中はギブアンドテイクだ。
どれほど無償に見えたとしても、そこには見返りが存在する。
プレゼントの代償を、サーフィもちゃんと得ているのだから。
ヘルマンという人間が生まれた事を喜び、その数奇な人生を経て出会えた事に感謝するため、サーフィは今日この日を祝う。
誕生日おめでとう。
私の得るとびきりの報酬は、貴方の幸せです。
六月の某日。
祝日でもなく、ヘルマンにとってもたいして意味のない日。
少なくとも数年前まではそう言いきれた。
そもそも、この国に来たのが運の尽きだったのかもしれないと、ヘルマンはときおり思う。
ヘルマンがカダムのお抱え錬金術師を勤め、十八年が経っていた。
そして炎色の瞳をした少女は、今年もまたヘルマンの凍りついた心を、揺さぶり溶かそうとするのだ。
まだ薄暗い早朝。
家の外にかすかな気配を感じ、ヘルマンは書斎の窓から外を覗いた。
シシリーナ城の美しい庭を、長い白銀の髪をなびかせ、サーフィが一目散に走り去っていくのが見えた。
その姿が見えなくなってから、玄関の扉を開けると、そこにはやっぱり今年も、小さな手製の花束が置かれていた。
『ヘルマンさま 誕生日おめでとうございます』と、これも手作りの小さなカードが添えられている。
今日はヘルマンの誕生日。
百五十年以上も昔、フロッケンベルクの離宮でひっそりと産声をあげた日だ。
数年前、サーフィに誕生日を尋ねられ、特に思い入れもなく覚えていた日付を教えた。
しかしそれいらい、この日が来るたび、必ず玄関に小さな花束が置かれるようになった。
決して高価な品ではない。
花束の花は、サーフィの部屋に飾られた花瓶からとったものだろう。包装紙とリボンは、ドレスを包んであった薄紙とリボンらしい。厚紙のカードは、ノートの背表紙を切り取ってつくられている。
きらめく朝日が、原価ゼロの花束を美しく照らした。
サーフィに与えられる極上品の全ては、カダムからの一方的な支給品であり、実のところ、銅貨一枚も自由に使えないのだから。
お金がかかっていないのを恥じることはないと思うのだが、サーフィは気にしているようだ。
だからヘルマンも、毎年黙って受け取る。
ヘルマンはサーフィの誕生日パーティーに、いつも高価なプレゼントを持参するが、あれは社交的な意味合いだ。
相手がサーフィだからではなく、北国の使者として、社交上の必要性からそれ相応の金額品を渡しているだけ。
その昔、ヘルマンがフロッケンベルクの王子だった頃と同じようなものだ。
あの頃は、珍しい花が満載の豪華な花束をいくつも贈られたけれど、そのどれよりも、この花束は綺麗に見える。
自分でも良く解らない心の動きに、ヘルマンは眉を潜める。
書斎に戻り、花瓶に花を生け、カードは机にしまった。
引き出しの中でカードが、また一枚増えた。そして、今年で最後になるはずだ。
サーフィの十八歳の誕生日も、あと少しでやってくる。
部屋の隅に置いた薬品棚へ、ヘルマンはアイスブルーの視線を走らせた。行儀よく並んだ瓶の一つに、サーフィの鎖を断つための治療薬が入っている。
計画通り、全て完璧にいくとすれば、あの治療薬を摂取させるため、彼女に酷く憎まれるだろう。
全ての真相があきらかになったとしても、軽蔑や憎しみは抜けきらないかもしれない。
だが、仕方ない。
それだけの罪を、もう充分犯しているのだから。
(さて、それより……)
薬品棚から視線を外したヘルマンは、椅子に腰掛け別の難問に頭を悩ませる。
(今年のプレゼントは、何にしましょうか)
これがサーフィに贈る、最後の誕生日プレゼントだ。
万人うけする無難な品でなく、サーフィが本当に喜ぶものを渡したい。
世の中はギブアンドテイク。借りっぱなしになどできるものか。
玄関にひっそり置かれた、あの小さな花束ほど、価値のあるプレゼントを……。
****
サーフィがフロッケンベルクで暮らすようになり、一年近くがあっという間に経過した。
明日は、六月の某日。
祝日ではないが、サーフィにとって非常に重大な日。ヘルマンの誕生日だ。
(今年こそ……っ!!)
内心で気合をいれ、拳を握る。
大好きなヘルマンに、いつかちゃんとした誕生日プレゼントを贈りたいと、ずっと考えていた。
シシリーナで吸血姫だった頃は、自由に出来るお金などなかったが、バーグレイ商会の護衛で貯めた給金も残っているし、士官学校で毎週、剣術師範を務めている分もある。
プレゼントを買うには十分な金額だろう。
でも……そのプレゼントは、一体何にすればいい?
この時期、フロッケンベルク王都は雪もすっかり解け、空気も暖かくなっている。
あと半月もすれば、各地から隊商が続々と森林を抜けてやってくる。乏しくなってきた食料品を彼らの馬車から補充し、代わりに冬の間作っておいた品々をたっぷり売るのだ。
もうすぐ訪れる夏への期待に、通りは盛大に活気づきはじめていた。
見るだけでウキウキするようなショーウィンドウの列を、サーフィはじっくり覗きこむ。
店はたくさんあり、飾られている品物はどれも素敵なのに、これぞというものが見つからないのはどうしてだ。
この一年、ずっと探しているのに見つからないのは、どういうことだ。
真剣そのものに店先を凝視していくサーフィは、まるで果し合いに望む騎士のようだ。
もともと人目を引く美貌なので、殺気すら感じるその姿は余計に目立ち、道行く人がチラチラ振り返る。
街角に立っていたプレッツェル売りの男は、その様子を面白そうに眺めていたが、しまいに見かねたらしい。近づき声をかけた。
「お嬢さん。そんなに怖い顔をして、何をお探しかな?」
「!!」
ビクン!とバネじかけのようにサーフィは振り返り、ようやく我に返る。
「あっ!いえ、そ、それが…………え?」
美味しそうなプレッツエルが満載の籠を持った中年の男は、深めに被った帽子の下で、にこやかに目を細めている。日に焼けた顔色は、染料で塗ったのだろうか。
この人がこんな場所でプレッツェルを売っているなど、たいていの人は思いもしないだろうが、間違いない。
「陛……」
思わず言いかけ、サーフィはあわてて口を押さえる。
「ごきげんよう、サーフィさん。一つサービスだ」
お忍び大好きなフロッケンベルク国王にして、自称・ヘルマンの甥っ子。ヴェルナーは、香ばしいプレッツェルを一つ差し出した。
「――あぁ、なるほど。それは至難の業だ」
公園のベンチに並んで腰かけ、サーフィが誕生日プレゼント選びに苦戦していることを聞くと、ヴェルナーはくっくと笑った。
「叔父上は、あまり物を持ちたがらない人だから」
「そうなのです……」
そもそもヘルマンは、あまり品物を持たない。
必要なものだけを必要な量だけ厳選して購入する。
そこには一部の隙もなく、ヘルマンが持っていないものは、すなわち必要なしと判断された品なのだ。
ああ……今はその完璧さが憎い。
「あの方は、いつも私の誕生日に素敵な品をくださいましたのに……」
十八歳の誕生日プレゼントを思い出し、思わず溜め息が零れた。
シシリーナ王宮から逃亡し、バーグレイ商会の護衛へ迎えられたサーフィは、アイリーンからトランクを一つ渡された。
ヘルマンから預かった誕生日プレゼントだと聞き、驚いた。
人生最悪の日になってしまった十八の誕生日、ヘルマンからプレゼントの包みを渡されはしたが、あれは他のものと一緒に王宮へ置いてきてしまったし、もっと小さな箱だった気がする。
ドキドキしながら開けると、中には着替えや生活用品など、隊商の暮らしに必要な品が一そろい入っていた。
『誕生日おめでとう。君の望んだ品は、僕には用意できないものでしたので、代わりにこちらを贈ります』
同封されたカードの文字に、涙が溢れた。
プレゼントに何が欲しいか聞かれ、サーフィはヘルマンの愛が欲しいと答えた。
それは、ヘルマンをひどく困らせる要求だったのだろう。
だから彼は、サーフィが二番目に欲しかった『自由』をくれたのだ。
「……何か、良いプレゼントの案がございませんでしょうか?」
おずおずとサーフィは尋ねる。
なんといっても、ヴェルナーはヘルマンと付き合いが長いし、サーフィの知らない側面を色々知っているようだ。
そのうえサーフィより年長で人生経験も豊富であり、贈り物を頻繁にやりとりする国王の身分。おまけに既婚者で夫婦円満。
夫へのプレゼントを相談するのに、これ以上ない適任者だろう。
「う~む、他の人ならともかく、叔父上となると……」
ヴェルナーは顎に手をやり、真剣に考えていたが、やがて可笑しそうに肩をすくめた。
「私が知る限り、叔父上が欲しがったものなど、サーフィさん以外に無いのでな」
「そんな……」
思いがけない返答に、サーフィは顔を赤くする。
「叔父上の誕生日、か……」
公園からは、青空の下で尖塔を輝かせるフロッケンベルク城がよく見えた。城に視線を向け、ヴェルナーは感慨深そうに呟く。
「本来なら、フロッケンベルクの歴史に残る日だったかもしれないな」
「ええ……」
サーフィは頷いたが、胸中は複雑だった。
ヘルマンがもしフロッケンベルクの王族として生きていたら、全てが変わっていた。
稀代の名君として、国暦に名を刻んでいたかもしれないし、フロッケンベルクそのものを、微塵も残さず消滅させていたかもしれない。
だが少なくとも、サーフィとは出会わなかっただろう。
「力になれなくてすまない」
「いえ、ありがとうございます」
***
ヴェルナーと別れ帰宅すると、意外な光景がサーフィをまっていた。
なんとヘルマンは鞄にせっせと荷造りをしていた。上着も白衣から、外出用の黒いコートに着替えている。
「ヘルマンさま……?あの、どこかへ……?」
「ああ、急ですみませんが、今からロクサリスに行って参ります」
「え!?」
「あちらの女王陛下から、錬金術ギルドに急ぎの注文が参りましてね。少々難しい品ですので、一週間ほどかかりそうです」
「は……はぁ、そうですか……」
フロッケンベルクと隣国ロクサリスは、昔から険悪な仲だったらしいが、今のアナスタシア女王が即位していらい、比較的友好になってきたそうだ。
数年前、人狼や周辺国の大襲撃があった際も、ロクサリスはフロッケンベルク側に付き、周囲を驚かせたらしい。
そんな隣国の女王相手なら、多少の無理を聞くのは当然かもしれない。
へにゃぁぁと脱力しかかる身体を、サーフィは必死で起こす。
「サーフィ?何かまずい事がありましたか?」
「い、いえ……」
ヘルマンのことだ。自分の誕生日を忘れているのではなく、大したことではないと気にもしていないだけだろう。
一瞬、急いでもう一度プレゼントを探しに行こうかと思ったが、ヘルマンの様子では、今すぐにでも出かけてしまいそうだ。
せめてこれだけ言おうと、サーフィはそっと後ろから声をかける。
「一日早いのですが……お誕生日おめでとうございます」
荷造りをしていたヘルマンの動きが、ピタリと止まった。
「今年こそ、きちんとした誕生日プレゼントを買いたかったのですが、貴方が何を欲しいか、どうしても解らなくて……」
そこまで言ったところで、やっとヘルマンは振り向いた。
眉を潜め、怒っているようなこの表情だ。だがこれが、本当はどんな心境を表しているのか、サーフィはちゃんと知っている。
素直でない氷の魔人は顔を赤くし、拗ねたように口を尖らせる。
「シシリーナで君が毎年くれたプレゼントも、とても素敵でしたよ」
「でも、あれは……」
「君を一度手離したあとも、僕は未練がましくカードを捨てられませんでした。今も全部取ってあります」
ふわりと幸せそうに口元を緩めたヘルマンに、抱き締められる。そのまま耳元で、甘く囁かれた。
「サーフィ、キスをしてください」
「……え?」
「欲しいプレゼントを頂けるのでしょう?」
「え、ええ……」
「君は酔っ払うとなかなか積極的ですが、シラフの時にはしてくれませんからね」
少々イジワルな囁きに、今度はサーフィの顔が真っ赤になる。
心臓を壊れそうに動悸させながら両手をヘルマンの頬にそえ、ひんやりした唇に自分のそれを重ねた。
軽く重ねるだけのそれを、促されるまま段々と深くしていく。
頭がぼぅっとして立っていられなくなる頃、ひょいと抱き上げられた。
「ふぁ!?あ、あの……?」
「ロクサリスに行くのは、誕生日のごちそうを食べ終わってからにします」
「ごちそう……?」
「君に決まっているでしょう」
「!」
***
寝室で蕩かされながら、サーフィは思い知る。
ヘルマンがよく言っていたとおり、世の中はギブアンドテイクだ。
どれほど無償に見えたとしても、そこには見返りが存在する。
プレゼントの代償を、サーフィもちゃんと得ているのだから。
ヘルマンという人間が生まれた事を喜び、その数奇な人生を経て出会えた事に感謝するため、サーフィは今日この日を祝う。
誕生日おめでとう。
私の得るとびきりの報酬は、貴方の幸せです。
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