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本編

5 凶星の娘

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 ラヴィの父親は、貿易商船を何隻も抱える富裕な商人だった。
 象牙や真珠、茶や香辛料を仕入れ、自国からは鉄鉱石や小麦を輸出していた。

 海運貿易は、商人の腕もさることながら運にも大きく左右される。
 船が港に無事に着けば富を得れるが、嵐で沈みでもすれば大損害だ。
 そこで父親は占いや縁起をとても気にしていた。若い頃は微笑ましい程度だったが、しだいにそれは病的になっていった。
 子どもが生まれるたびに占い師を呼んで吉凶を占わせ、名前や身の振り方まで、全て占いどおりにさせた。
 生まれてすぐに養子へ……幼年で婚約者を決めて相手の家に送る……留学をさせる……手元で可愛がる……といった具合に。

 ラヴィは赤ん坊の頃から、田舎街に隠居している遠縁の老未亡人へ預けられ、実家を訪れる事も許されなかった。
 
 その理由をラヴィが知ったのは、ずいぶん大きくなってからだ。
 ある日、大人たちが話しているのを、こっそり聞いてしまったのだ。

 ラヴィを占った占い師は、『この子は稀に見る凶星の元に生まれてしまった。』と、断言したらしい。
 その不運は一生つきまとい、自分のみならず、関わる相手をことごとく不幸にする……。

『虐げても、受け入れてもならない』そう告げられたそうだ。

 父親は怒り狂い、妻と離縁した。
 ラヴィも一緒に追い出そうとしたが、『虐げてもならない』という告げを気にして、もてあましていた。
 それを知った老婦人が見かね、自分には子どもがいないからと預かる事にしたらしい。
 とても悲しい気持ちになったが、ラヴィは納得した。
 父親は年に一、二度田舎の屋敷へ来たが、老婦人に何か挨拶する程度で、ラヴィは視界にもいれたくないという態度だったからだ。

『虐げず、受け入れず』まさにその通りにしていた。

 金銭的な援助は十分してくれたし、誕生日にはプレゼントと代筆されたカードが届いた。
 
「……おとうさまは、わたしが嫌いなの?」
 
 父が何も一言も声をかけずに帰った直後、郵便屋が運んできた小包を手に、玄関で泣いた。
 高価な輸入品のプレゼントでなくとも、おめでとう。の一言で良かったのだ。

「フラヴィアーナさま。お父上は、占いを気にして素っ気無く舞っているだけでございますよ」

 元は貴族だという老婦人の傍には、古くから仕える優しい執事がいて、ラヴィをそう慰めてくれた。
 それで、ようやくラヴィは泣き止んだ。

 数年後、本当はそのプレゼントさえも、老婦人の執事が密かに手配してくれていた事を知ったが、部屋でこっそり声を殺して泣いた。
 これが最善なのだから、高望みは単なるわがままだ。
 
(そうよ占いを気にしているだけ……皆を不幸にしないため、お父さまも我慢しているんだから)



 田舎に来る際、父親がいつも連れていたお気に入りの娘エレーンは、すぐ上の姉だった。
 彼女は幸運の女神との神託が下されたらしい。
 透けるような白い肌と、金色の髪をした姉は美しく華やかで、ラヴィは彼女が大好きだった。
 姉は常に、流行品をセンスよく身につけ、相手が誰でも物怖じせずにハキハキと答えて可愛がられる。
 引っ込み思案でパッとしない自分に、こんなに素敵な姉がいる事が誇らしかった。

 姉は訪れるたびに、自分のお下がりの綺麗な服やアクセサリーをくれ、賑やかな港町の話を聞かせてくれた。
 頬の傷を見て、同情してくれた。

『可哀想に、貴女は本当に不幸ね。大人しくって一人じゃ何にもできないし。でも安心して、私が優しくしてあげる』

 なぜかチクンと胸が痛くなったが、優しく頭を撫でてくれる姉は、幸運の女神と称えられるにふさわしいと思った。
 醜い顔の爪痕が見えると周囲に嫌われる。という姉の忠告に従い、前髪を長く伸ばして顔を隠した。
 老婦人は、その前髪の方が傷よりよほどみっともないと、いつも顔をしかめていたが。

 ラヴィが初めて実家に行ったのは、見合いの為だった。
 国は数年前からイスパニラ軍に併合されており、どこの街にも軍が駐屯していた。
 相手の男は、実家のある港町を取り仕切るイスパニラの将軍で、お前を妻に望んでいる。とだけ聞かされた。

 ラヴィの意見は一切聞かれず、ただ迎えの馬車が来た。
 育ててくれた老婦人は、難しい顔をして黙っていたが、馬車に乗り込む間際に、「どうしても気が進まなければ、戻ってきなさい」と言った。
 頑固で厳しい彼女が、あまり好きではなかったが、はじめて心から感じた。ずっと母親代わりでいてくれたのは、彼女だった。

 実感もろくに沸かないまま、ただ呆然と馬車に揺られ、はじめての我が家に足を踏み入れた。
 潮風の吹く賑やかな街で、一際目立つ邸宅だった。
 白い壁の大きな屋敷で、普通の家の三倍はある。
 玄関に続く小道の両脇には色鮮やかな南国の花が咲き乱れ、大理石の噴水を浴びて人魚の彫像が微笑んでいた。
 姉が優しく出迎えてくれ、父親さえもいつもと違い笑顔を浮かべていた。

 用意したドレスに着替えるよう言われた時、惨劇は起こった。
 使用人の悲鳴が響き、武装したイスパニラ兵の一団が、甲冑を鳴らしながら押し入ってきたのだ。
 ラヴィと姉も剣をつきつけられ、慌てふためく父親の前に、一目で他より高価だとわかる甲冑をつけた男が進み出た。
 短く濃いひげを蓄えた中年の男は、冑の下で残忍そのものの表情を浮べる。

「これは、どういう事ですか!」

 男は驚愕し食ってかかる父親に、薄笑いで返した。

「貴様の娘を娶るのはやめた。貴様には、花嫁の父の衣装代わりに、反逆罪の汚名を着てもらおう。むろん、財産は全てイスパニラ軍が没収する」

「反逆罪!?デタラメにも程がございますぞ!証拠でもあるのですか!?」

「証拠?そんなものは必要ない。この街では、俺がそう言えば、それが事実だ」

「なんです……と?」

「フン、先に約束をたがえたのは貴様だ。娘をよこすというが、ずっと田舎に追いやっていた妹の方だというではないか。俺は、エレーンを娶る気でいたのだが」

「ハ……ハハ……それはその……」

 父親の顔に、こすっからい笑みが浮かぶ。

「エレーンはちと甘やかして育ててしまいましてな。将軍閣下に差し出すには少々いたらないかと……フラヴィアーナでしたら、気立ても良く……」

「なるほど。そういえば貴様は、娘をよこすとは言ったが、どの娘とははっきり言わなかったな、ハハハハ! これはやられた。」

 高笑う男の前で、汗を拭き吹き父親も笑う。

「ええ。しかし誠意は忘れておりませぬ。フラヴィアーナは大人しい娘です。どう扱おうと閣下のご自由に」

「……おとうさま?」

 信じられない思いで、ラヴィは父親をみあげた。
 どう扱おうと?私は、妻に望まれたのではないの?

「フン、そうか。」

「ええ。ですから……」

「貴様の誠意など、所詮はその程度よな!」

 男の剣が一閃し、父の首が転がりおちた。

「お父様ぁ!!いやぁ!どうしてぇぇ!!」

 姉の絶叫が響いたが、ラヴィは悲鳴すらでなかった。
 先ほどからの会話で、十分すぎるほどの衝撃に打ちのめされていたのだ。
 そして次の瞬間、乾いた音と共にラヴィの頬に痛みが走った。
 姉に平手打ちされたのだと、一瞬後れてわかった。

「何を平気な顔してるのよ! この疫病神!!」

 清く優しい幸運の女神が、顔をギラギラと醜い憎悪にゆがめていた。

「フラヴィアーナ! あなたが家に来た途端これだわ! お父様の言った通りの疫病神!! 全部あなたのせいよ!!」

「姉……さ……ま……?」

 男はそれを見て、奇妙に口端をゆがめた。

「フン。美しいが性根は卑しいとは、貴様のためにあるような表現だな。エレーン」

「!!」

 絶句する姉の頬を、男は手甲をはめた手で殴った。

「ぎゃっ!」

 鼻血が飛び散り、倒れた姉の口元から、一本抜けた歯が転がり落ちる。

「貴様が妻になると思えばこそ、家宝の指輪も宝石も贈ったのだ。何をされても耐え忍ぶ従順な妻になると、貴様は俺に言ったぞ!」

「ひ……だ……だって……おとうさまが……」

「それを直前で妹に全てなすり付け、挙句に今の醜態か。見苦しいにも程がある」

「誤解です! 結婚は、お父様が決めて……私のせいじゃないわ!!」

「あら? お嬢様。わたし達は、ちゃぁんとお聞きしましたよ」

 男の後ろから、数人のメイドが現れた。
 代表格らしい少女が、一歩進み出る。

「貴女と旦那様は、こうおっしゃり笑いあっておりました。『むさくるしいイスパニラの男になぞ、田舎娘のフラヴィアーナで十分よ』『そうとも、持参金を少し余計につけてやれば、あの厄介者を喜んで引き取るさ』一言一句、全て憶えております」

「なっ! デ、デタラメ言わないでよ!!」

 怒り狂った姉の叫びに、使用人の少女たちは、冷ややかな薄笑いで答えた。

「エレーンさま。さぁ、いつものように殿方に媚びてみたらどうです?」

「そうそう。貴女は外面だけは良いのですから。皆、それに騙されるのですよね」

「さんざん私たちをいじめ、恋人まで次々奪った売女のクセに!」

「あ、ああ……あんたたち!!」

 引きつった叫びをあげ、姉は男にすがるような目を向けた。

「嘘です! このメイドたちは、恋人に振られたのを私のせいだと逆恨みして……」

 だが、男は姉の言い分を聞こうとしなかった。
 男がもう一度、姉を殴りつけ兵たちの方に押しやると、メイド達は満足気に笑いあって部屋を出て行った。

「好きに遊んでいいぞ。まがりなりにも街一番の美女と評判の娘だ」

 主から許可を得た兵士達は、躊躇しなかった。
 姉の衣服が剥ぎ取られ、押さえつけられた白い肌に、獣性をむき出しにした男達が襲いかかる。
 兵士の一人に押さえ込まれながら、ラヴィは呆けた人形のようにそれを眺めていた。

 現実とは思えなかった。
 人があんなにも醜くなれるだなんて、信じられなかった。

 泣き叫ぶ姉の下肢に口に、赤黒い蛇のような肉棒が突き刺され、振り掛けられる白濁液の生臭い匂いが充満する。
 仲間の狂宴に、ラヴィを押さえつけていた兵士も興奮をそそられたらしい。
 押し倒され、ブラウスを引き裂かれた。

「……」

 床に頭をぶつけた痛みも、犯されようとしている恐怖も感じなかった。
 全ての感覚が遠くて、悪夢を見ているようだった。

「なんだこりゃ?ひでぇ傷ものだ」

 前髪を跳ね除けられ、頬の傷を見た兵士がせせら笑う。

「まぁいいさ。穴の具合にゃ関係ねぇ」

「おい、そっちの女には手を出すな」

 ラヴィの服を破こうとした兵士を、例の男が引き剥がす。

「へ? し、失礼しました!」

 慌てて敬礼した兵士を一瞥し、男はラヴィを見下ろした。

「お前は呪われるところだったぞ」

「は?」

「この女は、とんでもない不運をしょいこんで産まれた凶星の娘と神託を受けたそうだ。虐げても受け入れても、関わる相手をことごとく不幸にするらしい」

「凶星の娘……ですか」

「ああ。迷信深いアイツは信じきって、ずっと田舎に追いやっていたと、ここの古株メイドから聞いた。うまいこと俺に嫁がせて厄介払いをするつもりだったんだろう。幸運を呼ぶ娘と言われたエレーンと、たいした扱いの差だな」

 兵士は少し首をかしげ、兵士三人に貫かれながら呻く姉を見てから、肩をすくめた。

「皮肉なものですね。不運な目に会っているのは、どう見てもあっちの娘さんのようですが」

「それだよ。俺は迷信を信じないが、この光景は面白いじゃないか。」

 男は、泣き叫ぶ姉と転がった父の生首を見て、それからラヴィにもう一度視線を戻した。

「こいつを生贄に差し出そうとした父親と姉は不幸になり、こいつ自身は無傷で残った。凶星は本当にあるのかもしれんな」

「で……でしたら、この娘は危険では……」

「腰抜けめが」

 引き起こされたラヴィの目の前に、残忍な喜びを浮べた男の顔があった。

「どのみち、こんな傷物を抱く気にもなれん。それに今回の件は業腹だが、俺も人の子だ。ここまで哀れな娘に、ちと同情を覚えてな。……こいつにチャンスをやろう」

 兵士は、本当だろうか?とでも言いたげな目線をちらりと送ったが、すぐに表情を隠し消す。

「フラヴィアーナだったか? 返事くらいしたらどうだ」

「……」

「フン、ショックで頭が壊れたか? まぁいい、よく聞け。お前をこれから奴隷市場に売る。お前は慈悲深い主に買われるかもしれんし、残忍な主人に責め殺されるかもしれん」

 男のむき出された毒々しい歯茎の色が、やけに視界にくっきり写った。

「この場で、凶星は結果的にお前を救った。もう一度試してみようじゃないか。星はお前を殺すか、生かすか」

 そして、男は兵士達に顎をしゃくった。

「おい、エレーンを連れて来い。せめて妹に最後の侘びくらいさせてやろう。この女の事だ。さぞ親切面をして、イジメ楽しんでたのだろうよ。まったく、ずる賢い女狐め」

 男が何を言っているのかも、もうよく理解できなかった。
 美しい金髪も何もかも白濁液と血にまみれ、人相が変わるほど腫れあがった姉の顔が、ラヴィのすぐ前に突き出される。

「ぐ……ぅぅ……ふらヴぃ…ア……な……」

 獣じみたうめき声は、地獄の底から聞えてくるようだった。

「ゆ……ゆるさない……全部、全部あんたのせいよ!!!」

 憤怒の呪いはそこで切れた。
 すっかり興ざめした面持ちで、ラヴィの夫となるはずだった男は、姉の首を切り取った剣から血を拭い、死体に唾を吐いた。
 姉の首は床の上でまだ眼を見開いたまま、恨みのこもった眼差しでラヴィを睨んでいた。

 ――それから、男は言った通りにした。
 ラヴィは縛られ荷馬車に乗せられ、遠いイスパニラ王都の奴隷市場に売られた。
 あの様子では、会った事も無い他の兄弟達にも、とばっちりの被害がいったかもしれないと思った。
 そして、育ての親の老婦人にも……
 ラヴィと関わったばかりに、田舎で静かに隠居していた彼女も、不幸になったかもしれない。
 だが、実情を知る術は、もうラヴィにはなかった。
 ルーディに買われたあの日まで、ひたすら絶望だけが心を蝕んでいた。

 全部話したのか、それとも一部を話したのか、よく覚えていない。
 順序だって話せてもいなかったし、嗚咽混じりの声は、とても聞き取れたものではなかっただろう。
 ルーディはただ黙って聞いてくれた。

「……ぅ……ぅ」

 しゃくりあげながら震えていた顔が、そっと持ち上げられた。

「んっ!?」

 唇が、ルーディのそれで塞がれた。

「ルーディ!だめ!不幸になっちゃ……」

 身をよじって突き放そうとしたら、力強い腕で引き寄せられ、もう一度口付けられた。

「悪いけど、俺は占いを信じないほうだ。それより自分の嗅覚を信じたいね」

「嗅覚……?」

「ああ。言ってなかったっけ?俺、すごく鼻が良いんだよ」

 クンクンと、犬がじゃれつくように耳元の匂いを嗅がれる。

「ラヴィはすごく良い香りがする。俺は、この香りで十分幸せになれる」

「だ、だからそれは……薬草石鹸の……」

「石鹸の香りだけじゃない。ラヴィ自身の香りが……ラヴィが……好きだ」

 聞き間違いだろうか。
 好き。そういわれた気がした。

「それにラヴィは誠実で優しい。最初に会った日だって、俺が倒れた時に逃げなかった」

「本当は……逃げようか迷ったわ……」

「でも、逃げなかった」

 抱きすくめられた身体が、蕩けてしまいそうだった。
 首筋を甘噛みされ、自分でも驚くほど甘い声があがる。
 今は媚薬など使っていないのに、湧き上がる幸福感に、理性が侵食されていく。

 靴を買いに街に出たとき、知り合いらしい何人かがルーディに声をかけていた。
 みんなみんな、彼と話すととても楽しそうな笑顔になった。 
 彼は私と正反対。こんなにも周囲に幸せを与えられる人。
 彼が、大好きだと思い知る。
 たった二週間で、今までに出会った誰よりも深く、ルーディはラヴィの中に住み着いてしまった

「ラヴィ……俺は……本当は……」

 いつものびやかな青年が、苦しげに眉をひそめた。
 だが、そこまで言った所で、ルーディは唐突に立ち上がった。

「誰だ!」

 鋭い声をあげ、ラヴィを背中に隠すようにして窓へ振り返る。

「お……お取り込み中、大変申し訳ございません。その……野暮をいたすつもりはなかったのですが……」

 小さく窓を開け、一人の少女が赤面でしどろもどろに言いわけしている。
 女性にしては長身で、大人びた凛々しい顔立だが、もしかしたらラヴィと同年代くらいかもしれない。
 瞳は最上級のルビーを思わせる深紅色で、美しい白銀の髪は三つ編みにして後でクルリと輪に纏められていた。
 隊商で旅をする流浪の民のようにチュニックを重ね着していたが、動きやすそうな男装衣服だった。加えて、腰には細長い刀が下げられている。
 だが、さまざまな民が行き来する王都では、男装もそうめずらしくない。

 彼女がありふれていないのは、こんな夜中に、他人の家の二階窓に張り付いている点だ。

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