亀姫様のお輿入れ

小桜けい

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20 求めていた言葉

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 とある幌馬車についての報告が届いたのは、ベルノルトが馬車で軍の駐屯地についてすぐのことだった。

「ベルノルト様。ここで申し訳ございませんが、早急にと危険予言がでましたので……」

 副官が差し出したのは、一枚の報告書だった。

 グリュックヴァルド領に繋がる大きな街道は二つある。
 一つは、ベルノルトが今しがた通って来た道で、駐屯地からさらに進めば王都の方面へと続く。開けた地に設置されて見晴らしが良く、幾つもの大きな街を通る、広い街道だ。

 二つ目は、シェンリュが嫁いで来る時に通ってきた道。
 海辺の方角に続くこちらは、山林の合間を通るやや狭い街道で、途中には小さな田舎町や宿もない村ばかり。一番大きいのがこの駐屯地のある街だ。

 行商人を重宝するのは、溢れるほどに店がある大都市より、辺鄙な田舎町のほうだ。
 よって、大きな街で商品を仕入れた行商人が、田舎の街道を通って商売をするのは何ら不思議ではない。また、数名~数十名で組んで何台も馬車を有する行商隊もいる。

 報告が入ったのは、幌馬車二台で組んでいるらしい小型行商隊だ。
 ごくありふれた行商用の馬車で、この街には立ち寄らず、グリュックヴァルド領の方角へ向かっていくのを、街はずれに住む老婆がたまたま見かけた……それだけだ。

 ただ、その老婆はネズミの加護を受けていて、走り去る幌馬車が不吉な災いの種に見え、しかもなるべく早急に告げねばならないものに感じたと、慌てて駐屯所に駆け込んできたのだ。

「早急に対処すべき、不吉な災いの種……それだけか」

 ベルノルトは、非常に曖昧な予言を記した報告書を読み、少し悩んだ。
 ネズミの加護持ちは、時に並外れて鋭い感を発揮し、予言のような告げができる。
 よって、占い師や探偵といった職に就く者が多いのだが、残念ながらその予言は大部分が非常に曖昧なものだった。
 たとえば、今回のように『不吉な災いの種』と言われても、それがいつ、どういった災いで、誰に対するものなのかも、大抵の場合は一切不明だ。
 道端の石を一つ跳ね飛ばして誰かに小さな怪我をさせるくらいかもしれないし、強殺を企むようなゴロツキが行商人を装っていて村を襲う大惨事かもしれない。あるいは、馬車に乗っている者達が怪我や病気にかかるかもしれない……といったかんじだ。

 ベルノルトは報告書を読んで少し考えた末、ただちに結論を出した。

「幌馬車がグリュックヴァルド領で行商をする気ならば、まず私の屋敷へ行くはずだ。この報告時間なら、もうそろそろ着く頃合いだろう。私は単騎で追いかけるので、念の為に精鋭を一部隊揃えて後からついてきてくれ」

 ベルノルトが一人で馬を全力疾走させて屋敷にとんぼ帰りすれば、幌馬車が屋敷に着いてからそう時間を置かずにこちらへ着けるはずだ。
 留守中、領内での行商許可の手続きはカイに任せている。
 小悪党が、変哲もない品に禁制品や麻薬を紛れさせて密売しようと企んだところで、賢い彼ならすぐに見破れるから心配はない。
 また、屋敷で働く筋骨隆々の下男たちは下手な新入り軍人よりも腕っぷしがたち、妙な輩が多少訪れても即座に返り討ちにする。

 しかし、どうもひどく胸騒ぎがした。
 焦る気持ちを宥めながら、ベルノルトは必要最低限の指示を出し、部下が連れてきてくれた一番足の速い馬に飛び乗って屋敷を目指す。

(何か大事でなければ良いが……)

 幌馬車がグリュックヴァルトでも商売する気はなく屋敷を素通りしていれば、ネズミの加護持ちからの危険予言が降りたと、領主のベルノルトは周囲の安全を考慮するために馬車を検める必要がある。
 また、彼らが単なる善良な行商人で、何も問題なくカイに許可を受けて村で品物を売っているなら、やはり危険予言が降りたことを伝え、護衛の協力などをする義務もあった。
 とても小さい、笑ってしまう程ささやかな災いかもしれないけれど、ネズミの危険予言が降りた以上、何かが起きるのは確実なのだ。
 その災いを防げるかは、予言を託された者の運と、いかに迅速かつ柔軟に行動するかによる。



「――旦那さま! 急に、どうなさったのですか」

 ベルノルトが馬を疾走させて屋敷に戻ると、表門にいたカイが驚きの顔でこちらを見た。
 当然だ。いつも通り駐屯地に行ったはずの主人が、急に単騎で帰って来たのだから。
 彼の傍には二台の幌馬車があり、御者台や幌のついていない前部分の座席には、体格のいい獣人男性が数名、暇そうに座っていた。
 しかし彼らはカイの声を聞くと、あわあわと中腰になり、急いで帽子のツバを深く引き下げてベルノルトへ頭を下げる。
 ベルノルトは、そのままにしていて良いと手仕草で彼らに伝えてから馬を降る。
 よく躾けられた軍馬は、嘶きもあげず大人しくその場に佇み、ベルノルトはカイへ囁きかけた。

「いや、少し用ができてな……この馬車はどういった用件で来ているのだ?」

 カイが警戒も露わに眺めていた後列の幌馬車には簾が降り、淡い紫の魔法の光がチラチラと輝いている。

「それが……」

 カイは困惑顔でベルノルトの耳元に口を寄せ、この馬車で誰が訪れたかを手短に話してくれた。

「では、シェー……いや、王女殿下はこの中で姉君と対話しているのだな?」

 まるで思いがけぬ展開にやや混乱を覚えつつ、ベルノルトは確認する。

「はい。あとはお付きの竜宮の女官と、案内役だというイタチ獣人の男が一名ずつ。ルェイリー王女は、どうやら声を遮断するような魔道具をお持ちだったようですが……」

 カイがいっそう困った微妙な顔になり、簾を視線で示す。
 紫の光は時おり弱くなり、そうすると僅かながらボソボソと男性の声が聞えた。
 とはいえ、簾のごく近くにいるカイとベルノルトに、ようやく聞こえる程度のものだ。

「先ほどから、段々と効果が薄れてきているようです。恐らくは竜王陛下に無断で持ち出されたのでしょう」

 コソっと、カイが耳打ちした。
 好奇心旺盛な彼は、ルーシャン宝飾品にいた頃に竜宮の魔法や魔道具に関しても大いに興味を示し、色々と勉強していたという。
 竜王は強力な魔法を使役して素晴らしい魔道具を造ることもできるが、それはあくまでも竜王自身か、直に授けられた者でなくては満足に効果を発揮しないそうだ。
 たとえば、シェンリュの持つ金の針のように、父から正式に賜ったならいつまでも使えるけれど、勝手に持ち出したりすればすぐに魔法の効果が切れてしまうのである。

「……ですから、イリーナは……」

 不意に聞こえた懐かしくも胸を抉る女性の名前に、ベルノルトは思わずギクリと身を強張らせた。
 魔法がますます薄れたのだろう。『イリーナ』と、小さな声ながら、聞き間違えようもなく鮮明に耳に届いた。

(どうして今さら、イリーナの名が?)

 中にいる男は、シェンリュの姉王女が連れて来た案内役の獣人と聞くのに、なぜそれがイリーナについて何か言っているのだろうか?
 イリーナというのは決して珍しくない名だが、少なくともベルノルトが今までに関係した『イリーナ』は、一人だけ。
 かつてベルノルトを最後まで信じてくれることなく最悪な選択を重ねてしまった、気の毒な元婚約者だ。

 腹の奥から、わけのわかならい悪寒が沸き上がり、息が苦しくなる。
 馬車の中で、シェンリュが一体何を聞かされているのか、気になって仕方ない。
 背中に冷や汗が滑り落ち、ベルノルトは奥歯を噛みしめた。今すぐに簾を引きむしって開けてしまいたいのを必死に堪える。

 もしかしたら、今のはベルノルトとはまるで関係のない『イリーナ』の話かもしれない。
 それに、シェンリュがはるばる訪ねて来た姉と内密に話したいのなら、彼女が出て来るまで待つべきだ。

 腹に力を籠め、大きく息を吸った時だった。
 紫の光がとても小さくなり、すっかり耳に馴染んだシェンリュの可愛らしい声が、はっきりと聞こえた。

「申し訳ございませんが、貴方は何か誤解をされているのではありませんでしょうか? 私の存じておりますベルノルト様は、己には厳しくとも人にはとても優しく寛大な御方です。たとえ何があろうとも、身重の女性を激情に任せて斬るなど、そのようなことができるはずございませんわ」

 一瞬、ベルノルトは息をするのも忘れて目を見開いた。
 やはり、中でされていた会話は元婚約者のイリーナについてで、しかもどうやらベルノルトについて何かとてつもない誤解と悪意を吹き込むようなものだったらしい。
 だが、どうしてこうなっているのかなど、今は詳細などまるで気にならなかった。

 今まで自覚もしていなかったけれど、自分はずっと、誰かに……いや、想いを寄せた女性に、それを言って欲しかったのだ。

『そんなこと、あの人にできるはずがない』

 そう信じて欲しかった。
 あの深い傷を癒してくれる言葉を求めていた。

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