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7 それぞれの寝台にて
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午前に始まった祝宴は、夕刻前にはお開きとなった。
ラングハイムにて婚礼の祝宴に呼ばれた客は、たとえどんなに身分の高い者や親族であろうと、陽が沈む前に帰るのが礼儀で、泊まるなどもってのほかという。
よって、レオン国王やアイヒヴェルガー公爵も、他の客達と同様に帰って行った。
円形の玄関ホールにて、ベルノルトと最後の客の見送りを済ませると、シェンリュはつい気が抜けて小さく息を吐いた。
それを、ベルノルトに気づかれたらしい。
「長旅から続いての祝宴でさぞお疲れでしょう。すぐに部屋へ案内します。夕食もそちらへ運ばせますから、ゆっくりお休みになって、また明日にでも道中のお話などを聞かせてください」
「あ、ありがとうございます」
丁重に言われた言葉は、暗に二人の寝室が別で、明日まで顔を合わせる事がないと知らせていた。
この婚礼が形だけのものだと改めて教え込まれた気がして、シェンリュは胸がチクリと痛むのを感じた。
婚礼祝宴の客が早い時間に帰るのは、晴れて新婚となった夫妻が仲睦まじく……はっきり言えば夫婦の営みを邪魔しないようにという理由だ。
もちろん、シェンリュはベルノルトの妻になったとはいえ、それは表向きだけの事。
実際は賓客の立場と思って構わず、ベルノルトと無理に夫婦生活を営む必要もないと、父王からは聞かされていた。
「それほど疲れてはいないつもりだったのですが……お言葉に甘えさせて頂きます」
最初から承知な事に、今さらがっかりするなんて。何を自惚れかけていたのかと、シェンリュは顔を赤くする。
海から三日間の馬車旅は、とても楽しいものだった。
緑の濃淡が美しい渓谷の山道も、馬車が多数行きかう賑やかな街道も、何もかも物珍しく興味深い。陸の景色はどれだけ見てもちっとも飽きず、三日が飛ぶように去っていた。
今しがたの祝宴だって、招待客も皆感じ良く接してくれ、少しも居心地悪くない祝宴は初めてで嬉しかった。
それでも急激な環境の変化に、思っていたより疲れが溜まっていたようだ。
急に、幾重にも重ねた婚礼衣装が重たくてたまらなく感じ、足元がふらついた。
しかしグラリと傾いだ身体は、即座にベルノルトに支えられた。
そのまま、軽々と横抱きに抱え上げられて、シェンリュは目を見開く。
「大丈夫ですか? お加減が悪いようでしたら、村の医師を呼びましょう」
心配そうに尋ねられ、慌ててシェンリュは首を振る。
「いえ……少し部屋でお休みさせて頂ければ十分に存じます」
「しかし、顔も赤いようですし、熱でも……」
――それは、ベルノルト様が素敵だからですっ!
声には出せず、シェンリュは心の中で叫んだ。
自分の身体をしっかりと抱き上げてくれる力強い腕に、ドキドキと心臓が高鳴る。
「本当に、大丈夫ですので……」
動揺を隠そうとぎこちなく微笑むと、ベルノルトが急に妙な顔になった。何かを喉に詰まらせたように呻いたかと思うと、目を彷徨わせる。
「あ、あの……?」
親切で言ってくれた申し出を断って、気を悪くさせてしまったかと心配になったが、彼はすぐこちらを向いて微笑んだ。
「では、せめて部屋までお送りします。エルケ、一緒に来てくれ」
ベルノルトはそう言うと、シェンリュを抱いたままスタスタと歩き出した。
「え!? いえ、自分で……」
驚愕したシェンリュに、傍らへ付き添うエルケがニコニコと話しかける。
「お疲れの時に、無理は禁物でございますよ。お部屋は二階ですので、旦那様にお連れして頂きましょう」
ベルノルトはとても力が強そうだし、シェンリュは小柄で細身な部類だが、本日は重くてかさばる婚礼衣装を着ているのだ。
長い衣装の裾は床スレスレにまで下がっており、いくら腕力があろうと、運び辛いこの上ないだろう。
「っ! お待ちください、ベルノルト様! 姿を変えますので!」
シェンリュは思い切って、自分の姿を変えた。
一瞬でシェンリュの身体が縮み、ベルノルトの片手にちょうど収まる大きさの、緑色の亀となって乗っている。重さもその大きさの亀と同じになった。
「王女殿下?」
驚いた声を発してベルノルトが足を止める。
「その……この姿でしたら、持ち運びにそうお手間をかける事もないかと……お見苦しいとは存じますが……」
伏し目になり、消え入りそうな声でシェンリュは告げた。
ラングハイムでも竜宮でも、普通は半分だけ加護を受けた生き物の姿となるのに、亀の加護を受けた者だけは違う。
この姿でも、シェンリュはきちんと言葉を理解して喋れるけれど、外見は混じりけなしの亀。
ただの野生動物ではないかと、嘲られるこの姿が、悲しくてたまらない。
ベルノルトの前で早々とこの姿を晒したのは、かさばる婚礼衣装を着た人間姿で彼に苦労をかけたくなかった……などと、正直に言えば、そんな気持ちだけではなかった。
これから彼と暮らしていく以上、いつかはこの姿を見られる日がくる。
早くもベルノルトを素敵だと思ってしまったのに、このままどんどん惹かれ続ければ、自分でも情けなくて大嫌いなこの姿を晒すのが怖くて耐えられなくなりそうだったからだ。
「見苦しいなど、とんでもない。とても可愛らしいうえに、重さまで変化するとは素晴らしいですな」
朗らかな声に、シェンリュは驚いて目線をあげた。
見上げたベルノルトは小さくなったシェンリュを眺め、感心したように頷いている。
「このお姿になって頂ければ、多少道のりの険しい場所にも、私がお連れできますからな」
「ええ。本当に。ここには素晴らしい景色の花園もございますが、とても馬車は通れないので、ご案内はできないかと残念でしたの。ですが、これで安心してご案内できますわ」
エルケも傍らからシェンリュを覗き込み、ニコニコと相槌をうつ。
「は、はぁ……左様でございますか……」
嘲りでも同情の慰めでもなく、まさか喜ばれてしまい、反応に困ってシェンリュは曖昧に呟いた。
ベルノルトは大きな両手の中にすっぽりとシェンリュを包んで歩きながら、再び話しかけてきた。
「それにしても、王女殿下は身に着けている品も身体の一部にして変化できると、レオン陛下を通じて聞いておりましたが、実際に見ると驚きです」
「はい。父より賜った、魔法の品のお陰です。私が困らぬようにと……」
普通は獣人も海人も、自分の身体を変化させる事はできても、身に着けているものは一切かえられない。
だから、身体を変えても破れたりしないように工夫された衣服を身に着ける。
けれど小さな亀になるシェンリュには、どうやっても二つの身体に合わせる衣装など作れない。
そこで父の竜王が、特別な魔法の針をくれたのだ。
竜宮の支配者たる竜王もまた、通例の海人とは異端な存在であった。
最初から海竜の加護を得ているわけではなく、生まれた時は一介の海人だ。それが前王の死去とともに、継承者と選ばれたものが竜王の力と竜宮を維持する絶大な魔力を引き継ぐ。
それまであった加護の姿は消え去り、人間の姿から変化するのは、巨大な海竜の姿になるのだ。
丸ごと身体が変わるという部分だけ見れば、亀の加護を受けた者と同じだが、絶大な海竜にそのような無礼を言う者は皆無だった。
それでもシェンリュの父は、娘の亀姫に『お主は儂と同じ存在だ』と言い、竜の髭で作った金色の針をくれた。
シェンリュだけが扱える、魔法の針だ。
生きている者には傷一つつかないが、無機物にならどんなに堅いものでも易々と刺さる。
衣服だけでなく簪や腕輪などの宝飾品も、この針を一度でも刺したものならば、シェンリュが小さな亀や人間に代わっても、その場に抜け落ちたりせずに身に着けたまま変化できる。それぞれの重さや量も関係ない。
だから今、婚礼衣装に加え、幾つも髪に刺していた簪や靴までも、全てその針の魔法で、亀になったシェンリュと一体化している。
そして人間の姿に戻れば、少しの乱れもなく、きちんとそれを身に着けたままの姿になるというわけだった。
そんな事を説明しているうちに、ベルノルトは二階へあがり、並んだ扉のうち一つの前で止まった。
「王女殿下、着きました」
慎重に床へ下ろされたシェンリュは、急いで人の姿に戻る。
ベルノルトのよく磨かれた靴しか見えなかった視界が、一瞬にして彼の胸元へ移動する。
「ベルノルト様。本当に、ありがとうございました」
恥ずかしさと嬉しさで顔が真っ赤になり、深々とお辞儀をして礼を言う。
「いえ、大したことでは。それでは失礼します」
頭上から、なぜか妙に焦ったような声音が聞こえ、ベルノルトは素早く踵を返すとたちどころに去ってしまった。
「さぁ、こちらが奥様にお使い頂くお部屋です。気にいって頂ければ良いのですが」
名残惜しく彼の後ろ姿を見送っていたシェンリュは、エルケから声をかけられて、また頬を赤らめた。
役柄とはいえ『奥様』といざ呼ばれると意外なほどに嬉しく、思わず口元が綻んでしまう。
さらに、品の良い調度品で整えられた二間続きの部屋は、寝室と私室のどちらも素晴らしく、洗面所や浴室もある。陽当たりや窓からの眺めも申し分ない。
既に持ってきた輿入れの荷は部屋に収められており、シェンリュは湯を浴びて楽な衣服に着替えた。
ベルノルトの言った通り、夕食も部屋に運んでもらい、疲れた身体を心地よく休める。
そして早めに寝台へ入ったのだが、柔らかな寝具は心地良いのに、なかなか寝付けなかった。
(私、こんなに幸せで良いのかしら……?)
姉姫達は、熊獣人などに嫁いだりしたらさぞ辛い日々が待っていて、シェンリュなど三日と持たずに泣きながら竜宮に戻ってくるはずと言っていた。
けれど、目を瞑ると次々と浮んで来るベルノルトの姿はどれも素敵で、シェンリュの胸をきゅんきゅんと幸せに疼かせる。
(本当に妻とは見て頂けなくても……これからも、あんなに素敵な方のお傍で暮らせるのよね)
こみ上げる歓喜をどうしたら良いのかわからず、シェンリュは枕を抱きしめて足をバタバタさせた。
―― その一方。
ベルノルトはいつもより随分と早く寝台に入ったものの、眠れずに困惑していた。
考えないようにしようと努めても、二つ隣りの部屋にはシェンリュが眠っているのだと思うと、どうも落ち着かない気分になる。
シェンリュ王女が、もう少しツンとお高く澄ましている女性だったら、こんな気持ちにはならずに済んだだろう。
ところが彼女は礼儀正しいながら、変に澄ました部分など微塵も見せない。頬を染めてベルノルトを見上げる表情は可愛らしくてたまらず……
(いやいやいや! 今さら若い娘にうつつを抜かす気はないと、この口で陛下にも言っただろうが!)
自分の口元をつねってベルノルトは己を叱咤するが、大して効果はなかった。
小さな亀になった姿を見た時は驚いたが、あの姿もやはり可愛らしいと思った。
しかも彼女はその姿に引け目を感じているようなのに、ベルノルトに負担をかけまいとする方を優先してくれたのだ。
「~っ!!」
悶々としたまま枕を抱え、寝台をゴロゴロするベルノルトだった。
ラングハイムにて婚礼の祝宴に呼ばれた客は、たとえどんなに身分の高い者や親族であろうと、陽が沈む前に帰るのが礼儀で、泊まるなどもってのほかという。
よって、レオン国王やアイヒヴェルガー公爵も、他の客達と同様に帰って行った。
円形の玄関ホールにて、ベルノルトと最後の客の見送りを済ませると、シェンリュはつい気が抜けて小さく息を吐いた。
それを、ベルノルトに気づかれたらしい。
「長旅から続いての祝宴でさぞお疲れでしょう。すぐに部屋へ案内します。夕食もそちらへ運ばせますから、ゆっくりお休みになって、また明日にでも道中のお話などを聞かせてください」
「あ、ありがとうございます」
丁重に言われた言葉は、暗に二人の寝室が別で、明日まで顔を合わせる事がないと知らせていた。
この婚礼が形だけのものだと改めて教え込まれた気がして、シェンリュは胸がチクリと痛むのを感じた。
婚礼祝宴の客が早い時間に帰るのは、晴れて新婚となった夫妻が仲睦まじく……はっきり言えば夫婦の営みを邪魔しないようにという理由だ。
もちろん、シェンリュはベルノルトの妻になったとはいえ、それは表向きだけの事。
実際は賓客の立場と思って構わず、ベルノルトと無理に夫婦生活を営む必要もないと、父王からは聞かされていた。
「それほど疲れてはいないつもりだったのですが……お言葉に甘えさせて頂きます」
最初から承知な事に、今さらがっかりするなんて。何を自惚れかけていたのかと、シェンリュは顔を赤くする。
海から三日間の馬車旅は、とても楽しいものだった。
緑の濃淡が美しい渓谷の山道も、馬車が多数行きかう賑やかな街道も、何もかも物珍しく興味深い。陸の景色はどれだけ見てもちっとも飽きず、三日が飛ぶように去っていた。
今しがたの祝宴だって、招待客も皆感じ良く接してくれ、少しも居心地悪くない祝宴は初めてで嬉しかった。
それでも急激な環境の変化に、思っていたより疲れが溜まっていたようだ。
急に、幾重にも重ねた婚礼衣装が重たくてたまらなく感じ、足元がふらついた。
しかしグラリと傾いだ身体は、即座にベルノルトに支えられた。
そのまま、軽々と横抱きに抱え上げられて、シェンリュは目を見開く。
「大丈夫ですか? お加減が悪いようでしたら、村の医師を呼びましょう」
心配そうに尋ねられ、慌ててシェンリュは首を振る。
「いえ……少し部屋でお休みさせて頂ければ十分に存じます」
「しかし、顔も赤いようですし、熱でも……」
――それは、ベルノルト様が素敵だからですっ!
声には出せず、シェンリュは心の中で叫んだ。
自分の身体をしっかりと抱き上げてくれる力強い腕に、ドキドキと心臓が高鳴る。
「本当に、大丈夫ですので……」
動揺を隠そうとぎこちなく微笑むと、ベルノルトが急に妙な顔になった。何かを喉に詰まらせたように呻いたかと思うと、目を彷徨わせる。
「あ、あの……?」
親切で言ってくれた申し出を断って、気を悪くさせてしまったかと心配になったが、彼はすぐこちらを向いて微笑んだ。
「では、せめて部屋までお送りします。エルケ、一緒に来てくれ」
ベルノルトはそう言うと、シェンリュを抱いたままスタスタと歩き出した。
「え!? いえ、自分で……」
驚愕したシェンリュに、傍らへ付き添うエルケがニコニコと話しかける。
「お疲れの時に、無理は禁物でございますよ。お部屋は二階ですので、旦那様にお連れして頂きましょう」
ベルノルトはとても力が強そうだし、シェンリュは小柄で細身な部類だが、本日は重くてかさばる婚礼衣装を着ているのだ。
長い衣装の裾は床スレスレにまで下がっており、いくら腕力があろうと、運び辛いこの上ないだろう。
「っ! お待ちください、ベルノルト様! 姿を変えますので!」
シェンリュは思い切って、自分の姿を変えた。
一瞬でシェンリュの身体が縮み、ベルノルトの片手にちょうど収まる大きさの、緑色の亀となって乗っている。重さもその大きさの亀と同じになった。
「王女殿下?」
驚いた声を発してベルノルトが足を止める。
「その……この姿でしたら、持ち運びにそうお手間をかける事もないかと……お見苦しいとは存じますが……」
伏し目になり、消え入りそうな声でシェンリュは告げた。
ラングハイムでも竜宮でも、普通は半分だけ加護を受けた生き物の姿となるのに、亀の加護を受けた者だけは違う。
この姿でも、シェンリュはきちんと言葉を理解して喋れるけれど、外見は混じりけなしの亀。
ただの野生動物ではないかと、嘲られるこの姿が、悲しくてたまらない。
ベルノルトの前で早々とこの姿を晒したのは、かさばる婚礼衣装を着た人間姿で彼に苦労をかけたくなかった……などと、正直に言えば、そんな気持ちだけではなかった。
これから彼と暮らしていく以上、いつかはこの姿を見られる日がくる。
早くもベルノルトを素敵だと思ってしまったのに、このままどんどん惹かれ続ければ、自分でも情けなくて大嫌いなこの姿を晒すのが怖くて耐えられなくなりそうだったからだ。
「見苦しいなど、とんでもない。とても可愛らしいうえに、重さまで変化するとは素晴らしいですな」
朗らかな声に、シェンリュは驚いて目線をあげた。
見上げたベルノルトは小さくなったシェンリュを眺め、感心したように頷いている。
「このお姿になって頂ければ、多少道のりの険しい場所にも、私がお連れできますからな」
「ええ。本当に。ここには素晴らしい景色の花園もございますが、とても馬車は通れないので、ご案内はできないかと残念でしたの。ですが、これで安心してご案内できますわ」
エルケも傍らからシェンリュを覗き込み、ニコニコと相槌をうつ。
「は、はぁ……左様でございますか……」
嘲りでも同情の慰めでもなく、まさか喜ばれてしまい、反応に困ってシェンリュは曖昧に呟いた。
ベルノルトは大きな両手の中にすっぽりとシェンリュを包んで歩きながら、再び話しかけてきた。
「それにしても、王女殿下は身に着けている品も身体の一部にして変化できると、レオン陛下を通じて聞いておりましたが、実際に見ると驚きです」
「はい。父より賜った、魔法の品のお陰です。私が困らぬようにと……」
普通は獣人も海人も、自分の身体を変化させる事はできても、身に着けているものは一切かえられない。
だから、身体を変えても破れたりしないように工夫された衣服を身に着ける。
けれど小さな亀になるシェンリュには、どうやっても二つの身体に合わせる衣装など作れない。
そこで父の竜王が、特別な魔法の針をくれたのだ。
竜宮の支配者たる竜王もまた、通例の海人とは異端な存在であった。
最初から海竜の加護を得ているわけではなく、生まれた時は一介の海人だ。それが前王の死去とともに、継承者と選ばれたものが竜王の力と竜宮を維持する絶大な魔力を引き継ぐ。
それまであった加護の姿は消え去り、人間の姿から変化するのは、巨大な海竜の姿になるのだ。
丸ごと身体が変わるという部分だけ見れば、亀の加護を受けた者と同じだが、絶大な海竜にそのような無礼を言う者は皆無だった。
それでもシェンリュの父は、娘の亀姫に『お主は儂と同じ存在だ』と言い、竜の髭で作った金色の針をくれた。
シェンリュだけが扱える、魔法の針だ。
生きている者には傷一つつかないが、無機物にならどんなに堅いものでも易々と刺さる。
衣服だけでなく簪や腕輪などの宝飾品も、この針を一度でも刺したものならば、シェンリュが小さな亀や人間に代わっても、その場に抜け落ちたりせずに身に着けたまま変化できる。それぞれの重さや量も関係ない。
だから今、婚礼衣装に加え、幾つも髪に刺していた簪や靴までも、全てその針の魔法で、亀になったシェンリュと一体化している。
そして人間の姿に戻れば、少しの乱れもなく、きちんとそれを身に着けたままの姿になるというわけだった。
そんな事を説明しているうちに、ベルノルトは二階へあがり、並んだ扉のうち一つの前で止まった。
「王女殿下、着きました」
慎重に床へ下ろされたシェンリュは、急いで人の姿に戻る。
ベルノルトのよく磨かれた靴しか見えなかった視界が、一瞬にして彼の胸元へ移動する。
「ベルノルト様。本当に、ありがとうございました」
恥ずかしさと嬉しさで顔が真っ赤になり、深々とお辞儀をして礼を言う。
「いえ、大したことでは。それでは失礼します」
頭上から、なぜか妙に焦ったような声音が聞こえ、ベルノルトは素早く踵を返すとたちどころに去ってしまった。
「さぁ、こちらが奥様にお使い頂くお部屋です。気にいって頂ければ良いのですが」
名残惜しく彼の後ろ姿を見送っていたシェンリュは、エルケから声をかけられて、また頬を赤らめた。
役柄とはいえ『奥様』といざ呼ばれると意外なほどに嬉しく、思わず口元が綻んでしまう。
さらに、品の良い調度品で整えられた二間続きの部屋は、寝室と私室のどちらも素晴らしく、洗面所や浴室もある。陽当たりや窓からの眺めも申し分ない。
既に持ってきた輿入れの荷は部屋に収められており、シェンリュは湯を浴びて楽な衣服に着替えた。
ベルノルトの言った通り、夕食も部屋に運んでもらい、疲れた身体を心地よく休める。
そして早めに寝台へ入ったのだが、柔らかな寝具は心地良いのに、なかなか寝付けなかった。
(私、こんなに幸せで良いのかしら……?)
姉姫達は、熊獣人などに嫁いだりしたらさぞ辛い日々が待っていて、シェンリュなど三日と持たずに泣きながら竜宮に戻ってくるはずと言っていた。
けれど、目を瞑ると次々と浮んで来るベルノルトの姿はどれも素敵で、シェンリュの胸をきゅんきゅんと幸せに疼かせる。
(本当に妻とは見て頂けなくても……これからも、あんなに素敵な方のお傍で暮らせるのよね)
こみ上げる歓喜をどうしたら良いのかわからず、シェンリュは枕を抱きしめて足をバタバタさせた。
―― その一方。
ベルノルトはいつもより随分と早く寝台に入ったものの、眠れずに困惑していた。
考えないようにしようと努めても、二つ隣りの部屋にはシェンリュが眠っているのだと思うと、どうも落ち着かない気分になる。
シェンリュ王女が、もう少しツンとお高く澄ましている女性だったら、こんな気持ちにはならずに済んだだろう。
ところが彼女は礼儀正しいながら、変に澄ました部分など微塵も見せない。頬を染めてベルノルトを見上げる表情は可愛らしくてたまらず……
(いやいやいや! 今さら若い娘にうつつを抜かす気はないと、この口で陛下にも言っただろうが!)
自分の口元をつねってベルノルトは己を叱咤するが、大して効果はなかった。
小さな亀になった姿を見た時は驚いたが、あの姿もやはり可愛らしいと思った。
しかも彼女はその姿に引け目を感じているようなのに、ベルノルトに負担をかけまいとする方を優先してくれたのだ。
「~っ!!」
悶々としたまま枕を抱え、寝台をゴロゴロするベルノルトだった。
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