亀姫様のお輿入れ

小桜けい

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2 亀姫様、決意する

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 ――ベルノルトが輿入れ話を受けて、三か月後。

 長閑な春の田舎道を、一台の馬車が進んでいた。
 多数の貝殻で飾りつけられ、竜宮の刻印が記された豪華な馬車である。
 馬車の周囲にはラングハイムの精鋭騎士隊が護衛につき、非常に煌びやかで目立つ一行だ。
 道脇には近くの農村から獣人達が見物に押し寄せ、口々に囁き合っていた。

「見ろよ、あの馬車。竜宮の王女様が輿入れにくるって噂、本当だったのか」
「ああ。輿入れ先は、グリュックヴァルド領だってよ。あそこの領主様は、国王陛下の従弟だからな」
「海人って、陸に住むのをやたら馬鹿にするんでしょ? グリュックヴァルドみたいな内陸部に輿入れなんて、よく来る気になったわね」
「王都で聞いてきたんだけど、亀姫様なんて呼ばれてる、ちょっと変わった姫様らしい。海人には珍しく、陸を毛嫌いしないんだとよ」
「へー。海人にしちゃ、なかなか話の分かる王女様じゃん」

 人々は興味津々で、輿入れ馬車を遠目に眺める。
 馬車の窓には視界を遮る簾が垂らされ、中では二人の女性が座席で向かい合わせに座っていた。

 一人はスカートの裾からふわふわの茶色い尻尾を覗かせた、小柄なリス獣人の壮年女性。
 そしてもう一人は、袖先が幅広く艶やかな色彩が特徴の、竜宮風の衣服を着た若い女性――亀姫と呼ばれるシェンリュ王女だった。
 透けるように白い頬の両脇を彩るのは、珊瑚の簪をつけた深緑の真っ直ぐな髪。山吹色の円らな瞳に、桜色のぷっくりとした唇。
 シェンリュはその可愛らしい顔を、窓の方へと向けて外の景色に魅入っていた。窓の簾は特殊な織り方で、外からの視界を防いでも、内側からは外の景色がよく見えるのだ。
 時おり吹き込んでくる草花の香りが心地よく、シェンリュはうっとりと目を細める。

「シェンリュ様。到着までまだかかりますが、慣れぬ馬車旅でお疲れではありませんか?」

 不意にリス獣人の女性に尋ねられ、シェンリュはそちらへ顔を向けて微笑んだ。

「大丈夫です。もう慣れましたし、景色は綺麗でとても楽しいです」

 竜宮では、高貴な身分の者が乗る車はイルカに引かせ、水中を泳ぐためにガタゴトした振動もなく、高速で進む。
 初めて乗る陸路の馬車はやけに揺れて歩みが遅く、最初は奇妙な感じがした。
 だが、座席にゆったりと身を任せて乗っているうちにすっかり慣れ、ゆっくりした進みも景色を楽しめてちょうど良い。

「それはようございました。休息が必要な時はすぐにお申しつけくださいませ」

「ええ。ありがとう」

 シェンリュは笑みを深めて礼を言った。
 海辺までシェンリュを迎えに来てくれたこのリス獣人の女性は、エルケと名乗った。
 シェンリュがこれから嫁ぐ先にて、長年家政を仕切っているらしい。
 彼女はとても良い人のようだ。海人の王女を忌避するでもなく、陸路に慣れぬだろうと、何かと気遣ってくれる。
 まだ会って数時間だけれど、シェンリュはすっかりエルケに好感を覚えた。

(レオン陛下も大らかそうな方だったし、こんなに親切なエルケさんが、自慢のご主人だと仰るくらいだもの。ベルノルト様は立派な御方なのでしょうね)

 父からこの輿入れを聞かされた時は、正直に言えば腰が引けた。
 獣人の知り合いなどおらず、陸に嫁ぐなんて考えた事もなかったのだから。
 しかし、水鏡を通して話した獣人の王は気さくで感じが良く、結婚相手に推す従弟はシェンリュと年こそ離れているが、自分がとても信頼を寄せる男だと安心させてくれた。

 そしてまた、この結婚はあくまでも形式だけのものだとも、父は言っていた。
 父が獣人の王から聞いた所、結婚相手となるベルノルトという熊獣人は、諸事情から同族とも結婚を望んでいないそうだ。
 だからシェンリュも、実際に夫婦らしい生活を営もうと努力する必要はなく、公の場でのみ仲睦まじい姿を見せ、普段は賓客のような待遇になるという。
 つまりこの結婚は、獣人と海人の王家が友好的という事を、両国民に知らしめる為のお芝居のようなものらしい。

 少々驚いたけれど、だからといってまともな結婚以外は嫌だなどと言う気はなかった。
 この政略結婚の話を聞いた姉姫達から、
『どのみち竜宮にいた所で、シェンリュに輿入れを望む酔狂な海人などいないものね。これでお父様は無様な娘を見ずに済むし、貴女もやっと役立たずでなくなって良かったじゃない』
と、告げられた言葉には、シェンリュ自身も同意だったからだ。

 大抵の海人は、下半身を人間の足と魚の尾に、自由に変えられる。
 竜宮に住む者は、足を尾に変えて優雅に海中を泳ぎ、人の形のままの器用な手を使い、様々な用事をこなすのだ。
 蛸や烏賊の半身を持つ者もいるが、彼らも上半身は人間のままという状態にできる。吸盤のある多数の足は、見た目こそあまり美しくなくとも、それを補ってあまりあるほど有能だ。何しろ両手だけでなく、その多数の足も器用に使いこなせるのだから。

 ――でも、シェンリュは違った。

 亀の加護を受けて生まれる者は大昔にほんの何人かいたらしいが、現在はシェンリュ一人だ。
 そして、亀の加護を受けた者は、海人の中でも一番役立たずに分類される。
 身体を変えると、全身が掌に納まる程の、小さな緑色の亀になってしまうからだ。ぷかぷかと泳ぎ、せいぜい海藻を口に咥えて少し集められるだけ。
 海人であるから、二本足の人の姿でも海中で息は出来るけれど、皆のように素早くは泳げない。

 無様に二本足をばたつかせるシェンリュを、姉達は滑稽だと嘲笑い、使用人や民もそれに習った。
 王女という身分から、表向きだけはシェンリュへ丁寧に接するけれど、あからさまに聞こえるように嘲笑する。
 数年前に病で亡くなった母上も、姉娘達はとても可愛がっていたものの、シェンリュには最後まで冷たく、抱かれた記憶はなかった。

 元々シェンリュはのんびりした性格で、あまり細かい事は気にしなかったが、それでも嘲笑ばかり受けていれば、流石にこたえてくる。
 竜王の父だけは、他の娘と分け隔てなくシェンリュを慈しんでくれた。でも、多忙な父にベットリとくっついて過ごすなんて出来ない。

 次第にシェンリュは、習い事以外の時間には、海を出て浜辺で過ごすようになった。
 うっかり獣人の目に触れぬよう、小さな亀の姿になって甲羅に手足と頭を引っ込め、毎日砂浜で何時間もぼんやりと過ごしていた。
 その間に、姉姫達は海藻や真珠で美しく身を飾り、優雅に竜宮の中を泳いでいる。
 海人の王族としての気高い姿を披露し、民から羨望の眼差しを集め、竜王の威信を高める役割をきちんと果たしているというのに……。
 シェンリュはひたすら甲羅に篭り、誰にも気にも留められぬ岩のような姿で身を縮めているだけだ。


(……あの山の向こうで、私はこれから暮らすのね)

 シェンリュは窓の外へ再び視線を向け、遠くに連なる緑の山々を眺める。
 山の向こうが、今から向かうグリュックヴァルド領――ベルノルトの治める領地だ。

 ラングハイム国内でも、自分が『竜宮の無様な亀姫』と嘲笑されているのは承知だった。
 浜辺で亀になって身を潜めていると、海人と獣人の商人が交易するついでに、そうした笑い話を交わしているのが聞こえたから。
 そんな王女を、形だけとはいえ国の都合で娶る事になったベルノルトには、気の毒だとしか言いようがなく、申し訳ない気分でいっぱいだ。
 でも、とにかくシェンリュが彼に大人しく嫁ぎ、公には仲睦まじい夫婦というように見せれば、竜宮にも獣人の国にも良い結果が得られるのだと、父からは聞かされている。

(せめてベルノルト様にご迷惑をかけぬよう、頑張らなくては)

 シェンリュは、膝の上でそっと手を握り合わせて決意をする。
 海からこんなに離れたのは初めてで、見知らぬ地の暮らしも、まだ会った事のない熊獣人との婚姻も不安なはずなのに、妙に胸が高鳴っていた。

 だって……誰かに何かの役割を期待されたのは、覚えている限りでこれが初めてなのだ。
 

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