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1巻

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   プロローグ


「凄く素敵! エルダーってセンス良いのね」

 小さな魔法薬店のカウンター内で、フィオナは陳列棚を見上げながら、感嘆の息を吐いた。
 彼女の目線の先にある、がっしりした大きな木製の棚。そこに並ぶのは、全て魔法薬だ。色とりどりの液体が入った小瓶、粉薬の包みや丸薬を詰めた大瓶が、魔法の灯火を反射して光っている。
 先ほどまで、この棚は野暮やぼったい雰囲気があった。ところがエルダーが少し瓶の配置を変え、棚に敷いた布の色を統一しただけで、ぐっと小洒落こじゃれた様子になったのだ。

「フィオナが満足してくれたなら、何よりだ」

 かたわらに立つ人狼の青年――エルダーがこちらを向いて微笑む。
 十八歳のフィオナより二つ年上の彼は、一見、落ち着き払っているが、賞賛されたことはまんざらでもないようだ。その証拠に、金色の尾がパタパタ揺れて、髪の合間からのぞく狼耳もピクピクと動いている。

「エルダーが帰ってしまう前に、こういう技術も習っておきたいわ」

 フィオナがそんなことを言った途端、彼が期待に満ちた目をした。

婿むこにすると言ってくれれば、俺はずっとここにいるぞ」
「え、それは……あっ、調合室に戻らなきゃ!」

 フィオナはやや顔を引きつらせて話題を強引に打ち切り、店の奥の調合室へ一目散に駆け戻る。
 そして、閉めた扉の内側に背を預け、ドキドキする胸を両手で押さえた。
 まったく。エルダーがここにきたのは義務を果たすためだけのくせに。一年後には故郷へ帰った方が、彼だって幸せなのに。
 しれっと今みたいな台詞せりふを言うから、困ったものだ。
 ドギマギしてしまうこちらの身にもなって欲しいと、溜息ためいきを吐いた。
 ――ダンジョンの奥で魔法薬店をいとなむフィオナのもとに、押しかけ婿むこ志望の人狼がやってきたのは、少し前の話になる……



   一 青銀の魔女と押しかけ婿むこ志望の人狼


 石造りの階層が何百階も続く地下迷宮。魔物がうごめく広い内部には、あちらこちらに下の階へとつながる階段がある。
 いつしか『ダンジョン』と呼ばれるようになったこの不可思議な迷宮を、誰が何のために、どうやって造りあげたのかは一切解らない。
 ダンジョン内の光景は灰色の敷石しきいしの道に、同じ石材からできた階段がほとんどだが、青空が見える空間や草木がしげる地など、不思議な場所もある。清らかな水が無限に湧く水盤が所々に存在し、栄養価の高い実のなる灌木かんぼくも、時おり壁の隙間からえていた。
 そうした冒険者を生かす配慮もある反面で、特定の敷石しきいしを踏むと無数の槍が突き出てくる壁や落とし穴など、容赦ようしゃなく命をうばう罠もある。
 とにかく、こうしたダンジョンは世界各地に点在し、その存在理由を解き明かした者も、最奥へ辿たどり着いた者も皆無だ。
 基本的に下の階層に行くほど生息する魔物は強くなり、仕掛けられている罠も巧みで危険になっていく。昔結成された大国の調査団は、途中で全滅したという。
 そこで大抵の国はダンジョンを国有地と定めつつ、自己責任であれば内部の探索とそこにいる魔物の狩りを許可するようになった。
 勿論もちろん、国の利益とするためだ。
 魔物は地上にも生息しているが、一方でダンジョンにしか生息しない魔物も多く、中には高く売れる種もある。魔物狩りで生計を立てる冒険者は、より良い獲物を求めてダンジョンへおもむいた。
 また、ダンジョンという謎の存在にかれ、危険を承知でその深遠しんえんいどみたがる者も絶えない。
 そのため陽の光の差し込まぬ暗闇だったダンジョンの通路には、冒険者が根気よくいて歩いた光苔ひかりごけ繁殖はんしょくし、段々とランプや松明たいまつなしに歩ける場所が増えていった。
 魔物の習性や繁殖はんしょく状況、罠の有無などは、冒険者の話を聞けば、国が探索せずとも情報を入手できた。
 巨大なダンジョンには大勢の冒険者が集まるので、彼らを相手にする商売で近くの街が栄えるといった経済効果もある。
 そして冒険者を相手にする商売が行える場所は、地上だけとは限らなかった。


 カザリスという辺境の街のそばに存在するダンジョン。そこの地下十五階の片すみに、古びた木造の建物がある。
銀鈴堂ぎんりんどう』という看板を掲げた小さなその建物は、ずっと昔からここにある老舗しにせの魔法薬店だ。
 地下迷宮では緊急時に必要な品を買える店や、安全対策完備の休憩所に、大変需要がある。
 また、出入りする冒険者が多いところでは、魔法浄化槽つきの手洗い所が設置されていなければ、目も当てられぬ衛生状況になる。疫病えきびょう蔓延まんえんにもつながりかねない。
 そこで国は、通行のさまたげにならぬ場所であることなどの条件つきでダンジョンの敷地を民間へ売り、商売をすることを許可しているのだ。
『銀鈴堂』もその一つで、通路に面したところにカウンターを設置し、薬を販売している。
 カウンター内部には多種の魔法薬を並べた棚があり、天井から下がる花の形をしたランプからやわらかな白い光が輝く。その奥の居住空間は暖簾のれんで目隠しがされていた。

「ぁふ……」

 年季の入っているあめ色の分厚いカウンターをつやつやになるまでみがいていた、十八歳の少女店主――フィオナはこらえきれずにおお欠伸あくびらした。
 そのよそおいはブラウスとスカートに清潔な白いエプロンと、どこにでもいる平凡な町娘のようだ。ただし、一本の三つ編みにした腰まである髪の色――青銀あおぎんの髪は、滅多に見かけない。
 この髪色こそ、フィオナが地下深くで一人魔法薬店をいとなんでいる最大の理由である。
 青銀の髪を持って生まれる人間はこの世界にごくごくまれにいて、彼女たちは概して非常に強い魔力を宿しているため、『青銀の魔女』と呼ばれる。
 そして青銀の魔女は例外なく、陽の光で衰弱すいじゃくする体質だった。
 少し陽射しにあたるだけで体調を崩し、長時間さらされ続けると、最悪、死に至る。
 ただ、そうした点を除けば、青銀の魔女はごく普通の人間の女性と変わらない。当たり前のように歳をとり、子孫を残すこともできた。
 ちなみに青銀の魔女が娘を産んでも青銀の魔女が生まれるとは限らない。
 しかし、親族や祖先に青銀の魔女がいれば、何代かて青銀の魔女が生まれることもあった。大勢の姉妹の中で、一人だけ青銀の魔女が生まれることもある。
 例えば、フィオナの母は青銀の魔女である母親から生まれ、青銀の魔女であるフィオナを産んだが、自身は魔力を持たない人間である。
 フィオナの両親は各地のダンジョンをまわる旅暮らしをしているので、陽に当たれぬ娘を連れ歩くのは難しかった。よってフィオナは青銀の魔女だった祖母に引き取られ、ほとんど地上に出ることなくこのダンジョンの地下で育ったのだ。
 陽の光をまるで浴びない肌は真っ白くなめらかで、あどけなさを残した顔だちは可愛らしい。ただ現在、長い睫毛まつげふち取られた青い目は寝不足で充血し、顔色もやや悪かった。
 フィオナが眠気を払うべく頬を叩いていると、店の壁にかけた鳩時計が九時を知らせる。
 地下では昼も夜も解らないが、この地で生活する以上、時間のメリハリは必要だ。
 緊急事態を除き、基本的に店の営業時間は朝九時から夕方六時となっている。

「ご先祖様。本日も開店いたします」

 フィオナは店のカウンターに向けて祈りをささげ、指を鳴らす。
 するとカウンターの上部で、店名が浮彫りされた長方形の看板が薄い青銀に輝き始めた。
 フィオナを育て魔法を教えてくれた『銀鈴堂』先代店主の祖母は、一年前に他界している。
 あの日。普段と変わらずに魔法薬を作った祖母は、少し疲れたと言って居間の長椅子に横たわり目をつむると、早くに亡くした夫の名を嬉しそうに呼んだ。そして、『ええ。フィオナはもう立派な店主になれますよ』とつぶやいたきり、おだやかな表情でった。
 祖父はフィオナが赤子の頃に事故で亡くなったから、直接の思い出はない。
 ただ、とても家族思いの優しい人だったと聞いている。そんな祖父が天寿を終えた妻を迎えにきたのだろう。祖母を亡くしたことはさびしかったが、そう考えるとなげき悲しまずにすんだ。
 そして生前に祖母から教えられていた通り、店の結界をつかさどるカウンターの裏側に自分の名を刻み、新たな店主となった。

(昨日もほとんど徹夜になっちゃった。お客さんがくるまで仮眠をとろうかな……)

 まだ人気ひとけのない静まり返った通路をながめ、フィオナは眠い目をこすって考える。
 祖母からみっちり教えを受けていたおかげで、なんとか店を切り盛りできているけれど、やはり一人では忙しく、寝不足と過労気味だ。
 最近カザリスの街はたいそう景気が良く、このダンジョンを訪れる冒険者も急増したが、それでも常に人通りがあるわけではないのだから、ちょっと休むくらい問題ないだろう。
 店は結界で守られているため、店主がカウンター内にいなくとも商品を盗まれる恐れはない。それに、客用に『御用のある方は鳴らしてください』という札の下がった呼び鈴が備えてあるので、客に不自由させることもないはずだ。
 奥に引っ込もうとした時、聞き覚えのある男性の声と狼の鳴き声がして、フィオナは足を止めた。
 カウンターから身を乗り出すと、ぼんやりとこけの光る通路の奥から、白い雄狼を連れた壮年の男性がやってくる。マギスという銀鈴堂の常連客だった。
 柔和な顔つきの彼は、濃い茶色の真っ直ぐな長髪を後ろに流し、ひょろりとした体躯たいくに古びた濃い紫のローブマントを羽織はおっている。腰のベルトにある細長い杖が、彼が魔法使いであることを示していた。

「おはよう、フィオナちゃん」

 彼が手を振って挨拶あいさつをすると、白い狼も元気よくひと吠えした。

「マギスさん! お久しぶりです。ジルも元気そうね!」

 たちまち眠気が吹き飛び、フィオナも彼らに手を振り返す。

「驚いたよ。最近のカザリスは活気づいていると聞いてはいたが、ここまでとは。半年ぶりに帰ったらあんまりににぎやかで、間違えて違う街にきてしまったかと思った。なぁ、ジル?」

 カウンターの向かいに立ったマギスがおどけた口調で言えば、ジルが同意を示すように「ワォン」と鳴いた。
 ジルは生まれて間もない頃に、親とはぐれて死にかけていたところをマギスに保護された。かしこく強く成長した今では、果敢かかんに魔物に立ち向かう立派なパートナーとなっているらしい。
 マギスの場合は狼が相棒だが、大抵の冒険者は複数人でパーティを組む。
 なぜなら、魔物の中には、魔法の攻撃しか効かないものもいれば、逆に魔法が一切効かないものもいる。また、一人では多数の魔物におそわれた時に逃げきれない。
 そのため、リスク回避として様々な分野に特化した者が集まり、パーティを組む。その内情は友情や肉親のきずなで結ばれた仲だったり、金銭で雇われた関係だったりと様々だ。
 パーティの人数が多ければそれだけ戦闘が有利になるが、その反面、困る部分も出てくる。
 当然ながら人数に応じて、食費や宿代などの経費がかさみ、成功報酬も一人当たりの分配が減るのだ。苦楽を共にしてきずなを深めると口で言うのは簡単だけれど、現実はそう甘くない。
 些細ささいな意見や生活習慣の違いから、一緒に行動するうちに小さな不満がつみ上がり、ケンカ別れするパーティも珍しくないという。
 マギスも若い頃には複数人でパーティを組んだが、それなりに苦労やめごとがあったらしい。
 それでも彼は、引退した最後の仲間たちとは理想的な別れ方をして、今でも仲が良いようだ。
 半年ほど前、遠方に住む元仲間に子どもの名づけ親を頼まれたからと旅に出ていった。しばらくそちらのダンジョンをまわっていたのだろう、顔を見るのは久しぶりだ。

「新しい街道ができてから、このダンジョンにくる冒険者が急増したので、地下商店街やドワーフ村も大忙しみたいですよ。おかげでうちも大繁盛はんじょうです」

 フィオナは、寝不足の目を軽くこすり笑った。
 元々、このダンジョンの入り口は険しい山の中腹にあり、昔は入り口まで登るのにも一苦労だった。しかし商業ギルドが神殿へ資金を提供し、地下十階に転移魔法陣を設置したことで、使用料さえ払えば、街から一瞬で移動や大量の物資の持ち込みができるようになったのだ。
 その上先日、都とカザリスをつなぐ新しい街道ができた。
 すると、このダンジョンには一気に人が集まるようになった。
 というのも、ここのダンジョンの魔物は比較的倒しやすく、しかもお金になる種類が多い。その上、地下十五階は自然洞窟どうくつつながっていて、そちらにはダンジョンとはまた違う希少な魔物や薬草が豊富にあるのだ。
 さらに地下三十一階まで下りると、そこにはドワーフの村がある。
 地の精霊の末裔まつえいと言われるドワーフは、地上で暮らすことを好まず、地下深くに坑道を掘って氏族ごとに村を作り、ダンジョンの深い階層とつなげたりして暮らしている。そんな彼らは、非常に手先が器用で鍛冶かじ技術にけていた。
 特にこのダンジョンの地下三十一階に居住しているドワーフのルブ族は、見事な宝飾品や武器を作ると有名で、国内外からの注文が昔から絶えなかった。
 だから転移魔法陣が設置され、新しい街道ができた今、冒険者たちがこぞって集まり始めたのだ。
 それにともない、高価な転移魔法陣でこまめに往復するより、ダンジョン内の宿に長期滞在したいと考えるパーティも増え、地下十階にある商店街もまた順調に繁栄はんえいしていった。
 ちなみにどこのダンジョンにも、魔物が全く生息しない階層がある。
 ここでは、五階、十階、フィオナの住む十五階……というように五階ごとの階層がそれにあたるため、冒険者たちも安心して地下商店街に滞在できるのだ。

「地下商店街の宿も満員だったが、ここのドワーフ村の工房も注文待ちの客がぎっしりだろうね。あそこへ最後に行ったのは、もう何年前だったかな。苦労もしたが、良い思い出だよ」

 マギスが懐かしそうに目を細め、かたわらでじっと彼を見上げているジルの頭をでる。

「なかなか楽しい村だったけど、お前と僕だけで訪れるのは、流石さすがに無理な場所だからね。よほどのことがなければ、もう行く機会はないだろう」

 フィオナは少々もの悲しい気分で、さびしそうなマギスの横顔をながめた。
 ダンジョンは、下の階に行くほど魔物が強くなる。地下三十一階までの道のりは相応に厳しく、十分な人数か、少数でも実力を備えたパーティでなければ、とても行き来はできなかった。
 しかも、この銀鈴堂がある十五階より奥は、ドワーフ村まで国営施設も民間の店も一切ない。挑戦する冒険者も少ないので、途中でなにかあった時に運よく助けがくる確率も低い。

「……おっと、買い物を忘れるところだった」

 顔を上げたマギスが湿しめっぽい空気を振り払うみたいに笑い、カウンターに置いてある品書きを開く。
 白木の薄い板を帳面のようにじた品書きには、フィオナが作ることのできる魔法薬、百種以上が効能ごとに書き記されている。
 ただ、肝心の材料がなければ魔法薬は作れないし、中には手に入りにくい材料もある。
 現在、店の棚に並んでおらず調合室に材料もない薬には、品切れの紙札を貼っていた。

「宿にしばらくきがないから、野営の準備を整えようと思ってね。簡易結界紙を五枚と、魔力補充薬を六本もらおうか。あとは、これの買い取りを頼む」

 品書きを閉じたマギスが肩かけかばんふたを開けて魔法薬のき瓶を数本、カウンターに置いた。
 瓶は貴重なので、どこの魔法薬店でも綺麗に洗浄し再利用するためにき瓶を買い取るのだ。

「かしこまりました」

 フィオナはき瓶を回収して足元のかごに入れると、背後の棚から注文された品を取り出した。
 マギスは熟練の魔法使いだが、魔力というのは体力と同じで、使えば疲弊ひへいするものだ。だが、疲れ切っていようと、魔物は容赦ようしゃなくおそいかかってくる。
 よって、魔力補充薬は冒険者の魔法使いにとって必需品なのだ。
 また、簡易結界紙は、魔力を使わずとも、魔物を近づけない小さな結界を張ることができる。一人と一匹で野営するなら、大量の魔力を消費する広い結界を張るより、小さな簡易結界紙を使って、いざという時のために魔力を温存する方が良い。
 注文の品がカウンターに並ぶと、マギスは代金を支払ってそれらを肩かけかばんにしまい、微笑んだ。

「カザリスの街や地下商店街でも、最近やってきたらしい冒険者の間で、この店が話題にあがっていたよ。ダンジョンの奥にあるのに、都の老舗しにせ魔法薬店に引けをとらない品ぞろえで質は極上。しかも信じられないほど良心的な値だとね」
「そ、そう言ってもらえると……祖母が亡くなった時には一人でやっていけるか不安でしたけど、昔馴染なじみのお客さんが代替わりしても贔屓ひいきにしてくださって、本当にありがたいです」

 フィオナは頬をき、照れ笑いをした。
 自分はここ以外の店を見たことがないが、魔法薬は店によって値段も品質も全然違うそうだ。
 販売許可を得るにはギルドへ加入する必要があり、ギルドが量や最低限の効能などの規定をもうけているものの、値段は個々の店によって自由に決めて良いことになっている。
 例えば肉体治癒ちゆうながす回復薬は、地上の街なら一瓶五十リル前後が相場らしい。でも、ダンジョンの奥深くでは材料の仕入れに費用がかかるので、その値段では赤字になってしまう。
 こちらもかすみを食っては生きていけないので、利益を出すため、銀鈴堂の回復薬は一瓶百リルだ。その他の魔法薬も同じく、地上に比べると倍程の値段になっている。
 それでも『良心的』と言われるのは、危険なダンジョンの深部で、緊急に魔法薬を必要としている冒険者の足元を見る商人もいるせいだった。大怪我をしている時に、流れの行商人から相場の三十倍で回復薬を買わざるをえなかったという話もざらにある。
 だから、ダンジョンの十五階層なんて立地にある店なら、回復薬が二百リルでもおかしくない。しかし、銀鈴堂は『困っている者の弱みにつけ込むな』と、初代店主から伝わる心得を守り、極力地上の相場にあわせている。

「フィオナちゃんなら大丈夫だよ。僕は昔からこの店の世話になっているが、君の作る薬は先代の品質にまるでおとらないと保証する」

 マギスは優しく微笑んで言う。それがお世辞でないということは、彼が未だにここで買い物をすることが証明していた。
 大抵の冒険者は、街で安価な魔法薬を購入してダンジョンにいどむ。銀鈴堂のようなダンジョン内の店では、必要最低限の補充か、そこでしか売っていない品のみを買うのが常識だ。
 だがマギスは昔から、銀鈴堂の魔法薬は一瓶の値が倍額でも、められた魔力が高く一般的な品質の三倍は価値があると言い、普段から必要な魔法薬は全てここで買ってくれる。
 他にも何人か、そうした昔馴染なじみの客がいた。
 初代からフィオナまで、銀鈴堂の店主は代々青銀の魔女が務めている。そのために、高度な魔法をめた珍しい魔法薬を販売できるのと、マギスみたいに品質重視の固定客がついてくれているからこそ、経営が成り立つのだ。
 ただ、逆に言えばそれだけ彼らは魔法薬の品質に対して厳しい目を持っているということで、この店の薬の質が落ちれば離れていくはず。客と店の関係とはそういうものだ。
 だから、自分が店主になっても、先代からの顧客が変わらず通ってくれるのが嬉しい。

「ワォン」

 不意にジルがひかえめに鳴いた。飼い主の足元で大人しく待っていた白狼は、買い物が終わったのを察したのだろう。期待に満ちた目で、フィオナとマギスを交互にながめて尻尾を振っている。
 その可愛らしい様子に、フィオナは口元をほころばせた。

「マギスさん。ジルにおやつをあげて、でても良いですか?」

 ジルは非常にかしこくお行儀も良い、地下商店街でも人気者の狼だ。しかし、その気になれば人間をみ殺せる牙を持っているし、ジルが従う飼い主はフィオナではない。
 そのため飼い主の許可なく、でたりえさを与えたりしてはいけないのだ。

「ああ、いつもありがとう。ジル、可愛がってもらいなさい」

 マギスがにこやかにうなずいたので、フィオナはいそいそと奥の暖簾のれんをくぐって廊下に出た。
 暖簾のれんを出ると真っ直ぐな廊下があり、すぐ右の扉が調合室、他は居住スペースになっている。
 貯蔵庫に駆け込んで、ジル用に魔法で塩分を抜いた干し肉を取ってきたフィオナは、店の脇にある玄関扉から外に飛び出た。

「ジル、お待たせ!」

 手に持った干し肉を見せると、ジルはお行儀よくちゃんと前足をそろえて座り、フィオナが『よし!』と言ってからくわえる。
 尻尾を揺らして美味おいしそうに干し肉を食べるジルの姿に、フィオナはうっとり見惚みとれた。狼という生き物は、どうしてこうも魅力的なのか。
 昔から大型犬のたぐいは大好きだが、自分で飼うのはあきらめていた。彼らはダンジョン探索のお供もできるが、基本的に陽のあたる野山を元気に駆けまわるのが好きな生き物なのだ。
 青銀の魔女がペットとして大事に飼育したところで、その楽しみを与えてあげることはできない。
 だから、マギスが買い物にくるたびに、この可愛い狼と会えるのが嬉しくてたまらなかった。
 ジルは食べ終わると、かたわらにしゃがみ込んでいたフィオナの肩に頭をこすりつけ、甘え始めた。

「またきてくれて嬉しいわ。ジルに半年も会えなくて、とてもさびしかったの」

 白い狼を抱き締め、少し硬い温かな毛並みを、モフモフと両手でかき交ぜる。
 できることなら、ずっとでていたいほど心地よいモフモフを堪能たんのうしていると、さっきマギスがやってきた通路の奥から、複数の足音やよろいの鳴る音が響いてきた。
 目を向けると人間やエルフ、ハーフキャットと、色んな種族が交ざる一団がこちらへ歩いてくる。大抵の冒険者のパーティの人数は多くても六人くらいだが、十人近くいる大所帯だ。

「あったぞ! 銀鈴堂……魔法薬店だ」

 先頭の男が、銀鈴堂を見て破顔はがんする。

「お客さんのようだね。じゃあ、行こうかジル。フィオナちゃん、またくるよ」

 マギスに呼ばれたジルは、さっとフィオナの腕から飛び出して飼い主のもとへ駆け戻った。

「ええ。ありがとうございます」

 一抹のさびしさを覚えつつ、フィオナは微笑んでマギスとジルを見送る。
 しかし、ぼんやりしてはいられない。
 次のお客さんを迎えるべく、急いで中に戻って手を洗い、営業スマイルを作って店に出た。
 ――そして三十分後。

「ありがとうございました。またのお越しを、お待ちしています」

 フィオナは大所帯のパーティを見送り、き瓶を数十本も入れた重いバケツを両手に提げ、よたよたと調合室に運び込んだ。
 調合室はこの家屋で一番広い、円形の部屋だ。ここの部屋だけ天井が吹き抜けで極端に高い。
 扉と通気口部分を除けば、壁一面が天井まで届く梯子はしごつきの棚になっている。
 作りつけの棚には魔法薬を作る器具と、瓶や箱に詰められた材料がところせましと並ぶ。棚をおおうように張り巡らされた綱には、さまざまな乾燥薬草のたばが下がり、室内はいつも薬草の匂いに満ちていた。
 部屋の中央には、流しが備えつけられた頑丈がんじょうな調合台と、木の丸椅子が二つあり、フィオナは流しの脇に重いバケツを置いた。
 地下の住居では上下水道などあるはずもなく、調合台についている大きな流しも魔道具だ。
 家の魔道具は全て、床下の魔法石とパイプでつながっており、そこへ定期的に魔力を注ぎ込むことで潤滑じゅんかつに機能する。勿論もちろん、それには大量の魔力を必要とした。
 結界を維持するための魔力を定期的に注ぎながら、家中の魔道具を動かし、かつ毎日の魔法薬作りをこなせるのは、大量の魔力を持つ青銀の魔女だからこそだ。

「あれだけ一度に買ってくれたお客さんは初めてだわ。新記録ね」

 ふぅとひたいの汗をぬぐってフィオナは独り言をつぶやく。
 この数十本のからの瓶は、先ほどの大所帯パーティが持ち込んだもので、彼らはそれと同じくらいの量の魔法薬を買っていった。回復薬など、三十本と言われて耳を疑った程だ。
 彼らは都の近くのダンジョンで魔物狩りをしていたが、新しくできた街道を抜けてカザリスにやってきたと言っていた。
 国の中心地である都には、国内唯一の魔法学院や、剣士の訓練場、各種ギルドの本部などが集まり、冒険者にとっても生活がしやすい。
 だが、人が多いので周辺のダンジョンの魔物を狩りすぎてしまい、近頃では魔物が絶滅しかねないと、捕獲数やダンジョンへ入る日数に制限がもうけられたそうだ。
 そのためにあぶれた冒険者が、新街道を通ってカザリスに押し寄せているのだ。
 マギスが言っていたように、彼らは地下商店街で銀鈴堂のうわさを聞き、足を運んでくれたらしい。
 パーティには魔法薬の質を匂いで評価する鑑定士もいて、この店の回復薬なら百リルでも安いと言い、大人数ということもあって大量買いしていったのである。
 売れ行きが良いのはありがたいが、回復薬の在庫はすっかりとぼしくなってしまった。

「他はとりあえずまだ大丈夫だけど、回復薬はすぐに作っておかなくちゃね。お祖母ばあちゃん」

 フィオナはいつも祖母が使っていた木椅子に、そっと語りかけた。
 傷の治癒ちゆと体力の回復を劇的にうながす回復薬は、緊急に必要とされる場合が多い。
 大怪我を負った時などは回復薬を数秒早く飲ませるかどうかで、深刻な後遺症の有無や、生死が左右されることすらある。
 よって回復薬は、ダンジョン内では欠かせないものだ。
 これだけは在庫を切らしてはならないと、祖母は口をっぱくして言っていた。
 そもそも祖父の死因は、ダンジョンの奥で強力な魔物におそわれた際に、持っていた回復薬を、自身も重傷を負っていたにもかかわらず居合わせた他の怪我人にゆずったためだという。もし、もう一瓶でも回復薬がその場にあれば、祖父は若くして亡くならなかったかもしれない。
 その話を祖母から聞かされて育ったフィオナも、回復薬の重要さは身に染みている。

「ふぁ……」

 静かになった途端、また押し寄せてきた眠気を、フィオナは両手で頬を叩き追い払う。
 一つ一つの瓶を丁寧に洗って金属製のかごに入れ、熱殺菌も兼ねる魔法で乾かす。そして、棚から追加のき瓶と回復薬の材料を取り出し、愛用の椅子に腰かけて調合を開始した。
 薬草の粉末を数種類、それぞれはかりで正確に分量を測り、全部ビーカーに入れて水を注いだあと、ガラス棒でよく混ぜる。粉が完全に水に溶けてドロリとした深緑の粘液ねんえきになると、フィオナは両手をビーカーの上にかざして回復の呪文をとなえ始めた。


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