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番外編
つがいの条件 (狼さんの欲しいもの 後日談)
しおりを挟む腕に抱く感触がやけに心地良い。
何かふわふわしたものが頬をくすぐる。
いい匂いがする。
ずっと傍にいるのが当たり前になった馴染みの香りだ。……でも、こんなに近くで感じるのは随分久しぶりに思う。
ジークはまどろみながら、小さな身体を抱き締めた。
「ん……」
掠れた少女の声に、薄く両眼を開く。
「――――っっ!!!?????」
すぐマルセラの寝顔があり、瞬間的なパニックを起こしてのけぞった拍子に、かけ布団ごとベッドから転げ落ちた。
運動神経に自信はあったが、そもそも長身のジークにとって、一人用のベッドを誰かと使うのは窮屈だ。
ベッドの他には小さなチェストと置き時計、それに武器ケースしか置かない殺風景な寝室は、ここに越して来る前からたいして変わらない。最大の違和感は、自分以外の小さな寝息がすることだ。
硬い床で身を起し、そろそろとベッドの上を覗けば、やはりシーツの上には、ぐっすり眠る幼妻の姿があった。
――一瞬、とうとう欲求不満からリアルな幻覚を見たかと思ったが、すぐに思い出した。
夢でも妄想でもなく、しっかりと現実に、マルセラを抱いた。
ぐったりと眠っているマルセラは、疲れきっているようだ。
それもそうだろう。昨夜とはいえ、行為を始めたのはすでに深夜すぎだった。カーテンを引いた部屋は薄暗いが、時計はすでに正午を指している。
我慢に我慢を重ねた末、ようやく抱いた身体は信じられないほど気持ちよく、途中から理性は完全に消し飛んでいた。
ケダモノか、俺は。もう止めてやれ。マルセラが壊れそうじゃねぇか、と……元々少ない良心が咎める声も無視した。
抱いても抱いても足りず、ようやく眠った時には朝日が昇っていたように思う。
横たわる白い肌には、至るところに口づけの鬱血痕が残り、所々には歯型までついていた。
閉じた足の付け根に目を向ければ、更に凄惨だった。割り開かれた箇所は既に口を閉じているが、これでもかと言うほど注がれた体液が溢れ出て、内腿へ白くこびりついていた。
いったい何度中に出したのか、恐々と思い出しながら数え……途中で耐え切れなくなってやめた。
――死ね、俺。
とりあえず自分の頭をぶん殴り、急いで放り捨ててあった衣服を身につける。
ガキの頃、慈善学校の小煩いシスターから、『殴られた人がどんな気持ちか、相手の身になってよく考えてみなさい』と、しょっちゅう説教されたものだ。
ケンカふっかけてくる相手を殴って何が悪ぃんだよと、あの頃はロクに返事もしなかったが、さすがに今回は反省しているから、よく考えてみた。
もし自分が女で、初体験にこれだけの抱き方をされたら――相手の男は間違いなく半殺し……いや、殺すな。
がっくりと床に両手をついた。
「ふ……くしゅっ」
眠っているマルセラが、小さく身震いしてくしゃみをした。
大きな瞳がパチリと開く。
まだ少しぼんやりしていた視線がジークをみつけ、見る見るうちに頬へ赤みがさした。慌てた様子でシーツをひっぱり裸体を隠す。
無言のまま、強張った表情で互いの様子を伺う時間が、しばし続いた。
「……身体、大丈夫か?」
やがて気まずい沈黙に耐え切れなくなり、我ながらアホなを質問をしてしまった。大丈夫なわけがあるか。
「うん、平気」
マルセラは意外なほどしっかりした声で答え、身体を起こした。
「う……わ?」
途端に鬱血だらけの細い肩がビクンと奮えた。マルセラがなんとも言えない気持ち悪そうな表情を浮べ、下腹に視線を落とす。
どこがどういう風に気持ち悪いのか、女の情事後処理など興味のなかったジークでもさすがに想像でき、頭を抱えたくなった。
浄化魔法でも使えればこういう時は便利だろうが、生憎とジークは魔法なんか使えない。
反して、マルセラは優秀な魔法使いだが、さすがにこの状態でそんな気力はないだろう。
半泣き顔のマルセラを、シーツに包んだまま横抱きにかかえる。
「身体洗うから、大人しくしてろ」
抱いたまま浴室に連れて行き、どろどろのシーツを洗濯機に放り込んだ。自分も汗だくで気持ち悪かったから服を脱ぎ、マルセラを膝に抱えて空のバスタブに入る。
マルセラは時おりチラチラとジークへ視線を向けるが、ずっと黙ったままだ。
昨夜の扱いはあんまりだと怒っているのだろうか。
それも仕方ないと、ジークは内心で溜め息をつき、シャワーのコックをひねる。
手加減できないと宣言はしたが、幾らなんでもああまで理性が飛ぶとは思わなかった。
とりあえず身体の汚れを落とそうと、マルセラの頭から温水をかけたが、勢いが強すぎたらしい。激しく首をふり、手を押しのけられた。
「ぷはぁっ! ちょ、ちょっと、待っ……」
「あ、悪ぃ」
シャワーを止めると、ポタポタと栗色の髪から水滴が滴らせ、マルセラが首をよじってジークを見上げる。
「もう! 洗い方がヘタなの、子どもの時から変わってないんだね」
「は?」
ジークの子ども時代など知る由もない少女に、思わず怪訝な顔を向けると、慌てて顔をそらされた。
「ううん、なんでもない。おかしな夢を見ただけ」
「……そうか」
今度は少し慎重になってマルセラの腕をとり、スポンジで石鹸をよく泡立ててから、そろそろと擦る。血の滲む歯型に滲みるかと思ったが、肩口へ視線を向けて首をかしげた。
痛々しいほど血が滲んでいた噛み後は、薄く赤みが残っているだけになっていた。
よく見れば、あれほど大量にあった鬱血痕も、殆どが薄れて消えかかっている。
(俺みたいじゃねぇか……)
ジークは子どもの頃から、傷の治りが異常に早かった。
当時はそれを深く気にしたりしなかったが、あの劣悪環境を生き延びられたのは、驚異的な生命力を持つ人狼の血のおかげだろう。
しかしマルセラはごく普通の人間のはずだ。
元気だが、運動神経はお世辞にも良いとは言えず、しょっちゅう転んだりして怪我をする。
こんな風にたちまち怪我が治る様子など、見たことはなかったが……。
手を止めたまま、確実に薄くなった噛み痕を眺めていると、不意にマルセラが小声で呟いた。
「次は、もっと頑張るから……」
「頑張る?」
聞き返した途端、ぎょっとした。
首をよじってジークを見上げた大きな瞳には、シャワー以外の水滴が浮かんでいる。ぷっくりした唇が、泣き出しそうに震えていた。
「ジークもちゃんと気持ちよくなれるように、今度はもっと頑張る」
涙を堪えながら訴えられ、息が止まりそうになった。
「気持ち良くなかったなんて、誰が言った! お前の身体は最高だ! 良すぎて止まらなかったくらいだ!!」
動揺のあまり、余計な事まで口走った気もするが、マルセラは驚いたように目を見張る。
「だって、本でいっぱい勉強しておいたのに、始まったら頭が真っ白になって……」
サファイア色の大きな瞳が、疑わしそうにジークを見上げた。
「最後のほうはよく覚えて無いけど、私は特に何もしなかった気がするよ」
「……おい、何する気だったんだよ」
不穏な気配に恐る恐る尋ねると、マルセラは顔を真っ赤にして、自分の両手をもじもじと弄った。視線を泳がせながら、消え入りそうな声で呟く。
「ああいう時、女の子は手や口とか……胸なんかも使って、色々するんでしょ?」
「――――――っっっ!!!! お、おま……え……なぁっ!!」
恥らいつつ熱心に淫らなご奉仕をする姿が、脳裏にくっきりと浮かぶ。
右腕と胸の古傷から、じわりと血が滲んだ。
「ジーク!? 血っ! 血が!!」
「……傷口がちょっと開いただけだ。すぐ塞がる」
出血に湯をぶっかけて流したが、まともにマルセラの顔を見れず、肩口に額をつけて呻いた。
「前から思ってたが、お前は一体、どんな参考資料を読んでやがる。全部没収だ」
「ええーーっ! ウリセスさんから、せっかく貰ったのに!」
「アイツかよ!? なおさら没収! 絶対に確信犯で、偏った知識を植えつけられたぞ!」
銀髪悪魔のニヤケ面を思い浮かべ、眉を吊り上げると、マルセラが心配そうに声を落とす。
「もしかして間違ってたの? そういうことは、されたくない?」
潤んだ瞳で見上げられ、ジークは顔を真っ赤にして返答に詰まった。
ここできっぱり、『お前はそんな事しなくていい』と言えたら……。
「く………………そ、そのうちしてくれりゃ、いいんだよ!」
つい欲望に屈してしまう己の情けなさに、涙が出そうだ。
すると言われたら多分……いや、絶対に拒否できない。
今までされた数々の誘惑だって、メチャクチャ魅力的だった。次にやられたら、それこそ玄関先だろうが台所だろうが、その場で足腰立たなくなるまで犯してやる。
「とにかく、昨日は上出来だ。心配するな」
ワシワシと髪を撫でると、マルセラはホッとしたように息を吐いた。
「よかった。起きてからずっと、怒ってるみたいだったから」
ふわりと小さく微笑んだ唇に目を奪われる。
全身から渇きにも似た欲求がせりあがり、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……自分に腹立ててたんだよ」
「え……?」
湯に濡れた唇に吸い付いた。
裸身のマルセラを膝にのせて真面目に洗う、なんて芸当が出来ていたのは、酷い扱いをしてしまった罪悪感でいっぱいだったからだ。それすら、たちまち霞んでいく。
足りない。さんざん喰ったはずなのに、苦しいほどまだ欲しい。
頬を押さえて口を大きく開かせ、舌を吸い出すようにして何度も嬲る。息苦しさにマルセラが身を捩ると、二人の身体の間で、石鹸のぬめりがくちゅくちゅ音をたてた。
「は、ぁ……ぁ……」
開放した唇を名残惜しく指先でなぞり、どうしたらいいか見当のつかない憤りに、顔をしかめた。
「あれだけ抱いたのに、もうこのざまだ」
石鹸の泡だらけの裸身を、自分にいっそう密着させる。早くも熱を持った部分を、マルセラのわき腹に当たるよう押し当てた。
「あ……」
ビクリとわずかに肩が震えたのを見逃さなかった。
自嘲の苦い笑みが口元に浮かぶのを感じる。
セックスなんか、溜まったものを吐き出すだけのはずだった。
一人で処理するより気持ちいいから、金を払って相手の身体を買うだけだ。
相手をそこそこ楽しませるのは礼儀みたいなもので、それだってよほど気が向かなければしない。
突っ込んで吐き出す行為は誰が相手でも一緒のはずなのに、マルセラを抱いた時はまったく違った。
苦しいほどの飢餓感につき動かされ、自分の欲を満たしながら、相手にも悦んでほしかった。
組み敷いた身体がわずかでも甘い反応を示すだけで、ゾクゾクするほど嬉しくなる。
必死に縋りつかれ、上擦った声で名前を呼ばれた時は、あまりの興奮に目の前が真っ赤に染まった。
「……お前こそ、あんなに手酷くやられて、もう嫌だと思わないのかよ?」
コイツの嫌がることはしたくない。泣かせたくない。笑っていて欲しい。
抱くなら気持ちよくだけさせたいのに、止まらなくなる。
「ん、やっぱりちょっと最初は痛かったけど……」
狭い浴槽の中でジークに抱えられたマルセラが、不自由そうに身体を捩らせた。横向きになり、子猫が甘えるようにピトリと胸元に頬をくっつける。
「ジークはすごく優しくしてくれたから、怖くなかった」
――チクショウ。これもう、有頂天になっていいよな?
片手で抱き締め、もう片手を下肢の間に伸ばす。亀裂に指をもぐりこませると、内部からグチュリと白濁液が零れだした。
「あっ! 後は自分で洗……」
赤面して逃れようとした身体をしっかりと抱きかかえた。
「俺がやりたいんだよ。お前の参考資料には、こういうのは載ってなかったのか?」
耳元でからかうと、たちまち耳朶が真っ赤に染まった。
泡の合間で震えて尖っている胸の先端をつまむ。
「んんっ!」
指を咥えこんだ箇所が反射的に締まった。
熱をもった耳朶を甘噛みし、きつく締め付けてくる内部で指を動かし、残滓を掻きだしていく。
昨夜、弄られるとマルセラが反応していた箇所をいくつか覚えたから、軽く指を曲げて押すと、四肢がビクリと跳ねた。
ジークの胴へ巻きつく手に力が篭り、胸元に顔を埋めたまま、鼻に抜けるような吐息を零す。
自分が快楽を得ているわけでもないのに、やはりたまらない愉悦が背骨を這い上がる。
今すぐにでも、また身体の中に欲望を突き入れたい誘惑に駆られたが、寸でのところで堪えた。
代わりに右手は秘所を嬲りながら、左手の泡を湯で流し、マルセラの口元につきつける。
「ほら、咥えてくれるんだろ? これで練習してみろよ」
「え……? ん、ん……」
薄く開いた口元をこじ開けるように、三本揃えた指を押し込んだ。小さな舌がたどたどしく指を舐めはじめる。暖かな柔らかい舌が指に絡みつく感触に、背筋が震えた。
羞恥で伏目になりながら、従順に愛撫を施す表情に、いっそう下腹が熱くなる。膝に抱えた柔らかな臀部に熱を挟み込むようにして腰を揺すった。
「ん、ふ……ん……」
熱を押し付けられるたマルセラが、視線だけでチラリとジークを伺い、すぐに恥ずかしそうに逸らす。
好奇心旺盛な耳年増のくせに、こんな初心な反応が、どれだけこちらを煽るか気づいていないのだろうか。
つい、もっと色々させたくなってくる。
いっそ参考資料とやらに載っている事を、全部試してやるのもいいかも知れない。
時おり歯が指を擦る感触さえも、眩暈がするほど気持ち良い。大きく開いた口端から零れた唾液を舐めとった。
指をくわえ込んだ秘所から溢れる体液は、すでに残滓の白が殆ど抜けて透明な蜜になっている。不規則に抜き差しながら、残りの指で花芽の包皮を剥いて弄った。
マルセラが全身をビクビク引きつらせ始めた。指を舐める舌が止まり、喉奥から苦しげなうめき声を切れ切れに発する。
「は……どうしたんだよ。口が止まってるぞ」
わざと意地悪く言ったが、身をくねらされる度に押し付けた部分から快楽が伝わり、声が上擦る。上顎や歯茎を指でなぞり、舌を軽くつまむ。
秘所に入れた指を、くちゅくちゅと濡れ音が立つように動かすと、くぐもった悲鳴があがった。
口から指を引き抜き、抱き寄せて唇を重ねる。
締め付ける秘所をかき混ぜながら、自分の熱をいっそう擦りつけた。
身体が揺れるたび、唇の合間から零れ出るマルセラの嬌声が、より快楽を高めていく。
「マルセラ、好きだ」
夢中で訴えた。
「好きだ、おまえが好きだ。泣かせたくないのに、欲しくて止まらねぇんだよ」
マルセラの両腕が首元に伸び、引き寄せられた。触れ合う寸前の位置で、可愛らしい唇が吐息の合間から切れ切れの言葉を紡ぐ。
「わたしだって……欲しい、ずっと前から好きだったんだよ……」
もう言葉すら出なかった。信じられないほど満たされて、幸せだった。
乱暴すぎると思う勢いで口づけ、責めたてる。
指にマルセラが達した鼓動が伝わり、少し遅れてジークも互いの身体の隙間で精を吐き出す。
そしてふとマルセラの肩を見れば、あれほどくっきり刻まれていた噛み痕は、どこにも見えなくなっていた。
――翌日。
勤務を終えたジークはまっすぐ帰宅せず、自宅と駅の反対側にある一軒屋を訪れていた。
古書や骨董品であふれたこの家は、いつ来てもまるで旧時代に紛れ込んだような気分になる。
「……ああ、たしかに他種族と交わった時、人狼の回復力がうつる時はある。ただ、誰でもというわけではなく、相性の良い相手に限るようだが」
書斎で椅子に腰掛けたギルベルト・ラインダースが頷いた。
「なんでだよ?」
向いに座ったジークは質問を重ねた。
ギルベルトに用がある時は、手軽に電話で済ませられないのが厄介だ。
しかしマルセラについた噛み痕があっという間に消えた理由を知るには、人狼の生態を詳しく調べていたギルベルトに聞くのが一番だろう。
三十代半ばの彼も、ジーク同様にやはり二十代にしか見えない。
彼の話によれば、戦闘種である人狼は、幼年期が短く青年期が長いそうだ。
「う~ん、俺も理由までは断言できかねるがなぁ……」
ジークよりも完全な人狼の身体をもつ考古学者は、しばらく目を泳がせたあと、ぼそりと呟いた。
「憶測で言うなら、種の存続のためじゃないかと思う」
「種の存続?」
「ああ、人狼は非常に生命力が高いし、多産で双子や三つ子の率も多かったそうだ。あれだけ同族間で死闘を好みながら、一時期はかなりの数まで増えた。
好戦的すぎる性質を、数と生命力で補っていたのだろうな」
まぁ、結局は滅んでしまったわけだが……と、少し悲しそうに言い、ギルベルトは机の傍らに置かれた古い古いノートの表紙をなぞった。
「人狼は一度決めた伴侶を『つがい』と呼び、生涯にわたってその相手を愛し続けるそうだ」
「そいつはまた、一途なもんだ」
「ああ、君もな」
からかわれ、顔が熱くなるのを感じて唸った。
「うるせぇよ。肝心なのは、なんで回復力がうつるかって話だ」
ギルベルトは口元に柔らかい笑みを浮べ、机に飾られた自分とハーフエルフの妻が写った写真へ視線を走らせる。
「人狼が、つがいに同族以外を選ぶのは非常に珍しいようだ。彼等は基本的に他種族を見下していたし、異種間では子も出来にくいからな」
「ふぅん……」
「俺たちは感情が高まると、つい暴走しすぎるだろう? 相手がそれほど丈夫じゃないとわかっていても手加減できない……つまり、他種族から得たつがいの身体を壊さないためじゃないかと思う」
自身も覚えがあるのか、ギルベルトは苦笑して暗灰色の髪を掻いた。
「しかし三ヶ月か、よく我慢できたな。俺はそっちに驚くよ」
人の悪い笑みを向けられ、やっぱりコイツはウリセスの親戚だと思った。
「いやはや、なるほど。大した救済措置だ」
顔をしかめ、ジークは椅子から立ち上がった。
マルセラを痛めつけるような抱き方をしてしまうのも人狼の本能なら、それを癒すのも人狼の能力ということか。
扉を開けると、茶を乗せた盆を手にしたエメリナと鉢合わせした。
「あれ? もう帰っちゃうの?」
「ああ、知りたい事は聞けた」
軽く手を振り、アンティークな玄関に向う。
コイツ等と馴れ合うつもりなんかなかったのに、いつのまにか当たり前のように顔を着き合わせる機会が増えた。
しかしギルベルトと一緒にいると、先祖の亡霊たちが隙あらば何かで勝負させようと、尻尾を揺らしてうずうず待ち構えているから、あまり長居はしないほうがいい。
石畳の道を歩き出し、ふと空を見上げれば、暗くなり始めた空に薄っすらと三日月が浮かんでいた。
自宅の玄関を開けると、奥のキッチンからマルセラが飛び出してきた。
可愛いエプロン姿だが、ちゃんと服は着ている。どうやら今日の夕食はパエリヤらしく、マルセラと一緒に良い匂いが漂ってきた。
「お帰りなさい!」
肩にかけた武器ケースを置き、栗色の髪をなんとなく撫でた。
初めてあった時から成長したといっても、相変わらず小さいと思う。
(つがい、か……)
誰かと寄りそうなど、出来るはずないと思っていた。
弱いヤツは嫌いだし、強いヤツなら戦って倒したかったから。
それでも生涯にたった一人、マルセラだけなら一緒に居たい。
弱くて非力なくせに、ジークをちっとも怖がらず、いつだって度肝を抜いて慌てふためかせてくる。
弱くて強くて……――たぶんそれが、ジークに宿る人狼の血が認めた、つがいの条件だ。
「どうしたの?」
無言で頭を撫でるジークに、マルセラが首をかしげる。くりくりした大きな瞳で見上げる『つがい』に軽く口づけた。
マルセラが驚いている隙に、小声で告げる。
「……ただいま」
小さな頃は、この言葉を使うことも使われることもなかった。
退魔士養成所の寮で、生活態度を根本から叩き直すと、挨拶をきっちりするようには躾けられたが、寮を出てからは一人暮らしだったから、すぐ使わなくなった。
だから三ヶ月前からまたこの言葉が必要になっても、今度は照れくさくて敵わず『ああ』とか適当に誤魔化していた。
顔が赤くなるのを感じて顔をしかめると、同じように頬を赤くしたマルセラが、エプロンをもじもじと握り締めた。
「あのね……一度、言ってみたかったセリフがあるんだけど……」
「なんだよ?」
促すと、小さな身体が勢いよく抱きついてきた。顔をあげたマルセラは、キラキラ輝くような満面の笑みを浮べる。
「お帰りなさい、あなた! ご飯にする? お風呂にする? それとも……」
「――――アホかぁぁぁ!!!!!!」
やはり、マルセラの参考資料を全部チェックしておいたほうが良さそうだ。
溜め息をつき、ジークはマルセラを横抱きに抱え上げた。
「え? え?」
「俺が一番欲しいのは決まってるだろ」
出来立てのパエリヤは好物だが、冷めてしまっても電子レンジという便利なものがある。
昨日買ったばかりのダブルベッドが置かれた寝室に直行した。
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