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本編

7 運転上手のお転婆娘

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 水曜日の昼前、エメリナは故郷の駅で列車を降りた。

 祖母の年齢を聞いたギルベルトは、『早く言えばいいのに。七十歳じゃ、なおさら大切じゃないか』と笑い、水木曜の二日間お休みをくれたのだ。
 彼は博識な考古学者だけあり、異種族の習慣にも詳しい。
 エルフが誕生日に固執するのは有名だが、十歳ごとの区切りは親戚一同で特に盛大に祝うのも、ちゃんと知っているようだ。

 今日は雲一つない晴天で、眩しい太陽が小さな田舎駅を照らしていた。心地良い風の香りに、エメリナは目を細める。
 王都からたった二時間弱の距離だというのに、オリーブ畑と牧場に囲まれた田舎町は、まるで空気が違う。
 駅前のロータリーに両親の車を見つけ、スーツケースをガラガラ引いて駆け寄る。
 何しろ家までのバスは、一時間にたった一本だ。
 助手席の窓が開き、美しいエルフ少女(外見は)の母が、顔をつきだして手を振った。

「エメリナ!早く乗りなさい」

「ただいま!」

 輝くような美貌を前にしても、もう胸は痛まない。
 もちろん羨む気持ちはあるけれど、エメリナを傷つけたのは外見でなく、くだらない理不尽な嫉妬だった。
 感謝する気はないが、イヴァンはいい半面教師だったわけだ。
 自分がエルフたちに抱いていたのは、彼と同じレベルの感情だと気づき、それがどれほど醜いかも思い知った。
 だからもう目の前にいるは、憎らしいエルフの代表ではなく、少々口うるさいけど大好きなお母さんだ。

 父親は運転席から降り、スーツケースを詰むのを手伝ってくれた。
 人間であるから、四十代という年相応の外見だ。男性にしては小柄だし、力仕事に向いた体格にも見えない。しかし本気を出せば、力自慢のドワーフと腕相撲しても楽々勝ってしまう、とんでもない怪力の持ち主だ。
 仕事用のつなぎを着たままで、機械油の染みがあちこちについている。相変わらず口数は少ないが、上機嫌な証拠に小さく鼻歌を歌っていた。

 エメリナが狭い後部座席に潜り込むと、車は少々怪しげな音を立てて動き出した。 
 なにしろ今では博物館くらいでしか見かけない、骨董品レベルのクラシック自動車だ。
 エンジンのかけ方にもコツがいり、動かせるのは父とエメリナくらい。
 だから鍵をつけっぱなしで放置していても盗まれる心配がないと、父は変な所で胸を張る。

「少し痩せたんじゃない?ちゃんと栄養のあるご飯を食べてるの?一人だからって好き嫌いしちゃ駄目よ」

 実のところ、ギルベルトが作ってくれるお昼ご飯が美味しくて、二キロほど増えてしまったのだが、母は心配でたまらないらしい。
 矢継ぎ早に飛んでくる質問に答えつつ、窓から故郷の風景を眺める。

 見慣れた小さな町を通り過ぎ、住宅街の端にある我が家に到着すると、ホッとした。
 レンガ作りの二階家で、横には父の作業所兼ガレージがある。
 修理を頼まれたのか、ガレージは隣家のトラクターが占拠しており、父は車を前庭に停めた。ガレージは工具がいっぱいで、鉄くずやタイヤが積みあがっている。漂う機械油の匂いに、家に帰って来たのだという実感がいっそう沸きあがった。
 便利で賑やかな王都の暮らしは気に入っているが、生まれ育った我が家は、やはり良いものだ。

 家の中は既に、今夜のパーティーに備えて盛大な飾りつけがされていた。
 テーブルにも窓枠にも花が飾られ、緑のリボンで飾られた柳の籠には、山盛りの果物。天井からは、月や星の形に編まれたレース飾りがいくつも下がり、縫い付けられたビーズが光っている。
 時代と共に多少は変わっているが、伝統的なエルフの誕生日飾りだ。
 あとはケーキを焼くだけで、料理は招待される親戚が持ち寄ることになっている。

 母は家に入るなり、ケーキ作りの途中だとキッチンに突進した。
 エメリナの料理の腕前を知っている母は、こういう時に手伝えとは決して言わない。
 キッチンは彼女の聖域であり、誕生日ケーキのように重要なものを作っている最中は、絶対に立ち入り禁止だ。
 父はガレージに行き、エメリナは階段をあがって、自分の部屋の扉を開く。

 一人暮らしを始めてから帰省したのは、これでやっと二回目だ。しかしエメリナの部屋は、家を出た時から少しも変わっていなかった。
 荷物を置き、クローゼットから灰色のつなぎを引っ張りだして着替えると、エメリナはガレージに向った。

「お父さん、何か手伝う?」

 昔からエメリナが手伝うのは、もっぱら台所よりガレージだ。
 トラクターの傍らで工具箱を開いていた父は、エメリナを見ると、嬉しそうに壁へ向けて顎をしゃくった。

「急ぎの仕事はないさ。それより、お前がちっとも帰ってこないから、一人で完成させちまったぞ」

 工具棚の横には、分厚い防水布で覆われた大きな物体が鎮座していた。
 防水布を取り除くと、流れるようなフォルムが美しい小型で細身のバイクが現れる。
 エメリナが家を出る少し前から、父がコツコツ組み立てていたものだった。
 道路より、整備されていない荒地を走る目的に作られ、エンジンの泥よけやタイヤなど、少しくらいの悪条件ではビクともしないよう工夫されている。
 設計図を見せてもらった時は心が踊ったし、組み立ても少し手伝わせてもらった。
 ピカピカの車体を撫で、エメリナは感嘆の溜め息を漏らす。
 できればこれの完成する瞬間に立ち会いたかったが、実家へろくに寄り付きもしなかった報いというものだ。

「もう乗ったの?」

「ああ。お前も乗ってみるか?」

「うん!あ、でも……もうしばらく、何も運転してないから、大丈夫かな」

 運転は大好きだったが、王都にいる間は徒歩か交通機関ばかりだ。なにしろ駐車代金がバカみたいに高いうえ、道路は常に渋滞している。

「心配なら、その辺を一周するくらいにすればいいだろう」

 父はいそいそとエメリナのヘルメットや手袋を戸棚から引っ張り出し、押し付ける。
 母は過保護すぎる程なのに、父は娘にやたらと冒険をさせたがるのだ。エメリナが一人暮らしをできたのも、父が肩入れしてくれたお陰と言っていいだろう。
 価値観も種族も違う両親が、どうして未だに熱愛中でいられるのか、まったく不思議だ。

「じゃぁ、ちょっとだけ乗ってみる」

 ヘルメットと手袋をつけ、シートに座った。エンジンをかけると、気分が一気に高揚する。
 家の近くを軽く走るくらいにしようと思っていたのに、気持ち良い風の中をもっと走りたい誘惑に勝てなかった。
 市街地から離れたこの周辺は農地や牧場ばかりで、広い農道に時おりトラクターが走っているくらいだ。それらの合間には、地盤が固すぎて何にも使えない荒地もある。大きな岩があちこちに点在する荒地は、バイクやオフロード車の練習にはもってこいだ。
 正確には国有地なのだが、実質的に見捨てられた土地だ。誰の迷惑にもならないから、思い切り速度を出して走りまわれる。
 天然の障害物コースを走り抜け、最後は家の裏手にある岩山から、デコボコの斜面を一気に駆け下りた。

「はぁっ、はぁ……最高!」

 ガレージに戻り、息を切らせながらヘルメットを脱いだ。ずっと眺めていた父が口笛を吹く。

「腕は落ちちゃいねぇな。サーカス団が見たら、曲芸乗りのスカウトに来るぞ」

「もう、お父さんってば、変なこと言わないでよ」

 照れ笑いをするエメリナの背後から、拗ねたような母の声が響いた。

「そうですよ。そんなのが来たら、私が追い返しますからね」

「うわっ!お母さん!!」

 母は白いエプロンをつけた腰に両手をあて、憤然とエメリナを睨む。

「あなたが丘を転げ落ちるのが、窓からしっかり見えたわよ。心臓が止まりそうになったわ。また危ないことをして」

「あれは落ちたんじゃなくて、降りたって言うの!」

「どっちも同じよ。コーヒーを淹れたから、手を洗ってらっしゃい」

 有無を言わせぬ口調で断言し、母はさっさと行ってしまった。
 エメリナと父は顔を見合わせ、苦笑いする。
 ああは言っても、バイクを取り上げられなかったのだから、許容範囲らしい。



 食卓はもうパーティー用に飾られていたから、コーヒーはキッチンで飲む事になった。
 白い壁紙に空色と薄いピンクのタイルを飾ったキッチンは、相変わらず清潔で几帳面に片付けられている。流しにはケーキ作りの後がまだ残っていたが、これもすぐ綺麗になるだろう。
 そう広くもないキッチンだが、小柄で細身な親子三人だから、それほど窮屈ではない。

「――エメリナは家から大学に行くか、お父さんの工房を継ぐとばっかり思ってたのに」

 娘の自立に未だに不服な母が、またお定まりのセリフを口にした。

「機械は好きだけど、今の仕事だって、やりがいはあるし楽しいもん」

 さすがに雇い主と恋人になってしまいました。とは言えないが、他の部分は事実だから、きちんと主張する。
 きっかけはともかく、今ではもう逃げ道ではなく、純粋にあの職場が好きなのだ。

「お前の雇い主はレンジャーでもあるんだろう?そっちには同行しないのか?」

 不意に父が口を挟んだ。

「え?……ううん。私はいつもお留守番してるよ。行って見たいとは思うけど……」

 本音を言えば、考古学に興味を持つようになってから、できれば遺跡にも同行したいと思うようになった。
 論文や本だけでも十分面白いが、実際にその場所に立ち、空気や歴史の息吹を感じられれば、どんなに素晴らしいか。
 ギルベルトは運転ができないし、あの壊滅的な機械音痴は、世界中のどこにいっても変わらないから、結構苦労することもあるようだ。
 エメリナが同行すれば、機械操作や運転など、多少は役に立てるだろう。
 しかしギルベルトに一度だけ、さりげなく打診したところ、危険すぎるとあっさり却下されてしまったのだ。

「行きたいなら、雇い主に同行を頼んでみたらどうだ」

 父がそそのかすように言うと、母が形のいい眉を吊り上げる。

「とんでもない!レンジャーがいく場所なんて、治安の悪い国や、ピラニアや毒虫だらけの密林ばっかりじゃない!命がいくつあっても足りないわよ」

 キッと睨まれ、エメリナは慌てて両手をふる。

「いや、だから私は留守番を……」

 しかし今日の父は、珍しく多弁だった。

「俺はエメリナを、ひ弱な箱入り娘に育てた覚えはない。遺跡の一つくらい行けなくてどうする」

「この子は見かけによらず頑丈なお転婆娘ですけどね、女の子の行く場所じゃありません」

 エメリナの頭をぐりぐり撫で、母が猛然と反撃する。

「女のレンジャーだって近頃じゃ珍しくないだろう。特に若い時は、色々な経験を積んだほうがいいんだ」


「ちょっとちょっと!!二人とも、いい加減にしてよ!!」


 火花が散り始めた二人の間で、エメリナは声を張り上げる。

「あのねぇ!私は自分の事は自分でちゃんと決めるの!」

「う……」
「む……」

 不満そうながら、両親たちはひとまず舌戦を中断して押し黙る。

「ギル先生が危険だって言うなら、無理に着いて足手まといにはなりたくないの。遊びじゃないんだから」

 両親に言いながら、同時に自分へも言い聞かせていた。
 遺跡の同行を断られたのは、誰よりもエメリナ自身が残念なのだ。しかし、ギルベルトが駄目だというなら、諦めるしかない。

 そもそも、レンジャーは危険を軽減するため、複数で行動するのが多いのに、ギルベルトは基本的にいつも一人で行く。
 どうしても手伝いが必要なときだけ、バーグレイ・カンパニーを通じて頼むくらいだ。それも全部は同行させず、要所のみに限るという徹底振り。
 普段は人好きする彼の、奇妙な点だった。

「……はぁ。エメリナはすっかり大人になっちゃったのねぇ」

 母が目に見えてガックリとうな垂れる。

「まったく。ベビーカーに乗ってたのが、つい昨日のような気がするがなぁ」

 父までもしんみりした口調で呟き、母の肩を抱き寄せた。

「お前がいつまでも綺麗だから、年を取った実感が沸かないな」

「あなただって、今でも変わらないで……ううん、昔よりずっと素敵❤」


 ――自分の両親がいちゃつく姿というのは、どうしてこう見ていられない気分になるのだろう。


「もう!二人きりの時にやってよ!そろそろお祖母ちゃんたちが来るんじゃない!?」

 椅子から飛び降り、空になったカップを回収して流し台につっ込む。

「あら、大変!」

 壁の時計に目を走らせ、母が顔色を変えた。

「ちょっと二人とも!いつまで作業着でいるのよ!早く着替えて!」

 とたんに急かしだした母にキッチンを追い出され、エメリナと父は着替えるべくそれぞれの部屋に飛び込んだ。
 まったく、母はいつもけたたましい。


 誕生日バーティーは、賑やかでとても楽しいものになった。
 祖母は久しぶりにエメリナに会えたと大喜びし、王都で買った髪飾りのプレゼントも気に入ってもらえた。
 エルフの親戚とも、互いの近況で盛り上がった。

 そして翌日の夕方、王都に戻るエメリナを、駅まで両親は車で送ってくれた。
 ロータリーで車を降りて、そこで別れるつもりだったのに、母はホームまで送ると聞かない。
 父を車に残し、二人でたわいない会話をしながら列車を待つ。
 やがて列車に乗り込んだエメリナに、母はホームから窓越しに話しかけた。

「エメリナ。あなた、王都の暮らしに満足してるのね?」

「え?……うん。ここが嫌いってわけじゃないけど……」

 最後の言い訳は、小さな声になってしまった。
 まるで育ったら用済みと親を捨てたようで、少しばかり後ろめたい気分になる。

「そう……なら、いいわ」

 母が諦めたように溜め息をついた。

「そのうちギルベルト先生を連れて、また遊びにいらっしゃい。客間は掃除しておくから」

「ええっ!?なんで!!」

 思いもよらぬ言葉に耳を疑うと、少女の外見をした母は、フフンと笑って見せた。

「あなたの話を聞いてれば、恋してるって、すぐわかるわよ」

「あ、あの……それは……」

「エメリナに男を見る目があるか、お母さん楽しみだわー♪」

 発射合図の笛が鳴り、車体から離れた母が満面の笑みで手を振る。
 エメリナは真っ赤になった顔を他の客に見られないよう、スーツケースへ突っ伏した。

「はぁ……お母さんはこれだから……」

 困った恥ずかしい親と思うが、エメリナを本当に案じてくれているのは確かなのだ。

(今度こそ、見る目あったに決まってるじゃない)

 フン、と心の中で胸を張った。
 故郷も良いが、明日はギルベルトに会えると思うと、やはり嬉しい。


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