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本編

1 機械音痴の考古学者

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 イスパニラ王都は華やかな大都市だ。
 列車で船で飛行機で、世界中の人々が観光や商売に訪れる。
 太陽の国と呼ばれるほど、夏は日差しが強く晴天が続く。暑いが湿気は少なく、祭りなども多い。観光客でもっとも賑わう時期だ。
 地下鉄やバスなど交通の便も整い、観光客は歴史ある重厚な景観を楽しむ。もっと気分に浸りたい客には、タクシー代わりにクラシカルな馬車での観光が好評だ。
 ファーストフードや量産の衣料品店までも、景観を損ねず存在しているのは、内装や設備だけ新しく改装し、外観はそのまま使用されている建物が多いせいだ。

 多くの地区で文化遺産として、昔の建物が保存されており、エメリナの職場もその一つだった。
 高級ブランド店が並ぶメイン通りから一本外れると、閑散とした住宅街が突然現れる。
 レンガと石材でできた古い家が並び、その一角に庭付きの小さな二階建ての家があった。
 あちこちを修繕され、電気・上下水道・ガスも一応通っているが、お風呂などは未だに、魔法で湯を沸かすタイプの骨董品だ。
 他にも古い家具や大昔の道具、古書の類がいたるところに置かれ、魔法アイテムも盛りだくさん。
 これは考古学者という家主の職業柄、仕方のないことだし、エメリナもこういった雰囲気は嫌いじゃない。
 首を傾けて天井を見ると、ポニーテールに結った亜麻色の髪が揺れる。少し尖った耳が、エメリナをハーフエルフだと証明していた。
 キャミソールと花柄チュニックの重ね着にサンダルなんて服装でキーボードを叩いても、ちょっと室内を見渡せば、まるでタイムスリップしたような気分になれる。
 ドレスや裾の長い衣服を来た女性に、甲冑を着た騎士……そんな時代に紛れ込んだようだ。

 余分な部屋がないので、居間の一角を家具で仕切り、エメリナの仕事スペースにしている。
 アンティークな机にのせたパソコンで、雇い主の書いた論文などを打ち込むのが、エメリナの仕事だ。仕事の発注書類や経理関係も処理する。
 エメリナの成績なら、有名工科大学で授業料免除の特待生も狙えると先生は勧めてくれたが、とにかく生まれ育った田舎街から出て、早く一人暮らしがしたかったのだ。
 正直に言えば、ハイスクールを卒業してここに勤めるまで、考古学に興味はまったくなかった。
 しかし、雇い主の書く文章やこの家に山と詰まれた遺物は大層面白く、今では打ち込みながら一番に読めるのが嬉しくてたまらない。
 しかも普通なら、この近辺のアパートなど高くて借りれないのに、雇い主の好意で給料に家賃を上乗せして貰っているのだ。

「エメリナくん!ちょっと助けてくれ!」

 居間の向かいにある書斎が開き、雇い主がスマホを手に焦った声で飛び出してきた。

「先生、貸してください」

 エメリナは手を伸ばす。ここに勤めて一年近くで、すっかり馴染みになってしまったやりとりだ。
 なにしろ雇い主の彼は……。

 ***

「俺、もうエメリナくん無しじゃ生きていけないかも……」

 エメリナを抱き締め、青年が感極まった声で囁く。
 ハーフエルフの少女は、少し尖った耳まで真っ赤になる。スマホを持つ手が小刻みに震え……。

「先生っ!スマホの解除くらいで、大袈裟すぎです!!」

 眉を吊り上げ、ぐぎぎっと渾身の力でスマホを持ち主の頬骨に押し付ける。
 心の中では、嬉しいのと困ったのとが混ぜこぜになった悲鳴が上がりっぱなしだ。

(ぎゃーっ!!近っ!!近すぎるんですよぉっ!この、無自覚イケメンがぁぁっ!!)

『挨拶は握手よりお辞儀で』なんていう東の国じゃあるまいし。
 イスパニラ国では、親しい間柄のハグくらい普通だ。
 彼はイスパニラ人ではなく北国の出身だけれど、陽気でスキンシップが激しいと有名なこの国に、今やすっかり馴染んでいるらしい。
 エメリナだって、普通ならこんなことで動揺なんかしない。
 恋人でない異性でも、ほっぺたスリスリだって単に親愛の示しだと好意的に受け止める。
 これしきでギクシャクしてしまうなんて、相手に冷たいと思われても仕方ない。

「本当に、いつも感謝しているんだよ」

 青年は苦笑し、腕を離した。
 エメリナが助手を勤める考古学者、ギルベルト・ラインダース。
 当年とって27歳の彼は、エメリナから見て大抵の人よりも随分と博識で賢い人だ。
……にもかかわらず、電子レンジすらロクに使えない、超絶機械音痴である。
 

 反して、機械技師である父親の血だろうか、エメリナは機械が好きだ。
 パソコンはもちろん、車やレトロな歯車でできたカラクリ時計まで、大抵のものは少し試せば操作もすぐできる。
 助手に応募したエメリナが、彼に即採用になったのは、そういうわけだ。

『急募:機械操作の得意な助手を一名。当方、機械音痴の考古学者。仕事内容:主にパソコン入力や電話取次など』

 ハイスクール卒業後の進路を決めねばと焦っていた時、ギルベルトの出した新聞広告を偶然に見つけたのは、運命の女神が微笑んでくれたに違いない。
 実の所、広告で一番に心を惹かれたのは勤務地が王都で、書かれていた給金も良い部分だった。
 それでも、考古学なんて欠片も興味はなかったのに、これこそ理想の求人だとピンと来て、即座に電話していたのだ。 
 

 おっかなびっくりスマホを操作している雇い主を、エメリナはこっそり眺める。
 ギルベルトは、あまり机の前に張り付いているタイプには見えない。
 背は高く、無駄のないひきしまった身体つきだ。顔立ちも体格に相応しく、整っているが線が細くはない。
 スーツを着るのはどうしても必要な時くらいで、普段はラフな服装を好んでいる。
 暗灰色の髪と琥珀色の瞳をした、どこか剽悍な狼を思わせる人だった。

「じゃ、私は続きを打ち込んじゃいます」

 エメリナは自分の机に戻り、パソコンのキーを叩きはじめる。

「ああ。中断させてごめん」

 ニコリと、ギルベルトが笑う。
 少しだけ見える犬歯のせいか、八つも年上なのに、こういう顔は無邪気な少年のように見える。
 扉が閉じた瞬間、こらえきれず机にへばりつき、心の中で思い切り叫んだ。

(あぁ~っ!もうっ!先生っ!何でそんなに可愛いの!?大好き!!)」

 足をジタジタしたいのを我慢我慢。そんな事をしたら床が抜けかねない。
 あまり線の細すぎない美形は、エメリナの大好きなタイプである。だが、同時に苦手でもあった。

「……はぁ~……我ながら、感じ悪かったよねぇ……」

 ギルベルト先生萌えが一段楽すると、エメリナは飴色をした机に頬をつけ、がっくりと落ち込んだ。


『イケメンは離れて影から愛でるべし』


 これがエメリナの座右の銘である。
 美形というのは、少し離れて楽しむのには最適だ。あくまでその美を純粋に堪能できる。
 しかし、接触してしまったとたんに、その美は血肉をもつ。その結果、中身に幻滅したりと、思わぬ悲劇が及ぶことにもなるのだ。
 だから、雇用主であれば、あくまで仕事の付き合いだけで接するのが望ましい。
 上司と部下。それ以上でもそれ以下でもない。
 それなのに、ギルベルトの外見だけでなく、中身も大好きになってしまったなど、とても困る。

 ギルベルトはとくに大学などで教鞭をとってはいない。
 たまに論文や本を書くが、それより世界中を巡るレンジャーとして、その道では有名らしい。

 大陸各地には、不思議な古代文明の遺跡が点在する。
 まだ未発掘の遺跡は、それだけ危険な場所ということだ。
 だがその分、素晴らしい魔法道具が入手できることもある。遺跡に向うレンジャーや、発掘依頼をする企業は後をたたない。
 他にもレンジャーは依頼を受け、辺境の珍しい品や、入手の難しい薬草を取りに行く事もある。逆に配達することもあるそうだ。
 ギルベルトの腕のよさは保証つきで、大手貿易会社バーグレイ・カンパニーにも重宝されているほどだ。

 考古学やレンジャーの依頼に対して、ギルベルトはとても真剣だ。それがとても素敵だと思う。
 しかし普段は穏やかで人当たりの良い青年であり、近寄りがたいほど完ぺきではなく、機械音痴だなんて愛嬌のある姿も見せる。
 卒のない社交辞令用の微笑みは貴公子じみた気品があるのに、嬉しそうに破顔する時はまるで人懐こい大型犬みたいに可愛らしくてたまらない。
 総じて、ギルベルトが大大大好きだ。

「でもなぁ……」

 頭を動かすと、結んだ亜麻色の髪が、サラサラと揺れる。
 エルフの母親に似た唯一の部分。チビで童顔で平凡な容姿の自分は、半分どころか95パーセントは人間の父親似だ。
 父親のことは大好きだが、女子として産まれた以上、綺麗になりたかったという欲はある。

(あ~ぁ、私もお母さんみたいに綺麗だったら、もっと自信もてたのに)

 透けるような白い肌、宝石のような蒼い瞳。亜麻色艶やかな髪。スラリとした肢体に繊細な美しい顔。典型的なエルフの容姿をもちながら、人間の父親と恋愛結婚した母。
 いつまでも若く美しいエルフは、よく長寿と思われていたが、実際の寿命はほぼ人間と同じだ。
 ただ一定まで成長すると、外見は老いず、寿命とともに急激に身体が朽ちるだけ。
 だから、母の外見はどうみても十七歳程度で、童顔のエメリナとも姉妹にしかみえない。
 エメリナがここで働くと勝手に決めた時は、十八歳で一人暮らしなんて!と一番反対した。
 結果、週一の電話報告を条件に折れてくれたが、何かと実家に帰ってくるように仕向けてくる。

 過保護だとは思うが、優しい母が好きだ。
 一人暮らしの大変さで、親のありがたみも知った。
 だけど……美しい母が心底羨ましくて、顔を見ればつい苛立ってしまうのだ。
 自分の得られなかったエルフの美しさが、ねたましい。
 そんな自分は、本当にみっともなくて嫌なのに……。
 一人暮らしを選んだ本当の理由は、それだ。

 エメリナは深い溜め息をついて、飴色のなった古い天井を見上げた。
 大好きなギルベルトを、嫌いになりたくない。
 でも、このままもっと深みにはまってしまったら……その後が怖い。
 半月前の夜を思い出すと、今でも溜息をがでる。何で、あんなことをしてしまったのか。

 一度だけでも、酔った勢いでも、雇用主と身体を重ねてしまうなんて……。

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