鋼将軍の銀色花嫁

小桜けい

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番外編

この旅路が険しすぎる件について

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 これはフロッケンベルクまでの旅路で起こった、小さな出来事だ。
 アルブレーヌ領を抜け、秋の深まる広大な森を横切る途中、昼食をとるために一行は手ごろな空き地で休憩していた。
 焚き火を起こしてから、談笑している騎士たちやシルヴィアに聞えないように、ハロルドがそっとチェスターを呼んだ。

「交換日記から始める?」

 ひそひそ囁かれた『提案』に、チェスターは思わず間の抜けた声をあげた。その口を、慌ててハロルドが手で押さえる。
 鋼将軍は小声で唸った。

「こ、交換日記とか言うな! ただ……あと数日で領地につく。お互いの事をろくに知らないうちに床を共にしたりすれば、シルヴィアが怖がるだろう!」

 ――いや、怖がってるの、絶対あんたの方だからね? なにシルヴィアさまのせいにしてんのさ。

 チェスターの冷たい視線にも気づかず、ハロルドはしどろもどろに言い募る。

「だからだな、互いに今日あったことなどを、毎日少しづつ書いて相手に渡して、自分のことを徐々に知ってもらうと……」

「それを世間では、交換日記って言うんだよ」

 きっぱり言ってのけ、チェスターは荷馬車の荷物から小さなメモ帳と万年筆を持ってきた。インクを内蔵できる新しいタイプのペンは、バーグレイ商会が今年、真っ先にフロッケンベルクで仕入れた品だ。

「はい。それじゃハロルド兄が先に書いて、渡してあげなよ。見られてると書きにくいだろ?」

 ペンとメモ帳をハロルドに押し付け、さっさと焚き火の方に戻る。
 奥手にも程かあるだろうと思うが、ハロルドも少しは歩み寄ろうと考えての提案だ。
 それに、どこか子どもっぽいシルヴィアも、こんなやりとりを案外喜ぶかもしれない。
 さりげなく彼らを結びつけるのが、自分に託された密命だ。
 あまり強引に手を出すより、当面は暖かく見守ろう。

「チェスター、将軍はどうなさったんだ?」

 騎士の一人が、ちっとも戻ってこないハロルドを不審に思ったらしい。

「うーん、なんか大事な手紙を書いてるみたいだよ」

 噛んでいた干し肉を飲み込み、チェスターは答えた。別に嘘じゃない。

「お忙しいのね」

 シルヴィアが串に刺して炙った乾し魚を、焦げすぎないようにそっと火から離した。

「それ、ハロルド兄の?」

 チェスターが尋ねると、シルヴィアは少し頬を赤くして頷く。

「ええ。ハロルドさまはお好きだと、さっき皆さんから聞いたので……」

 その背後で、騎士たちがニヤケ面で目配せしあっている。
 好きな人から好物を差し出されて、慌てふためくハロルドを見たいのだろう。

「うん、シルヴィアさまが焼いてくれたんだったら、余計に喜ぶと思うな」

 動機はともかく、頼もしい味方がいてよかったと、チェスターも笑って頷いた。
 そして焚き火を消す頃になって、ようやくハロルドは戻ってきた。眉間に深い深い皺を寄せ、険しい表情をしている。
 シルヴィアは脅えたような顔で、チェスターへ助けを求めるような視線を向ける。
 可哀そうだとは思ったが、気づかないふりをして焚き火を消す作業に没頭した。
 シルヴィアが小さく息を飲み、ためらいがちに魚の串を差し出す。

「あの、宜しければこれを……」

 ハロルドの顔がみるみるうちに赤くなり、眉間の皺がいっそう深くなった。
 ひったくるように魚の串を奪い、代わりにメモ帳を押し付ける。

「え!?」

「……っ、嫌なら、読まなくてもいい!」

 それだけ言うと、素早く踵をかえし、むしゃむしゃ焼き魚を食べながら馬の方へ行ってしまった。

「あ~ぁ、やっぱり」

 くっくと笑っている騎士たちだったが、しょげてしまったシルヴィアを見て、慌てて慰め始めた。

「勘弁してやってください、あれでも喜んでるんですよ」

「でも、怒っていらしたようで……余計な事をしてしまったのかと……」

「いやいや! めちゃくちゃ美味そうに食ってましたから!」

 必死でフォローする騎士達に、シルヴィアは気を取り直したように微笑む。
 そしてハロルドから渡されたメモを開き、困惑したように首を傾げた。 

「これ……何と書いてあるのかしら?」

 メモを見せられた騎士たちも、首を捻っている。

「なんだこりゃ?」

「将軍は何が言いたいんだ?」

 怪訝な声をあげる彼らに、チェスターも内心で首を傾げた。無骨な外見と裏腹に、ハロルドの字は綺麗で読みやすいはずだ。
 しかし、シルヴィアからメモを見せられた瞬間、疑問は氷解する。
 メモには書かれたのは、たった一文だけ。
 ただし、シルヴィアにはまだ読み書きのできないフロッケンベルク語・・・・・・・・・で、こう書かれていた。


『私の名前は、ハロルド・グランツです』


 ―― ダメだ、これが乙女将軍の精一杯だ。

 チェスターはがっくりと脱力する。その傍らで、騎士の一人がシルヴィアに内容を説明した。

「あー、これはフロッケンベルク語で、『私の名前は、ハロルド・グランツです』って書いてあるんですよ」

 横にいた別の騎士が、頷きつつも疑問の声をあげる。

「しかしなんでまた、将軍は今さら自分の名前なんか書いて寄越したのか……」

 するとシルヴィアが、はっと気づいたように顔を輝かせた。

「わかりました! わたし、フロッケンベルク語を一日も早く読み書きできるよう、勉強いたします!」

「えっ!? あ、あの、シルヴィアさま……」

 慌てるチェスターを他所に、騎士たちも「おおっ!」と納得したようだ。

「ああ、そうかも知れませんなぁ。公務でフロッケンベルク語が必要になるでしょうし」

「将軍なりに、気遣ってくださっているんですよ」

 そう言われ、シルヴィアが嬉しそうにメモを抱きしめる。
 ああ……御者台でそっぽを向いてるハロルドに、この顔を見せてやりたい、とチェスターは心から思った。

(おめでとう、ハロルド兄……とりあえず、喜んでは貰ったよ)

 渾身の交換日記メモは、『よくわかるフロッケンベルク語入門』と、認定されたけどな!

 ***

 そして夜、宿の大部屋で皆が寝静まると、チェスターはこっそり起き出して納屋へ行き、荷物から鳥の形に折られた便箋と万年筆を取り出す。
 大陸東端の魔法がかかったそれは、バーグレイ商会の首領である母へ、自動的に届くようにできていた。
 そろそろこの密命に関する、第一回目の報告をしなくてはならない頃だ。
 置いてあった木箱の上に便箋を開き、小さな魔法灯火の下でペンを走らせた。


 ――グランツ将軍の夫婦円満への旅路は、予想以上に厳しそうです。
 よって、やんわり見守る路線は変更。
 機会が出来しだい、さっさと既成事実を作らせようと思います。――


 終
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