20 / 21
番外編
この旅路が険しすぎる件について
しおりを挟むこれはフロッケンベルクまでの旅路で起こった、小さな出来事だ。
アルブレーヌ領を抜け、秋の深まる広大な森を横切る途中、昼食をとるために一行は手ごろな空き地で休憩していた。
焚き火を起こしてから、談笑している騎士たちやシルヴィアに聞えないように、ハロルドがそっとチェスターを呼んだ。
「交換日記から始める?」
ひそひそ囁かれた『提案』に、チェスターは思わず間の抜けた声をあげた。その口を、慌ててハロルドが手で押さえる。
鋼将軍は小声で唸った。
「こ、交換日記とか言うな! ただ……あと数日で領地につく。お互いの事をろくに知らないうちに床を共にしたりすれば、シルヴィアが怖がるだろう!」
――いや、怖がってるの、絶対あんたの方だからね? なにシルヴィアさまのせいにしてんのさ。
チェスターの冷たい視線にも気づかず、ハロルドはしどろもどろに言い募る。
「だからだな、互いに今日あったことなどを、毎日少しづつ書いて相手に渡して、自分のことを徐々に知ってもらうと……」
「それを世間では、交換日記って言うんだよ」
きっぱり言ってのけ、チェスターは荷馬車の荷物から小さなメモ帳と万年筆を持ってきた。インクを内蔵できる新しいタイプのペンは、バーグレイ商会が今年、真っ先にフロッケンベルクで仕入れた品だ。
「はい。それじゃハロルド兄が先に書いて、渡してあげなよ。見られてると書きにくいだろ?」
ペンとメモ帳をハロルドに押し付け、さっさと焚き火の方に戻る。
奥手にも程かあるだろうと思うが、ハロルドも少しは歩み寄ろうと考えての提案だ。
それに、どこか子どもっぽいシルヴィアも、こんなやりとりを案外喜ぶかもしれない。
さりげなく彼らを結びつけるのが、自分に託された密命だ。
あまり強引に手を出すより、当面は暖かく見守ろう。
「チェスター、将軍はどうなさったんだ?」
騎士の一人が、ちっとも戻ってこないハロルドを不審に思ったらしい。
「うーん、なんか大事な手紙を書いてるみたいだよ」
噛んでいた干し肉を飲み込み、チェスターは答えた。別に嘘じゃない。
「お忙しいのね」
シルヴィアが串に刺して炙った乾し魚を、焦げすぎないようにそっと火から離した。
「それ、ハロルド兄の?」
チェスターが尋ねると、シルヴィアは少し頬を赤くして頷く。
「ええ。ハロルドさまはお好きだと、さっき皆さんから聞いたので……」
その背後で、騎士たちがニヤケ面で目配せしあっている。
好きな人から好物を差し出されて、慌てふためくハロルドを見たいのだろう。
「うん、シルヴィアさまが焼いてくれたんだったら、余計に喜ぶと思うな」
動機はともかく、頼もしい味方がいてよかったと、チェスターも笑って頷いた。
そして焚き火を消す頃になって、ようやくハロルドは戻ってきた。眉間に深い深い皺を寄せ、険しい表情をしている。
シルヴィアは脅えたような顔で、チェスターへ助けを求めるような視線を向ける。
可哀そうだとは思ったが、気づかないふりをして焚き火を消す作業に没頭した。
シルヴィアが小さく息を飲み、ためらいがちに魚の串を差し出す。
「あの、宜しければこれを……」
ハロルドの顔がみるみるうちに赤くなり、眉間の皺がいっそう深くなった。
ひったくるように魚の串を奪い、代わりにメモ帳を押し付ける。
「え!?」
「……っ、嫌なら、読まなくてもいい!」
それだけ言うと、素早く踵をかえし、むしゃむしゃ焼き魚を食べながら馬の方へ行ってしまった。
「あ~ぁ、やっぱり」
くっくと笑っている騎士たちだったが、しょげてしまったシルヴィアを見て、慌てて慰め始めた。
「勘弁してやってください、あれでも喜んでるんですよ」
「でも、怒っていらしたようで……余計な事をしてしまったのかと……」
「いやいや! めちゃくちゃ美味そうに食ってましたから!」
必死でフォローする騎士達に、シルヴィアは気を取り直したように微笑む。
そしてハロルドから渡されたメモを開き、困惑したように首を傾げた。
「これ……何と書いてあるのかしら?」
メモを見せられた騎士たちも、首を捻っている。
「なんだこりゃ?」
「将軍は何が言いたいんだ?」
怪訝な声をあげる彼らに、チェスターも内心で首を傾げた。無骨な外見と裏腹に、ハロルドの字は綺麗で読みやすいはずだ。
しかし、シルヴィアからメモを見せられた瞬間、疑問は氷解する。
メモには書かれたのは、たった一文だけ。
ただし、シルヴィアにはまだ読み書きのできないフロッケンベルク語で、こう書かれていた。
『私の名前は、ハロルド・グランツです』
―― ダメだ、これが乙女将軍の精一杯だ。
チェスターはがっくりと脱力する。その傍らで、騎士の一人がシルヴィアに内容を説明した。
「あー、これはフロッケンベルク語で、『私の名前は、ハロルド・グランツです』って書いてあるんですよ」
横にいた別の騎士が、頷きつつも疑問の声をあげる。
「しかしなんでまた、将軍は今さら自分の名前なんか書いて寄越したのか……」
するとシルヴィアが、はっと気づいたように顔を輝かせた。
「わかりました! わたし、フロッケンベルク語を一日も早く読み書きできるよう、勉強いたします!」
「えっ!? あ、あの、シルヴィアさま……」
慌てるチェスターを他所に、騎士たちも「おおっ!」と納得したようだ。
「ああ、そうかも知れませんなぁ。公務でフロッケンベルク語が必要になるでしょうし」
「将軍なりに、気遣ってくださっているんですよ」
そう言われ、シルヴィアが嬉しそうにメモを抱きしめる。
ああ……御者台でそっぽを向いてるハロルドに、この顔を見せてやりたい、とチェスターは心から思った。
(おめでとう、ハロルド兄……とりあえず、喜んでは貰ったよ)
渾身の交換日記メモは、『よくわかるフロッケンベルク語入門』と、認定されたけどな!
***
そして夜、宿の大部屋で皆が寝静まると、チェスターはこっそり起き出して納屋へ行き、荷物から鳥の形に折られた便箋と万年筆を取り出す。
大陸東端の魔法がかかったそれは、バーグレイ商会の首領である母へ、自動的に届くようにできていた。
そろそろこの密命に関する、第一回目の報告をしなくてはならない頃だ。
置いてあった木箱の上に便箋を開き、小さな魔法灯火の下でペンを走らせた。
――グランツ将軍の夫婦円満への旅路は、予想以上に厳しそうです。
よって、やんわり見守る路線は変更。
機会が出来しだい、さっさと既成事実を作らせようと思います。――
終
5
お気に入りに追加
561
あなたにおすすめの小説
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
居場所を奪われ続けた私はどこに行けばいいのでしょうか?
gacchi
恋愛
桃色の髪と赤い目を持って生まれたリゼットは、なぜか母親から嫌われている。
みっともない色だと叱られないように、五歳からは黒いカツラと目の色を隠す眼鏡をして、なるべく会わないようにして過ごしていた。
黒髪黒目は闇属性だと誤解され、そのせいで妹たちにも見下されていたが、母親に怒鳴られるよりはましだと思っていた。
十歳になった頃、三姉妹しかいない伯爵家を継ぐのは長女のリゼットだと父親から言われ、王都で勉強することになる。
家族から必要だと認められたいリゼットは領地を継ぐための仕事を覚え、伯爵令息のダミアンと婚約もしたのだが…。
奪われ続けても負けないリゼットを認めてくれる人が現れた一方で、奪うことしかしてこなかった者にはそれ相当の未来が待っていた。
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。