双宿双飛 〜とある夫婦龍の物語〜

しんしあ

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集う兄妹たち(2)

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 メラニーの処刑は滞りなく終わり、観客たちの罵声で賑わっていた裁判所も今はもう閑散としていた。因みに、裁判所と処刑場が直結しているのは地の国 リリィだけである。疑わしきは罰せよもとい、疑わしきは一族郎党皆殺しの過激派な国王が統治している、普通の人間なら夜逃げしてもおかしくはないこの国。だがしかし、住民である悪魔たちはこの地から離れようとはしない。居住している理由は唯一つ、法律らしい法律が何一つないからである。この国では金、権力、力の強い者が正義であり、何をしても良い。それは安全とは言い難いが、自由を謳歌できると言っても過言ではなかった。そもそもの話、安全と自由は残念ながら仲良しこよしの関係ではない。どちらかを選ぶことなど出来ないことは、IQの低い悪魔たちも分かっているのだ。






 そんなどうしようもない国で宮廷医師を勤めていたメラニーはクビになった。クビと言っても、「君、今日から来なくて良いよ」という意味のクビではなく、物理的に首を跳ね飛ばされ、胴体とおさらばしている方だ。更に首を切られた後はミノタウロスに良い玩具にされた挙句、身体を散り散りにされ適当な死体の山へと捨てられた。これは何と言う処刑名なのか、メラニーはちょっと気になってしまった。





 
 だが、そんなことなど関係ないとでも言うかのように、目の前にいる狼、もといロルフの使い魔は舌をへっへっと出しながら、涎でしわくちゃになった手紙を此方に差し向ける。透き通った硝子のように、何の曇りもない金色の瞳がメラニーを襲った。この惨状を見ても尚、手紙を受け取って貰えると信じている馬鹿……鈍感さ加減に、ストレスで口角がヒクつく。




 
 
「あー………俺の言葉って、通じる?」
「わふ!」
「え!?本当か……!?な、なら1+1は!?」
「わふわふ!」
「おおおお……!!お前飼い主に似ず賢いな!じゃあ、俺の身体を持って来てくれないか?バラバラに捨てられてな」
「わふ!」
「なんて……なんて賢いわんちゃんだ!それ、行ってこーい!!」
「わふーん!」





 
 前言撤回。俺に両手があれば、その固い毛皮をもみくちゃに撫で回してやったのに!と感動しながらも、メラニーは無様に頭を揺らし期待を胸に狼の帰りを待った。地下帝国リリィの夜空は血のような赤に覆われる。それは工場の煙突から立ち篭める煙、この国の発展を担っているのは9割型、化学産業である。産業と言っても作っている代物は1つしかない、【ラプポーション】という一種の媚薬だ。国の至る所にある工場は、全てこの媚薬を製造している。そこからもくもくと地上にまで生えている煙筒は、製造過程で生じる有害物質を煙として吐き出すためのものである。しかし、これに怒ったリリィの真上にある雷の国 ハリケーンリリーを統べる雷龍 リッカルドが雷を轟かす勢いで怒り狂い、当たり前だが国際問題へと発展してしまった。詳細は省くが最終的に龍王会議を行った結果、煙を上げる時間帯を決めるという妥協案が決議され、夜は煙突が閉鎖され国に煙が立ち籠るようになり今に至る。




 

 闇夜に滲み続ける赤、空へ上ることの出来なかった煙が狼の鼻を襲う。だが、ロルフの使い魔は忠誠心高き狼だった。全ては主人の依頼を達成させるため、微かな匂いを頼りにメラニーの切り刻まれたパーツを口に咥え持ち運ぶ。そして、最後の胴体半分をずるずると持って来た時、メラニーは「もう充分だ!本当にありがとな!」と頭を左右に揺らしながら狼に感謝した。そして、己の意識を集中し自己再生を行う。バラバラになっていた身体は、粘土のようにみるみる内に接着していった。





 トウランの義息が1人 メラニー
2mはある身長に無造作なメテオリット色の癖毛、自身が裸体であることなど気にせず、球体関節人形のように腕や脚をくるくると回しながら、小さな瞳孔を細め嗤う姿はまさしく悪魔そのものである。だが、悪魔にも種類がある。タコの悪魔やトカゲの悪魔など、それは多種多様にあり、言うなれば獣人や人魚の種類と似たようなものだ。なら、メラニーは何の悪魔なのか……それはー





 
「んあ゙?………なんか、違うのが混じったな」


 


 
 そう言いながら、メラニーは乱雑に己の胸を両手で鷲掴む。そう、種族自体は両性ではあるが、基本形態が雄であるメラニーに対し、本来ならばありえない2つの膨らみが存在していた。それを揉みしだきながら少しばかり考えたメラニーだったが、まあ良いか、下はあるし、と自己完結した。そして大きな背伸びをし、肩をポキポキと鳴らした後、ようやく狼を振り返る。


 


 
「待たせちまって悪ぃな、わんこ……で?結局、何の手紙だったんだ?」


 


 
 そう言いながら狼を撫で回した後、メラニーは涎でべちょべちょになった手紙を開封する。うん、見事に字が滲んでるな、という言葉はそっと心の中へと仕舞い込んだ。そして、ギザ歯をチラつかせながらにっこりと笑う。無理難題ではあるが、身体を回収してくれたロルフの使い魔に恥をかかせないよう、なんとか解読したい。




 
 
「………あー、さっぱり分かんねぇ……分かんねぇな!あ、嘘嘘!!うん………ブルウェラって、文字は……辛うじて分かるな!…………姉貴のとこに行けってことか?」


 


 
 狼の顔色を伺いながら、メラニーは必死に解読した。悪魔と狼、2人の間には和やかな空気が流れているが、此処は地の国 リリィの処刑場。血と脂、無数の悪魔たちが焼け焦げた臭い、死屍累々とはこのことであると言うほどの巨大な死体の山が無数に連なり、今にも崩れ落ちそうな中、メラニーは呑気に胡座をかきながら考える。姉貴のところに行けということはつまり……?メラニーは熟考した。そして秒でやめた。首をゴキゴキと左右に鳴らしながら、身体があるって素晴らしい!と的外れなことを考え、持っていた手紙をビリビリに破く。





 

 手紙が解読出来なくても何とかなるだろう、俺には今、自由に動かせる脚があるのだから!とメラニーはギザ歯が見えるほど大きく口を開けながら笑う。完全にハイになっていた。そして、鼻歌を口ずさみながらロルフの使い魔に帰還を命じる。役目を終えた狼は砂のように消え、砂塵すら残らない。





 夜が近付くほど、煙は辺りに立ち篭る。赤い煙に鼻が可笑しくなりそうだ……誰かに見つかる前に一刻も早くこの国から脱出しよう、とメラニーは死体の山から剥ぎ取ったボロボロの布切れのようなコートを羽織る。





 目指すは水の国 ニンフィア、の海域付近の浜辺。何処かで叫んだら姉貴は海上へ浮かんでくるだろうと、悪魔は安直な考えのもと歩き始めた。こんな適当さ加減ではあるが、彼は元宮廷医師である。

 


 
 
 因みに手紙の内容は【父上が行方不明になった。至急、母国に戻るべし。ギャビン、ブルウェラにも必ず帰還するよう伝えている。だからお前も必ず来い、仕事が忙しくても来い。何がなんでも来い】という内容だったが、メラニーが知る由もなかった。





 
 
ーーー





 
 
「姉貴いいいいいいぃぃぃぃ!!」



 


 
 水の国 ニンフィアから離れた小さな漁村の外れ。太陽の輝きにより燦々とした砂浜で、メラニーは戯れていた海鳥が羽ばたくほど大きな叫び声をあげていた。数十メートルほど離れたヤシの木の影から、無邪気な子どもたちが「あのおじちゃん、何してるのー?」と言っている残酷な声も、その母親らしき女が「見ちゃいけません!」と静かに怒鳴る声も聞こえていた。しかし、メラニーは気にせず叫び続ける。兄弟の中で1番メンタルが強いと言っても過言ではない。因みに2番目はギャビンである。





 
 
「姉貴いいいいいいいぃぃぃぃ!!ああああねえええええきいいぃっ!……ゴホッ!ガホッ!」



 


 
 叫び続けてから早3時間、メラニーの喉は限界を迎えつつあった。この世界に文明の利器は存在しないし、この悪魔は魔法が苦手である。脳内に直接語りかける思念魔法は勿論出来やしないし、己の種族が悪魔なおかげで見事、動物からは嫌われているためロルフやギャビンのような使い魔もいない。そのため、深海に住まう姉への連絡手段は大声で叫ぶという原始的ものしかなかったのだ。が、等々疲れ果てたメラニーは砂浜で大の字に寝転び「あ゙あ゙、づがれ゙だ」と、死にかけの蝉のような声で呟いた。太陽が燦々と煌めき、蒸し焼けるような熱気が悪魔を襲う。なんで俺、こんなことしてるんだっけ?と遅すぎる自問自答をしながらも、メラニーはブルウェラが海上に浮かぶことを信じて待つしかなかった。





 
 
 その間、漁村の村人たちは海に向かって叫ぶコートしか着ていない裸の不審者を、ヤシの木の影に隠れながら監視していた。女特有の2つの双峰もある一方で男特有の立派な逸物も着いている身体は、男として扱って良いのか女として扱って良いのか全く分からない。更に叫んだと思えば、今度は大の字で寝てしまう始末。特に女子どもへ危害を加えていないし、ただ叫んでいるだけだから無闇に捕える訳にもいかない。だが子どもたちの教育に悪い。村人たちは、あの不審者をどうすれば良いか分からず、途方に暮れていた。





 
 
 だが突如、轟が聞こえた。まるで海が割れるかのような轟音が漁村全体を覆う。ヤシの木が揺れ果実がゴトゴトと砂浜に落ち、船引き網をしていた漁師たちも慌てて沖へと船を漕いでいる。村人たちも祟りだ、呪いだと叫び慄き、子どもたちを抱え脇目も振らず浜辺から逃げた。一方、メラニーは「や゙っ゙どぎだ」と相も変わらず掠れた声で呟いた。轟はやまない。海からまるで小さな孤島が浮上したかのように、巨大な何かが姿を現す。





 
 
 それは、手だった。ただの手ではない、鯨の子どもを一握り出来そうなほど大きな手。海上に浮かび上がって来たそれは、荒波を引き連れながらメラニーに接近して来た。この悪魔は体質上、塩水が天敵のため何とか逃げたかったが、疲れ果てた身体は言うことを聞かなかった。しゅわしゅわと炭酸のような音を立てながら、身体が少し縮む。だが、そんなことはどうでも良かった。メラニーはゆっくりと身体を起こし、胡座をかきながら目の前にある大きな人差し指を見た。人差し指の爪の上には、サファイアのように美しいウミウシが、ちょこんと可愛らしく座っていた。


 



 
「こんにちは!本日はお日柄も良く絶好の海水浴日和でありますね!……あ、失礼致しました!わたくしはブルウェラ様の翻訳ウミウシ、サフィーと申します!以後お見知り置きを!ところでこの浜辺に三男のメラニー様がいると聞いたのですが、何かご存知ではありませんか?」
「な゙が」
「え!?このお方が三男のメラニー様なのですか!?ですが乳房がついてますよ!?あ、そういう種族なのですか?それは大変失礼致しました!わたくし深海から出たことがなく、人魚や魚人以外の種族を余り知らないものでして!お詫びにこの海藻を捧げます!ささっ!どうぞどうぞ!」
「うる゙ざ」





 
 なんだこの図体が小さい割に五月蝿い生き物は、とメラニーは翻訳ウミウシと名乗る小さな軟体を突く。サフィーはくすぐったいのか、触覚をぴくぴくと動かし身を震わした。





 
 え、可愛いな、おい。
 メラニーの第一印象は逆転した。





 
「あ、あの!ブルウェラ様が、何故此処に来たのかと尋ねておられます!メラニー様もジャーマンアイリスに帰還されるのではないか、と!」
「…………ゔん、そゔ」


 


 
 あの涎で解読不能となった手紙はジャーマンアイリスに戻って来いっていう内容だったのかと、メラニーはようやく理解した。ああ、そういえば求愛恩祭がもう直ぐだったな、と今更ながらも悪魔は父と母の一大イベントも思い出した。だが、それでもしっくり来ない、求愛恩祭なんて10年から20年に1回はある祭だ。人間や亜人ならともかく、他の種族からしてみれば特段珍しくも何ともない祭なのである。現に求愛恩祭前に手紙がやってくることなど今まではなかった。不思議に思いながらも、メラニーはとりあえずサフィーに話を合わせる。




 

「もしや!ブルウェラ様の身を案じて来てくださったのですか?何とお優しい!!ですが、ブルウェラ様ではなく、代理として、わたくしがジャーマンアイリスへ赴く予定なのです!」
「………どゔや゙っ゙で?」
「それは勿論!泳いで……」




 
 
 言葉は続かなかった、サフィーは気付いてしまったのだ。ジャーマンアイリスは内陸国、泳いで行ける場所ではない。そもそも、その小さな身体で、側足をピロピロさせ懸命に泳いで行くとしたら何十年掛かるだろうと、メラニーは意地の悪い笑みを浮かべる。そして、波とともに来たイソギンチャクを口元に寄せると、思い切り片手で潰し海水を吐き出させる。喉がじゅわじゅわと音を鳴らし溶けていることなど気にせず、悪魔はニタリ顔を隠しもせずサフィーに話しかける。




 
 
「連れてってやろーか?」
「!よ、よろしいのですか!?………なんと、なんとお優しい!!」
「その代わり……」
「では、早速行きましょう!求愛恩祭の前にシグマ様を見つけなければ!!」





 
 ウミウシの言葉に呼応するように、上品な貴婦人のようにも、無垢な少女のようにも聞こえる透き通った人魚の笑い声が聞こえた。




 
 
ー終幕の人魚 ブルウェラ

 



 
 戦争により絶滅状態にまで陥った人魚の末裔。しかも、未知なる深海より生まれたことを唯一確認された錦鱗。あの巨体であっても男を魅了し溟海へと引き摺り込む活き弁天のような人魚。だが、メラニーは決して、ブルウェラを邪な眼で見ている訳ではない。喉から手が出るほど、彼女から欲しいものがあったのだ。だからこそ、いつか内密に話がしたいと思っていたのだが、深海生まれのブルウェラの言語を話すことは愚か、聞き取ることすら出来なかった。





 
 だが、このウミウシはそれをやってのけた。



 


 
 何故このウミウシが誰にも理解できなかったブルウェラの言語を共通言語に翻訳出来るのかは分からない。だが、使えるものは使う。メラニーはサフィーに恩を売り付けてブルウェラの言語を聞き出そうと目論んでいた。






 
 それぞれの思惑が交差する中、悪魔とウミウシは出会った。





 
 
「あ、申し訳ございませんが、わたくし海水の中でなければ息絶えてしまうため、出来たら何らかの箱に海水を入れて運んで頂きたいのですが」





 

 前途多難。その4文字が頭に浮かんだが、メラニーはお得意の作り笑いで誤魔化した。





 

 ーーー





 
 ギャビンは小鳥の視覚を共有し、ジャーマンアイリスの森をうろちょろしている不審者をじっと見つめる。だが、不審者が誰なのかは既に明白だった。あの2mを超える身長とそれを思わせない猫背に細身の身体、フードから見える癖毛。膨らんだ胸を除いたら嫌でも知っている人物、もといギャビンが兄妹の中で唯一、クソ虫と蔑称を授けた悪魔。




 
「あのクソ虫、なんであんな場所にいるんだ?」

 


 集いの手紙を読んだところで来ないであろうと踏んでいたメラニーが、森でおかしな挙動を取っている。よく分からない金魚鉢を手に持って。天使は頬杖をつきながら、少しの間様子を見ていたが、あのクソ虫は私がどうこうしなくても城に辿り着けるだろう、と思考回路をリセットするかのように頭を左右に振る。そう、今はボウとダイランをどうやってロルフの元に連れていくか考えなければいけない。眉間に皺を寄せ思索するが、嫌でもメラニーがギャビンの視界にちらつき、焦立ちで大きな溜息を吐く。その煩わしさを例えるなら、部屋の四角で微動だにしない固まった埃のような不快感。天使の眉間の皺が増えていく、脳内でメラニーが「どうしたんだクソ鶏~、眉間の皺は伸ばさないと消えなくなりまちゅよ~~」と気色悪い笑みを浮かべながら囁く。ギャビンはメラニーを殺したくなった。





 
 
 しかし、1つの天啓をギャビンは授かった。


 


 
 
「ああ、あのクソ虫を使えば良いか」


 


 
 我ながら良いアイデアだと、天使は嗤う。そして塔の小窓から中へと侵入し、薄暗い部屋の中から此処にあるであろう道具を探す。塔にはもしもの備えとして対戦用武具が厳重に木箱へと仕舞われていた。ギャビンは解除魔法を使用し木箱をガサゴソと漁る。埃被ったそれは呆気なく見つかった。天使が探していた物は、己の種族が愛用している武具……そう、弓矢である。それは埃まみれで、手入れがされていないのは目に見えて分かった。無理もない、この世界はもう魔法が主流である。弓矢を使っている種族など流行遅れのエルフぐらいだ、とギャビンは嘲笑しながらもそれを手に取った。そして、親指の皮膚を噛み切り、持ち合わせていたシルクのハンカチへと血文字を書き記し、そのまま矢柄に結ぶ。





 
 準備は全て整った。天使は親指の傷など気にせず、開けっ放しの小窓へ向けて弓を引く。ギャビンの頭上には天使の光輪が浮かび、ラッパの描かれた魔法陣が脚下で金色の光を帯びた。


 


 
 
《白羽の矢を汝に 全ては導きのままに》





 
 
 ギャビンは詠唱し、暗然たる空へと矢を放った。





 
 
 ーーー





 
 
 それは闇の中に光り落ちた流星のような衝撃だった。





 
 
 ブルウェラの翻訳ウミウシ サフィーとの旅は案の定、波瀾に満ち溢れたものとなった。浜辺で見つけた金魚鉢に海水を入れて、サフィーの第二の棲家にしたところ迄は良かったのだが、そこから先は……思い出したくもない仕打ちに合った。だが、サフィーは何一つ悪くない、悪いのは全てこの長身の悪魔 メラニーである。行く町行く村で不審者扱い、誠に遺憾だと乳房を弾ませて激怒していたが、サフィーはウミウシでありながらも、何となく此奴がコート以外着ていないからだろうな、と薄々察していた。だがサフィーは何も言わなかった。深海は地上よりも弱肉強食が顕著だ。己は所詮、小さな身体をヒラヒラさせることしか出来ないウミウシ。サフィーは自分の立ち位置を誰よりも理解していた。そう、メラニーが金魚鉢を割ったら自分は死ぬ。サファイアのように光る身体を縮こませながら、サフィーはこの旅に耐えた。まだ死にたくなかったのだ。





 
 そんな、色んな意味でのハラハラドキドキの恐怖旅も、ようやく幕を終えようとしていた。ジャーマンアイリス近郊にあるハーブの木の群生地までようやく到着したのだ。


 



 しかし、何やら様子がおかしい。ジャーマンアイリスは日が沈まない国であるということを、サフィーはブルウェラから教わっていた。だが、実際はどうだ。辺りは深海のような暗闇が支配し、動物たちも自然の中へと身を潜めている。まるで、恐ろしい何かから隠れるように、嵐が過ぎ去るのを待っているかのように。





 
「あー……とりあえず、城を目指すか」


 



 メラニーは頭をポリポリと掻きながらも、金魚鉢を片手に暗闇の中を進もうとした。それは父と母を心配をしているからではなく、傷病者がいないかを確認し手当に行かなければという医師としての判断。だが、そんなことなど知らないウミウシは呑気だな、此奴と触覚を揺らした。






 だが、城から突如、一筋の光が暗闇を切り裂いた。流星群と言うには余りにも鋭利な光。その眩しさにメラニーは目を細める。何故だろう、すごく身に覚えのある閃光だった。そして確実に己へと目掛けてやってきている。そして気付いてしまった、こんな魔法を扱う知り合いは1人しかいないことを。もう避ける時間もない、メラニーは脚を広げ目を閉じ衝撃に備える。金魚鉢で縮こまっていたサフィーは何が何だか分かるはずもなく「え!?なんですかあれ!!わたくしはまだ死にたくありません!!果たさねばならない使命が残っているのです!!……メラニー様聞いてます!?」と叫んでいる。その叫びも虚しく閃光は見事、悪魔の額に命中した。ウミウシは絶叫した。





 
 しかし、衝撃により後退りこそしたが、メラニーは倒れなかった。額の真ん中には矢が的のように命中していたが、血は流れていない。まるで赤粘土に刺さっているようだと、サフィーはドン引きしていた。メラニーは矢を掴み抜こうと手に力を込めたが、抜けない。ギザ歯をカチカチと食い縛りながら、悪魔は低い声で天使へと恨み言を吐いた。


 



「あのクソ鶏……いつか絶対、あの羽むしり取ってやる」
「え、何故生きてるんです、怖」





 
 サフィの呟きに対し律儀に返答するほど、悪魔は優しくはなかった。視界にチラつく白いハンカチの結び目を探しながら、適当な返事をする。





 
 
「あー……俺、悪魔だから、つまりそういうこと」
「え?…ん?………なるほど!!悪魔は頭が弱点ではないのですね!」
「あ、うん、そうそうそう」





 

 悲しきかな。悪魔について間違った知識を植え付けられた哀れなウミウシは、触覚をピコピコ動かしながら「また1つ知見を得ました!いやあ、深海から出てきて良かった!実は私、ブルウェラ様に無理を言って、この役目を……」と、延々に喋り続けている。元凶の悪魔は話半分に聞きながらハンカチを解いた。





 
 
《母上からの命令 ボウとダイランをロルフの元に送り届けろ》






 
 簡便な命令文を流し見したメラニーは、それを放り投げた。無常にもハンカチは地面に落ち、2度と持ち主へと還ることはないだろう。今までの行動もあり心配になったサフィーが何が書いてあったのかと話しかけようとするが、その前にメラニーは動いた。






 
「ウミウシ、行き先変更だ……ちょっと野暮用だわ」






 
 悪魔は静かに呟く。頭に思い浮かぶのは母 トウランの笑った顔。母は俺たちに命令などしたことがなかった。それは、メラニーだけではない。母に命令された者など、兄妹の中で誰1人もいない………何かあったのだ、その焦燥感がメラニーを急かした。金魚鉢を脇で抱え、森の中でも目立つボウとダイランの家へと足早に向かう。金魚鉢の中にいた小さなウミウシは状況がよく分からないまま、ただただ身を任せるしかなかった。




 



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