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いらっしゃいませジャングルへ
いらっしゃいませジャングルへ 6
しおりを挟むガラスの扉を抜けた駆が足を踏み入れた先は、迷路園の様な生け垣とガラス越しの空だった。
植えられているのは金木犀――あるいは銀木犀? 木犀科ではあるだろうが、花が無い状態ではそこまで詳しい特徴を覚えていない駆には残念ながらはっきりとは判断がつかない。
彼の長身でも目線の高さほどもあるその生け垣には、二階の窓よりも高くから覆い被さるガラスを通して光が降り注ぎ、それが玄関まで彩るのも納得の明るさだ。
そして迷路になっているといっても、彼のその目線では生け垣の上部が見えるので、すぐに岐路を目視で選択できた。
そしてほんの短いそれを抜けると、初見ではむしろデッキだと思われそうな広さのある、足元に玉砂利が敷かれた縁側の前に出た。
しかし縁側の向こう側に予想外の光景が広がっていて、風変わりな縁側などすぐに意識の外に流れてしまった。
そこにあったのは彼が予想していた観葉植物のオブジェで造られた庭などではなく、しっかりと大地に根を張った鬱蒼として奥が見えない木々だったのだ。
「家の中にジャングルって……いや、家と庭先? 庭先が温室?」
翠星が外側から見て温室かと見当を付けていた場所は、改めて確認すると大きな格子の木枠に収まったガラスの壁から続く屋根部分が、家の軒に当たる箇所からつながって家の一部を取り込んでいたのだ。
大胆にも森の中に家を建て、ガラスの壁を築く部分だけ間引いて残った木は温室に収まる様に剪定しているのだろうか?
そして外観より広く感じるのは、おそらくそのガラスの外側に見える位置を取り囲んで林立する木による視覚作用で、家の一部が緑に呑み込まれて見えるのもそのせいなのかもしれない、とも思う。
念のため密林の陰や縁側デッキの奥を危険物の確認のため覗いて歩いたが、特に問題も見つからず特に危険も感じなかった。
それに縁側は休むのにもちょうど良いので「ま、いいか」と判断し、駆はみんなに向かって「異常なーし! 左に進んでよ~し」と生け垣の正しい進行方向を伝えたのだった。
そして全員が生け垣を通った先で、まだ玄関から入ったばかりではあるが家の状態が良く慌てて手を入れる必要のある箇所は無さそうだから、これならそう慌てる事もないだろうと全員の意見が一致してお昼はここで休憩して取る事になった。
この状況でじっとしていられない駆が「勝手に一人で、ジャングルの奥地を探検してる気分で調子に乗らないように」との注意をされつつ見える範囲をサンドイッチ片手にウロチョロしているのに玉生は少しハラハラしていた。
おそらくは錯覚ではっきりしないせいだと思うが、どうも彼はガラスの外側と内側にある樹木の境いが気になるらしく、異様に深く見える木の奥を確認しに行きたいらしいのだ。
翠星の方も木の一本草の一本が気になるらしく、こちらもサンドイッチを咀嚼しながらすぐ手前の低木前でしゃがみ込んで観察中だ。
こちらは害のある植物などは大体勘で分かるらしく、以前みんなで出掛けたフィールドアスレチックでの身のこなしも驚異的だったので、あまり心配はいらないだろう。
「あいつらはタマが考えてるよりずっと丈夫だから」
心配するだけ無駄だから気にせず休めと言い置いて、心が惹かれるままに迷いなく縁側に足を向けていた寿尚は、その磨かれた様な床板を指先で拭って埃一つも着かないのに感心している。
そんな寿尚の手のひらの上から一緒に覗き込むような体勢のちいたまも、心なしか興味深そうに見える。
一つ頷いて納得してからキャリーリュックを下ろした寿尚は、鞄からふかふかしたタオルを取り出して敷いた上にちいたまを下ろすと、リードの持ち手をリュックのカラビナに通した。
縁側の端から子猫が落ちない事を確認してから、ぷるぷると震える四肢で立とうとするちいたまを横目に猫用の粉ミルクや人肌の湯を入れたボトルなどを取り出して、それからどこまで猫グッズを出そうかと少し考え込んでいる。
厳密には屋内とは言えないだろうが、外とはガラスで仕切られているおかげでこの縁側はなかなかに暖かいので、連れ歩くよりはここで昼寝でもさせておくべきだろうか、寿尚としては悩むところだ
「どうせ縁側なんて日尾野が常駐するって決まってるから、猫用トイレを一つはここに設置しておくべき」
縁側に座って後ろ手を突いていた詠がボソッと言った。
その詠の隣に座って、ちいたまのぷるぷるよたよたとした動きをハラハラドキドキとして見ていた玉生が、その会話を聞いて「縁側といえば猫で、猫といえば尚君だからもう見た途端にここの主は尚君だな、って僕も思ってたけど」とキョトンとした顔をした。
そして、「それに拾った猫も尚君にお届けだから、ここも猫の集会所とかになってちょうどよくない?」と他意のない笑顔で言い切るのだった。
「……ここで転がっても服は汚れないみたいだし、詠は体力ないからちょっと上がって休めば?」
家の環境からくる「利用されるのは真っ平」精神から、逆に自分が友人を利用する結果になる事に神経質になりがちな寿尚である。
利用しあうくらいの相手なら遠慮などしないが、身の内に認めた者からのストレートな好意には実は弱い。
いつもならそれを表には出さずむしろ軽く悪態を吐いて返す位なのだが、相手がまさかの詠で咄嗟に「後でその礼は倍にして返す」と切り返せなかった今の自分の限界にも腹が立ち、思わず原因の切っ掛けを作った詠にややツンとした態度をとってしまった。
寿尚の立場で強く賢くその上で周囲を守れるようになるには、自分を律して内心は悟らせず常に飄々としている位でなくては駄目なのだ。
生き馬の目を抜く商人の世界では動揺を見せるという事は弱点を晒す様なもので、商売敵が日尾野の隙を狙うとしたらそろそろ親の庇護から抜けかけている若輩者の寿尚を標的にするに違いないのだから。
今でもそれなりに傑物と言われてはいるがそれはまだ年相応のものでしかなく、豪胆と言われる両親や兄弟には遠く及ばない自分に心中がっかりな寿尚なのである。
ある意味で自分本意な詠はそんな寿尚の心境も知らずというより知った事ではなく、自分でも体力などないという自覚があるので特に反論もしないで、着脱が楽なので愛用しているというスリッポンを脱いで縁側に上がった。
「ここは仕切りの内側だからくれ縁、ここからは外だから濡れ縁、この部分は上手く繋げているけど家から独立してるからウッドデッキ? あと、くれ縁は広いから広縁?」
文字を追いながらボンヤリしたり考え事をしたりする玉生と違い、乱読を極める詠は読み込みによって雑学にも強いので、指を差しながら縁側について知識を確認している。
文字として知ってはいても、田舎の祖父などとは縁のない生粋の都会育ちなので実物を見た事がなかったのだ。
「廊下とは違うんだ……」
思わず感心した玉生に、自慢するでもなく「それは気になってちょっと調べたが、通路に使うなら廊下でも間違いではないかも、と。そこのカーテンの影にカウチソファーが見えるから広縁かと思ったけど」と続けてから一拍の間だけ考えて、「廊下に棚とか置くのも珍しくないし、どっちで呼んでも間違いではないだろう」と力技で結論を付けた。
ちいたまに子猫用の哺乳瓶でミルクを飲ませていた寿尚は、詠の言い草に力が抜け『そういえば兄さんとその友達も案外こんな感じだったな』と日尾野の自宅に出入りしていた彼らの学生時代を懐かしく思い返して苦笑した。
「まだ結構な余裕があるなら、詠は早く食べて栄養補給しなよ。いつもギリギリしか燃料入ってなさそうだし」
寿尚に言われて、「あながち間違えでもない」と起き上がった詠は鞄の上に置いていたサンドイッチの箱を手にした。
一つ一つセロファンと紙ナプキンで包んであって、手が汚れるのと汚れた手でサンドに触れるのとを防いでいる。
「衛生的でこれだけでも好感が持てるよ。挟んでる具材もズッシリとしてるし、たまはこういうの外さないね」
「でも駆君とかは、これだけじゃやっぱり足りないよね? 一応はね、ハムチーズとかカツとか卵とか、デザートにフルーツのサンドっていうセット選んだんだけど、冷凍だとこのセットしかなくってね」
そう言いながら「でも保温瓶にコーンスープもあるんだ」と紙コップに注いで二人に配るのだった。
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