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いらっしゃいませジャングルへ

いらっしゃいませジャングルへ 3

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 まず家の左側に目がいくが、そこを占めるガラスの壁は内も外も緑に溢れているため見通しが悪く、まるで木々に埋もれている様で時間を取りそうだと後回しにする事にした。
そのままホールのある博物館など、展示物を頻繁に出し入れする建物を思わせる、大きな両開きの扉が構える玄関も素通りして右手の方へ進んだ。
玄関アプローチから続く石畳は、足元の安定のため家の周りをぐるりと巡っていて、芝生では歩き難い和装の草履や下駄などの時は地味にありがたい存在であるに違いない。
壁に並んだ部屋の窓も大きく取られていて、通りかかった窓の曇り一つ無いガラス越しにソファーの背らしい家具が目に入る。
開いたままのカーテンもソファーの奥に覗く白い壁も綺麗な色で、傍野はたのがすぐにでも住めると言った言葉は大袈裟ではなかった様だ。
食料もすぐそこの街で買い出しが可能なので、「着替えと歯ブラシ持っていたら困らないかも」と思わず玉生たまおは呟いた。

「うん。それに採光のよさそうな家だね。入り込んだ日光だけで、窓の中も薄暗い感じがしない」
「敷地がこれだけ広いと外から覗かれないのもいい。これは、なかなかの好物件」


 商人ゆえか何事にも査定の厳しい寿尚すなおも玉生の呟きには同意し、辛口批評の多いよみも高評価なので、家についてはまだ腰は引けるが不安は薄れていく玉生である。 
そのまま覗き込んでいた窓から離れ先へ進むと、まず建物裏側のこちらにも白いベンチが設置されているのに気付いた。
そしてそこは奥まった庭の隅などではなく、そのまた向こうにも角度的に隠れていた広い敷地が続いているのが見えてくる。
家屋から奥向こうの方は緩やかな傾斜になっていたせいで、近づくまでそこに気付かなかったのだ。

「あちら側の柵は手入れされていない様だけど、囲んでいるって事は何か育てていた後だったり?」

 寿尚が小首をかしげてみんなの意識がそちらに向いているところで、先に裏側に回り込んでいたかけるの嬉しげな声が上がった。

「おお! 改めてスゴイぞ。家の周りだけでもランニングコースに不自由しないのに、その上プールがある」

 見ると家の裏手には、アプローチから家をぐるりと囲む藁色から切り替わり、淡いレンガ色のタイルが敷き詰められたプールサイドとソーダ色のプールがあって、そのプールは葉っぱ一枚浮かんでいないキレイな水を湛えていた。
その脇にはデッキチェアが二つとベンチシートが置かれ、その上に掛かるサンシェードはおそらく夏の日差し対策のためだろう。
そんな芝生の緑に石畳が映える一角はこれが夏なら楽園さながらの光景だっただろうに、今の季節にはいかんとも寒々しい。
それにもかかわらず引っ越しの話が出て以来「力仕事になったら任せといて」と胸を叩いていた大男は、「脳筋だからな」「非力な僕の分までがんばるべき」と頭脳派の二人にコメントされるだけあって、今日もテンションが高かったのがさらに思いがけないオプションまで付いていつにも増してご機嫌だ。
そうやってこの寒い中でも来る夏に思いを馳せて楽しめるというのが、良くも悪くも駆という男なのであろう。

「それより今はこっちの方を気にしなよ」

 寿尚が示した先には表より控え目な標準サイズの裏玄関があり、三段ばかりの階段を上がる造りになっている。
玄関のあるこちら側が飛び出していて、その逆側にある外階段とその上につながるベランダらしき物が、へこんだ部分に収まる形だ。

「こっちの方が出入りしやすそう……」
「家主たる者、堂々と表から入るべき」
「初めて家に入るのに裏口は、……っと?」

 ……みゅぁあぉ……

 こうやって見た限り今すぐ手を入れなければならないような問題もなさそうで、まだ緊張はしつつも玉生がどうにか落ち着いてきたところで、寿尚の背中のちいたまがついに起きてしまった様だ。
ぅみーゅぅ……とさらに小さな声が聞こえれば、鳴き出したちいたまを寿尚が放っておくわけがない。
ちょうど裏玄関の階段横にプールと同じタイル地で腰高の荷物が置ける台があるので、そこにリュックを下ろし横のポケットから取り出したタオルで小さな身体を包んで抱き上げた。

「ちいたまのミルクタイムだからちょっと休憩」

 当然の展開に、実は結構歩き疲れていた詠は石畳と芝生の境目に置かれていた白いベンチに腰を下ろした。

「こんな外のベンチまで汚れ一つ無いとは、今日に合わせて敷地中のハウスクリーニングでもしたのか」

 膝に乗せた鞄に寄り掛かり「なかなか手際がいい」と感心した様に頷く詠の言葉に、傍野と叔父に対する戸惑いが好感度の側にグッと目盛りを寄せた単純な玉生である。
 そうなると少し気持ちに余裕も出てキョロキョロと辺りを見回すと、プールサイドの向こうの緑の陰に明るい暖色がチラチラと覗いているのに気付いた。
玉生はその木の間から見えたのが柑橘系の実だと気付いて、柵の向こうの草むらを感慨深く見ていた|翠星(すいせい》に「ね、翠君。あの橙色っぽいの、蜜柑かな?」と弾んだ声をかけた。
「え、どれ?」と駆け出す勢いで振り向いた翠星に指差して教えると、彼はいそいそと近付いて行った。

「自然に生えたにしては虫食いもない、いい蜜柑だぜ。そろそろ食べ頃って感じだが、何個かもいでみてもいいか?」

 触って感触を確認しながら尋ねた相手がキョトンとした顔をしているので、「くらタマの庭の蜜柑だから、くらタマの蜜柑だぞ? 放っといても痛んでくだけだろ」と翠星が言うと、はじめてそれに気付いた玉生が反射的に「う、うん、好きに取って。あの、もったいないもんね?」と答えてから狼狽えた。
 黙ってそのやり取りを見ていた詠が「自覚が育つまで各自で判断して対応後に報告する方針でいかないと、そのうち焦って狼狽のあまりに混乱すると思う。なんなら賭けてもいい」と断言し、本人も含めてみんなを納得させた。

「そうだね、少なくとも慣れるまで、たまは家の事になんでも『はい』って答えそうだと俺も思うよ」

 寿尚に断言されて「うん。だって分からない事は断れないし」と、応える玉生としてはむしろ率先して家に関して行動を起こしてほしいくらいなのだ。
この場所に残されている物はすべてが玉生に譲渡されたもので、彼がきちんと受け取らなければ放置されるも同然で、それは好意を無にするという事で言語道断という言葉が頭に浮かぶ。


 それで玉生は試しに、改めてそう意識した上で周囲を見渡してみた。
すると入口側からガラスの壁を隠す形に、覆い被さっていた樹木と同じ森だか林の一部だろう蜜柑の木の辺りは、白い柵を緑が視界から隠してしまっている様で「囲まれた場所は全て私有地だから」というその”柵で囲まれた場所”がまず把握できない。
 そんな途方に暮れた気持ちで悩む玉生の頬に、小さな肉球のぷにぷにとした感触。

「――プールの水がこれだけキレイなら、周囲に問題はなさそうだ。そろそろ家の中も、見てみないか?」

 その小さな体を乗せた方の親指の先でちいたまを撫でながら、空いた方の手で前足を摘んで玉生の頬をくすぐるという何とも器用な事をしながら、家の方へ顎をしゃくる寿尚が提案してきた。

「芝生は手入れ済み、このベンチも真っ白で汚れの一つもない。外側は後からまた少しずつ見ても構わないと思う」

 逆側からは詠もそう勧めてくる。
玉生はこういう風に予定していた手順が狂うと、それにスムーズな対応ができないところがある。
一度予定をたてると、自然と頭の中でその手順を繰り返す癖があるせいで上手く切り替えができないのだろう。
友人達はそんな事は先刻承知しているので、すぐに変更の代案を出す事にしているのだ。

「あ、うん。電気も水も使えるんだもんね……あっ、後は、ファブリックとか拘りがある物とかは自分で持ち込んだらいいんだろうけど……中の物はそのままだから、使っていいって話だったし、家具もあったもんね」

 今はまだ少し動揺して色々な情報が錯綜している玉生の頭の中では、本日の予定の変更を組み直しがされているので、しばらく待てば平常心に戻るだろう。
一見して打たれ弱い印象のせいで、彼がこの状態になると一緒にアワアワと動揺してしまう者もいるのだが、実際はそれを許される環境ではなかったため、転んでも自分で立ち上がるだけの地力は育っているのだ。


 ちなみにその間の駆は、外水道の押し下げたレバー式の蛇口から水が出るのを確認したりしながら右に左に楽し気に走り回っていたが、それが彼の通常運行である。
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