ぼくは帰って来た男

東坂臨里

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ぼくは帰って来た男 5

魔法陣と三枚のお札

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 それに対して美玖みくの場合、自分の力は発動や調整に使い、魔法陣に集めた力を術に転化するのが基本であった。
帰還に召喚陣を使った時は、途中で力が尽きるのが予想できる問題であったため、使用者の“年輪”を指定した位だ。
召喚陣に溜まった力が尽きても術が継続している場合、対象の持つ術用の精神力・体力・生命力と順に消費していく。
特に帰還時には“ゆうが呼ばれた時点よりできれば前”という特殊な目的地を指定したので、保険の意味を込めて精神力の後に年輪を追加したのだ。
年輪は人に対して直結した部分があるわけではないが、人の歴史的な比喩として使われる単語だという表記を見付けて使えると思ったのだ。
ゆえに年輪を使用するための力に変換しても、おそらく致命的な事にはならないだろうとの判断である。
漢字という複数の意味や要素が詰まった文字を利用したからこそ可能な、本来の正確なスペルを配置する物とは一線を画す魔法陣であった。
それと同時に、実は結果がどうでるか割と博打要素のある式でもあったのだが。
 それでも成功させたのが、美玖の術者としてのセンスではある。

 それで色々と考慮した結果、魔法陣なら正確で決まった効果を調整できるのでは? という結論に至ったのだ。
万が一、術の発動を目撃され問題になっても、単なるお呪い的な物だと言い張れるという事でそれに決めた。
それに今なら、神隠しから戻ってナイーブな時期に中二病を発症したと、黒歴史として誤魔化せる――かもしれないので。
 しかしあちらでは術が発動すれば、空気中に漂う力を利用して術展開し結果が現れるのだが、こちらではそうはいかないだろうと予想される。
ここの空気でもコップ一杯の水を満たす事位は可能だと、勇が実験で結果を出したのだが、必要な力が集まるまで陣を保持できなければその発動は不発という形で終わるだろう。
 つまり召喚の陣は陣の中でも特殊であって、基本的な魔法陣と言うのは、主に杖で空中にサッと描かれる合図の様なものなのだ。

 ところが勇に、「三まいのおふだみたいにできないの? 山と川と火が出るんだよ」と言われて、よく話の中で陰陽師キャラが「急急如律令」と唱えて投げ付ける符を思い出し、いっそ魔方陣を札にしようと思い至ったのだ。
ちなみにあちらでは、魔法を札にするのは付与術の技としての扱いだった。
つまり美玖は魔法陣を空中に展開する事で術を発動させていたので、付与術は特に学んだ経験が無いのである。
仮に生活のためならば必然的に札を加工して売り物にする可能性もあったが、あちらではずっと賢者の保護下にあったため、実は生活の苦労をした事が無かったのだ。

 そういう事で、使用する道具の違いを比べるところからと始めてみたら――ドツボに嵌ったのである。

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