ぼくは帰って来た男

東坂臨里

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ぼくは帰って来た男 2

帰って来た勇者的な事情

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 あの時は、大人数が勝手に走り回る危険性を説明されてから、幾つかのグループに分けられていた。
ゆうの組は順番待ちの待機中で、すぐ次の番なのもあって最前列で並んでいたのだった。
その密集とまでいかないが人が固まっている所に、鬼に追われて逃げてきた子と鬼が突っ込んで来たのだ。
どっちも追いかけっこに集中して、周りをよく見てなかったらしく、本人たちを含めての大惨事である。
間が悪く人と人に挟まれていた勇は、押し潰されて結構モロに転んでしまった。
周り中が泣き出す中、膝と手のひらを擦り剥いて釣られる様に大泣きしたのは、本人にも驚きである。
 いくら勇者としての素質があろうと、今のこの身体はあくまでも普通の六歳児だという事だろう。
するとどう考えても、頭では経験上できると判断してしまう事が、危険に繋がるのだ。

 その事でにわかに危機感を持っていた鬼ごっこで、いささか動きが乱暴な子にタックルの動きで飛び掛かられた。
また地面にぶつかると判断して、勇は咄嗟にダメージを軽減する受け身を思い出して身構えたのだ。
ところが今度は地面がクッションの様に感じられて、痛さも感じないのが不思議だった。
それでよく見ると、地面から薄皮一枚の周囲が気付かない距離で、浮いている自分に気が付いたのだ。
どうやら結界を兼ねた薄い膜を、体の周囲に張っていたらしい。
転ぶと判断して反射的に発動したのか、危機感を抱いた時点で無意識のうちに発動していたのかは不明だ。

 しかしこの場合、問題は発動のタイミング以前に、まず発動可能という事実である。
つまりあちらで身に付けたスキルは全て、取り上げられていない可能性が高いという事なのだ。
現役勇者の頃に比べたら微々たる力ではある。
だが修行を一切した事の無い六歳児の身体だ。
発動するだけで破格の状況ではなかろうか?
それによく考えれば、ここも完全に安全な世界ではない事は、父親の事故で思い知っていた筈だ。
 
 そんな風に勇の憧れの完全隠居生活はあっという間に終了して、夜中に実験など始めたのである。
 
 とはいえ、いきなり縮んだ身体で上手くバランスは取れない上に、脆弱な六歳児の身体だ。
この場合、勇者の経験があるのはかえって危険だとすぐに気付いた。
戦闘において最も効率のいい動きが脳に刻み込まれているのだ。
反射的に以前の動きで手足を動かしてしまった場合に、まず確実に危険なのは関節であろう。
よく子供の手を引っ張って脱臼させる、という事故がある位だ。
そういえば勇者時代に魔獣を倒す時も、脆い部分として狙い目だったと思い出す。

『逆を言えば、関節部分に異常を感じた時点で止まれば、被害は最小限になるか』

 勇者的にはその程度の話だが、六歳児は嫌がった。
実のところ痛みに関しては、脳がドーパミンを出して誤魔化すシステムを勇者から引き継いでいる。
擦り剥いて大泣きした時も、痛みではなく転んだという衝撃と感性が原因のものだ。
勇者時代に痛い思いは散々したので、痛い思いをするという前提だけで拒否反応が出るのだった。
その擦り剥いたけがにしても、試した回復術でつるんとしてもう肌の赤味すら残っていないのだが。

 それを踏まえて、身体の成長は徐々に育つのを期待するとして、術的な事は積極的に開発していく事にした。
勇者時代は、求められている討伐以外に目を向ける余裕など無かったが、興味が無いわけではなかったのだ。
まずは、電気スタンドを前に“ライト”やカップを置いて“ウォーター”などから、こそこそ始めたのだった。
万が一術が発動している所を見られても、スタンドが光って見えたとかコップには始めから水が入っていたと勝手に納得してもらえるからだ。
光の位置がズレていた事や、ジュース等ではなく水を部屋に持ち込む六歳児に違和感はあっても、おそらく拘る程の事ではなかろう。
 ちなみに被覆材の下にあった擦り傷は、一週間位してようやく回復術を試す事を思い至った。
翌日に傷の確認をした母親が「あら、もうキレイに治ったのね」と感心した様子だったのにはドキッとしたものである。
いつか話す機会があるかもしれないが、父親は亡くなり子供が召喚された未来があったなんて、知らない方がいいと思うのだ。

 そんなわけで、こっそりと風の術で足元に移動する空気を作ると、ササーっと部屋まで戻って寝床に飛び込む。
愛情深い両親は、寝室に行く前に息子の部屋に寄って、寝顔にお休みの挨拶をするのが日課なのだ。
足音が近付いて来るのに、勇者の意識は嬉しいより照れ臭いのが上回り、今日はもう意識を遮断して睡眠に入った。

 小さくドアが開く音がしたが、それが勇の本日最後の記憶となったのだった。




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