ぼくは帰って来た男

東坂臨里

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ぼくは帰って来た男

ぼくは帰って来た男 後

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 近頃では人間の生活圏の外れやダンジョンでもなければ、早々に強い魔物が湧く様な事も無くなっている。
そろそろ勇者なんて居なくても、ここの人たちだけで十分にやっていける筈だ。
この世界で戦うばかりの中、二十代も半ばを越えて今さらと言われようが、帰れるものなら元の世界に帰りたかった。
もしかしたら母親は自分の息子だと分からないかもしれない。
それでも母親や祖父母――家族たちに、勇は会いたいのだ。

 しかし、賢者という重鎮が後ろ盾に居ても、「非常時だから」の一声で無理を通す現状なだけに、勇者という便利に使える駒を手放すだろうか?
当然の様にそんな心配がある。 
 
 ここでほぼ二十年過ごすうちにすっかり疑い深くなった彼は、クルミを信じていないわけではないが半信半疑で賢者の屋敷に戻った。


 そんな期待と不安のまま屋敷のドアを開いた勇に対して、待合室を兼ねた玄関ホールに立つクルミはすでに準備万端で待っていた。
ホールの床一面には生成りの帆布が敷かれ、そこに描かれた魔法陣はもう起動を待つばかりの状態である。
魔法陣には異世界の日本語である漢字、それも難読漢字が大量に配置されているので、この世界の者が解読するのは不可能に近いだろう。

「せっかちで悪いが、急いだ方が良さそうでね。残念ながら手料理のおもてなしとはいかなかったよ」
「キミの手料理ときたら効果は付いても味の方はおもてなしにならないから、最後にうっかり嫌がらせをしなくて済んだのは幸いだったね」

 もう一人の賢者の弟子であるサインが、邪魔にならない様に開いたドアの陰に立っているのにその声で気付く。
何かあった時のフォローも必要だろうと、それも兼ねて見送りに残ってくれたのだそうだ。

 賢者とは前回に別れの挨拶を済ませてはいたが、屋敷の中が静かすぎると思えば、本当に屋敷の全員で退去したらしい。
クルミが面白くなさそうに、「それで鼻の利く奴が、賢者の移動で何か悟ったらしくてね」と勇を急いで帰還させる事にしたそうだ。
どうも明日の早朝にでも迎えが来て、その功績から勇者を城の方に迎え入れる手筈ができていると、さすがに見かねた有志からのリークがあったという。
あれだけの事を強いておいて、以後も誓約を付加したアイテムで使役する計画があるので、「可能な限り急いで逃がす様に」との事だ。

「今となっては無視できない過剰戦力なので、暴走を防ぐために管理する必要がある、だとさ。この世界からご退場いただくのでご心配無く、だよ」
「オレを勝手に帰したら、直接術を使うクルミさんは後で問題にならないか? 賢者の爺ちゃんは地位があるからともかく、サインさんだってさ」

 この世界には術の痕跡から術者を割り出す技術があり、召喚などという大きな術ならしばらく辺りにはその名残が留まり続けるだろう。
今ではやや擦れてしまったとはいえ、元はそれで勇者に選ばれてしまった位に心根が真っ直ぐな勇である。
この状況で自分が去って後の事すら、もう縁が切れるので知った事では無い、などとは思いもしないのだった。

「私はここの片付けを済ませたら直ぐに跳んで逃げるさ。追跡防止する跳躍の魔道具があるし、格下に捕まる様な失態は犯さないよ」
 
 クルミの兄弟子のサインは全く問題にもならない、といった余裕の表情で肩をすくめて見せた。
幼少期から賢者に学び、国の最高学府を卒業後さらに賢者の元で修行を重ねた男は、国のお抱え術師など歯牙にもかけない様子で細いフレームの眼鏡を光らせた。
クルミが「鬼畜な眼鏡」と言い出し、一部界隈でそう呼ばれる彼は実際に強者であり、彼がそう言い切るなら実際にこの状況も余裕なのだろう。


 杖から魔法陣に起動分の術力を流していたクルミも、「ボクは遠くに行く予定だから平気さ」と言って、トンと床に杖を突いた。
 
「この際だからついでに自分も転移しようとね。当時の持ち物からして、キミと同じ世界の住人だった様だし丁度いい」
「でもクルミさん、こっちに来た時から記憶無かったんだろ? 家無しに……オレの居た田舎の家の場所教えてたらいいのか……?」
「フッ、ランドセルに付いていたネームタグの住所は暗記してるさ。いざとなったらお邪魔するかもね?」

 この召喚陣は起動した後、範囲内で術が発動している間に自分で力を賄えれば、その軌道上の移動は可能なのだという。


「“あの時に”と強く願った時間に戻る設定にした式なので、完成するのに時間が掛かってしまった。一応デフォルトは召喚された場所――この場合は例の神社だね、そこになってるから万が一願った先に通らなくても迷子になったりはしないから、そこは安心してくれていいよ」
「そこは、まあ。どうしても元に暮らしていた家の方に気持ちが寄ると思うから、少し気が楽になったかな、うん」

 少し緊張が解けたのか笑顔を浮かべた勇に、先に召喚陣の中心に描かれた円に入ったクルミは、後に続く様に促すと杖を頭上に掲げた。

「さあ、前置きが長くなったし名残惜しいが。今こそキミに報いよう」

 
 
 


 

 気が付くと勇は子供の頃に住んでいた部屋で目を覚ましていた。
父親が亡くなってすぐに引っ越したのでその後の事は知らないが、目に映るそれは彼が暮らしていた頃と何一つも変わってはいない様に見える。
ベッドの上から見た窓やドアの位置はともかく、まだ新しい学習机とその上に置いた真新しい黒のランドセルまで、その構図ごと見覚えがあるのだ。
まだ付け替えたばかりだったカーテンの、パステルブルーに曇模様の隙間から射し込む光が眩しくて、それを遮ろうと持ち上げた手も指も――小さい。
その小さな両手を目の前でぎこちなく開いて閉じてと繰り返す勇は、ぼんやりとした頭で『夢でも見てるのか?』と首を傾げてしまうのだった。
帰還のために召喚陣で使った不足した分の力は、やはり生命力から削られたのか力が抜けて、どうにも頭が回っていない様だ。



 そうやって横になったままでいると、開いたドアから顔を出した母親が「パパお仕事に出掛けるけど、今日はお見送りいいの?」と声をかけてきた。


 それを聞いてハッとする。
ずっと『あの日に戻れたら』と思い返していた日だ。
何度も何度も繰り返し夢に見ていた、その日が今だと感覚的に分かったのだ。


 慌てて跳ね起きた勇は、焦るあまりにその勢いでベッドから転げ落ちてしまう。

「やだ、勇ちゃん! 大丈夫なの?!」

 それなりの高さから床に落ちた、ドタッという音に驚いた母親がそう叫んで走り寄って来た。
子供の小さな身体を抱き起すと、オロオロしながらとケガは無いかと確かめている。
勇の方はそんな場合ではないとはいえ、思った動きをしない自分の身体とそのあまりの醜態に呆然としていた。

「どうしたんだ、裕美ゆみ?! 勇に何かあったのか?!」

 叫び声を聞いた父親が駆け込んで来たのを見た勇は、間に合った事にホッとしながら、自分に向けて咄嗟に『泣け』と命じた。
これから何かがあるのは父親の方で、阻止するためにはできるだけここで引き留めなければいけない。

「ぱ……パパぁ~」

 思ったよりも自然に涙は出た。
すると堰を切った様に『パパだ、パパだ』という言葉で脳裏が占められ、もう止めようと思った涙もぼろぼろと溢れ続けて止まらない。
 気が付けば勇者は、あの神社で一途に願う様に祈っていた幼い自分に、身体を取って代わられていた。
しかしすぐ側で膝を着き「熱があるのか?」と呟いた父親の姿は最後に見た記憶のままで、その父の手が触れた額も確かに自分のものだ。
小さい自分も『パパが、パパが』と自分に訴える様で、彼も今は自分の事は後回しだと、目の前の父親に力一杯に抱き着く。
動きもぎこちなく、そう力も入らない小さな身体で、それでも勇者だった自分と小さな自分が、絶対に離さないと必死でしがみ付いた。
口から出る言葉も自然と幼少期の口調になっているが、不思議と彼はそんな自分にも違和感を感じないのだった。

「本当にどうしたの? パパ今日お仕事行く代わりに、来週の連休はお泊りで遊園地行くって、勇ちゃんも楽しみにしてたでしょ?」
「いいもんっ、ゆーえんち行かないでおうちでもいいもん! 今日はパパとママとぼくといっしょが、いいんだもんっ」

 やはり息子が小学校へ上がる前に、連休に休みを取るために父親が休日出勤する朝だ。
前回の通りなら、父親がこのまま家を出ると、早朝の居眠り運転の車が彼の歩く歩道に突っ込んでしまう事になるだろう。

「……やっぱり熱があるなぁ」
「あら、ホント顔が赤いわ。午前中は様子見て、良くならないなら病院に連れて行った方がいいかしら……」
「そうだな――連休取りたがってた同僚が、喜んで今日の出勤代わってくれると思うから連絡してみるよ」
「あら、こんな急に大丈夫?」
「ああ、昨日の退社時も『明日の休出と連休出勤の交代なら、朝いきなりでもオッケー』とか全員に言ってたし。休出業務も電話番みたいなもんだしな」

 そう言ってスーツのポケットからスマホを取り出すと、「よぉ、まだ休出の交代受け付けてるか?」と離れない息子を張り付けたまま通話を始める。
その会話を緊張したまま聞いていた勇は、「分かった。うん、今日は久々に家でマイホームパパするさ」と父親が通話を切るまで息を詰めていた。
通話を終えた父親が「パパは服着替えて来るけど、勇は朝ご飯食べられそうか?」と彼をベッドの上に下ろす頃には、少し落ち着いていた。

「うん。ママのご飯食べたい」
「ん~、朝は念のために少し出汁で煮たお雑炊にして、大丈夫そうならお昼はランチプレートにしちゃおうかしらね」



 「じゃあできたら呼ぶわね」と両親が部屋を出た後、ホッと一息吐いた勇だがすぐにハッとして父親の後を追う。
とりあえず午前中は絶対家から出るのを阻止しようと、覚束ない足取りで部屋を出て、両親の部屋のドアからそっと中を覗き込んだ。
 楽なジョガーパンツに履き替えていた父親は、ドアから目を覗かせこちらを見ている息子に気付いて、急いで着替えを済ませる。

「どうした? 勇はパパにおねだりしたい物でもあるのかー?」

 近くにきた途端に返事なのか甘えているのか、片方の足にぐりぐりと頭を擦り付けられた父親は、まだ幼児に近い身体を「よいしょ」と持ち上げた。
こんなにぐずるのは珍しく、そんな我が子が可愛くないわけもないので、たまにはうんと甘やかすのもいいだろうと自然に顔がにやける。
 
 そして知らないうちに運命が変わった男は、息子を抱き上げたまま危な気無く階段を下りて、妻がいるキッチンへと足を向けたのだった。



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