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しおりを挟む「家庭科部に来るのか、それとも何もしないのか?」
俺としては、明久里のあの胸の爆弾が作動するリスクを減らせるのなら、どっちだって構わない。
別に部活に入らなくても、楽しい高校生活は送れるはずだ。
また明久里は静かに口を閉じ、下駄箱で靴を履き替えた。
今度の明久里は、答えにくい訳があるのか、口角が何度も微動した。
そんな明久里を黙って見ていると、こちらに輝く双眸を向け、口を開いた。
「今日と昨日、ふたつの部活を見て思ったんです。部長って格好いいなって」
言いながら話の途中でまた歩き出す。
「でもどこかに入ったら、私が部長になれたとしても数ヶ月後、それまで人の下につかなきゃいけないわけじゃないですか」
「嫌な言い方するなよ⋯⋯別に上も下もないぞ。部長なんて面倒なだけだ」
そう、部長なんて運動部なら部員達をまとめあげ、引っ張っていかねばならない。
文化部の黒崎さんと滝沢さんにしても、生徒会の予算委員会や活動報告会には参加しなきゃならないし、部室の鍵を管理したり、我々家庭科部だと何をするかも決断しなければならない。
早い話、そもそも人を引っ張る立場になりたい人間と、部長をしていた経験を推薦入試に活かしたいという露骨な野心でもない限り、部長なんて引き受けるだけ損だ。
「まあそれに、転校生で途中入部の私が成れる確率なんて限りなく低いじゃないですか」
明久里の話は、学校を出ても続く。
正門を出た途端にガムを噛み始めたせいか、どこか態度が不遜に見える。
「家庭科部なら部長が引退したら俺か富山君が部長だけど、別に譲ってもいいぞ。多分富山君もしたくないだろうし、貧乏クジ引かなくてすむなら助かる」
「そういうのじゃないんですよ。もっとこう、はじめさん達みたいな怠惰な部員じゃなくて、人を引っ張っていきたいんです私は」
「失礼な。俺は真剣に家庭科部に参加してるんだぞ。邪な気持ちで入部した富山君もそうだ」
「⋯⋯だから決めました」
「おい無視かよ」
明久里は意気込むように頷くと、足を早め俺の前に出た。
足を横に広げ、だらんと伸ばした両手で鞄を持ち、まるで俺の前に立ち塞がるように立つその姿から、ようやくどうするかの答えが聞けるのだと理解した。
明久里の目はまっすぐ俺を捉えながら、桜色の唇をゆっくりと開いた。
「私、部活作ります。そこで私が部長になってみんなを引っ張っていくんです」
「そうか⋯⋯新しく部活を⋯⋯って、えぇ!?」
思わず俺の両目が開眼し、口も開いたまま固定された。
明久里の突然の決意表明を聞いているのは、今ここを歩いている俺と、犬を散歩させている近所のおじさんだけだ。
だがそのおじさんは普通に散歩を続けて離れていき、俺だけがこの爆弾女と対面していた。
「まじか。そこまで部長に拘るとは驚きだよ。俺からは何も言えない」
「部長もそうですけど、青春アニメだとメインヒロインの美少女はよく謎の部活を創ってるので」
「アニメの影響かよ。あとそれ自分で自分を美少女って言ってないか。まあ否定はせんけど」
まあ確かに明久里の言う通りだ。部活物の作品でなくても、謎の部活を作るメインキャラは結構多い。
見た目は文学系美少女でも、中身がアニメ好きのオタク系美少女なら、その答えに行き着いてもおかしくは無い。
明久里が自分で決めたなら、俺はただ爆弾が作動しないように祈るだけで、止めはしない。
「まあいいと思うぞ。この学校、教義のおかげで部活作るの簡単らしいし、なによりやりたいことがあるならそれをやるのがいちばんだ」
俺は駅に向かって足を踏み出し、明久里の肩をそっと叩いて通り過ぎた。
そのすぐ後ろから、明久里が追いかけてきて並列する。
そして身をかがめながら、素っ頓狂な顔をしながら、明久里が覗いてくる。
「もちろんはじめさんも一緒にお願いしますよ」
────
「へえ、じゃあ碧山さんと部活創るの?」
「俺は納得してないけど、明久里はもう創るつもりだ」
翌日の学校、朝から目の下に隈を作って眠たそうにしていた明久里は、1時間目から4時間目まで殆ど寝ていた。
今俺は明久里と紅浦と弁当を共に食べているが、明久里は未だにウトウトと体を前後揺らしている。
昨日、あれから家に帰っても、俺は何度も拒否した。
「いや、俺には家庭科部があるし、掛け持ちなんてそんな不義理なことはしたくない。第一、お前が何やるかも知らないのに入るわけないだろ」
俺としては、ほぼ完璧な答えだったように思う。
だが、常識は時として通用しないことがあるのだ。
「この学校の校則と理念だと別に不義理にはなりませんし、何するかってそんなに大切なことですか? 今ならはじめさんも副部長ですよ」
純粋無垢な顔で話す内容も、前半は同意できる。
家庭科部に掛け持ちはいないが、文学部には紅浦が居る。だが別に、部長はこれといって掛け持ちにとやかく言ってる様子は無いし、それはサッカー部でも同じだろう。
だが後半部分は一体なんなんだ。
もはやこの少女は手段と目的が入れ替わっている。
普通、やりたい部活があるからそこに入部して部長をめざしたりするものだ。
だが明久里の場合、部長になるためにやりたいことも無いのに部活を作ろうとしている。
これでは従業員1名の会社で俺は社長だぞと周りに息巻いている人間と変わらない。
俺はとりあえず、大した理由は無いが断るつもりだった。
明久里が風呂から上がる前までは。
「やりましょうよ一緒に部活! 青春しましょう」
「俺はもう十分青春してるからいい。それより服を着ろ。タオル1枚でうろつかないでくれ」
風呂上がり、なぜかいつもバスタオルを身体に巻いて家を徘徊する明久里が、ソファでスマホを見ていた俺の前に立った。
タオルに包まれていてもわかる、健康的で艶やかで、魅惑的な肉体が、目に毒でしょうがなかった。
「ほんとにダメですか?」
「まあ、何をするか次第だ。月水金を空けて活動はきちんと俺が納得出来るものを考えているなら入る」
帰り道も買い物中も食事中もしつこかった明久里に、俺はもう根負けしかけていた。
火曜と木曜に少しなにかするくらいなら、もうよかった。
「いや、私が考えている部は基本週5の休日出勤ありですけど」
「鬼か。まだ社畜にはなりたくないぞ。その条件だとダメだ。どんな内容でも」
「ほんとに、ダメですか⋯⋯?」
その時、明久里の顔に陰りが見えた。
水気でぺたりとおでこに密着していた前髪がさらにへばりつくように重みを増し、水滴が毛先から滴り、カーペットに染み込んだ。
──あ、まずい。
明久里の様子が明らかにおかしい。
もうこの時点で、次に何が起きるかは分かっていた。
だがこの場合、それを止めるにはひとつしか無かった。
「おい明久里落ち着け! とりあえず深呼吸、あとガム食べろ」
タオル1枚が隔てた胸の中から、カウントダウンの音が鮮明に聞こえた。
俺は机の上にあったガムの包みを剥がし、明久里の口に強引にガムをねじ込んだ。
まるて赤ちゃんの把握反射のように明久里は沈んだ表情のまま、ガムをかみ始めたが効果がない。
音は鳴り止むどころか、さらに大きくなった。
「一緒にしてくれないんですね⋯⋯残念です」
「いや、今諦めるな。とりあえず落ち着くんだ明久里」
俺はスマホを急いで捜査し、動画サイトでうどんを啜る音が流れるだけの動画を探し、明久里の耳元にスマホを持ってきて再生した。
その時、たわわに実ったふたつの果実が、俺の目を離さなかったのは内緒だ。
「わかりました。諦めます⋯⋯生きることも」
「いや重すぎるから! たかが勧誘に失敗しただけでそんなに思い悩むな! あとこの音全然効果ねーな!」
怒りと動揺のあまりスマホをソファに向かって放り投げた。
スマホはソファの上で跳ねて背もたれにぶつかった後、うどんを啜る音を響かせたまま静止した。
明久里は目を閉じて、もう何かを諦めている。
──さすが、命の危機を抱えてる人間は潔いいな。
なんて考えてる場合じゃない。このままだと俺も明久里もお陀仏だ。
「わかったよ明久里、週5でも週7でもなんでもいいから入るよ。だから落ち着け」
「ほんとですか!?」
「う、うん」
俺が押し負け、いや命欲しさにそう言った途端、明久里の顔に笑顔の花が咲いた。
先程まで色彩が黒ずんでいた髪は鮮やかな色を取り戻し、目に正気が戻った。
そして、わざと鳴らしてなかったか?
と思うほど、音は段階的に小さくなり、静かになった。
「なあ、やっぱり今の取り消し⋯⋯⋯ああああ! 待て待て待て」
明久里が落ち着いたのをいいことに、反故にしようとすると、また音がなり始めた。
「そんな⋯⋯はじめさん、貴方は最低です⋯⋯」
明久里の目に微かだが涙が溜まる。
これは、演技では無いはずだ。
「うん。ごめん冗談だから。ね? 明久里さん落ち着いて? 登山部でもサバゲー部でもサーフィン部でもお笑い研究部でもマーチング部でもなんでもやるから。だからどうか落ち着いてください」
頭に浮かぶままの言葉を推敲せずに放ちながら、知らぬ間に地面に頭を擦り付けていた。
地面とにらめっこしている今、明久里の様子はわからない。
だかその音はまたも、徐々に小さくなり消えた。
恐る恐る顔を上げると、明久里は哀れみの目で俺を見下ろしていた。
その目は哀愁が漂い、ただひたすらに俺という命欲しさに土下座した男を不憫に思っている。
いや、俺が日本に伝わる伝統芸の土下座をしたのはお前のためだぞと言いたい。
「じゃあ、今日のうちに何部にするか決めるので、お願いします」
明久里の口角が上がり、声が弾んだ。
右足を引いて回れ右すると、バスタオル1枚の明久里はリビングを出ていった。
明久里が居なくなってから、俺は倒れるようにソファに寝転がった。
それからソファで眠りこけてしまったが、なぜか目覚めは良かった。
「それで、碧山さんはどうしてそんなに眠たそうなの」
さて意識が今に戻る。
なおもウトウトしながら、箸でソーセージを摘んでは落とし、摘んでは落としを繰り返す明久里に、紅浦が苦笑いしている。
「なあ明久里、昨日何時に寝たんだ?」
「んぁ⋯⋯」
夢うつつの状態で微かな瞬きをしながら、明久里はソーセージを諦め、こちらを向いた。
「朝の6時⋯⋯」
「ほとんど寝てないじゃないかそれ。何してたんだよ」
「部活創るために研究を⋯⋯」
と言って、明久里は食事を完全に諦めたのか、箸を机の上に直に置いた。俺の机である。
机に置いたことに気がついたのか、一呼吸おいて、ケースに入れた。
「まさか、あれからずっとアニメ見てたのか」
無言でコクリと頷く。
俺は溜息を漏らしながら、明久里が食べるのを諦めた弁当を紅浦に渡した。
明久里はほとんど手をつけていない。
冷凍のポテトフライが1本無くなっているだけだ。
「好きなの食べていいぞ」
「うん。ありがと」
紅浦は迷うことなくミートボールに橋を伸ばした。
ミートボールを口に入れる直前、紅浦は不敵に笑った。
俺は瞬時に、先程の失言を後悔した。
が、明久里はそんなことに気づく様子もない。
まるで現世を彷徨う幽霊のように、身体と髪を揺らしながら、椅子を引き摺って自分の席に戻り、倒れるように突っ伏した。
「ねえ、あれからずっとって⋯⋯碧山さんとしばらく一緒だったの?」
状態を倒し、人を揶揄う時の顔つきで、紅浦が俺を見上げる。
「ああ、駅近くのスーパーまで一緒だったからな。あいつもおつかい頼まれてたとかで」
動揺する必要は無い。ただ落ち着いて作り話を構築すればいい。
俺は決して顔に出さぬよう、白米を口に運んだ。
「ふーん。それにしてはなんか言い方が気になるんだよね。なんかこう、同棲してる男女がお風呂から出て別の部屋に別れたー、みたいな感じ?」
「ぶっ!」
噛み砕いた米が器官に入り、勢いよくむせてしまった。
この女、まさかどこかで見てたのだろうか。
想像だとするとあまりにも精密すぎる。
「あれれ、適当に言ったんだけど、もしかして図星だった?」
下から覗いてくる顔の頬が、引っ張りあげられたかのようにつり上がっている。
胸をトントンと叩き、ペットボトルのお茶を1杯口飲んだ。
器官から喉元に戻ってきた米粒が、お茶に流されて胃に入る。
大きく息を吐き、咳払いをして紅浦を見据えた。
「いや、お前のその妄想力が封印してた昨日の記憶を深淵から呼び覚ましたんだ」
「なにその厨二臭いの、あっ、もしかして私の作品読んだ?」
黙って頷くと、紅浦は上体を起こし、一笑した。
「あららぁ、業平に読まれたか。で、感想は?」
「⋯⋯才能はもう少し活かし方を考えろ」
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