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「なら碧山さん。ここや図書室には中国の古典文学作品もありますから、楽しめると思いますよ。あと、この部では月に1回、それぞれの作品を発表してもらいます」
「作品⋯⋯ですか」
明久里は少し興味を示したのか、瞼がさらに開いた。
たしかに、ただ本を読むだけなら図書室でいいし、なにより面白みがない。
本を読むだけなら、それは読書部だ。
「作品って言っても、なにも単行本1冊分書けなんて言いません。もちろん書きたいなら書いていいし、短編小説でも詩でも俳句でも、なんでもいいんですよ。この部の1番の目的ですね。文学に触れ自らも文学を描く。そしてそれを発表する。長編小説なんかだとさすがに1日では読み切れませんけど」
説明し終えると、冗談交じりに笑った。
なるほど。本棚の1箇所にある原稿用紙はそれのためで、今副部長さんがしている、Bluetooth型のキーボードで、横向きに立てた小さなスマホに文字を打ち込んでいるのも、その発表会の為の作品作りなのだろう。
「まあ説明はこれくらいです。体験と言っても、することは限られてるので自由にしてくれて構いません。この部屋の本を読んでもいいですし、収納してる皆の作品を見てもらってもいいですよ。それとも、早速碧山さんが作品を書いてみても」
さて、明久里はどう出るのか。俺の注意は、明久里の始めの動きに向いた。
明久里は教室に目を向け、少し俯いて考える素振りを見せた。
そしてなにか決めたのか、顔を上げて部長を見上げた。
「では、皆さんの作品を閲覧させていただいてもいいですか」
「はい。もちろんですよ。この部で書いた作品は校内で見たい人がいれば見せるというのが決まりですから。業平くんもどうぞ楽に」
「ああはい、どうも」
となると、不出来なものや内容によっては作者はかなり恥ずかしい思いをすることもあるのだろうか。
まあ、内容で恥をかくとしたら本人の責任だ。
部長は俺達の後ろにある棚へ移動し、束ねられた原稿用紙の隣にある、分厚いアルミの銀の箱を手に取り、戻って明久里と俺の前に置いた。
アルミの箱はでこぼこしていて、端がすこし汚れていたり、色が落ちている。
「この中にはここ数年の作品がほとんど入っています。ほとんどみんな書くのは詩や俳句が多いので。一部長編小説があったりもしますが、それは紐でまとめてるのですぐ分かります。ではごゆっくり」
部長は俺達に微笑みかけてくれたが、明久里は箱に夢中で見ていない。
俺だけでもと笑顔を返すと、部長はさらに口角を上げ、本棚にあるハードカバーの本を1冊取って席に戻った。
本棚も気になるが、皆の作品というのも気になる。
「素人が書いた作品なんて読む価値ないです。作者が死んで30年以上経つのになおも書店で売られてる作品こそ読む価値があるんです」
とか明久里なら言うと思ったが、そんなことは無くただの俺の偏見だった。
明久里は箱の蓋を指で軽く広げながら、おもむろに蓋を外した。
中には、蓋の寸前の高さまで原稿がびっしりと詰まっている。
そして、1番上には部長が言っていた原稿用紙の右端を紐で纏めた、長編作品がある。
「いきなり長編か、どんなだろう」
明久里が手を伸ばすより先に、興味本位でその原稿を手に取った。
原稿を持ち上げた瞬間、中々の重さが手を通じて上半身に伝わった。
まとめられた原稿は随分と分厚い。
いったいどんな作品なのか、タイトルが書いていると思われる1枚目の1行目に目を向けると、俺は言葉を失った。
原稿から目を背けるように顔を上げると、向かいに居る部長と副部長、さらには部屋の後ろで座っているもうひとりの部員までもが、俺を見ている。
注目が集まるのも無理は無い。
原因は、今俺の手の中にあるこの作品にあった。
『Secret School Love affair』
直訳すると『秘密の学校の恋愛』といったところか。
無論、タイトルの下には紅浦水樹としっかり書かれている。
明らかに官能小説だとわかるタイトルに加え、書き出しがやばい。
『鷹橋は目覚めてしまった。成平への禁断の愛に』
名前の文字こそ変えているが、これは間違いなく俺と1年の時数学の担当だった高橋先生だ。
一々頭から読んでられないので、分厚い原稿用紙の束をペラペラとめくった。
どうやら短編のオムニバス形式らしく、俺の他に見知った生徒や教師の名が、漢字1文字だけ変えて登場している。
しかしそれにしてもだ。
「いや、あいつどんだけ書いてるんだよ。化け物か」
ペラペラとめくった感触に過ぎないが、体感では原稿用紙の枚数は300枚を超えている。
サッカー部にいながら、一体いつこれほどの原稿を書き上げたのか。
「凄いですよね。それ紅浦さんが入部した当初からずっと書き続けてるんですよ」
俺の心の声を察したのか、部長が眼鏡の位置を直しながら、苦笑いして言った。
何故か部長は、俺と目を合わせたくないのか、斜め下を向いている。
一瞬、この人に嫌われることでもしてしまったのかと、胸に問いかけてみたが、部長の眼球が微かに俺の手元に向かうのを確認し、理解した。
「部長さん、もしかして部長さんもこれに?」
「はい⋯⋯業平君の次に出てきます。見ないでくださいね。それに、探さない方が君のためです」
見ないでくださいと言われて引きさがれるほど、人間は我慢強くない。
ページを1枚ずつめくるが、俺と高橋先生の話がダラダラと続く。
何十枚目かのページをめくった所で、部長がなぜ探さない方が俺のためと言ったのかが分かった。
ページをめくる度に視界に現れるあいつの書いた文章。それを脳が認識する度、肉体と精神に多大なるダメージを負った。
『先生の方から誘うなんて、とんでもない女狐だ』
『ほら、媚びてください。俺が満足しないと餌はあげませんよ』
などと到底自分が言うはずのないセリフの数々が、潜在意識の中から羞恥心を湧き起こし、身の毛がよだつ思いがした。
さらに俺の体に鳥肌を立たせたのが、叙述の表現がやけに官能的で巧緻なことだ。
俺の好きな昭和の文豪を思わせるかのような表現が時折現れ、目が奪われてしまう。
そうすると自然と続きを読んでしまい、歯がムズムズするようなおぞましい台詞パートで目が覚めて、次のページをめくった。
もしこの作品の作者が不明で、登場人物のモデルが俺でなければ、読みふけっていたかもしれない。
それほどまでに紅浦の執筆能力は高く、感嘆の意を評すに値する。
あまりにも臭すぎる台詞を消してくれればだが。
『さあ先生、今日は君が俺の生徒だ。君も知らない大人の事、全て教えてあげますよ』
──やめてっ。もうこれ以上読んだら俺死んじゃう。もうとっくにはじめのHPはゼロなのよ!
部長さんのパートを探すのを諦め、勢いよく原稿を閉じた。
「部長さん、これは灰にしたほうがいいんじゃないですか」
「だめだよ。どんな創作物でも認めてあげなきゃいけないし」
部長のその言葉が建前であることは、眼鏡の奥の目が澱んでいることで察せた。
部長は、この部で作られた作品は希望者がいれば見せることが決まりだと言っていた。
「あのぉ、この作品見たいって言った生徒はいるんですか」
「ああ、女子サッカー部の面々には見せましたよ。後は去年も併せて十数人ってところでしょうか」
「ぐっ」
俺は頭を抱えて唇を噛み締めた。
女子サッカー部にそれほど知り合いはいない。
だがきっと、彼女達は来年俺とクラスメイトになったとしても、話しかけてはくれないだろう。
まあ、そもそも話しかけてくる女子なんて限られているから問題は無いのだが。
むしろ彼女達は紅浦の生態を知っているだろうし、俺に同情してくれているかもしれない。
さて、この数分間の間に感情がジェッドコースターのように急降下している俺の隣で、明久里は何事も無かったかのように文学部の作品を耽読していた。
今明久里が手に取っているのは、俳句らしい。
400字詰めの原稿用紙に、何句も書き連ねられている。
俺は俳句の善し悪しというものが分からない。
がしかし、またあの評論が聞けるなら楽しみではある。
「どうだ明久里、読んでみた感想は。折角だから言ってみたらどうだ?」
俺の好奇心と、いつまでも部長二気にかけてもらうわけにはいかないという真心が、まるで自分を文学部の部員のように振る舞わせる。
「そうですね」
俺を一瞥し、また原稿に目を向けながら明久里は言葉を紡ぐため、その内容を確かめた。
作業中の副部長を覗いて、部長ともうひとりの部員が明久里をじっと見ている。
「まあよく出来てる作品も多いと思います。まあ作ってるのは素人で恐らく添削する先生もいないですし、時々粗が目立つ作品があるのは仕方ないと思います。まあ多いのは、あまりにも表現が直接的過ぎるもの、逆に回りくどい表現でイメージがこんがらがる、ということでしょうか。玉石混交⋯⋯とまでは言いませんが、それなりに光るものもあります」
「昨日に比べたら抽象的な気がするけど、さすがだな⋯⋯」
おぉーっと称賛の声を上げる部長、思わず手を止めてしまった副部長に慎ましやかに赤面しながら拍手する部員、きっとこの中には彼女の作品もあるのだ。
別に俺は、素人の作品なんだから適当に褒めてあげればいいじゃないか、などというつもりは無いし、ちらっと原稿の1枚目に目を通しただけだが、明久里の言うことは当たっていると思う。
ただどうして、明久里はこうも偉そうにいられるのだろうか。
昨日もそうだが、明久里が評論する時、その整った顔は無表情を極める。
情緒など感じさせる様子は微塵もない。
ただ淡々と流れ作業をこなす仕事人のように語る。
その様子は、この爆弾女子がどこぞの権威であるかのように錯覚させる。
何より不可解なのが、明久里の性格からしてそれを素でやってのけている事だ。
──おい明久里、こっちも評論を頼む。
頭の中で俺がまだ手に持っている原稿を渡す想像をしたが、俺が死にたくなるし、万が一明久里が俺の恥辱を見かねて急激に心拍をあげてもいけない。
俺は紅浦の書いた悪魔の書を、明久里が届かないように手を伸ばして遠くに置いた。
まるで肩に鉛玉が落ちたかのように、全身と気持ちが重く、箱の中にはまだまだ作品は残っているが、読む気になれない。
「業平くん、疲れたなら好きにしてていいですよ。実際この部は月1の作品さえ作れば後は来て勉強するなりゲームするなり、もしくは来なくても問題ないですから」
「は、はぁ。ありがとうございます」
俺の状態を察してか、部長が説明してくれた。
ならばとスボンのポケットからスマホを取り出し、ネットサーフィンを開始する。
隣の明久里は何か言いたげに横目を向けてくるが、ただ口を横に結んで見てくるだけで何も言わない。
気にしなければいいだけかもしれないが、流石に何十秒もそうして見つめられると、気が散るし気になる。
「何か言いたいことでもある?」
「いえ、ただ真面目に部活しないのかなって思いまして」
「俺ここの部員じゃないからな。あと今日はもう体力を使い果たした」
「では、今日はもう帰りますか?」
「あー⋯⋯」
明久里からその提案がされるとは思っておらず、渡りに船であった。
俺達の話を聞いていたのか、こちらを伺っている部長を1度確認する。
「どうぞ。すみませんいきなり変なもの見せてしまって。体験ですしまた何時でも来てくださいね」
部長はにっこり笑いながら言った。
裏表が無さそうな人ではあるが、変なものという言葉に、少々この人の本音が垣間見えた気がした。
もっとも、部長も被害者なのだから仕方がない。
全面的に紅浦が悪い。
もし紅浦が部を追い出されたとしても、俺は全面的に部を支持する。
「ありがとうございます。では今日はもう失礼します」
部長の好意に甘えて席を立ち、原稿を箱の中に戻す。
「もしよかったらまた来てください。なんなら明日にでも入部してくれてもいいんですよ。碧山さん。もちろん業平君も」
「考えておきます⋯⋯」
部長達に頭を下げ、明久里と共に出口に向かって歩き出す。
「ありがとうございました」
扉を出る直前に明久里は頭を下げて退出し、扉を閉めた。
まだ日は僅かに高く、昨日ほど暮れてはいない。
窓の外にあるグラウンドからは、運動部の声が今日も鳴り響く。
「どうだった。文学部は」
廊下を進み、隣に立つ明久里に尋ねる。
「面白かったです。でも入部はしません」
「⋯⋯どうして?」
明久里の応答に、驚きは無い。
ただ漠然とだが、明久里はきっとこの部には入らないだろうと、あの教室に居た時から考えていた。
明久里は前を向いたまま、黙っている。
理由が特にないのか、それとも言い難いのか、無言を貫いたまま、階段を降り始めた。
「私、もうどうするかは決めました」
階段を折り返した直後、明久里が強い語気で言った。
その言葉には明久里の決意が感じられた。
「作品⋯⋯ですか」
明久里は少し興味を示したのか、瞼がさらに開いた。
たしかに、ただ本を読むだけなら図書室でいいし、なにより面白みがない。
本を読むだけなら、それは読書部だ。
「作品って言っても、なにも単行本1冊分書けなんて言いません。もちろん書きたいなら書いていいし、短編小説でも詩でも俳句でも、なんでもいいんですよ。この部の1番の目的ですね。文学に触れ自らも文学を描く。そしてそれを発表する。長編小説なんかだとさすがに1日では読み切れませんけど」
説明し終えると、冗談交じりに笑った。
なるほど。本棚の1箇所にある原稿用紙はそれのためで、今副部長さんがしている、Bluetooth型のキーボードで、横向きに立てた小さなスマホに文字を打ち込んでいるのも、その発表会の為の作品作りなのだろう。
「まあ説明はこれくらいです。体験と言っても、することは限られてるので自由にしてくれて構いません。この部屋の本を読んでもいいですし、収納してる皆の作品を見てもらってもいいですよ。それとも、早速碧山さんが作品を書いてみても」
さて、明久里はどう出るのか。俺の注意は、明久里の始めの動きに向いた。
明久里は教室に目を向け、少し俯いて考える素振りを見せた。
そしてなにか決めたのか、顔を上げて部長を見上げた。
「では、皆さんの作品を閲覧させていただいてもいいですか」
「はい。もちろんですよ。この部で書いた作品は校内で見たい人がいれば見せるというのが決まりですから。業平くんもどうぞ楽に」
「ああはい、どうも」
となると、不出来なものや内容によっては作者はかなり恥ずかしい思いをすることもあるのだろうか。
まあ、内容で恥をかくとしたら本人の責任だ。
部長は俺達の後ろにある棚へ移動し、束ねられた原稿用紙の隣にある、分厚いアルミの銀の箱を手に取り、戻って明久里と俺の前に置いた。
アルミの箱はでこぼこしていて、端がすこし汚れていたり、色が落ちている。
「この中にはここ数年の作品がほとんど入っています。ほとんどみんな書くのは詩や俳句が多いので。一部長編小説があったりもしますが、それは紐でまとめてるのですぐ分かります。ではごゆっくり」
部長は俺達に微笑みかけてくれたが、明久里は箱に夢中で見ていない。
俺だけでもと笑顔を返すと、部長はさらに口角を上げ、本棚にあるハードカバーの本を1冊取って席に戻った。
本棚も気になるが、皆の作品というのも気になる。
「素人が書いた作品なんて読む価値ないです。作者が死んで30年以上経つのになおも書店で売られてる作品こそ読む価値があるんです」
とか明久里なら言うと思ったが、そんなことは無くただの俺の偏見だった。
明久里は箱の蓋を指で軽く広げながら、おもむろに蓋を外した。
中には、蓋の寸前の高さまで原稿がびっしりと詰まっている。
そして、1番上には部長が言っていた原稿用紙の右端を紐で纏めた、長編作品がある。
「いきなり長編か、どんなだろう」
明久里が手を伸ばすより先に、興味本位でその原稿を手に取った。
原稿を持ち上げた瞬間、中々の重さが手を通じて上半身に伝わった。
まとめられた原稿は随分と分厚い。
いったいどんな作品なのか、タイトルが書いていると思われる1枚目の1行目に目を向けると、俺は言葉を失った。
原稿から目を背けるように顔を上げると、向かいに居る部長と副部長、さらには部屋の後ろで座っているもうひとりの部員までもが、俺を見ている。
注目が集まるのも無理は無い。
原因は、今俺の手の中にあるこの作品にあった。
『Secret School Love affair』
直訳すると『秘密の学校の恋愛』といったところか。
無論、タイトルの下には紅浦水樹としっかり書かれている。
明らかに官能小説だとわかるタイトルに加え、書き出しがやばい。
『鷹橋は目覚めてしまった。成平への禁断の愛に』
名前の文字こそ変えているが、これは間違いなく俺と1年の時数学の担当だった高橋先生だ。
一々頭から読んでられないので、分厚い原稿用紙の束をペラペラとめくった。
どうやら短編のオムニバス形式らしく、俺の他に見知った生徒や教師の名が、漢字1文字だけ変えて登場している。
しかしそれにしてもだ。
「いや、あいつどんだけ書いてるんだよ。化け物か」
ペラペラとめくった感触に過ぎないが、体感では原稿用紙の枚数は300枚を超えている。
サッカー部にいながら、一体いつこれほどの原稿を書き上げたのか。
「凄いですよね。それ紅浦さんが入部した当初からずっと書き続けてるんですよ」
俺の心の声を察したのか、部長が眼鏡の位置を直しながら、苦笑いして言った。
何故か部長は、俺と目を合わせたくないのか、斜め下を向いている。
一瞬、この人に嫌われることでもしてしまったのかと、胸に問いかけてみたが、部長の眼球が微かに俺の手元に向かうのを確認し、理解した。
「部長さん、もしかして部長さんもこれに?」
「はい⋯⋯業平君の次に出てきます。見ないでくださいね。それに、探さない方が君のためです」
見ないでくださいと言われて引きさがれるほど、人間は我慢強くない。
ページを1枚ずつめくるが、俺と高橋先生の話がダラダラと続く。
何十枚目かのページをめくった所で、部長がなぜ探さない方が俺のためと言ったのかが分かった。
ページをめくる度に視界に現れるあいつの書いた文章。それを脳が認識する度、肉体と精神に多大なるダメージを負った。
『先生の方から誘うなんて、とんでもない女狐だ』
『ほら、媚びてください。俺が満足しないと餌はあげませんよ』
などと到底自分が言うはずのないセリフの数々が、潜在意識の中から羞恥心を湧き起こし、身の毛がよだつ思いがした。
さらに俺の体に鳥肌を立たせたのが、叙述の表現がやけに官能的で巧緻なことだ。
俺の好きな昭和の文豪を思わせるかのような表現が時折現れ、目が奪われてしまう。
そうすると自然と続きを読んでしまい、歯がムズムズするようなおぞましい台詞パートで目が覚めて、次のページをめくった。
もしこの作品の作者が不明で、登場人物のモデルが俺でなければ、読みふけっていたかもしれない。
それほどまでに紅浦の執筆能力は高く、感嘆の意を評すに値する。
あまりにも臭すぎる台詞を消してくれればだが。
『さあ先生、今日は君が俺の生徒だ。君も知らない大人の事、全て教えてあげますよ』
──やめてっ。もうこれ以上読んだら俺死んじゃう。もうとっくにはじめのHPはゼロなのよ!
部長さんのパートを探すのを諦め、勢いよく原稿を閉じた。
「部長さん、これは灰にしたほうがいいんじゃないですか」
「だめだよ。どんな創作物でも認めてあげなきゃいけないし」
部長のその言葉が建前であることは、眼鏡の奥の目が澱んでいることで察せた。
部長は、この部で作られた作品は希望者がいれば見せることが決まりだと言っていた。
「あのぉ、この作品見たいって言った生徒はいるんですか」
「ああ、女子サッカー部の面々には見せましたよ。後は去年も併せて十数人ってところでしょうか」
「ぐっ」
俺は頭を抱えて唇を噛み締めた。
女子サッカー部にそれほど知り合いはいない。
だがきっと、彼女達は来年俺とクラスメイトになったとしても、話しかけてはくれないだろう。
まあ、そもそも話しかけてくる女子なんて限られているから問題は無いのだが。
むしろ彼女達は紅浦の生態を知っているだろうし、俺に同情してくれているかもしれない。
さて、この数分間の間に感情がジェッドコースターのように急降下している俺の隣で、明久里は何事も無かったかのように文学部の作品を耽読していた。
今明久里が手に取っているのは、俳句らしい。
400字詰めの原稿用紙に、何句も書き連ねられている。
俺は俳句の善し悪しというものが分からない。
がしかし、またあの評論が聞けるなら楽しみではある。
「どうだ明久里、読んでみた感想は。折角だから言ってみたらどうだ?」
俺の好奇心と、いつまでも部長二気にかけてもらうわけにはいかないという真心が、まるで自分を文学部の部員のように振る舞わせる。
「そうですね」
俺を一瞥し、また原稿に目を向けながら明久里は言葉を紡ぐため、その内容を確かめた。
作業中の副部長を覗いて、部長ともうひとりの部員が明久里をじっと見ている。
「まあよく出来てる作品も多いと思います。まあ作ってるのは素人で恐らく添削する先生もいないですし、時々粗が目立つ作品があるのは仕方ないと思います。まあ多いのは、あまりにも表現が直接的過ぎるもの、逆に回りくどい表現でイメージがこんがらがる、ということでしょうか。玉石混交⋯⋯とまでは言いませんが、それなりに光るものもあります」
「昨日に比べたら抽象的な気がするけど、さすがだな⋯⋯」
おぉーっと称賛の声を上げる部長、思わず手を止めてしまった副部長に慎ましやかに赤面しながら拍手する部員、きっとこの中には彼女の作品もあるのだ。
別に俺は、素人の作品なんだから適当に褒めてあげればいいじゃないか、などというつもりは無いし、ちらっと原稿の1枚目に目を通しただけだが、明久里の言うことは当たっていると思う。
ただどうして、明久里はこうも偉そうにいられるのだろうか。
昨日もそうだが、明久里が評論する時、その整った顔は無表情を極める。
情緒など感じさせる様子は微塵もない。
ただ淡々と流れ作業をこなす仕事人のように語る。
その様子は、この爆弾女子がどこぞの権威であるかのように錯覚させる。
何より不可解なのが、明久里の性格からしてそれを素でやってのけている事だ。
──おい明久里、こっちも評論を頼む。
頭の中で俺がまだ手に持っている原稿を渡す想像をしたが、俺が死にたくなるし、万が一明久里が俺の恥辱を見かねて急激に心拍をあげてもいけない。
俺は紅浦の書いた悪魔の書を、明久里が届かないように手を伸ばして遠くに置いた。
まるで肩に鉛玉が落ちたかのように、全身と気持ちが重く、箱の中にはまだまだ作品は残っているが、読む気になれない。
「業平くん、疲れたなら好きにしてていいですよ。実際この部は月1の作品さえ作れば後は来て勉強するなりゲームするなり、もしくは来なくても問題ないですから」
「は、はぁ。ありがとうございます」
俺の状態を察してか、部長が説明してくれた。
ならばとスボンのポケットからスマホを取り出し、ネットサーフィンを開始する。
隣の明久里は何か言いたげに横目を向けてくるが、ただ口を横に結んで見てくるだけで何も言わない。
気にしなければいいだけかもしれないが、流石に何十秒もそうして見つめられると、気が散るし気になる。
「何か言いたいことでもある?」
「いえ、ただ真面目に部活しないのかなって思いまして」
「俺ここの部員じゃないからな。あと今日はもう体力を使い果たした」
「では、今日はもう帰りますか?」
「あー⋯⋯」
明久里からその提案がされるとは思っておらず、渡りに船であった。
俺達の話を聞いていたのか、こちらを伺っている部長を1度確認する。
「どうぞ。すみませんいきなり変なもの見せてしまって。体験ですしまた何時でも来てくださいね」
部長はにっこり笑いながら言った。
裏表が無さそうな人ではあるが、変なものという言葉に、少々この人の本音が垣間見えた気がした。
もっとも、部長も被害者なのだから仕方がない。
全面的に紅浦が悪い。
もし紅浦が部を追い出されたとしても、俺は全面的に部を支持する。
「ありがとうございます。では今日はもう失礼します」
部長の好意に甘えて席を立ち、原稿を箱の中に戻す。
「もしよかったらまた来てください。なんなら明日にでも入部してくれてもいいんですよ。碧山さん。もちろん業平君も」
「考えておきます⋯⋯」
部長達に頭を下げ、明久里と共に出口に向かって歩き出す。
「ありがとうございました」
扉を出る直前に明久里は頭を下げて退出し、扉を閉めた。
まだ日は僅かに高く、昨日ほど暮れてはいない。
窓の外にあるグラウンドからは、運動部の声が今日も鳴り響く。
「どうだった。文学部は」
廊下を進み、隣に立つ明久里に尋ねる。
「面白かったです。でも入部はしません」
「⋯⋯どうして?」
明久里の応答に、驚きは無い。
ただ漠然とだが、明久里はきっとこの部には入らないだろうと、あの教室に居た時から考えていた。
明久里は前を向いたまま、黙っている。
理由が特にないのか、それとも言い難いのか、無言を貫いたまま、階段を降り始めた。
「私、もうどうするかは決めました」
階段を折り返した直後、明久里が強い語気で言った。
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