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「碧山明久里です。よろしくお願いします」

 翌日、朝のHRホームルームの時間になって、明久里が同じクラスだということが判明した。
 生徒達の視線を集めての登校から、学校に入ると明久里はひとり職員室に向かい、そこからは別行動となった。

 教室の席に座ってチャイムを待つ間、明久里が緊張のあまり爆発しないか、爆発まではしなくても、あのカウントダウンの音を響かせないか心配で、俺の方が鼓動が高まっていた。

 そんな明久里に、今クラス中の視線が集まっている。
 転校生が注目されるのは当然だが、明久里とは対極の、真っ平らに整地された胸部を持つ山本先生も、眼鏡の向こうから嫉みの視線を送っている。
 
 ──そんなに睨んでも先生のは変わりませんよ。

 邪念が先生にまで届いたのか、一瞬眼鏡の奥の黒眼が、俺の心の臓を掴んだ。
 

「はい。じゃあ皆、碧山さんと仲良くね。この学校のこと色々教えてあげてください。じゃあ碧山さんは窓際のいちばん後ろの席にどうぞ」

 今の禍々しい、人を殺すだけの力を持った視線はなんだったのだろう。
 先生は瞬きする間にいつもの様子に戻っていた。
 教室中から沸き起こる拍手に包まれながら、明久里は窓際でいちばん後ろの、所謂主人公の席に着いた。

 真ん中後ろの俺とは、ひとり挟んでの距離で、随分と近い。
 ここなら異変があればすぐに分かってありがたい。

 横を見ると明久里と目が合う。
 やや表情は硬いが、さっそく前の席の女子に話しかけられ、それに応えている。

「はい。じゃあ朝のホームルームを始めます」

 ザワつく教室を鎮めるように手を叩きながら、山本先生が言う。
 新年度が始まったばかりのクラスにいくつかの
報告をし、先生は教室を出ていった。

 まだ1時間目の授業までは時間がある。
 そのせいか、ゾロゾロとクラスの何人かが明久里の元へ寄って行く。

 俺の席からは、隙間程度の幅からしか明久里の姿が見えない。

「ねえねえどこから来たの?」

「前の学校では部活は何してた?」

「そんな重たいものふたつもぶら下げて辛くない? 私が支えてあげるよ」

 最後のセクハラ女はいつか先生に報告するとして、これは少しまずいかもしれない。

 初対面で同性にセクハラ発言をかます女も問題だが、何より初めての場所で初めて会う人に囲まれるということは、それだけでストレスになる。

 特に、いま明久里の前に集まっているのはセクハラ女を除いてカースト上位連中ばかりだ。
 カースト上位なんて、俺だって話すだけで緊張する。

「あ⋯⋯えっとぉ⋯⋯」

 案の定、明久里はしどろもどろになりながら、俺と目が合った。

「そういうのは全部、はじめさんに聞いてください。私の事なんでも知ってるので⋯⋯」

「ブフッ!?」

 突然のバトンタッチに、口の中の空気を一気に噴出してしまう。
 この女は何を言い出すのか、これでは爆弾系の意味が変わってくる。性格爆弾系女子だ。

「はじめさん⋯⋯って、業平なりひらのこと?」 

 そう聞き返しながら、セクハラ女⋯⋯紅浦こううら水樹みずきが俺の方を見てくる。
 高校生にもなって下ネタが好きという爛れた趣味が無ければ、相変わらず見た目は悪くない。

 小柄で、ねこ顔と呼ばれる類の顔と、ショートボブの赤い髪が特徴の紅浦は、男子からの人気がない訳では無いが、女子からは基本疎まれている。
 その理由は簡単、下ネタが鬱陶しいのと、その性格の割に男子から人気があるからだ。

「え!? なになに!? 碧山さんと業平ってそういう関係!?」

「おいちょっと待て」

 これ以上喋らせると、変な噂が立つ以前に明久里の鼓動が高まる可能性があるので、席を立って紅浦の肩を掴んで止めた。
 がしかし、今のところあの音は鳴っていない。 

 さて、ここから明久里の発言をどうフォローすべきか、当の本人は言い訳する素振りも見せず、ただ黙って俺を見ている。
 とっさの一言の責任は俺が取れということなのか、見た目以上に強かかもしれない。

「碧山さんと業平って、もしかして知り合いだったりするの?」

 ここでクラス一番の潤滑油、爽やかスマイルの西澤君がいいパスを出してくれた。

「うん、親戚なんだ。結構人見知りするからそれで俺に頼ったんだと思うよ」 

「ああ、なるほどね」

 西澤君が納得していると、教室の扉が開く。
 1時間目の教師が到着したのだ。

「おーい。お前ら席につけよー」

 理科の高橋先生がそう言うと、明久里の周りの皆が離れていく。俺と紅浦を除いて。

 俺を見上げる明久里に言いたいことは色々あるが、今はグッとこらえて席に戻る。
 動き出した途端、紅浦が小さく呟いたのを俺の耳は聞き漏らさなかった。

「後で詳しく教えてね。ふたりの本当の関係」

 無駄に含みのある言い方をしていたが、要するにやましい事が無いか知りたいだけなのだろう。あの女版出歯亀は。

 席について、なんだか暑くなってブラザーを脱いで椅子に掛けた。
 ふと、明久里は教科書を持っていないことを思い出したが、どうやら学校側が貸し出してくれたのか、鞄の中から取り出していた。

 授業中、明久里の心臓が脈打つことは無かった。
 いきなりサプライズ的に先生に指名された時はどうなるかと思ったが、何ともなかった。

 考えてみると、今の所タイマーが作動したのは俺に胸を触らせたあの1度だけだ。



 休み時間になる度、明久里の周りには人が集まっていた。
 本人も今朝の発言を反省したのか、それともこの空間に慣れたのか、皆の質問に淡々と答えていく。

 ただ聞く限り、内容はほとんどが嘘だろう。
 明久里は俺の父と一緒に海外に居たはずなのに、話が日本での事ばかりだ。

 俺は休み時間の度に、友人の富山とみやま君と好きな週刊少年マンガ雑誌を読みながら、明久里の会話に耳を傾けた。

 富山君は転校生にはあまり興味が無いのか、明久里を見ようともしないし、俺に質問もしてこない。
 彼のトレードマークである、ぴょこんと中央で跳ねた癖毛が、今日は有難く思えた。

 3時間目の休み時間も一緒に読んでいると、作品の1番最後のページに悲しいお知らせが載っていた。

「あ、富山君。来週でこの漫画打ち切りだよ」

「嘘ぉ! 今いちばん楽しみにしてた作品なのに」

「それは君がクソ漫画愛好家だからだよ⋯⋯3カ月読んでたけど全く面白くなかったよこれ⋯⋯このやり取り何回目だろう」
 

 ────

「はじめさん、一緒に食べましょう」

 4時間目が終わってすぐ、明久里は俺の席へやってきた。
 その手には、今朝俺が作った弁当が入った、赤い花柄の巾着が握られている。

 弁当は別に、明久里のために作った訳では無い。
 料理が好きな俺は、1年の時から健康的に自炊していた。
 ただ1食増えただけではなんの面倒もない。

「あぁ⋯⋯」

 返事しようとすると、俺と明久里に集まる女子達の視線が気になって仕方ない。
 きっとみんな、明久里を誘ってくれようとしたのだろう。
 そして今、特に女子と仲良くもない俺に声をかけたことで遠慮し、身を引こうとしている。

 この学校を設立した教祖のおかげなのか、基本的に善人だらけだ。

「碧山さん業平と食べるの? 私も一緒していい?」

 そう、今まさにそう言いながら自分の椅子を俺の真ん前に置き、答えを聞く前に腰を下ろした紅浦水樹を除いては、人格者が多い学校である。表向きは。

「は、はい⋯⋯いいですよ」

 明久里は了承するものの、どこか言葉にキレがない。
 教室に入ってそうそうハラスメント発言をされたのだから、そうなって当然だが。

「じゃあ明久里も椅子持ってきてよ」

 明久里は弁当を机に乗せて、椅子を取りに行った。
 この際、紅浦は居ないものとして扱う。

「ねえねえ、親戚ってことはお風呂とか一緒に入ったことあるの?」

 さっそく、紅浦のセクハラ攻撃が始まる。
 俺がこれを無視すれば、明久里に矛先は向くだろう。
 となるとこの一撃は俺が止めねばなるまい。

「ない」

「えー、ほんとぉ? 小さい頃に一緒に入浴して同じベッドで寝たりしなかったの?」

 知らぬ間に俺と紅浦の間に座った明久里が弁当箱を開く。
 中身は俺のものと変わらない。
 卵ふりかけをかけた白米に、おかずは卵焼きとミートボール、それにブロッコリーときんぴらごぼう。
 ちなみに卵焼き以外のおかずは企業努力によって生まれた冷凍食品だ。

「いただきます」

 どうやら、明久里は紅浦のハラスメント攻撃は全て俺に託したらしい。
 弁当箱を左手で持つと、箸で食材を口に運び始めた。

「無い」

 無論、昨日は別の部屋で寝たし、風呂も明久里が先に入った。
 
「爆弾はお湯に使っても大丈夫なのかなぁ」
と少しからかうように聞いた時には、道に転がる石ころを見るような虚無感漂う目で見られた。

「逆に聞きたいけど、紅浦は歳の近い男の親戚とそういうことしたか」

「うんしたよ」

 平然と答える紅浦に、こいつはこういうヤツだったと改めて認識する。

「むしろ結構普通だと思ってたよ。ねえ碧山さん、そう思わない?」

 突如矛先が明久里に向く。

「え?」

「おいちょっと待て。なぜいきなりそっちにいく」

 明久里は箸を止めて眼球を左右に移動して交互に俺達を見ている。

「だってぇ、業平が硬派過ぎるってことも考えられるでしょ? もしかしたら碧山さんは他の子とはそういうことしたかもしれないし」

「ちょっと卑猥な言い方するのやめろ!」

 ていうか、なぜこの女は平然と教室の中でこんな話が出来るのだ。
 性格でいえばこの女も爆弾系の素質は充分だ。

「別にぃ、子供のスキンシップの話だよ。ねえ碧山さん。どうだったの?」

 どれだけ攻めこめば人に嫌われるのか実験しているようにも思える。 
 ニヤニヤと微笑するその姿は、悪魔さながらだ。

「わ、私もそ、そんな、そんなこと⋯⋯」

「本当かなぁ? 恥ずかしがらなくていいんだよ。ほら、私にだけ耳打ちして」

「だ、だからほん、ほんとに⋯⋯」

 案の定、明久里は頬を紅く染めながら、何度も言葉を途切らせながら話す。

 ────あ、マズイ。

 言葉を口に出す前に、頬が赤らんで来た時点で止めるべきだった。

「あれ、なんか変な音聞こえない? タイマーでもかけてるの?」

 俺の次にその音に気づいたのは、最も近くにいた紅浦である。

「明久里、ちょっとこっち来てくれ」

 紅潮して固まった明久里の手を引き、強引に立たせて教室から連れ出す。
 廊下を少し進み、角を曲がったところで明久里を壁にもたれかからせる。
 まだ音は鳴っているが、頬の色は戻ってきている。
 そういえば、父は音が鳴り始めてどれくらいでタイムリミットなのか教えてくれなかった。

 廊下を行き交う先生や生徒の目に、女の子を壁に寄りかからせて壁に手をつく俺はどう映っているのだろうか。

 手を壁から離してひと呼吸置くと、明久里の音は消えた。

「⋯⋯助かったな」

「⋯⋯すみません」

「いや、あれは明久里のせいじゃない。完全に紅浦が悪い。嫌だったら離れてもいいんだぞ」

 申し訳なさそうに俯く明久里を励ますが、首を横に振って顔をあげようとしない。

「違うんです⋯⋯紅浦さんのお話は面白いです」

「えっ?」

 まさか、明久里も女版出歯亀の素質を備えているのだろうか。
 そんなはずは無いと信じたい。

「今日初めて、こんなに仲良くしてくれる人達に触れ合えましたから。紅浦さんも皆さんも全部新鮮で、楽しいです。ただ緊張して上手く話せないのが辛くて、せっかく紅浦さんが仲良くしてくれてるのに⋯⋯」

 どうやら、俺の勘違いだったらしい。
 明久里は、恥辱に耐えられなかった訳ではなく、ただ人が人と仲良くしたいのに上手く言葉を紡げない。
 そんな一般人なら誰でも経験する事に、自分自身を責めてしまったようだ。

 俺は頭を掻きながら、父が俺に明久里を託すように言った言葉を思い出して、おかしくなって笑った。
 明久里がどんな半生を歩んできたのか、全く知らない。
 もしかしたら、ずっと同年代の友達もいなかったのかもしれない。
 確かにそうなら、いきなり人気者になって戸惑うだろうし、上手く相手できなければ失ってしまうかもと焦るのも無理はない。

「ならあれだ、明久里は何も考えずに浮かんだ言葉を伝えればいい。そうすれば、少なくとも紅浦と俺は受け止められるはずだし、それで失敗したりまた爆発しそうになったら俺が助けるから」

「はじめさん⋯⋯」

 鮮やかな虹彩が、俺の視界に映し出される。
 明久里は目を潤ませながら、微かに笑顔を作っている。

「じゃあ早く戻ろう。このままだと変な噂になるから」

「はいっ」

 俺の言葉に応えた声は弾んでいた。
 教室に戻ると、山本先生も含めて案の定俺達に注目が集まる。

 関心を寄せられること自体には動じないのか、明久里は俺より先に席に戻った。

 ほんの少しの間1人になっていた紅浦の二段重ね弁当の中身は残りわずかとなっていて、なぜか俺の弁当箱にはいっているはずのミートボールが消失していた。

 紅浦を軽く睨むと、悪びれる様子もなく舌を出したので、俺は呆れることしか出来なかった。

「で、ふたりでなにしてたのかなぁ」

「⋯⋯別に、手遅れになる前にトイレの場所を教えただけだ」

「ふーん。まあいいけど」

 助平女なのに、こういう所はサッパリしているのが、男から人気な理由なのだろう。
 深く聞かれれば言い訳が思いつかなかったので危なかった。  

 ミートボールが奪われたので、なけなしのふりかけでご飯を食べ進める。

「でさぁ、明久里ちゃん、ほんとに何も無いの? ふたりって結構仲良さそうだけど」

 相変わらずしつこすぎて何も言えないが、明久里は少し落ち着いているのか、目を泳がせることなくじっと紅浦を見ている。

 どうやら、初めて会った時の様子に戻ったようだ。
 となると、あんなくだらない茶番劇を繰り広げたのに、俺は最初から緊張するほどの相手でも無かったのだろうか。

「そういうのはありません。はじめさんには昨日胸に触ってもらっただけです」

「なっ!? 碧山さん!?」

 驚愕のあまり今朝知った苗字で呼んでしまった。

 明久里の発言は思いのほか声が大きかったせいで、今日だけで何度目かの注目が俺に注がれる。
 そして、先生に至ってはまた人を殺せそうな視線を俺に浴びせてきている。

「へぇ、そうなんだ。詳しく聞かせてよ碧山さん」

 スクープを獲た記者のような喜色満面の顔で、紅浦が明久里の肩を掴む。

「いや、普通にただ触ってもらっただけです」

「そこははぐらかすんかい!」

 なぜか爆弾のことだけは綺麗に隠したことに、関西弁でつっこんでしまった。

 何も考えずに浮かんだ言葉にしては、あまりにも俺だけにクリティカルヒットしすぎている。

 この後、昼休みが終わるまで机に突っ伏して寝たフリをしていたのは言うまでもない。

 
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