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第三十八話 待つだけじゃ
しおりを挟むごろごろ、ごろごろと、雷雲が唸っている。
太陽が隠れた仄暗い森の景色を、わたしはバルコニーから眺めていた。
「はぁ──……やっちゃった……」
昨日やらかしたことを思い出してげんなりする。
シグルド様に対してなんて態度を取ってしまったんだろう。
思い返してみてもわたしの態度は侍女にあるまじきものだった。
自分の気持ちを主に勝手に押し付けて、勝手に落ち込んだんだもの。
あれからシグルド様はあまり喋らなかったし、気まずい思いをさせてしまったに違いない。
(いや……シグルド様なら何とも思ってないのかな……)
バルコニーの手すりに顔を埋め、シグルド様の顔を思い浮かべる。
みんなが怖いと言う無表情。
口の端をちょっぴりあげた優しい微笑み。
頬に触れた指の熱は今もまざまざと思い出せる。
「……好き」
口に出して、かぁぁああ、と顔が熱くなる。
ばたばたと両足を動かしちゃうけど、一度疼いた熱は止まらなかった。
好き。
好き。
好き。
いつからだろう。
きっとシグルド様に最初に救われた時だわ。
わたしは、あの人に恋をしたんだ。
理想の騎士を体現するあの人に、一人ぼっちの闇を晴らしてくれる光に──
(届かないと、分かってるけど)
わたしは侍女なのに。
恋なんてしちゃいけないと思っていたのに。
それなのに……こんなにも、苦しい。
(馬鹿だなぁ、わたし)
わたしがこうして悩んでいることも、シグルド様にとっては『そんなこと』だ。
彼にとってわたしは庇護すべき弱者で、それ以上でも以下でもない。
主人と侍女。これがわたしたちが引くべき一線なんだ。
だけど、それでも。
好きな人に望まれたいって思うのは、ダメなことなのかな……。
「あら?」
その時、森の街道から女性が歩いて来た。
あの人は……。
慌てて降りて玄関を開けると、その人は手をあげて挨拶する。
「やぁ、アンネローゼ嬢」
「ニ―ナ様……」
先日の魔杖競杖でこの人の想いを知ってしまったわたしはなんだか気まずくて目を逸らしてしまう。
「あ、あの。シグルド様は」
「大丈夫。居ないことは分かってる。二度と会わないと言ったことだしな」
え?
「……じゃあ」
「今日は貴女に会いに来たんだ。少し、話でもしないか?」
「話……」
ニ―ナ様は申し訳なさそうに目を伏せた。
「もちろん、貴女が私を信用できないのは分かってる。あんなことをしたのだし……」
「い、いえ! 信用できないとかじゃないです。ただ、戸惑っただけで」
どうぞ、と言ってニ―ナ様を招き入れる。
お茶を淹れてテーブルに戻ると、なぜか「ふ」と微笑まれた。
「そうしていると、先日魔杖競技で大暴れした女性と同一人物とは思えないな」
「あぅ……あれはたまたまなので……」
わたしが剣を使えることはみんな知らなかったし、シグルド様の魔力がなきゃそもそも参加すら出来なかったもの。
「それで、今日はどういったご用件で」
「うん」
ニ―ナ様はカップを置いた。
「まずは改めて謝罪を。先日は嫌な思いをさせて済まなかった」
「ひゃう! だ、だからニ―ナ様が謝られるようなことはしてませんし」
「そうか。なら、私もこれ以上はやめておこう……感謝する」
言って、ニ―ナ様は朝葱色の瞳をあげた。
「ところでアンネローゼ嬢。貴女はシグルドのことをどう思っている?」
「ふぇ!?」
い、いきなりなに!?
「答えてくれ。真剣な話なんだ」
心臓がドクンドクンうるさい。
自分の想いを他人に打ち明けることが恥ずかしくて、胸が苦しくなる。
だけど、この人の想いを知っているわたしは嘘をつけなかった。
「大切な、方です。出来れば傍でお支えしたい……と思っています」
「……そうか」
ニ―ナ様はそれだけですべてを悟ってくれたようだった。
「悩んでいるのか?」
こくり。と頷く。
「わたし、シグルド様に必要とされてないんじゃないかって……シグルド様の魔力が効かないからお傍に居られるけど、もしわたし以外にもそういう人が現れたら……シグルド様はその人にも心を許しちゃうのかなって……そう考えると、胸が苦しくなって」
「……確かに、そんな人間は今まで見たことがないが……今後も現れないとは限らないな」
そう、そうなのだ。
わたしは別に、特別な人間なんかじゃない。
どうして魔力がないのかは分からないけど、わたしみたいな人もきっとどこかにいるだろう。
この国じゃないかもしれないけど、この広い世界のどこかにはいるはずだ。
「だが、シグルドが心を許すのは魔力の有無だけじゃないと思うぞ」
「え?」
どういう、こと?
疑問が顔に出ていたわたしにニ―ナ様は続けた。
「シグルドはな、ああ見えて面倒くさい」
「え」
「理屈をこねくりまわして本音を見せない。幼い頃から騎士の矜持を叩き込まれたせいで、自分を国のために働く道具か何かだと思っている。そこに加えてあの体質だ。あいつはな、望んじゃいけないと思ってるんだよ。自分の望みを出すのが限りなく下手くそなんだ」
ちょっとだけムッとした。
わたしが知らないシグルド様の一面を語られるのがちょっぴり嫌だった。
「それは……自分のほうがシグルド様の知っているという、あの……」
「そういうわけじゃない。そもそも私は袖にされた身だぞ?」
からかうように言われて、わたしは恥ずかしくなった。
「はみゅ……すみません。ちょっと嫉妬しちゃいました」
「いいさ」
ニ―ナ様は笑った。
「私が言いたいのはな……奴が出している態度が奴のすべてということだ」
「態度……」
「あいつは一言でも、貴女に自分から離れるように促したか?」
「……いえ」
「何度も言うが、あいつは面倒くさい。本心は決して見せようとしない……貴女以外にはな。思い出してほしい。貴女はシグルドに何と言われた?」
わたしは頬の熱を思い出す。
『君のこの顔が見たかった』
寂しかったわたしの傍に居てくれた、彼の顔を思い出す。
『アンネローゼが誰よりも美しいのは自明の理だろう』
みんなに不気味がられていた白髪を綺麗だと言ってくれた優しさを思い出す。
いつだってそうだった。
わたしが気にしていることを、彼はむしろ長所だと言って褒めてくれた。
それがとても嬉しくて、温かくて、切なくて……。
「シグルド様……」
心臓の上をぎゅっと抑えて俯く。
会いたい。
会いたい。
会いたい。
今、とっても彼に会いたい。
「アンネローゼ嬢。貴女はどうしたい?」
「わたしは……」
息を吸って、吐く。
わたしは顔を上げて、ニ―ナ様と目を合わせた。
「わたしは……お傍に、いたいです。魔力がない体質だからじゃなくて……シグルド様のことを怖がらないからでもなくて……ただわたしを必要としてほしいです。わたしのことを見て欲しいです」
「うん」
ニ―ナ様は微笑んだ。
「それが聞きたかった。なら、それをぶつけに行こう」
「え」
「あの不器用で面倒くさすぎる男は、それくらいしなきゃ伝わらない」
「い、今からですか」
「思い立ったが吉日だ。会いたいだろ?」
その質問には迷わなかった。
「会いたい……会いたいです」
「いい返事だ。捕まっていろ」
「ふぇぇぇええ!?」
ニ―ナ様に手を引かれ、わたしは空に飛びあがった。
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