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第十二話 騎士の努め

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「……どういうことだ?」

 面食らったようなシグルド様に申し訳なさが募る。
 わたしだって、こんなはずじゃなかった。
 シグルド様のお屋敷はもっと街中にあるものだとばかり……。

「森の中が嫌なのか? それなら……」
「ち、違います! ここは静かでとても素敵なおうちだと思うんです。森の中なのはびっくりしましたけど、逆に落ち着くっていうか」
「ならなんだ」

 ざわざわと、森が囁いている。

「……声が、聞こえるんです」

 ──さぁ、来たぞ。獲物が来た♪
 ──狩りの時間だ。早いもの勝ちだ♪

 わたしにだけ聞こえる声。
 わたしを狙う、わたしを食べたい災魔レギオンの声。

「来ます……」

 茂みの中から黒い影が飛び出してきた。
 イタチのような流線型の身体に黒い体表、わたしより禍々しい赤い目。

災魔レギオンか」

 魔神が産み落とした忌まわしき存在。
 人を喰らい、人に仇を為す災魔レギオンは世界を蝕んでいる。
 畑を荒らす害獣のようなもので、シグルド様も扱いには慣れているようだった。

「《凍れ》」

 杖を一振りするだけで災魔レギオンを氷像に変えてしまう。
 やっぱりシグルド様はすごい。
 魔法もすごい綺麗。だけど……。

「まだまだ来ます」

 周りの茂みに蠢く無数の黒い影。
 それは間違いなく災魔レギオンの気配だった。

「……今日は数が多いな」
「わ、わたしが居るからです……」
「なに?」
「わたしと居たら、災いが襲ってくるんです」

 そして滅ぶ。人も物も街も何もかもが。

「わたしがここに居たら、全部なくなっちゃう。トロイのように……!」
「……」

 昔々、今から五年くらい前にトロイという街があった。
 わたしの故郷。緑豊かで街に川が通っていて風光明媚な街だった。
 トロイは凶悪な災魔レギオンに襲われて一夜にして滅んだ。

 お父様とお母様はわたしを守って死んだ。
 いつもパンをくれた庭師さんはわたしの代わりに食べられた。

 むせかえるような血の匂いを覚えている。
 人々が悲鳴をあげて逃げ惑い、次々と災魔レギオンに食べられていく様を覚えている。
 誰かがわたしを指差した。
 珍しくて綺麗だね。と言った白髪を指差して。

『この子が呼んだのよ!』
『災厄を呼ぶ女だ!』

 わたしを生贄に差し出す人たちは順番に殺された。
 次はいつ誰が死ぬかという時に、わたしは真っ先に差し出された。
 災魔レギオンはわたしを食べず、他の人を食べた。

 みんなが居なくなった後、災魔レギオンは去った。

 わたしは、廃墟の中で一人になった。

「わ、わたしは、本当は生きてちゃいけないんです」

 シグルド様の身体を押しやる。
 やっといいことが起こり始めたと思ったらこれだ。
 いつだって、どんな時も、自分は幸せになっちゃダメなんだと思い知らされる。

 王都や領都のように大きな街では災魔レギオン除けの結界が張られてあるから、なんとか暮らせていたけど……

「わたしがここに居たら、し、シグルド様も殺されちゃう」
「……」
「そんなのやです。あなたみたいな人がわたしのせいで死んじゃうなんて、耐えられない……!」

 シグルド様がくれた優しさは万人に向けられるべきものだ。
 騎士の中の騎士を自ら体現する王国の剣。
 絵本の中から飛び出してきた、わたしのヒーロー。

「逃げてください、シグルド様」
「逃げる?」
「わ、わたしが囮になりますから……だから、お願いします」

 いくらシグルド様と言えど、森中の災魔レギオンを相手取るのは難しいはず。
 災魔レギオンはわたしを追ってくるはずだから、わたしが餌になればいい。
 そしたらこの人は助かる。
 わたしのせいで何の罪もない人が死ぬのは、もうごめんだから。

「助けてくれてありがとうございました。嬉しかったです」

 無理やり口元を動かすけど、ちゃんと笑えてるかしら。
 わたし、この人とは笑顔で別れたいわ。
 わたしに手を差し出してくれたこの人には、嫌な思いはしてほしくないから──

「わたしは周りに不幸を呼ぶ……悪女ですから」
「……まったく。勝手に手を振りほどくな」
「え?」

 突然、シグルド様はわたしを抱き寄せて来た。
 分厚い胸板におさまったわたしはカァァ、と顔が熱くなった。

「し、シグルド様? 話を聞いてくれなかったのですか? わたしは」
「アンネローゼ・フランク」

 シグルド様はわたしの肩をタップした。

「二つ。君は間違っている」
「ふ、二つもですか」
「そうだ。君が訓練生なら落第しているところだ」

 シグルド様は頷き、杖を振った。

「まず一つ。君が今まで災魔レギオンや幻獣、魑魅魍魎共に襲われてきたのは……」

 真正面から襲い掛かって来た黒い猪が炎に包まれる。
 あ! という声を上げる間もなく猪さんは骨だけになった。

ただの偶然だ・・・・・・
「え」

 真上から飛んできた災魔レギオンが見えない何かに叩き落とされた。
 ぐしゃり。ぐしゃり。地面に落ちて、潰れたトマトみたいに広がる。

「二つめ。君は自らの蔑称を受け入れているようだが……」

 茂みの中から一斉に災魔レギオンが飛び出してきた。
 だけど、彼らがわたしたちを襲うことはなかった。
 地上に落ちるまでもなく、災魔レギオンの群れは白い光に呑まれて消えた。

 ──……パリンッ!!

 何かが砕け散る音がした。
 パラパラと、光の欠片が舞う。
 そのひと欠片がわたしの頭に落ちて、シグルド様が丁寧に払い落としてくれた。

「真実、君はどこにでもいる、ただの女に過ぎない」
「ぁ」
「だから二度と自分を貶めるな。前にも言ったが、それは君の生き様に対する侮辱だ」

 生き様。お父様とお母様に言われて実践してきた騎士の娘としての行動。
 虐められている時に縋っていた唯一のもの。
 わたしに今あるものを肯定されて、涙があふれだしてくる。

「分かったな?」
「わ、わたし」

 唇が震えた。

「生きていて、いいんですか……?」
「少なくとも、私がそれを望んでいる」

 シグルド様は付け加えて、

「王国の筆頭騎士である私がな」

 わたしの頬に手を当て、優しく撫でた。

「それじゃ不満か」
「……っ」

 ぷるぷる、と何度も首を横に振る。
 わたしには勿体ない素敵な言葉。
 彼のような人が望んでくれるなんて今まで考えたこともなかった。
 
「シグルド様は」

 わたしは彼の胸を拳で叩いた。

「シグルド様は……女泣かせです。ずるいです」
「君は少し、泣き虫のようだな」
「おまけにデリカシーもないです。方向音痴さんです」
「……」
「でも」

 身体を離す。あんまりくっついていると火傷しそう。
 すー、はー。
 心臓の音を落ち着けて、指で涙を拭った。

「ありがとう、ございます」
「騎士の務めを果たしただけだ」

 シグルド様は相変わらずの無表情で言った。
 月明かりに照らされた彼の横顔はとてもきれいで。
 わたしには、そのお口がほんのり和らいでいるように見えた──。

 災魔レギオンの声はもう、聞こえなかった。

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