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第六話 ひげもじゃの正体

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 シグルド・ロンディウム。
 彼にまつわる噂は数多く、その中には怖いものも少なくない。

 曰く、ロンディウム家の栄光を体現する騎士の中の騎士。
 曰く、見た物を虜にする神が作った生き人形。
 曰く、単騎で強大な災魔レギオンを屠った殲滅騎士の称号を持つ。

 ──曰く、その魔は人を狂わす魔性なり。

 人食い男、栄光の騎士、社交界の氷華ひょうか、女殺しの騎士。

 数多の称号を聞いても、いまいち人物像が見えてこない。

(どんな人なんだろう)

 先輩侍女たちの噂を思い出しながら、厨房から料理を乗せたカートを押していく。
 直接厨房へ来たからまだ食堂には行っていない。
 怖い噂はたくさんあるけど、それ以上にイケメンだとか元天才だとかいう噂もあるのだ。

(すごく変わった人なのかなぁ……)

 天才と馬鹿は紙一重だというけれど、彼もそうなんだろうか。
 わたしとしては旦那様みたいに痛いことしない人がいいな……。
 嫌いな物が入ってたらお皿投げつけたりするし。もったいないわ。

「失礼します」

 厨房の扉を開けて食堂へ入る。
 高貴な方がいる時はいつもは侍女たちがずらりと控えている食堂だけど。

 シィン……。

 今はテーブルについた一人だけで、他は誰も居なかった。
 こんなこと、お客様を迎える時にはあり得ないわ。
 なんだか料理長も怖がっていたし、そんなに怖い人なのかしら。

 テーブルには男の人が着いていた。
 あの人がシグルド様……背中から見ると肩幅が広いわね。
 わたしは彼の横まで歩いて、ゆっくりとお辞儀した。

「料理をお持ちしました。給仕を務めます、アンネローゼと申します」
「あぁ。よろしく頼む」

 顔をあげたわたしは息を呑んだ。

(わぁ……)

 びっくりするほど整った顔立ちの人がそこにいた。
 短く刈り揃えた黒髪は夜を秘めたように神秘的で、黄金色の瞳は宝石みたい。
 鼻筋は通っていて、切れ長の瞳が頼もしそう。背中から見た時も思ったけど、なんか全体的に筋肉質で、細身なのに鍛え上げられているのが分かるような、雰囲気からして違う強さみたいなのがあった。ザ・強い人。そんな感じの。

 目が合った。

「さっきぶりだな」
「はみゅ? さっき……ですか?」
「あぁ。不審者は憲兵に引き渡したぞ」
「えーっと……」

 なんでそのことを知ってるんだろう。
 料理長にも侍従長にも話してないから、それを知ってるのはひげもじゃさんだけなのに。

 ん?
 ひげもじゃさん?
 確かあの人も黒髪で、綺麗な目をしていたような。

「………………もしかして、ひげもじゃさんですか?」
「今はひげが無くなったから、ひげもじゃではないな」
「そ、そうだったんですね……では方向音痴さん?」
「シグルドでいい」

 シグルド様は仏頂面で言った。
 やっぱりちょっと気にしてるんだ……。

「あの、先ほどはありがとうございました」
「礼を言われるようなことは何も。騎士の務めを果たしただけだ」

 はわわ、か、かっこいい……!
 わたしの人生で一度は言ってみたかった台詞ナンバーワン……!

「え、えっと。ではサーブしますね」
「頼む」
「こちら白雪しらゆき魚と幻草まぼろしぐさのテリーヌでございます」
「ふむ」

 真っ白なお魚の切り身を潰し、幻草まぼろしぐさと層にした逸品だ。
 キャラメル色のソースが散りばめられていて、とても美味しそうである。

「……」

 わたしは無言でシグルド様の傍に立ちつつ、お仕事の時を待った。
 えっと、食べ終わる頃に次の料理をお持ちして、お皿を下げて、それから……。
 あら? シグルド様、どうしてこっちを見てるのかしら。

「……何も感じないのか?」
「はみゅ? な、何がですか?」
「………………やはり効かないか。珍しいな」

 シグルド様は眉を顰めて怖い顔になった。
 え、えっと……わたし、何か粗相しちゃったのかしら。
 もしかして噂通りに食べられちゃう? 殺されちゃうの?


 ──……ぐうう。


 わたしはギョッとした。
 お腹の中の虫がとんでもない声で鳴いてしまったのだ。
 慌ててお腹を抑える。ちらりとシグルド様を見た。目が合った。
 あぅ……やっぱり聞いてたわよね。

「あ、あの、大変申し訳ありません!」
「なぜ謝る?」
「主人の前でお腹を鳴らすなどメイド失格です。本当に、あの……」
「人間だから誰でも腹は減るだろう。謝ることでもない」
「へ?」
「何を驚いている」

 いや、だってあの……。

 執事長にはお腹を蹴られたり、侍従長に鞭で打たれたりしたから……。
 残飯の中に頭を突っ込んだりしない? 大丈夫かしら。
 でもそれを言ったら告げ口みたいになるし、なんて言ったらいいか。

「はみゅ……申し訳ありません……」

 結局わたしは、ただただ謝ることしか出来なかった。
 深く頭を下げたわたしにシグルド様の視線が突き刺さる。
 かちゃり。と彼はフォークを置いた。

「食べるか?」
「へ?」

 思わず顔を上げると、シグルド様は皿を前に出した。

「腹が減ってるなら食え」
「い、いいいいいいいい、いえ! そんな! ご主人様の料理を頂くのはさすがに……!」
「そうか」

 シグルド様はとんとんと指でテーブルを叩いた。

「私は見られて食べるのは好かん。残りの料理を一気に持ってきてくれ」
「えっと……冷めちゃいますよ?」
「構わん。あと、私は大食いだからな。二人分持ってきなさい。食器もな」
「か、かしこまりました!」

 とにかくお腹の虫はなんとか誤魔化せたからお仕事しなきゃ。
 あれ……? でもシグルド様のお皿ってまだ料理が残ってたような。

 疑問に思いつつ、料理長に事の次第を伝える。
 彼は蒼褪めた顔で何度も頷いた。

「……よかった。ようやく食べ終えてくれるんだな」
「えっと」
「悪いが、片付け頼めるか。頼む。後生だ!」
「は、はい……? えぇっと、はい。分かりました……」

 何をそんなに怖がってるんだろう。
 料理長さんは残りの料理を高速で作り上げて厨房から出て行った。
 そういえばいつもいるお弟子さんがどこにも居ないわ。

 料理を持って戻ると、シグルド様は何やら険しい顔で上を見ていた。

「お待たせいたしました……シグルド様?」
「あぁ」

 わたしのほうを見た時はふっと眉間の皺が緩んだ。
 気のせいかしら。怒っているように見えたけど。

「メインディッシュのミルク牛のステーキに、天空牛のチーズ、わた雲氷のソルベです」
「うむ」

 ずらりと並んだ二人分の料理。
 こうしてみると本当に大食漢なんだなって分かる。
 わたしはス、とシグルド様の前にお水を置いた。

「レモン水です。お腹休めにどうぞ」
「あぁ、ありがとう……これは君が?」
「は、はい。料理長が居なくなったので、あの、こっそり拝借しました」

 もしかして余計なお世話だったかしら。
 そう思ったのだけど、シグルド様は柔らかく微笑んだ。

「ありがとう。助かる」
「……! は、はい!」

 ホ。良かった、喜んでもらえたみたい。
 でもシグルド様は思いがけないことを言った。

「……やはり多いな。悪いが、これは君が食べてくれ」
「…………ほえ?」
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