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第三十一話 幻想の絆

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「つまんないこと、ですって……?」

 他のどの言葉よりも私はその言葉が気になった。
 自然と声が低くなって、立ち上がった私はジャックを睨みつける。

「お前、今、つまらないことって言った?」
「あぁ、言った」

 ジャックは頷いた。

「テメーと父親に何があったか詳しくは知らねぇーよ。でもな、親には親の事情があんだよ。仕方ねーなにかがあったんじゃねーのか」
「お前に何が分かるの」

 ふつふつと怒りがこみあげてくる。
 寄りにもよって、私とお母様が夢にまで見た薬屋で。
 この場所でそんなことを言われて、

『ラピス、いつか二人で一緒にこの店に立ちましょうね』
『旦那様は忙しいの。そのうち来てくれるわ』

 脳裏にお母様との思い出が駆け巡って。

「……っ」

 奥歯を噛み締め、私は噛み付くように感情を吐き出す。

「何も知らない癖に、勝手なこと言わないで。お母様がどれだけお父様のことを案じていたか知ってるの? 病気になっても見舞いに来ない夫に、きっと忙しいからよって寂しそうに笑う顔を見たことはあるの? 痩せ細った妻に心配の言葉もかけないお父様の無関心っぷりを知ってるの? それがつまらないことですって。ねぇ、もう一回言ってみなさいよ!」
「つまんないことだよ。今、生きてるのはお前だろ」

 ジャックは表情一つ変えなかった。
 蒼天色の眼差しは駄々をこねる子供みたいを見る目だった。

「死んだ奴より生きてる奴を優先しろよ。死んだ奴に囚われてんじゃねぇよ。ここまでやられたら、いくら勘当されても助けてくれんだろ。頼れるうちに頼れ。それがテメーの為だ」
「頼ってどうするの!?『ほら私の言う通りになったな』とか上から目線で説教たれて、お前が悪いって泣き寝入りを薦められるのが関の山よ! 私はもうあの男に頼らないって決めたの! あの男はお母様の死に目にも合わず、私と目も合わせようとしない、根性ナシの腑抜け野郎なんだから!」

 心の中を土足で踏み荒らされている気分だった。
 お母様とお父様のことはずっと気にしていることで、私が実家と距離を置く原因になったことで。
 大好きなお母様を馬鹿にされてるみたいで、腹が立った。

「ラピスお姉ちゃん……?」

 リリの声に、ハッと我に返る。
 そうだ。今、ここには安静にすべき患者とその家族がいる。
 ううん、ただ患者じゃない。サシャはもう私の身内だし、リリもそうだ。

「ふぅ──……もういいわ」

 私は深く息を吐きだした。

「お前が乗り気じゃないのはよく分かったわ。もういい、私一人でやる」
「そうか。分かった」

 ジャックは続けて一言。

「じゃ、俺辞めるわ」
「………………は?」

 ジャックは頭をガシガシと掻きむしった。

「はぁ──あ……マジで付き合ってらんねぇよ。馬鹿馬鹿しい」
「……やめるって、どういうこと?」
「分かんねーか? 今日でテメーの下僕は終わりっつってんだよ」

 いつかは。
 いつかは、こんな日が来ると思っていた。

 こいつは絶級の探索者で、バラン公爵家の令息だ。
 いつまでも私の夢に付き合わせているわけにはいかないし、そもそもこいつが無償で治療を受けた分の治療費はもう返してもらっている。私にはこいつを引き止める理由も、止める謂れもない。でも、こいつと一緒にいると気が楽で、落ち着いて、それは私だけじゃなくて、こいつも感じてる心地よさだと思っていた。こんな日々が、少しでも長く続けばいいって思ってた。こいつもそんな風に思ってると、錯覚していた。

「どうして……今なの……」

 かろうじて絞り出した言葉にジャックは吐き捨てるように言った。

「王族に逆らうのはやりすぎだ。付き合いきれねぇよ」
「なら、お前はどうするの?」
「探索者に戻る。元から俺には関係ねー話だし」

 関係ない、関係ない、関係ない……。
 言葉の一つ一つが、脳裏に反響する。

「……じゃあなんで、今までここに」

 ジャックは鼻で嗤った。

「俺が好きでテメーなんかの下僕やってると思ってたのか?」
「……っ」
「笑わせんな。テメーみたいな女にいいように使われて、クソみてーな日々だったよ」

 言葉が、刺さる。
 心の内の柔らかいところが踏み荒らされて、滅茶苦茶になっていた。

「ただ、宿を探すのが面倒だったんでな……ここに居たのはそれだけだ」

 冷たい蒼天色の眼差しがジャックの心を物語っていた。

 ……あぁ、そう。
 つまり最初から、私の勘違いだったってわけだ。
 とんだお笑い種ね。私、こんな奴に居心地の良さを感じてたなんて。

「そう。それが本音なの」

 馬鹿みたい。誰にも頼らないって決めたはずなのに。
 いつの間にかこいつが一緒にいるのが当たり前になってた。
 これからもずっと、こうやって薬屋を続けていくんだって……

「いいわよ。じゃあどこへでも消えたら」

 ──馬鹿だったわ、私。

「あぁそうさせてもらう。これでテメーとも無関係の他人だな」
「えぇそうよ。消えなさいよ」

 言葉は空虚だった。
 胸の内からこみ上げる怒りを、そのままぶつけた。

「早く、私の傍から、消えなさいよっ!!」
「おう。そうさせてもらうわ」

 ジャックはあっさり言った。

「じゃあな。ツァーリの公爵令嬢殿」

 扉に手をかけ、その顔は最後まで見えなかった。

「もう二度と会わねぇだろう……ま、達者でやれや」

 バタン、と。

 閉められた扉に静寂が戻ってくる。
 膝から力が抜けて、私はベッドの隣に座り込んだ。
 隣に立つリリが私の顔を覗き込んでくる。

「お姉ちゃん……泣いてるの?」
「泣いてないわ」
「……そうなんだ」
「えぇ。大人の女はね、人に涙は見せないの」
「うん」

 不意に、抱きしめられた。
 小さな少女の温もりが冷え切った身体を包み込む。

「リリは、何も見てないよ」
「……そう。優しいのね」
「だから、いいよ?」
「……」

 私は黙ってリリの背中に手を回し、小さな子供の肩に顔を埋めた。

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