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第二十九話 かくて黒幕は嗤う

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「いきなり何なの、あの男」

 シルル・バースは帝城の廊下を歩きながら不満をこぼしていた。
 先ほどのラディンの件が頭にきていたのだ。

 せっかくこの自分が世話をしてやったのに、あの言い方は何だ。
 そもそも落ち目の第一皇子に付きやってやる義理なんてないのに、今の今まで魅了に騙されていた凡愚が急に賢い振りをしないでもらいたい。

(ラディン殿下。あなたは最初からあのお方に負けているのよ)

 もはや彼のところに行くことはないだろう。
 さようなら、殿下。
 内心で決別したシルルは一人の男の下へ赴いた。
 帝城の西棟は第二夫人派の者達が警備に回っているが、シルルは顔パスで通される。

「失礼します」

 ラディンとは違う、瀟洒な書斎だった。
 左右にずらりと並んだ本棚には古今東西から集められた本がある。
 その奥、空っぽの椅子と向き合いながら、その男はシルルに振り向いた。

「よく来たね。待っていたよ」
「ルイス皇子……!」

 金髪の男──ルイスはにっこりとシルルを迎える。
 ルイスの座る机には二つのチェス盤が置かれている。

 透き通るような紫水晶の瞳に魅入られそう。
 そう、この男こそシルルをラディンの下に送り込んだ張本人だった。

(やっと会えた……!)

 シルルは万感の思いを胸にルイスに抱き着いた。
 愛しい皇子様は「お疲れ様、シルル」と声をかけ、頭を撫でてくれる。

「あぁ、ルイス様……あなたにお会いしたくて、あたし、どうにかなっちゃいそうでした」
「そっか。僕もだよ」
「ルイス様……」

 熱っぽい視線でルイスを見上げるシルルの額に口づけが落とされた。
 顔が真っ赤になったシルルが胸に顔を押し付け、ジタバタする。

「僕の可愛いシルル。今日は何があったんだい?」
「はい、それが──」

 シルルはルイスにラディンの執務室で起きたことのあらましを語った。
 最近やたらと干渉してくるルアンのこと、言うことを聞かないラディンのこと。
 すぐに身体の関係を迫ろうとしてくる馬鹿な取り巻きたち……。

(この方が居れば、あたしは何も要らない。馬鹿な皇子も、ムカつくルアンも、全部潰してやる──)



 ◆◇◆◇




(愚かな女だ)

 シルルからことのあらましを聞きながら、ルイスは心の底からそう思った。
 自分が利用されているとも知らず、子爵令嬢の身でありながら皇太子妃に成り上がろうとした野心家。自分が賢いと思っている奴ほど利用しやすいものはない。

(まぁ全ては兄上が悪いんだけどね。僕からラピスを取ってしまうんだから)

 社交界デビューで初めてラピスを見た日のことは今でも覚えている。
 誰もが自分の着飾った服に興奮し、上位貴族に媚を売る中、ラピスだけは不遜にも第二皇子である自分を「お前、ただのクズね」と言い切ったのだ。それはルイスが当時懇意にしていた令嬢を虐めていた件だったが、それ以来、ルイスは彼女の言葉なくてはときめかなくなった。

(やっぱり君が居ないとつまらないよ、ラピス)

 チェスは一人でやってもつまらない。
 自分と同等以上の頭を持つラピスが居てこそゲームは成り立つ。

 今回のゲームはラディンの地位を奪い合うものだった。
 ラピスが婚約者になったことが気に入らないルイスとしては、あの愚鈍な兄がラピスを娶ることが気に入らない。だからシルルを送り込み、ラディンの劣等感に付け込んでラピスを追い落とすようにした。ラピス自身、おそらくルイスの影には気付いていただろうが──彼女はゲームに乗ってこなかった。

(つまらない。なんで付き合ってくれないんだよ)

 親に構ってもらえない子供じみた仕草でルイスは唇を尖らせる。
 ただでさえ退屈な皇位継承者争いだ。
 ラピスという華が居ないなら一層つまらない。

 しかも彼女は、バラン家の悪童を傍に置いている──

(あぁ、そうだ)

 ニヤァ、とルイスは口元を三日月に歪めた。

(あの薬屋を潰せば、君は戻って来てくれるかな?)

「ルイス様……」

 シルルがス、と目を閉じてルイスに口を近づけてくる。
 思考を巡らせていたルイスは愚かな娘の唇に指を当てた。

「ルイス様?」
「シルル。大事な話がある」
「大事な……」

 何かを期待するシルルにルイスは悲壮感を漂わせた。

「僕も君の気持ちに応えたいけれど、私たちが結ばれるためには障害があるんだ」
「障害? 何なの?」
「決まってるだろう? 君が追い落としてくれた憎き敵──ラピスだよ」

 シルルの顔色が変わった。
 きょとんとした瞳から光が消え、「あの女が……」と呟く。

「そこでだ。君に頼みたいことがある」
「頼み?」
「────」

 ルイスはシルルの耳元に囁いた。
 シルルは驚いたように顔をあげ、

「でもそれって」
「頼むよシルル。これは君にしか出来ないことなんだ」
「あたしにしか、出来ない……」
「僕と一緒になれるならなんでもやってくれるんだろう?」

 シルルの顔から迷いが消えた。

「分かった。あたし、やる。やるわ、ルイス様」
「ほんと? 嬉しいよシルル。僕たちが結ばれるために努力してくれるんだね」
「えぇ、えぇ。もちろん。あたし、前からあの女が気に入らなかったの。あの女の声も、言葉も、顔も、何もかも滅茶苦茶にしたくてたまらないの。だから、見ててね、ルイス様」
「見てるよ、シルル。僕の愛しい人形ヒト

 操り人形に愛を囁きながら抱きしめる。
 肩越しに黒い笑みを浮かべたルイスは内心で呟いた。

(さて、勝負だよ、ラピス──そしてバラン家の悪童)

(キミ達は、どんな風に踊ってくれるかな?)

 黒幕はただ一人嗤い、新たにチェスの駒を一つ進める──。


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