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第二十八話 皇子の後悔

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 ラディンが回復してから一週間。
 シルルと共に療養の目的で旅行や遊びを楽しんでいたラディンだが、側近のルアンから度重なる忠言を聞き、仕方なく療養を切り上げて執務室で机に向かい合っていた。

 ……が、どうにも調子が悪い。
 持病の頭痛が延々と続いて、頭を常に叩かれているような痛みがある。
 こめかみを何度かもみほぐしたラディンはルアンに水を向けた。

「ルアン、いつもの薬を出してくれないか」
「ありません」
「は?」

 ルアンは呆れたように言った。

「殿下の持病を和らげる薬はいつも姉上が作っていました」
「……ラピスは今どこに」
「聞いてどうするおつもりです? まさか薬を貰うわけじゃないですよね?」

 毒殺を疑った令嬢から薬を貰うなど、こちらが冤罪をかけたと公言しているようなものだ。ラディンはこの頭痛が延々に続くのかと思うと血の気が引く思いだった。

「薬のレシピは聞いてないか?」
「もちろん、聞いています」
「そうか! なら誰かに作らせれば」
「でーんか♡」

 甘ったるい声が執務室に響いた。
 ソファに座って側近とチェスをしていたシルルが立ち上がる。
 ルアンが厳しい目で見ているが、ラディンは気付かない。

「そう言うと思ってぇ~」

 後ろに手を組んで、にこーっと笑った彼女は「はい」と両手を前に。
 透明な液体の入った薬瓶が乗っている。

「じゃじゃーん! 殿下のために私が作ってみました♪」
「おぉ」

 ラディンはホッと胸をなでおろした。

「そうか、ありがたい。シルルの薬なら信用できる」
「はい、どうぞ」
「ありがとう。早速頂くよ」

 薬瓶のふたを開けて一気に口の中に流し込む。
 耐え難い頭痛を和らげるためなら藁にも縋るような思いだった。
 しかし──

(……味がしない?)

 薬がすぐに効くものばかりではないことは分かっている。
 けれど、シルルの薬は臭みや苦みもまったくなかった。

「シルル、これはどんな薬草を調合したんだい?」
「何の薬草も入ってませんよ?」

 シルルは可愛らしく首を傾げた。

「あたしが殿下の身体が良くなりますようにって願いを込めて作った聖水です。きっと神様は一生懸命な殿下を見ていますから、そのうち良くなると思います♪」
「そ、そうか……」
「ただの水を聖水呼ばわりとは、物は良いようですね」

 毒のある舌鋒を振るったのは鼻で笑ったルアンだ。
 むっとしたシルルは甘い香りを振りまいて悲しそうに眉根を下げた。

「まぁ、ルアン様はずいぶん酷いことをおっしゃるのね。信仰心が足りていないのではなくて?」
「神なんてものは何かに縋らなくては生きていけない者が作り出した偶像だ──と我が家訓にありまして」
「まぁ……あたしの祈りで殿下が回復されたのを見てなかったの? だとしたら……悲しいわ」

 シルルの悲壮感に満ちた声音が哀愁を誘う。
 彼女に見惚れた側近たちの厳しい目がルアンに向いた。
 だが、ラディンの恋人とはいえ子爵令嬢であるシルルが公爵令息に向ける言葉は失礼が過ぎる。ラディンは咳払いしてその場の空気を切り替えつつ、シルルを窘めた。

「シルル、その辺にしておきなさい」
「殿下、あたしを庇ってくださらないの!?」

 ただでさえ頭が痛い所にキンキン響く声は身体に毒だった。
 こんなにうるさい女性だっただろうか、とラディンは思う。

 かつての彼女はラピスとの差に打ちのめされた自分を慰めてくれたものだけど、仕事を邪魔するようなことはなかった。いや、邪魔する余地がなかったのだ。ラピスが周りから人を排し、持病に聞く薬を開発し、環境を整えてくれていたから。心の奥底では分かっていた。ラピスは持病だけじゃなく、自分の体調を気遣ってその時に必要な栄養を管理し、頭が冴えるような薬を開発してくれたから。

 けれども、そのメリット以上に彼女と比べられることが嫌で。
 だから自分は──

「あ、あたし、殿下のためにと思って」
「そこまでです」

 甘ったるい匂いを振りまこうとしていたシルルの前にルアンが立ちふさがる。
 ここ最近は、ルアンがシルルとの間に割って入ることが多い。
 姉に劣らない絶対零度の瞳でルアンは言った。

「子爵令嬢如きが皇子殿下の執務を邪魔するなど言語道断。つまみ出せ」

 ルアンと志を同じくする同士が立ち上がる。
 反対に、シルルを庇おうとするのは彼女にほれ込んだ男たちだ。

「おいルアン! そんな言い方はないだろう!」
「そうだ! シルルは殿下のことを思って……!」
「……魅了が解けてこれか。救いようがない」

 童顔に似合わぬ黒い顔でルアンは舌打ちする。

(…………魅了?)

 ラディンはまだ何も聞かされていなかった。
 故に、ルアンの発した一言は彼の靄がかった思考に一筋の亀裂を入れた。

「もういいわ! 殿下なんか大っ嫌い!」
「シルル!」

 シルルに群がる男どもが執務室を出て行く。
 仕事中にもかかわらずこちらに一瞥すら寄こさない豪胆さは上司への不信か。
 子爵令嬢如きの傀儡になっていたラディンは彼らを責める気にもなれなかった。

「ルアン……聞かせてくれないか。魅了とはなんだ」
「……ようやくご自分を取り戻されたのですね」

 もう遅いかもしれませんが。
 呟き、ルアンはことのあらましを教えてくれた。

 すべてを聞いたラディンは顔面が蒼白になった。

「なら、俺は……シルルに騙されていたのか?」
「魅了はそこまでの効果はありません」

 ルアンは淡々と言った。

「あの時、あの行いは、僕たちが姉上を疎んでいたことに起因しています。自業自得でしょう」
「……それでも、お前は逃げないのか。他の奴らと同じように」
「僕は自分から殿下を選びました。最後まで抵抗しますし、破滅するならお供しますよ」

 暗に今のラディンは最も落ち目であることを示唆される。
 当然だった。四大貴族の一角であり王族と同等の力を持つツァーリ公爵家の令嬢に冤罪をかけ、何の後ろ盾もない子爵令嬢ごときに言いようにやられてしまったのだ。ラディンの王としての資質は皆無と証明されてしまったと言っていい。

「……そうか」

 ラディンは目を瞑り、ラピスを思う。

 厳しく、強く、眩しい女だった。
 言いたいことをハッキリ言い、間違いは間違いだと皇帝にも直訴する。
 あれほど清々しい女はこの国広しと言えどそうはいまい。

 彼女の目に見えぬ献身に、自分は最後まで気付かなかったのだ。

「なぁ、ルアン。今からでも謝ったら、ラピスは許してくれると思うか」

 ルアンはドン引きしたように言った。

「……許すどころか、殺されますよ?」
「……だよな」

 一度裏切った相手をやすやすと許すほどラピスは優しくない。
 皇位継承争いから脱落し、子爵令嬢に逃げられ、体調は悪化する一方。
 耳鳴りのする頭を押さえながら、ラディンは激しい後悔に打ちのめされていた。


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