上 下
24 / 46

第二十三話 暗闇に伸ばされた手

しおりを挟む
 
『ずっと君の姿を目で追っていた。僕と婚約してくれないか』

 リチャード王子と婚約した時のことはまざまざと思い出せる。
 夕焼けに照らされた図書室で借りた本を返している時のことだった。
 突然のことに驚いたけど、王子様に求婚されるなんて思わなかったから、戸惑いながらも承諾した。

 本当は婚約を受けたくはなかった。
 元平民の私はやっぱり好きな人と結婚する夢を捨てきれなかったから。

 だけど、相手は王子だ。
 子爵令嬢が王子からの婚約の打診を断ること自体おこがましいし、断ったあとお父さんに迷惑をかけたくないと思ったのだ。それに、少しも嬉しくなかったのかと言われれば嘘になる。

 元平民の私が王子様に求婚されたんだもの。
 お母さんが死んでからずっと働いてばかりだった私でも、ようやく報われるのかと思った。これで家族を楽にさせてあげられるし、娘二人を育ててくれたお父さんに恩返しも出来るんだって。

 それに、相手が第三王子と言うことも大きかった。
 リチャード王子の皇位継承権は低く、王になる可能性は低い。
 将来的には降家して公爵あたりになるのが妥当だろう。

 どうせ私は子爵家を盛り立てるためにどこかの家と婚姻する定め。 
 ならせめて自分の意思で選びたいと思った。

 貴族同士の結婚に愛はないというけれど。
 少なくとも顔も合わせずに婚約するよりはマシで。
 これから私たちはお互いのいいところを見つけて……

 それでいつか、お父さんとお母さんのような幸せな家庭を築くのだと。



 ──そう、信じていたのに。



「あんまり俺を悪者にするなよ、デイヴィット」

 リチャード王子は付き添いの誰かと一緒のようだった。
 店員に案内された彼らは幸か不幸か、私たちのすぐ近くに座る。

「別に、女を振ったあとに別の女とくっつくのは普通だろ」
「そうだけどさ、その女って『普通』じゃないだろ」
(……っ)

 耳を塞いで俯いて、今すぐこの場から出ていきたい。
 理性ではそれが正解だと分かっているのに感情はついていかなくて。
 私の足は床に張り付いたみたいに動かなかった。

「天下のチャーリー様をたぶらかした稀代の悪女。同級生の物を盗んだり暴力振るって虐めたって? お前、どんな女と付き合ってたんだよ。俺はむしろ、あんな女と婚約していたお前の理性のほうを疑うね」

 チャーリーと偽名を使っているけど、話の内容は聞く者が聞けばすぐに分かる内容だ。リチャード王子と『悪女』アイリ・ガラントの婚約破棄騒動。
 そしてかの王子が虐げられていた令嬢を救い出した美談……。

 ──大丈夫か。

 そっと、旦那様がささやく。
 さすがに彼も気付いてくれたらしい。
 私は首を縦に振るけど、ちゃんと頷けていたかどうか分からない。

 帰ろう。
 そう言って旦那様が立ち上がっても彼らの話は続いた。

「ハハッ、馬鹿かお前、あんな女・・・・、最初から本気じゃないよ」
(え?)

 私は思わず彼らに振り向いた。
 この店は二件目なのか、彼らの顔は赤らんでいるように見える。
 そのおかげもあって、彼らは私のことに気付かない。

「実はさ」

 リチャード王子は秘密の話をするように身を乗り出した。
 声を潜めているつもりかもしれないけど、声は私たちに筒抜けだ。

「僕、最初からエミリアと付き合いたかったんだよ」

 何を言っているんだろう。

「はぁ? どういうことだよ」
「知っての通り、僕の立場はアレだろ? だからさ、最初から子爵令嬢と婚約しようとしても上手くいかないと思ったんだよね」

 どくん、どくん、と心臓の嫌な音が鼓膜の奥で響いた。
 身体中から血の気が引いて、力という力が失せていくのが分かる。

「だから一計を案じることにした。ようはエミリアが子爵令嬢でも婚約に足る立場だって分からせればいい。だから俺たちは例の女を悪者に仕立て上げることにした。僕と婚約したことで調子に乗った元平民が、才能のある麗しい令嬢を虐め、酷い目に合わせる。そこを僕が救えば……」
「子爵令嬢の立場でも注目され、否が応でもみんながそいつの動向を追う」
「ああ、そこでエミリアが頭角を現したら?」
「国王陛下でも納得する、か」

 付き添いの男はドン引きしたように頬を引きつらせ──

「ぎゃっははは! おまえ天才! 惚れた女のために他の女を犠牲にするとか! 最高だろ!!」
「尊い犠牲といってくれよ」

 あぁ、だからだったんだ。
 二人きりで会ったことがほとんどないことも、
 図書室で一緒に本を読んでいたらなぜかエミリアがいたことも。

「どうせあいつは元平民なんだ。僕が何をしようと勝手だろ?」
「いやいや、それでもひでーだろ」
「心外だな。これは僕だけじゃない、彼女の提案でもあるんだぜ?」

 手を繋ぐこともなければ、甘い言葉をささやかれたこともなかった。
 当たり前だ。だって私は踏み台だったんだから。

 心のどこかでまだ信じていた。
 エミリアのことはまだしも、王子のほうは誤解しているだけかもって。
 殺されたことになっている今分かられても困るけど。
 それでも誤解なら、まだ……。

「てか、一瞬でも僕と婚約出来たんだ。むしろ感謝して欲しいくらいだね。あいつ、話していても面白くないし、特にあの銀髪! めちゃくちゃ気持ち悪かったから、早く別れたくてしょうがなかった。あんな女、死んでせいせいしたよ!」

 目の前が真っ暗になった。
 もう何も聞きたくない。何もしたくない。
 あんな男の言葉にショックを受けている自分が何より嫌だった。

(私はただ、幸せになりたかっただけなのに)

 親友だと思っていた女に陥れられ、王子との婚約はまやかしだった。
 すべては彼らを引き立てるためで私という女に価値なんてなかったんだ。

 あぁ、もういやだ。
 もう誰も信じたくない。

 信じることなんて、出来ない──。

「下を向くな。胸を張れ」
「え」

 硬く握りしめた手が、温かいものに包まれた。
 ごつごつしていて血管が浮いてる、まだ慣れない男の人の手。

「旦那様……?」

 顔を上げれば、旦那様が柔らかな笑みを浮かべていた。
 彼は立ったまま、私の手を包み込んでいる。

「思い出せ。今の君が誰の妻なのかを」
「妻だ……なんて」

 そんなもの、偽物でしかないのに。

「アイリ。合理的に考えるんだ」
「え?」

 旦那様の顔は笑っている。
 けれどその目は冷たく光っていた。

を泣かせた奴を、俺が許すと思うか?」

 そう言って、彼は宙に魔術陣を描いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初耳なのですが…、本当ですか?

あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た! でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

王太子エンドを迎えたはずのヒロインが今更私の婚約者を攻略しようとしているけどさせません

黒木メイ
恋愛
日本人だった頃の記憶があるクロエ。 でも、この世界が乙女ゲームに似た世界だとは知らなかった。 知ったのはヒロインらしき人物が落とした『攻略ノート』のおかげ。 学園も卒業して、ヒロインは王太子エンドを無事に迎えたはずなんだけど……何故か今になってヒロインが私の婚約者に近づいてきた。 いったい、何を考えているの?! 仕方ない。現実を見せてあげましょう。 と、いうわけでクロエは婚約者であるダニエルに告げた。 「しばらくの間、実家に帰らせていただきます」 突然告げられたクロエ至上主義なダニエルは顔面蒼白。 普段使わない頭を使ってクロエに戻ってきてもらう為に奮闘する。 ※わりと見切り発車です。すみません。 ※小説家になろう様にも掲載。(7/21異世界転生恋愛日間1位)

悪役令嬢に転生したら病気で寝たきりだった⁉︎完治したあとは、婚約者と一緒に村を復興します!

Y.Itoda
恋愛
目を覚ましたら、悪役令嬢だった。 転生前も寝たきりだったのに。 次から次へと聞かされる、かつての自分が犯した数々の悪事。受け止めきれなかった。 でも、そんなセリーナを見捨てなかった婚約者ライオネル。 何でも治癒できるという、魔法を探しに海底遺跡へと。 病気を克服した後は、二人で街の復興に尽力する。 過去を克服し、二人の行く末は? ハッピーエンド、結婚へ!

聖女である御姉様は男性に抱かれたら普通の女になりますよね? だから、その婚約者をわたしに下さいな。

星ふくろう
恋愛
 公爵家令嬢クローディアは聖女である。  神様が誰かはどうだっていい。  聖女は処女が原則だ。  なら、婚約者要りませんよね?  正妻の娘である妹がそう言いだした時、婚約者であるこの国の王子マクシミリアンもそれに賛同する。  狂った家族に婚約者なんか要らないわ‥‥‥  クローディアは、自分の神である氷の精霊王にある願いをするのだった。  他の投稿サイトにも掲載しています。

大切なあのひとを失ったこと絶対許しません

にいるず
恋愛
公爵令嬢キャスリン・ダイモックは、王太子の思い人の命を脅かした罪状で、毒杯を飲んで死んだ。 はずだった。 目を開けると、いつものベッド。ここは天国?違う? あれっ、私生きかえったの?しかも若返ってる? でもどうしてこの世界にあの人はいないの?どうしてみんなあの人の事を覚えていないの? 私だけは、自分を犠牲にして助けてくれたあの人の事を忘れない。絶対に許すものか。こんな原因を作った人たちを。

村八分にしておいて、私が公爵令嬢だったからと手の平を返すなんて許せません。

木山楽斗
恋愛
父親がいないことによって、エルーシャは村の人達から迫害を受けていた。 彼らは、エルーシャが取ってきた食べ物を奪ったり、村で起こった事件の犯人を彼女だと決めつけてくる。そんな彼らに、エルーシャは辟易としていた。 ある日いつものように責められていた彼女は、村にやって来た一人の人間に助けられた。 その人物とは、公爵令息であるアルディス・アルカルドである。彼はエルーシャの状態から彼女が迫害されていることに気付き、手を差し伸べてくれたのだ。 そんなアルディスは、とある目的のために村にやって来ていた。 彼は亡き父の隠し子を探しに来ていたのである。 紆余曲折あって、その隠し子はエルーシャであることが判明した。 すると村の人達は、その態度を一変させた。エルーシャに、媚を売るような態度になったのである。 しかし、今更手の平を返されても遅かった。様々な迫害を受けてきたエルーシャにとって、既に村の人達は許せない存在になっていたのだ。

【 完結 】「平民上がりの庶子」と言っただなんて誰が言ったんですか?悪い冗談はやめて下さい!

しずもり
恋愛
 ここはチェン王国の貴族子息子女が通う王立学園の食堂だ。確かにこの時期は夜会や学園行事など無い。でもだからってこの国の第二王子が側近候補たちと男爵令嬢を右腕にぶら下げていきなり婚約破棄を宣言しちゃいますか。そうですか。 お昼休憩って案外と短いのですけど、私、まだお昼食べていませんのよ?  突然、婚約破棄を宣言されたのはチェン王国第二王子ヴィンセントの婚約者マリア・べルージュ公爵令嬢だ。彼女はいつも一緒に行動をしているカミラ・ワトソン伯爵令嬢、グレイシー・テネート子爵令嬢、エリザベス・トルーヤ伯爵令嬢たちと昼食を取る為食堂の席に座った所だった。 そこへ現れたのが側近候補と男爵令嬢を連れた第二王子ヴィンセントでマリアを見つけるなり書類のような物をテーブルに叩きつけたのだった。 よくある婚約破棄モノになりますが「ざまぁ」は微ざまぁ程度です。 *なんちゃって異世界モノの緩い設定です。 *登場人物の言葉遣い等(特に心の中での言葉)は現代風になっている事が多いです。 *ざまぁ、は微ざまぁ、になるかなぁ?ぐらいの要素しかありません。

婚約破棄された令嬢は変人公爵に嫁がされる ~新婚生活を嘲笑いにきた? 夫がかわゆすぎて今それどころじゃないんですが!!

杓子ねこ
恋愛
侯爵令嬢テオドシーネは、王太子の婚約者として花嫁修業に励んできた。 しかしその努力が裏目に出てしまい、王太子ピエトロに浮気され、浮気相手への嫌がらせを理由に婚約破棄された挙句、変人と名高いクイア公爵のもとへ嫁がされることに。 対面した当主シエルフィリードは馬のかぶりものをして、噂どおりの奇人……と思ったら、馬の下から出てきたのは超絶美少年? でもあなたかなり年上のはずですよね? 年下にしか見えませんが? どうして涙ぐんでるんですか? え、王太子殿下が新婚生活を嘲笑いにきた? 公爵様がかわゆすぎていまそれどころじゃないんですが!! 恋を知らなかった生真面目令嬢がきゅんきゅんしながら引きこもり公爵を育成するお話です。 本編11話+番外編。 ※「小説家になろう」でも掲載しています。

処理中です...