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第三十七話 黒幕の真価、あるいは……。
しおりを挟む「驚いたわ。確かにジェレミーの声ね」
ちっとも驚いていなさそうな声でジョゼフィーヌ様は言った。
まるでこの程度の証拠なんて歯牙にもかけていないとばかりに。
「確かにあたくしはジェレミーに厳しく接してきた。ずいぶん怖がっていたようだから、こんなことを喋ってもおかしくはないかもしれない。でもね、そんなことはどうでもいいのよ?」
ジョゼフィーヌ様は言った。
「あたくしが問題にしているのは王太子が公爵領で死んだ事実であって、ジェレミー殺しの犯人はどうでもいいの」
「な……」
「だって、ねぇ。さすがにこれは証拠にならないでしょう。もしかして、あたくしが殺したっていう証拠でも出てきたの?」
牽制にも、ならない。
ジョゼフィーヌ様はむしろ面白そうにわたしたちを見つめるだけだ。
「それは……出てきていませんが」
「僕たちは何も、あなたが犯人だとは思っていませんよ、伯母様」
思わず気圧されたわたしにアルが助け舟を出してくれる。
「ただ、ジェレミー殿下がこう言った事実を共有したかっただけです。ご子息が勝手に僕の妻を婚約破棄して、冤罪を着せて慰謝料を請求したことは既に多くの貴族が知っていますし。これで公爵領側が彼を殺す理由もないことは分かっていただけたかと」
「そうね、よく分かったわ。じゃあ本題に戻しましょう?」
さらりと、王妃はジェレミーの恥部を躱した。
「何度も言うように、あたくしはね、『オルロー公爵領で王太子が何者かに殺害された責任』について話そうと思っているの。それであなたたちを呼んだのよ。言ったでしょう? あたくしたちの今後について話そうって」
「……言っていましたね」
あぁ、やっぱりジョゼフィーヌ様は手強い。
わたしたちがどんな手を使っても拭いきれない事実を突きつけてくる。
感情を子宮に置き忘れてきた正論の怪物は扇を広げて目を細めた。
「それでね、お願いがあるの。あなたたち──別れてくれない?」
「!?」
今度のはさすがに動揺が隠しきれなかった。
思わず硬直したわたしと違い、アルは勢いよく立ち上がった。
「伯母上。言っていいことと悪いことが……!」
「あら。あたくしは本気よ?」
ジョゼフィーヌ様は机にあったお菓子に手を伸ばした。
パキ、とクッキーを割ってひと口食べる。
「ベアトリーチェにはね、第三王子と結婚してほしいの」
「……っ。ふ、ふざけないでください! あの方はまだ五歳でしょう!?」
「うふふ。そう声を荒立てないで、ベティ。若くて元気なのはいいことだけれど、あなたはもう感情に振り回される子供じゃないでしょう? 貴族の結婚なんて生まれた頃から決まっていてもおかしくないじゃない。たかが十歳や二十歳離れているからって何なの?」
掌で弄ばれている。そんな嫌な感じが拭えなかった。
それはずっと前からそうだ。この応接室に入った時点で──
いや、もしかしたらわたしは、三年前にこの人に見出されてから、ずっと。
「さすがに看過できませんね、伯母上」
アルが怖い声で言った。
ふと横を見る。彼はわたしが見たことないほど怒っていた。
「ベティは僕の妻です。誰にも渡さない」
そう言って彼が机に投げた紙束は。
「ジェレミー殿下の素行の悪さについて責任を問う連判状です。伯母上、あなたには──」
「何度も言わせないでくれるかしら、アルフォンス」
部屋の温度が、下がった。
そう確信するほど王妃の声は低く、鋭かった。
「言ったはず。今、あたくしが話しているのはオルロー公爵領の責任の取り方であって、ジェレミーがどうとか、犯人がどうとか、本当にどうでもいいの。必要なら後で相手してあげるから黙っててくれる? あたくし、愚図は嫌いよ」
「……っ」
たとえ相手をしても歯牙にもかけないと、その瞳は語っていた。
ジョゼフィーヌ様はアルを鼻で笑い、わたしのほうを見る。
「話は変わるけれど、ベティ。西方諸国連合についてどう思う?」
わたしは唇を湿らせて知識を引っ張り出す。
「……強大な国家です。彼らは魔術なる技術を使いこなし、魔道具と呼ばれる便利な道具を開発しています。軍事力という点において、わたしたちが彼らに勝っている点はありません。我が国でもジョゼフィーヌ様が魔術省を立ち上げ、宮廷魔術師の位も用意しましたけど……ハッキリ言って、その技術力は天と地の差です。今は海に住まう魔獣の王が大軍を阻む壁となってくれていますが、早晩、何もしなければ……」
「我が国は滅ぶ。やはりお前は優秀ね。女にしておくのがもったいないわ」
ジョゼフィーヌ様は満足げに頷いた。
「そう、あたくしたちは強くならなければならないの。今こうしている時も、着実に隣国の魔の手は迫っている」
ジョゼフィーヌ様は身を乗り出した。
「あたくしはね、ベティ。いつだって国のために動いているのよ? ジェレミーのことだってそう。誰が殺したか知らないけれど、ハッキリ言って助かったわ。だってあそこまで醜態を晒した王子を処罰するには追放とか臣籍降下って話になるでしょう? でも、そんなことしたら後々面倒じゃない。王家の血を引くものが外部に流出するのもそうだし、臣籍降下するのもお金がかかるの。分かる? 国民の税金よ? あんなロクデナシを生かすために国民の血税を使うのなんてもったいないと思わない?」
正論、だった。
論理的な問題を排除し、国という視点で見たときに彼女の行動はどこまでも正論で、そこに感情は一切ない。これこそ、女の身で歴代初の宰相に成り上がった正論の怪物──!
(納得できるかどうかは、別よ)
これがきっと、王妃の言う若さなんだろうとわたしは思う。
だけれど、やっぱり言わずにいられなかった。
「あなたは……悲しくないんですか? ジェレミー殿下は、お腹を痛めて生んだ子供ですよ?」
「いえ、別に?」
ジョゼフィーヌ様は首を傾げた。
「あたくしがアレを生んだのは国のためになるからであって、国のためにならないなら要らないでしょう。生かせば生かすだけ王家の評判を貶め、国を分裂させる。税金を浪費する。あたくしたちに内紛している暇がないってことは、さっきの説明で理解してもらえたと思うけど? ただでさえ亜人戦争なんて馬鹿げた爪痕が残ってるのに」
「だから、ベティを第三王子の妻にするんですか。本人の意思を無視して──!」
「この子の頭脳は国のためになる。王家に欲しいのよね。公爵領なんかで腐らせておくのはもったいないわ」
わたしは感情を押し殺して問いかけた。
「頭脳が欲しいなら、王宮に勤めるだけではいけませんか? 特別執行官のような地位を設けて頂ければ、わたしだって」
「……ふむ。そうね」
初めて、ジョゼフィーヌ様は思考に時間を割いた。
けれどすぐに顔を上げ、にっこりと笑う。
「それも考えたけど、やっぱり王家に欲しいわ。あたくしは失敗したけれど、あなたの子供なら立派になりそうだし。そしたら国のためになると思うの」
「……」
国のため。どこまでもジョゼフィーヌ様の言葉はその一点を貫いている。
何も言えないわたしたちに満足したのか、ジョゼフィーヌ様は背を預けた。
「あなたたちには悪いけど、国のためだもの。もちろん否とは言わないわよね?」
もしも断るならどうなるか分かってるんだろうな、と脅しが来る。
ジョゼフィーヌ様の判断次第で、わたしたちは王子殺しの疑惑がかかってしまうのだ。録音水晶があるから裁判で無罪にはなるだろうけど、人々がどう思うかは別。
王妃が噂を流せば、実質的に事実になってしまう。
そうなれば、今、順調に行っている傭兵業もすべておしまいだ。
「そうそう。あなたたちが別れる時の話だけど、くれぐれも自分たちから別れてね。あたくしから言ったなんて言わないでよ?」
まるで悪戯を隠す少年のような笑みを見た瞬間──
頭に電撃が走った。
「…………そうか。そうなんですね」
「……? ベティ、どうしたんだい?」
「あなたが恐れているのは、そこなんですね。ジョゼフィーヌ様」
「何が言いたいのかしら?」
あくまで余裕を崩さない王妃様に、わたしは言葉の刃を滑らせる。
「ご存じでしょうか、ジョゼフィーヌ様。わたし、こう見えて亜人たちから評判がいいんですよ」
ジョゼフィーヌ様の顔から、初めて笑みが消えた。
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