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第一章
第三話 運命の分岐点
しおりを挟む「う……」
川のせせらぎで、ジークは目を覚ました。
全身に痛みが走る。口の中に泥の味がして、思わずえづいた。
「げほ、げほ……ここは……僕は、どうなって」
そう、そうだ。
確か未踏破領域を探索中にコキュートスが現れて、
そして、ジークを奴隷として連れていたアーロンに見捨てられて……。
「もしかして、生き、てる……?」
『森葬領域アズガルド』から抜けた、荒野に流れる川のほとりに彼はいた。
静かな夜である。月の光がジークを照らしている。
どうやら崖の下は川になっていて、ここまで流されたらしい。
窒息しなかったのは気絶していたから、余計な水をのまなかったのだろう。
周りには誰もいない。
ジークを馬鹿にする者も、焼きゴテを押し付けて来るもいない。
そう気づいたジークは呆然と呟いた。
「じゃあ、やっと終わったんだ……」
思わず安堵の息が漏れてくる。
肩の力が抜けて、このままへたり込んでしまいそうだった。
二年間。
ジークはアーロンに捕まってからずっと奴隷扱いを受けてきた。
その間に受けたいじめの数々は、思い出したくもない悲惨なものだ。
一気にわき上がってきた解放感は、しかし、すぐに絶望へと変わる。
「これから、どうしよう……」
ジークは途方に暮れて天を仰ぐ。
人類の領域では暮らせない。
アーロンという実力者が首輪をつけているから街の中に入れたがーー
今のジークは、ただの半魔だ。
もしも街中で耳が晒されれば五年前のように追われる事になるだろう。
かといって、エルダーたちが住む『不死の都』に行けるわけでもない。
『お前の存在そのものが、許されざる罪なのだ!』
コキュートスのように、拒絶されるのがオチだ。
自分の居場所がどこにもない事に気づいて、ジークは自嘲げに顔をゆがめた。
(あの人たちに捕まってた時のほうが、明日のことを考えずに済んでたなんて)
そんなことを考える自分に嫌気がさす。
彼らのところに戻りたくはない。けれど、生きるあてもない。
「僕を受け入れてくれる場所は、この世にどこにもないのかな……ねぇ、母さん、父さん……」
ジークはあてどなく森葬領域の周りを歩いていく。
ここにに来るのは一度や二度ではない。
先日、アーロンたちに連れられてきたのは二度目のアタックだった。
それ以前にも、ジークは何度も悪魔の領域に足を踏み入れている。
これまで蓄積したノウハウを駆使し、悪魔と遭遇しないよう、森の外周を回るように進む。
そうして無理やり進まなければ、心が折れてしまいそうだった。
「……ぁ」
ぽつり、ぽつりと雨が降ってきた。
雨足は次第に勢いを増し、ザァザァ、とシャワーのように大地に降り注ぐ。
全身がずぶ濡れになったジークは、雨宿りできる場所を探した。
森の中は論外だ。どこから悪魔が出てくるか分からない。
周りを見渡しながら歩いていると、森に呑まれかけた神殿があった。
蔦で覆われたそこに、ジークは入っていく。
「お邪魔しまぁす……」
神殿の中には誰もいない。
倒れた神像と、かつて使われていた形跡が残っていた。
誰もいないことを確認してジークは広間に座り込む。
ずぶ濡れの上着を脱ぎ、絞るようにねじると、枯れ木を集め始めた。
カチ、カチ、と原始的な方法で火を起こす。
「ふぅ……」
焚き火の熱で温まりながら、ジークは膝に顔を埋める。
ふと、彼は自分の横に倒れている神像を見た。
等身大の像だ。台座には名前が彫られている。
「叡智の女神、アステシア……」
神像は胴体から半ばで折れていた。
あちこちに罅が入り、打ち捨てられた当時の混乱を思わせる。
人の領域からはみ出され、森の中に呑まれかけている神像。
無残に倒れている隣人に、ジークは人と悪魔の双方に蔑まれた自分を重ねた。
「君も、僕と同じだね……」
そぉっと、神像の頭に触れるジーク。
『……』
神像は答えない。
ジークは、生物ですらない神像に話しかけている自分に苦笑した。
けれど、一度話しかけたらなんだか愛着が湧いてくるから不思議だ。
しばらく雨は止まなそうだと判断し、ジークは「よいしょ」と立ち上がる。
怪我は治りきっていないものの、動く分には問題なかった。
「はぐれ者同士、仲良くしよっか。まずはきれいにしないとね」
ジークは神殿の中を掃除した。
神像を組み直し、できるだけ住み心地がいいように変える。
全部終える頃には夜になっていた。
「うん。きれいになった。このほうが居心地がいいでしょ。アステシアさまも……って独り言ばっかりだな僕」
神像に話しかけて、掃除までしてしまう自分に笑ってしまう。
こんなことをしたって、自分が孤独であることは変わらないのに。
「いっそのこと、ここで一人で暮らすのもいいかもね……」
叶わない願いを捨て、人と悪魔の双方から隠れて暮らすという選択肢。
ただ、その場合は寝込みを襲われるかもしれない危険がある。
そうではなくても、出入りするところを見られたら街で変な噂が立つかもしれない。
そうなれば、またーー
「神さま……僕はどうしたらいいですか?」
ジークが呟いたその時だった。
『答えを求めし探究者よ。その問いに答えましょう』
「わ、なんだ!?」
突然、石像が光を放った。
ばね仕掛けのように跳ね起き、石像から距離をとったジークは目を細める。
『我が名はアステシア。星の導きにより、汝を神域へといざなわん』
石像の光は強さを増し、ジークは眩しさに耐えかえねて目を閉じる。
そしてーー。
次に目を開けた時、ジークは全く知らない場所にいた。
「なにこれぇ!?」
足元は空だ。さまざまな形の雲が泳いでいる。
右を見ても、左を見ても空。どこまでも空が続く不思議な空間。
さっきまで神殿にいたはずなのにーー。
クスクス、と声がした。
「いつ見ても、この場所に来た人間の反応は面白いものね。久しぶりに見たわ」
「ぁ」
声が聞こえた方向には、女がいた。
優美な黒髪を垂らし、豊かな胸をした美少女だ。
民族衣装を着ていて、懐には本を抱いている。
「あなたは、誰ですか……?」
「あら、つれないのね。あなたから話しかけてきたんじゃない」
ジークは目を見開いた。
「まさか」
「えぇ、そうよ」
美女は胸元に手を当てて、
「私は叡智の女神アステシア。
旧世界じゃアテナとかイシスとか呼ばれてかしら?
まぁ、人間が勝手につけた名前なんてどうでもいいわ。
ようこそ、女神の神域へ。ジーク・トニトルス」
そして運命は、動き出す。
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