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第三十一話 元夫の激しい後悔

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 アルマーニ侯爵家の寝室は五本を超える酒瓶が転がっていた。
 むせかえるような酒気を帯びた赤ら顔の男は椅子に座って天を仰いでいる。
 無気力で、何の希望も見えない目だった。

「旦那様、失礼します……ぅ」

 思わず鼻をつまみたくなる衝動をこらえて執事は姿勢を正す。
 ゆっくりと振り向いた、虚無感ただようロレンスに用件を告げた。

「旦那様、フィアレンス辺境伯家からパーティーの招待が届いています」
「それがどうした」
「フィアレンス家は皇后とも結びつきの強い家です。招待を断るのは失礼にあたるかと……」
「母上に任せればいいだろう」
「それが、まだ見つからないようでして……」

 チ、とロレンスは舌打ちした。
 何のために家に置いてやってると思っているんだ。
 面倒な社交を任せるために領地に返さず、母親を家に置いていたというのに。

「分かった。招待を受けると伝えろ」
(フィアレンス辺境伯家は武家の一族だ。もしかしたら支援してもらえるかも)

 英雄としての名を使えば、まだ逆転の目はある。
 何もなくなってしまった自分だけど、過去にやったことは消えはしないのだから。




 ◆◇◆◇





 フィアレンス辺境伯家のパーティーは盛大に行われていた。
 王族や公爵も招待された場は国の重要人物たちが一堂に集まる場だ。
 ロレンスは思わず右手で剣を握る仕草をした。
 だが、いつも頼りにしていた剣は預かられ、頼りに出来るものはない。

(やはり社交界は苦手だ……知り合いも居ないし……)

 キャロラインが居た頃はキャロラインの影に隠れていればよかった。
 英雄として名を馳せた自分は居るだけでその場の華になったし、黙っていても周りが集まって、英雄の自分を褒めたたえてくれたから。

 だが今、ロレンスの周りからは嘲笑ばかり聞こえる。

「見て、アルマーニ侯爵よ」
「仮面を被っているというのは本当だったのか」
「仮面の下はひどい火傷だそうよ。見るに堪えない化け物らしいわ」

(……っ)

 ロレンスが火傷を負ったのは一週間前だというのに、既に噂が回ってしまっている。
 おそらく侯爵家を辞めた者達が言いふらしているのだろう。
 自分を揶揄する者達に睨みを聞かせても、くすくす、くすくすと嗤われるだけだった。

「アルマーニ侯爵」

 そんなロレンスに豪華なワインレッドのドレスを着た女性が話しかけた。
 身にまとう装飾品は一目で分かるほど高級品で、顔には自信と気品があふれている。
 ロレンスは胸に手を当てて一礼した。

「フィアレンス辺境伯夫妻にご挨拶申し上げます」
「よく来てくれたな。アルマーニ卿。貴殿とはぜひお会いしたかったのだ」
「光栄です」

 モチロンその言葉を正面から受け取るロレンスではない。
 今度は何を言われるのかと身構えていると、

「ところで」

 アルマーニ侯爵は周りを見渡して不思議そうに言った。

「奥方の姿は見えないようだが、どこにいるのかね?」
「……っ」
「あなた、ダメよ」

 フィアレンス夫人が咎めるように言った。

「ユフィリア様はキャロライン夫人に虐められて出て行ったんだから。妻を守り切れなかった不甲斐なさを指摘するのは良くないわ。特にユフィリア様なんて、毎回一人でパーティーに出ていたんだから」
「え」

 思わず顔を上げると、フィアレンス夫人は目を見開いた。

「あら、知りませんでしたの? ユフィリア様はどんな時も夫以外からエスコートを受けようとはしませんでしたわ。他の騎士や令息が手助けしようとしても、「夫が来てくれるはずですから」と断っていたの。もしかして……ご存じなかった?」
「……ユフィリアが?」

 貴族の社交界ではエスコートの相手で女の格が決まるという。
 侯爵夫人ともなれば相応の相手を求められるし、てっきり騎士か何かを一緒に連れ回しているものだと思っていた。

(ユフィリアは、ずっと俺を待っていたのか……?)

「あんなに夫を大事にしてくれる妻なんて早々いないというのに、残念なことをしたものねぇ……」

 フィアレンス夫人の言葉はどこか遠くに聞こえた。

 それからのことはよく覚えていない。
 呆然としたロレンスはがらんどうの侯爵屋敷に帰った。

『おかえりなさい、あなた』

 かつてここで、出迎えてくれた女性がいた。
 麗しい花。ロレンスが守るべきだった人だった。

『あなた、怪我はない?』
『あのね、今度あなたとパーティーに行きたくて』
『流行りのお店があるらしいの。一緒に行ってみない?』

 毎日、欠かさず出迎えてくれた──。
 毎日、おはようとロレンスに微笑んでくれた。
 毎日、話題を見つけてはロレンスに微笑んでくれた。

「あぁ、あぁ……」

 優しい彼女はもうどこにも居ない。
 容姿でもない。地位でもない。
 ユフィリアはいつだって、ただ自分を見てくれていたのだ。

 本当の意味で自分を慮ってくれていたのは、彼女だけだった。

「……っ」

 ロレンスはその場に崩れ落ちた。
 ぽた、ぽた、と地面に染みが出来ていく。

「なんで、なんで俺は君を……」

 死にたくなるほどの激しい後悔がロレンスの胸に渦巻く。
 決して手放してはならないものを裏切ったのだと、彼は今更ながらに気付いてしまった。

「うわぁぁあああああああああああああああああああ!」

 だが、後悔してももう遅い。
 過去にやったことは消せはしない。
 一度入った亀裂は、元に戻せない。

 ロレンスがユフィリアと再会することは、二度となかった。


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