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第二十八話 英雄、堕つ。

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「はぁ、はぁ……」

 翌日のことである。
 訓練場で一人、ロレンスは打ちひしがれていた。
 日に日に力が弱まり、今日の訓練では小隊長にも負けてしまった。

(なんでだ……! なんでこんなに力が出ないんだ!)

 騎士団で辞職を願うものは相次ぎ、人員不足の名目で引き止めると翌日には来なくなった。
 二百人以上在籍していた騎士団は今や数人しか残っていない。

 そしてそれは、騎士団だけの問題ではなかった。
 侯爵としての仕事をしないロレンスに、まず筆頭執事が愛想を尽かした。
 次に乱暴で態度の悪い主に嫌気がさして侍女が居なくなった。

 誰もかれもが我先にと辞職を申し出て、今や屋敷の管理すらままならない状況だ。

(母上も居なくなった。ユフィリアも俺を捨てた! 俺に残ってるのは……)

 ザ、と。彼の下に一人の女がやってくる。
 アニー・ヴリュトは豊満な胸を隠すように腕を抱いて、遠慮がちに話しかけた。

「あの、閣下……? 大丈夫ですか?」
「アニー……」
「お怪我はありませんか?」
「……」

 ロレンスはじんわり胸にくるものがあった。

(俺に残っているのは、アニーだけだ)

「あ、その、ごめんなさい。話しかけちゃダメ、ですよね」
「いや」

 ロレンスはアニーを抱き寄せた。

「この前はすまない……側に居てくれないか。俺には君がいないとダメなんだ」
「……っ」

 アニーは感極まったようにロレンスに抱き着く。

「もちろんです。私はずっと閣下のお傍に居ます」
「ありがとう……もう二度と、君を裏切ったりしない。約束する」
「閣下……」

 二人の影が重なり、暗雲が彼らを覆いつくす。
 この先に何が待ち構えているか、知りもしないまま──。




 ◆◇◆◇





 ダンダンダン、と朝早くから寝室の扉が叩かれた。
 戦場での朝を思い出した二人の男女がはだけた格好で跳ね起きる。

「何事だ!?」
「閣下、魔獣です! ケルベルンの森で魔獣が出ました! 村人が襲われているとの通報が!」
「今行く」

 ロレンスがベッドから降りると、反対側から女も降りる。
 アニー・ヴリュトは自分の着替えもそこそこにロレンスの着替えを手伝った。
 後ろから抱き着いた彼女は豊満な胸を押し付けて言った、

「どうかご無事で。一緒に帰りましょうね」
「もちろんだ。続きはまた夜に……な?」
「はい」

 アニーは照れ臭そうに頬を朱に染めて俯いた。
 胸にぐっとくるものがあったロレンスは彼女の頬に口付けて腰に剣を佩く。
 一瞬で雰囲気が切り替わり、二人は男と女から騎士に切り替わった。

「行くぞ。ついて来い、ヴリュト」
「はっ」

 アルマーニ侯爵家の廊下は静まり返っていた。
 以前までなら使用人たちが忙しなく働いていたものだが、今や数えるほどの人数しか残っていない。
 さすがのアニーも疑問に感じたのか、きょろきょろと周りを見ていった。

「あの、閣下。使用人の方々は?」
「ほとんど解雇した」
「え?」

 ロレンスは堂々と嘘をついた。

「君が好きな者を雇えるようにな。そう心配するな」
「閣下……」
「今はまず、魔獣を倒そう」
「はいっ!」

 侯爵家を出ると、敷地内の前庭に六人ほどの騎士たちが集まっていた。
 いまや侯爵家の半分の人員となった彼らは『剣神』ロレンス・アルマーニが戻ってくると信じている者達だ。彼らはアニーが一緒に出て来たことに眉を顰めたが、誰も何も言わなかった。

「魔獣の数は」
「十体ほど」
「被害は?」
「今のところは。迅速な避難が完了したようです」
「分かった。どれが出た」
「アルカンジュです」
「なんだと? 妙だな……」

 アルカンジュは六本の足と四本の腕を持つ猿型の魔獣だが、群れでは活動しない個体だ。獰猛で手が付けられず、魔塔の魔法使いが調教した聞いた時は驚いた。

(何者かの作為的なものか……いや、俺には関係ない)

 ロレンスは自信みなぎっていた。
 それというのも、昨夜、寝室でポーションを見つけたのだ。
 いつも服用していた薬。
 ここのところ調子を崩していたのはこれのせいだったに違いない。
 これがあれば、どんな敵にも負けない自信がロレンスにはあった。

「行くぞ。アルマーニ騎士団、出陣!」
『はっ!』

 アルマーニ侯爵領を騎士たちが駆け抜けていく。
 軽快に馬を走らせるロレンスにアニーの馬が近づいた。

「閣下、調子はいかがですか?」

 心配そうな様子はここのところの不調を言っているのだろう。
 ロレンスは強気に返事をした。

「心配するな。君が傍にいるんだ。カッコ悪い真似は見せないさ」
「閣下……」
「奴らは俺が倒して見せる」
(どいつもこいつも、俺を捨てたことを後悔させてやる)

 執事も使用人も騎士も侍女も、みんな分かっていない。
 ロレンス・アルマーニこそが侯爵家の主なのだ。
 この自分を見捨てた者達を、ロレンスは死ぬほど後悔させてやるつもりでいた。

 鬱蒼と樹々が生い茂るケルベルンの森に着いたのは昼頃のことだ。通報のあった村に赴くと、無人の家屋の間に、六本足で四本腕の猿たちが歩いていた。
 アルカンジュだ。
 背中には彼らの特徴である赤い魔力雲が円環をなして蠢いている。

「よし。俺は中央のをやる。お前たちは左右のを相手しろ」
『了解!』
「行くぞ。アルマーニ騎士団が健在であることを知らしめてやる!」

 ロレンスは地面を蹴って飛び出した。
 騎士たちは英雄が健在であることに安堵して顔を見合わせる。

「はぁぁあああ!」

 ロレンスの剣が燐光を纏い、アルカンジュの背中に斬撃を叩き込む。
 夥しい鮮血が噴出し、アルカンジュたちが一気に殺気立った。

「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
(行ける! 調子を取り戻している!)

 全盛期の力を取り戻したロレンスは意気込んだ。

(この戦いが終わったら、アニーと結婚しよう)

 今度こそ幸せな家庭を作ろう。
 もう二度と手放したりはしない。自分を愛してくれるのは彼女だけだ。

(行ける!)

 まだ終わっていない。
 自分の輝かしい人生は、これから始まるのだ!


 ──ボキぃ!


「え?」

 強烈な衝撃と不快な音が響いた。
 ロレンスは腕を見る。
 剣を持っていた腕が不自然な方向に折れ曲がっている。
 腕の中から骨が外部に露出していた。

「え?」

 からん、と。
 剣を地面に取り落とす。
 一瞬の後、ロレンスは恐慌状態に陥った。

「ぎゃぁぁあああああああああ! 腕、腕が、俺の腕がぁあああ!」
「閣下ぁ!」
「危ない! 近づくな!」

 ロレンスは激しい痛みと恐怖で顔に脂汗が浮かんでいた。

 なぜ。
 どうして。

 先ほどまで感じていた全能感はどこにもない。
 たったひと振り剣を振るだけで、力を使い果たしてしまったような気がする。
 足が、ぴくりとも動かない。

(なぜだ……! あの瓶は確かにいつも飲んでいたものと同じだった!)

(まさか効果が切れていたのか!?)

 ニィ、とアルカンジュが笑う。
 腕の一つに火球が生まれ、蹴鞠のように打ち出された。

(避けきれ──)

 ロレンスは、動けない。

「ぐあぁぁああああああああああああああああああ!」

 灼熱の火球がロレンスの顔面に直撃した。

「いやぁああああああああああああ!」

 アニーの悲鳴が響き──
 ロレンスに火傷を負わせた獣たちは、興味を無くしたように去って行った。


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