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第十七話 広がる亀裂

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 侯爵家に帰ると、使用人の顔ぶれが様変わりしていた。
 お義母様についていた筆頭執事や侍女たちが一人も居ない。
 お前が居なくなってから新しく雇ったんだ、とロレンスは語った。

「でも、いきなり替えたら大変なんじゃ」
「母上の味方をするメイドなんて要らないだろ」
「それは……そうかもしれないけど」
「だったらいいじゃないか。お前は気にしなくていい」

 ロレンスはこの家の人事権と予算管理権を一任すると言ってくれた。
 私は口をもごもご動かして、結局何も言わずに呑み込んだ。

 ……どうせクビにするなら最初から任せてほしかったな。

 少なくとも一言相談くらいはして欲しかったような気もする。
 今まで侯爵夫人としての権力なんてないに等しかったし、そのまず一歩として私の周りに置く人間は私が見定めたかった。

(まぁ、この人なりに気を遣ってくれたし……いいかな)

 一週間前までなら考えられなかったことだ。
 これ以上を望むのは贅沢だし、彼の優しさは素直に嬉しい。

「ありがとう、あなた」
「ん」
「でも今度からは相談してね? 私も、何かあれば言うから」
「分かった」

 こうやって少しずつ擦り合わせて行こう。
 私たち夫婦は最初からすれ違っていたんだから。

「ところで、お義母様はどうしたの?」

 私室に向かいながらロレンスに問いかけると、

「別棟に閉じ込めていたんだがな。先日、夜中に消えた」
「消えたっ?」
「今、騎士たちに探させてる。お前は気にしなくていいぞ」
「……そう」

 侯爵家の騎士は優秀だからすぐに見つかるだろうけど……。
 お義母様が元塔の魔法使いだと知った私としては、彼女が何かやらかしそうで不安でもある。
 大丈夫よね……?

「心配するな。何があっても俺が守ってやる」
「……うん」

 私室で一息ついてから二人で夕食をとる。久しぶりに会話が弾んだ。
 口数が少ないロレンスが頑張って話そうとしてくれてるのが伝わってきて微笑ましくなる。
 私、本当にこの人と仲直りしたんだな……。

 お風呂に入ってすっきりしあとも、頭がふわふわして現実感がない。
 なんだかお腹の下が引き絞られるみたいに痛いし……。

 実は全部夢でしたなんてオチないよね?
 ちょっと不安になっていると、シェリーが髪を触りながら言った。

「奥様、今日はいかがされますか?」
「え?」
「ほら、せっかくの仲直りでしょう? 旦那様が待ってますよ」
「……ぁ」

 そっか。そういうことなんだ。
 夫婦仲が元通りになったということは、当然、夜のあれこれもあるわけで。

「そ、そうね。その、頑張ってくれる?」
「かしこまりました!」

 香油を身体に塗り込んで、爽やかなカモミールの香水を纏う。
 薄いネグリンジェを着た私は上着を羽織って夫婦の寝室に赴いた。
 うぅ、やっぱりちょっとお腹痛いかも……。

「奥様?」

 下腹部を抑えて緊張する私にシェリーが気付いた。

「奥様、もしかして今日はあの日では……?」
「え? ぁ」

 そう言えばそうだった。
 この前に来たのは一ヶ月くらい前だから……ちょうど周期なんだ。
 そう自覚すると、猛烈にお腹がいたくなって、頭ががんがん殴られてるみたいな痛みが発生した。

(せっかくの仲直りの日なのに……今日も出来ないのね)

 寝室に行くと、ロレンスは布団の上で待っていた。
 バスローブから見える彼の胸筋に、思わずドキリとする。

「ユフィリア」
「あなた」

 扉の前で立ちすくんでいた私にロレンスは軽く口付ける。

「ユフィリアの匂いがする」
「……うん」

 ちょっと照れ臭くなって顔を逸らす。
 私の匂いって、そりゃあそうなんだけども。
 期待の目で見つめるロレンスに私は申し訳なさでいっぱいだった。

「あなた、ごめんなさい……今日はあの日で、ちょっと……」
「あの日?……あ」

 ロレンスは察したように目を見開く。
 私は一抹の不安を覚えながらも、どこかで油断しきっていた。

(……大丈夫、よね?)

 ロレンスは結婚当初のような優しい夫に戻ってくれた。
 これからは心を入れ替えて夫婦をやり直すと約束してくれた。

 確かにタイミングは悪いし、私だって申し訳ないけど……。
 元の優しい夫に戻ったこの人なら許してくれる。
 別に今日だけしか出来ないわけじゃないんだし──








「……なんだよ。せっかくやる気になったのに」









 え。

 ……今、なんて?

 部屋の温度が一気に下がった気がした。
 唖然として何も言えない私に背を向けて、ロレンスはベッドに寝転がる。

「もういい」
「……あなた?」

 何? 何なの?
 もういいって何? 私、何か悪いことした?

「ねぇあなた」

 ロレンスは鬱陶しそうに振り向いた。

「なんだよ。今日は出来ないんだろ?」
「えぇ、そうだけど……」
「だったら仕方ないじゃないか。ほら、寝るぞ」
「……うん」

 ロレンスはぶっきらぼうに顔を背ける。
 優しさとはかけ離れたその様子に私は戸惑いを隠せなかった。

 つまり、そういうこと?
 この人の言葉通り、出来なかったからそんな態度になってるの?

(私が求めた時はすぐに嫌って言ったのに)

(自分が拒絶されたら不機嫌になるの……?)

 胸の中がもやもやして仕方なかった。
 はっきり言葉にしたいけど、さらに機嫌が悪くなるかもしれないと思うと何も言えなかった。

「……おやすみ、あなた」
「あぁ」

(──ダメ)

 私はベッドに横になって、考えを改めた。
 このままじゃダメだ。きっとまた以前の二の舞になる。
 思ったことはちゃんと伝えて、すり合わせないと、一生変わらない。

「あなた」

 私はロレンスの背中に手を当てて、そっと額を当てた。

「ごめんね。せっかくその気になってくれたのに」
「……」
「今日は出来ないけど……その、次の機会に……ね?」
「あぁ」

 ロレンスは振り向いた。
 ばつが悪そうに続ける。

「すまん。態度悪かったな」
「ううん、いいの」

 自覚あったんだ……。

「そうだ、今度デートに行かないか?」
「デート……?」

 きょとんとする。
 デートって、あのデート?

「思えば、夫婦になってから数えるほどしか言ってないだろ。やり直しの一歩として……な?」
「そうね……」

 本当ならデートをしている場合ではない。
 今後、侯爵家の運営にお義母様をどうかかわらせるのか、まったく関わらせないなら彼女が担当していた社交はどうするのか、私に流れている噂のことをどう考えているのか、そろそろ社交シーズンが終わるから領地に戻る準備を、とか。やらなければならないことや、話し合いたいことが山ほどあったけど。

「うん、行きたいわ」

 私たちは最初からやり直すんだ。
 それなら、まずはデートから始めるのも悪くない……はず。
 私が頷くと、ロレンスはホッとしたように口元を緩めた。

「分かった。じゃあおやすみ」
「おやすみなさい、あなた」

(……大丈夫、この前とは違う)

 ちゃんと二人で思ったことを話して、すり合わせている。
 この前のように破綻することはないはずだ。

 そのはずなのに──
 喉の奥に骨が刺さったような痛みと違和感は、消えてくれなかった。



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