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第十四話 さよなら

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「お世話になりました」

 ルガール様のお屋敷のとある廊下。
 扉の前でお辞儀をすると、ルガール様は首を小さく横に振った。

「いえ、むしろこっちがお世話になりました。楽しい時間を過ごせましたし」
「こちらこそ、です」

 ここでの暮らしは結婚してから一、二を争うほど楽しかった。
 皮肉を言うお義母様もいないし、ねちねち陰口を言うメイドたちも居ない。
 ルガール様も使用人の方々もとても優しくて、ずっとここに居たくなってしまうくらいだ。

「ユフィリア様、本当に戻ってしまわれるんですか?」

 寂しそうな顔で私を見るミーシャ様。

「あそこに戻っても、ユフィリア様は……」
「良いんです。一度、向き合わなきゃいけませんから」

 ルガール様たちのおかげで私には最終手段が出来た。
 逃げ場がなくて行き詰っていた頃に比べたら心の持ち方が全然違う。
 私は子供じゃないんだ。大人としてちゃんと清算しなければならない。

「それはそうですけど、でも……」
「ミーシャ、あまりユフィリア様を困らせるな」

 涙目でわたしを見上げるミーシャ様の肩にルガール様が手を置く。

「何も今生の別れじゃないんだ。会おうと思えばすぐ会えるさ」
「うぅううう」
「ユフィリア様、どうかお元気で」

 ルガール様は微笑んだ。
 その笑みを見た私の胸は、やっぱりズキっと痛んでしまう。

(引き止めては、くれないのね)

 当然のことだ。それが正しい。
 だから私は笑顔を浮かべて、別れを告げる。

さようなら・・・・・、ダカール公爵」
「……えぇ。さようなら」

 また、とは言わなかった。
 扉を開けると、光あふれる空間が現れた。
 ちょっとだけ怖いけど、私はその先に一歩踏み出す──




「きゃ!?」

 瞬間、目の前の景色が変わった。
 ほんのり薄暗い路地裏に出た私はきょろきょろと辺りを見回す。
 大通りから角を曲がった路地のようだ。家と家の間に挟まれた場所にいる。

「ここは……」

 後ろを見ると、どこかの家の扉があった。
 ぺたぺたと扉を触ってみる。鍵がかかっていて入れない。

「はえ~……やっぱりすごいですね、魔法使い様というのは」

 私と一緒に扉を通ったシェリーが感嘆の声をあげる。
 扉渡り──扉と扉をつなぎ異なる空間をつなげる魔法。

「アルマーニ侯爵領……なのよね?」
「はい、そうみたいです。あのお店には見覚えがあります」

 路地裏から見える大通りのブディックを見てシェリーは呟いた。
 平民向けのお店だ。私もそれを見て理解した。
 たぶんここは下層区の南。アルマーニ侯爵家の屋敷まではかなり歩くだろう。

「……ゆっくり歩きましょうか」
「どこかで辻馬車を捕まえてきましょうか?」
「ううん、いいの」

 正直、あまり帰りたいとは思わないから。
 いっそのこと、このままどこかに消えてしまえればいいのに……。
 もちろん、それが出来ないからあそこを離れたのだけど。

 そんな思いが伝わったのか、シェリーはそれ以上何も言わなかった。

 大通りに出ると、妙に物々しかった。
 見覚えのある騎士団の方たちが忙しなく動き回っている。

「何かあったのかしら」

 夫が私を探す訳もないでしょうし……
 なんて思っていたら、騎士の一人が私を見てあんぐり口を開けた。

「奥様……?」
「ん?」

 茶髪の若い騎士だ。確か今年入ったばかりの子。
 名前は確かソーヤ・ハドソンだったかしら。

「ハドソン?」

 名前を呼ぶと、ソーヤのまなじりに涙が浮かんだ。
 彼は後ろを振り向いて大声で叫ぶ。

「奥様がいらっしゃった! 閣下を呼んでください!!」
「え、あの……?」

 戸惑う私にわらわらと騎士たちが集まってくる。

「奥様、どちらにいらっしゃったんですか!?」
「俺たちは心配で心配で……!」
「無事でよかった! 閣下と一緒に血眼になって探していたんですよ!」

 探していた?
 あの人が? 私を?

(まさか、そんなはずないじゃない)

 この一週間、私はこっそり家に戻るつもりでいた。
 お義母様に閉じ込められた私は誰に気にされることもなく監禁状態。
 侍女たちもお義母様が怖くて逆らわないだろうから、居なくなっても誰も気付かない。

 ロレンスなんてお義母様が一言言えばあっさり信じてしまいそうだ。
 母上、母上、母上……そんな言葉をいやというほど聞いて来た。
 今回だって、騎士たちが気を遣ってくれているだけで、夫が私を探しているなんてあり得ない。

 そう思っていたのに。

「ユフィリアっ!!」

 騎士たちの間をかき分けてロレンスがやってきた。
 一週間ぶりに見る姿はどこかやつれているように見える。
 一歩近づいて、くしゃりと顔を歪めて、ロレンスは私を抱きしめた。

「あなた……?」
「すまなかった」
「え」

 七年ぶりに抱きしめてもらえた喜びよりも、戸惑いと驚きのほうがまさった。
 この人のことだから、「どうして居なくなった」とか「俺を困らせるな」とかいうと思ったのに。
 真っ先に出て来た言葉が謝罪の言葉で、胸を突かれるような思いだった。

「……何に対して、謝ってるの?」
「全部だ」

 ロレンスはもう私を離すまいと抱きしめてくる。

「母上のこと、パーティーのこと……ここ七年、お前に取っていた態度のこと……」
「……うん」
「もう二度と繰り返さない。俺が一生お前を守る」
「……本当? お義母様からも守ってくれるの?」
「あぁ、約束だ。もう二度と、あの人を近づけさせたりしない」
「……うん」

 じわり、と涙が滲んだ。
 これまで耐え忍んだ辛い思い出が脳裏を駆け巡る。

 何がきっかけか分からない。
 でも、あぁ。やっと。
 やっと、結婚した頃のロレンスに戻ってくれたのね……。

「体調は? もう大丈夫なのか?」
「……えぇ、もう大丈夫」
「そうか」
「どこに行ってたか、聞かないの?」
「母上から逃げてたんだろ? お前が無事なら、それでいい」
「……うん」

 ロレンスは私の額に口付けた。

「帰ろう、俺たちの家に」
「うん」

 本当は帰りたくなかったけど……この人が味方になってくれるなら。
 もう一度結婚生活をやり直せるなら、私は頑張れるかもしれない。

(急いで魔法石の作り方を覚える必要もなかったかしら)

 ふと頭によぎった男性の姿を振り払う。
 ロレンスの手を握ると、彼は気付いて、耳を赤くして顔を逸らす。

(……ふふ。ちょっと可愛い)

 こういう初心なところを好きになったのよね……。
 万感の思いで噛みしめていると、不意に鼻腔を刺激する匂いがあった。
 ロレンスの服についている、レモンの香り。

 ……香水?

 この人はもうちょっと落ち着いた香水を好んでいたはずだ。
 いつから趣味が変わったんだろう。
 まぁ結婚して十年も過ぎているし、香水の好みくらい変わって当然か。

(気のせい、よね)

 一抹の不安を押し込めながら、私は侯爵家に帰宅する──。
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