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第五十七話 ローズ・スノウ(後編)

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『聖女たちを逃がしてくれ。君なら出来るだろう?』
Siシー。了解いたしました』
『……また後で会おう』

 ギルティア様は出会った時と同じように突然消えました。
 遠いところで爆音が響きわたり、彼が活躍しているのが分かります。
 この時のわたしの感動と言ったら、百の言葉を使っても表しきれません。

 次々と上級士官たちが逃げていくなか、ギル様だけは諦めていませんでした。
 後方で頑張る聖女たちを見捨てまいと助けてくれたのです。

 最初はあの人も、聖女が嫌いだったみたいですけどね。
『二度目』の時のギル様はそれは大層な反応をされていましたし。
 でも、最後まで戦場に残る聖女たちを見て彼は考えを改めてくれました。

『君と話がしたい、ローズ。この戦場をどう思う?』

 魔族たちを追い払ったギル様はわたしの元に現れて言いました。
 わたしは忌憚のない意見を言ったと思います。

 もう終わりだ、とか。死ぬのはやだ、とか。
 そういった感情的な言葉は並べません。
 この時はまだ、やはり心というものを理解していませんでしたからね。

 ただ淡々と。率直に。
 具体的な数字を交えた戦場観をギル様はいたく気に入ったようです。

『また来る』

 それからというもの、ギル様は度々わたしのところに訪れるようになりました。
 足を引きずっていたギル様は何度か負傷することがあって、わたしが治療を担当しました。
 ある日のことです。

『……ローズ、済まない。俺は君たちを誤解していた』
『誤解?』
『聖女は教会の意志に沿うだけの人形のようだと……しかしどうだ、連合軍の幹部が次々と逃げ出していくなか、君たちだけは最後まで戦場に残っている。俺は君たちのような献身的なものを支えるために戦っているのかもしれない』

 何か、色々と悟ったようなことをおっしゃっていました。
 たぶん前線で何かあったのでしょうね。
 ただこの時のわたしはそんな機微をうかがい知る能力はありませんでしたから……、

 だから、やはり率直に言いました。

『いいえ。あなたの言葉は正しい』
『……』
『わたしたちは教会に造られた心のない人形です。もしも治療以外でお役に立てるならすぐにでも命令に従います。身代わりでも、盾にでも、お好きなようになさってください』
『……どういう意味だ?』

 教会の幹部が近くに居ないことをいいことに、わたしはべらべらと喋りました。
 聖女計画のこと、心が分からないこと、生きる意味のことも。

 ギル様はそれはもう、大層なお怒りようでした。
 太陽教会を潰すと仰られ、人類が滅びますとわたしが止めました。

 だって無駄でしょう?
 わたしたちは所詮、心のないホムンクルス。
 大量消費される道具のために人類を滅ぼすなんてもったいないじゃないですか。

 だけどギル様は言ったのです。

『道具じゃない』

 と。

『君にはちゃんと心がある』

 そう、仰いました。
 わたしを強く抱きしめて、言ってくれたのです。

『一人で抱え込んで、ずっと辛かったな』
『もう大丈夫だ。君は一人じゃない』
『だから泣くな。せっかくの美人が台無しだ』

 涙があふれて止まりませんでした。
 胸のなかに感じたことのない熱を覚えて、頭がくらくらします。
 くしゃりと顔を歪めたわたしはギル様の胸に顔を押し付け、一晩中泣きました

『推しっていうのは……応援したい人っていうか、この人のためなら尽くせる!って思う人……ですかね』
『そうなんですか』
『推しがいたら人生華やぎますよ。心が豊かになるんです』

 ──あぁ、リネット様。

 あなたの言っていたことが分かりました。
 わたしに推しが居るというなら、それは間違いなくギルティア・ハークレイ様です。

 世界でただ一人わたしの痛みを理解して共に泣いてくれた人。
 誰もが見捨てる人形を助けて、わたしと怒りを共有してくれる人。

 推し活をしていれば心が豊かになる。
 その言葉を頼りに、わたしは人間らしく振舞うようになりました。
 リネット様から聞いた推し道を貫こうと、そう思ったのです。

 推し活動の心得。

 その1、推しとは適切な距離を取るべし。
 その2、推しは推せるときに推すべし。
 その3、推しと恋人になってはならない。

 最後のはちょっと分かりませんでした。
 人間の生殖活動における求愛行動は人形のわたしには難しすぎました。
 だからたくさんの本を読んで勉強して、『恋』と『推し活』を学びました。

 ごめんなさい、リネット様。
 わたしはファン失格です。

 だって、もう手遅れでした。
 ギル様の目を見るだけで胸がときめき、彼の側にいるだけで心が温かいのです。
 彼の手を握りたい、抱きしめてほしいと思ってしまったのです。


 わたしは推しに──恋をしていました。


 ですが、ギル様はわたしが聖女だから話してくれているにすぎません。
 その証拠にわたしとの会話は戦場や魔族のことばかりで。

 色恋のような雰囲気になることなんて、一度もありませんでした。
 最も、わたしにその空気が察知できるかと言われれば、たぶんできませんけど。

 それにわたしには──恋をする資格なんてありません。
 一般的に、ホムンクルスの限界活動期間は十年と言われています。
 わたしはそれを大幅に超えた、二十年以上の時を聖女として過ごしました。

 元より人の身には過ぎた力である神聖術。
 戦場で積み重ねた無茶がたたって、わたしはもう長くありません。
 ぶっちゃけ、生きているのが不思議だと神官は言っていました。

 いつ身体が崩れてもおかしくはない。
 だからこそ、大聖女を引退していたわけですから。

 もうすぐ死ぬと分かっている女が恋慕の情を抱くなど許されるでしょうか?
 あの人を悲しませると分かっていて想いを告げるのは自己満足です。
 わたしは……何も言えませんでした。


 そして別れの時がやってきます。


『ここはもう終わりだ。次の戦場に行かなければ』

 荒野の丘に立ちながら、あの人はそう言いました。
 夕焼けの光がその顔を照らし出し、わたしの心を突き刺します。

『第八魔王はすぐそこまで迫っている。俺が行かなければすべて終わる』

 ダメ。行かないで。
 そう声に出したかったのにこの時のわたしは愚かにも我慢をしました。
 言いたいことを胸に押し込んで、仮面のような笑顔で言います。

『ご武運をお祈りしております。ギルティア様』
『あぁ。君も気を付けて』

 風がわたしの髪を巻き上げ、視界が塞がりました。
 白い線に覆われた世界の中でただあの人の声だけが耳に届きます。

『──もっと早く、君と出逢っていればよかったな』

 わたしもそうです。
 今さら言っても遅いのは分かっています。でも、お慕いしていました。
 ずっと前にあなたと出逢っていれば、わたしは──


 ただ、あなたと共に過ごしたかったのです。


 同じ時を重ね、同じ物を食べ、同じ景色を共有し。
 わたしはあなたと共に在るだけで、ずっと幸せでした。


 だから『二度目』は決めたのです。


 この想いは胸に秘めて絶対に言わない。
 ただのファンとして、彼のために全力で尽くそうと。

 あの人が私に心を教えてくれたから。
 あの人がくれた温もりを、少しでも返したいと思ったのです。

 痛いこと、苦しいこと、悲しいことを、もう我慢しないと。
 わたしに残された少ない時間を彼のために過ごせたなら──
 彼を救うことが出来たなら、わたしにとってはこれ以上の幸せはありません。

 もういつ死ぬともしれない身体で心残りを残したくはありません。
 わたしは妹のために、かつてのわたしのために、太陽教会を滅ぼします。

 他の誰にも殺されたくありません。
 ギル様の腕に抱かれて、ギル様に見つめられたまま死にたいのです。

 そのためなら、魔王にだってなりましょう。
 あなたの大事な家族を守り、仲間を残して逝きましょう。
 それくらいのわがまま、わたし人形にも許されるでしょう?


 ──ねぇ、ギル様。


 わたしはあなたを愛することは出来ないけれど。
 心のない人形だったわたしにそんな資格はないけれど。

 あなたが傍に居ろって言ってくれたこと、本当に嬉しかった。

 大好きです。
 心から愛しています。

 あぁ、今なら分かります。
 これが、これこそが心なんですね。

 理屈で分かっていても胸がぐちゃぐちゃにかき回されるみたいな。
 正しくないと分かっていてもやり遂げなければならないと思うような。

 愚かで救いようがない──だけど、宝石よりも尊い。

 これが、心なんですね。

 ギル様。
 ギル様。
 ギル様。

 叶うことなら、わたしは。

 最後に。

 あなたと、もう一度──







「──ローズッ!!」
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