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第十八話 喜びという感情。

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「……眠れませんでした」

 前線都市ガルガンディアの朝は早いです。
 周辺の魔獣駆除や魔族領域への偵察任務など、小休状態となった戦争でもやることはたくさんありますからね。ギル様も早朝から出かけていましたし。午後には戻ると言っていましたが。

「結局なんだったんでしょう」

 朝のギル様は特に何も変わりない様子でした。
 わたしは昨日の言葉が気になって眠れなかったというのに。

『……君を守りたい。分かれ』

 ぷしゅー! と頭から湯気が飛び出します。
 今から思い出しても割と恥ずかしい言葉ではないでしょうか。

 わたしじゃなかったら求婚と捉えてしまってもおかしくありませんよ。
 いやまぁわたしも、ちょっとは期待したから眠れなかったわけですが。
 推しがわたしを……いやいや、さすがに……。

 ふぅ。いえ、切り換えましょう。
 推しの真意は気になりますが、わたしが注力すべきは別のことです。
 ミッション②の遂行の有無も、ひとまず置いておきます。

 ミッション③:推しの仲間を増やす。今はこれに集中しましょう。

「さてさて、あの方はどこにいるでしょうか」

 わたしが探しているのはリネット・クウェンサ様という方です。
 稀代の天才魔導具技術者にして、わたしの中ではギル様と並ぶ英雄です。
 二年後に人類が滅んでいなかったのはあの方のおかげと言っても過言ではありません。

 そして彼女はわたしに『推し』という概念を教えてもらった恩人でもあります。
 つまりは同担! ギル様という推しを一緒に応援する同士でもあるのです!

 ガルガンディアにいることは分かってるんですよね。
 さて、どこにいるのでしょうか……。



 ◆



「……全然見つかりません!」

 ガルガンディアを歩き回りましたが、一向に見つかる気配がありません。
 魔導技術開発局にも問い合わせてみましたけど、『リネット・クウェンサという者は在籍していない』と言われたんですよね。あの天才が在籍していないってどういうことでしょうか。ちょっとおかしいです。

「あと探していないのは……あそこですね」

 前線都市ガルガンディア。その訓練場です。
 魔導具技術者であるあの方が居る可能性は限りなく低いのですが……。
 もしかしたら実験でもしているのかもしれませんし。
 ダメで元々。足を運んでみるだけいいでしょう。

 訓練場は長方形の広場のような場所で、魔術エリアと近接エリアで分かれていました。けっこうたくさんの人が居ますが、カードゲームに興じていたり酒を飲んでいたりと、かなりよろしくない状況です。わたしが元帥ならこの人たちの首を飛ばしますね。税金の無駄遣いが過ぎます。

「お、姉ちゃん見かけない顔だな。一杯どうだ!」

 しかもなんか話しかけてきましたし。
 なんですかこの髭面。近接エリアにいるので騎士かなにかですか。

「めっちゃ美人じゃん! こんな人居たっけ? あ、新入りか!」
「おいおいおい、サーシャ嬢並みの器量じゃん! うひょー!」
「ねぇ名前聞かせてよ。なんで軍なんかに入ったの?」

 あぁ、本当に鬱陶しい。通り道を塞いできやがりました。

「邪魔なんですが退いてくれますか」
「いやいや、つれないこと言うなよ。ちょっと一杯やるだけじゃねぇか──」

 しかも手を伸ばしてきました。
 全身に怖気が立ったわたしは手を振り払います。

「薄汚い手でわたしに触れないでください。邪魔だと言っているんです」
「は? んだよ女、美人だからちょっと声かけただけじゃん」
「顔だけじゃなくて知能まで猿並みなんですね。性欲の捌け口にわたしを求めるのはお門違いですよ、気持ち悪い。早く去勢してもらったほう世の中のためでは?」
「「「あぁ?」」」

 ふむ。何やら彼らの逆鱗に触れたようですね。
 わたしは事実を言っただけなのに、どうして怒るんでしょうか。
 人間って不思議ですね。

「黙って聞いてりゃ何様だよ、お前」
「ちょっと顔が良いからって調子乗ってんじゃねぇぞ。あぁ?」
「ちょーっと教育・・が必要みてぇだな?」

 にやにやした男たちがわたしを取り囲みます。
 周りはひそひそ話をするばかりで助けようとはしません。

 本当に腐っていますね、この基地。
 早く滅んだほうがいいのでは?

「はぁ」

 わたしは懐から扇を取り出して口元に当てました。
 つい、虫を見るような目で見てしまいます。

「女を取り囲むことでしか吼えられないんですね。それでも男ですか?」
「んだと?」
「雑魚が群がってもわたしに指一本触れられませんよ。身の程を知りなさい」
「「「……ぶっ殺す!」」」

 うーん、第四世代の魔術も身体に負担がかかりますし、こんなことで神聖術は使いたくないんですけど。仕方ありません。さっさと片づけてリネット様を──

 次の瞬間、前方の空間が歪みました。

「──おい。何をしている」
「「「!?」」」

 え、ギル様!?
 いきなりギル様が転移してきました! なぜ!?

「「「し、死神……!」」」

 わたしと男たちの間にギル様が割って入っています。
 突然現れたギル様に、さすがの猿たちにも動揺が見られますね。
 ギル様はすばやく周囲に視線を走らせました。

「……なるほど。昼間から酒とギャンブルに溺れたあげく、それを注意した女に八つ当たりか。いい身分だな、貴様ら」
「や、これは、その、ただ休憩中だっただけで」
「大体。その女が悪いんだ! 新入りが俺らのやり方に指図するから!」
「そうだそうだ!」

 男たちの足元に転がっている酒瓶は一本や二本じゃききません。
 どう見ても休憩っていう量じゃありませんが。

「……で、彼女に手を出そうとしたわけか?」
「いや、それは……」
「注意しようとしただけで、手を出そうとかは」
「──もう分かった。よく聞け。愚物ども」

 ギル様はどすの利いた声で言いました。
 わたしの肩を強く抱いて、訓練場中に響くような声で言います。

「この女は俺の小隊員だ。手を出そうとした奴は戦場で生きて帰れないと知れ。貴様らのような愚物でも、俺の異名は知っているだろう」

『死神』ギルティア・ハークレイ。
 戦場で共に戦う者達すら恐れる絶対不可侵の怪物!

「分かったら訓練に戻れ──殺されたくなければな」
「「「す、す、すいませんでしたぁあああああ!」」」

 訓練場が蜂の巣を突いたような騒ぎになり、あっという間に人が居なくなりました。見事な手際にわたしは思わず感嘆の息を吐き、ギル様を見つめます。

「あの、ギル様」
「君も君だ。帰りが遅いから気になって感知してみれば」

 ギル様はわたしの頭に手を置いて、ゆっくりと左右に動かしました。
 頭を通じて胸の中に温かみが流れ込んでくるような心地です。

「軍の規律を正すためとはいえ……。馬鹿者」
「えっと」

 どうしましょう。
 ギル様、勘違いしちゃってますよ。

 ぶっちゃけそういうつもりではなかったのですが。
 普通に邪魔だったから思ったことを言っただけなのですが。

Siシー。……すみません」
「分かればいい」

 なんとなく訂正する気にはなれず。
 頭を撫でてくれるギル様の顔を、わたしはしばらく直視出来ませんでした。
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