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第十二話 推しの怒り

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『ここはもう終わりだ。次の戦場に行かなければ』

 荒野の丘に立ちながら、あの人はそう言いました。
 夕焼けの光がご尊顔を照らし出し、わたしの心を突き刺します。

『第八魔王はすぐそこまで迫っている。俺が行かなければすべて終わる』

 ダメ。行かないで。
 そう声に出したかったのにこの時のわたしは愚かにも我慢をしました。
 言いたいことを胸に押し込んで、仮面のような笑顔で言います。

『ご武運をお祈りしております。ギルティア様』
『あぁ。君も気を付けて』

 風がわたしの髪を巻き上げ、視界が塞がりました。
 白い線に覆われた世界の中でただあの人の声だけが耳に届きます。

『──もっと早く、君と出逢っていればよかったな』

 わたしもそうです。
 今さら言っても遅いのは分かっています。でも、お慕いしていました。
 ずっと前にあなたと出逢っていれば、わたしは──

「ギルティア様……」

 こんなに手を伸ばしているのに、あの人は空を飛んでいきます。
 わたしの手は届きません。どれだけ伸ばしても。どれだけこいねがっても。

「行かないで」

 ただ、そう言いたかっただけなのに。
 どうしてわたしは、言えなかったんでしょう。

「死んでほしくないの。だから、お願い……」
「……俺は死なん。どこにも行かん」

 温かいものに手が包まれました。
 暗くて冷たい冬の風が遮られ、光がわたしの視界を覆っていきます。

「だから、安心して休め」

 ……これは、夢?

 ずっと、そばに居たかった。
 ずっと、聞いていたかった優しい声。

 思わず頬が緩んで、胸の中が光で満たされていくのを感じます。

「うれしい」
「…………」

 あぁ、でも眠いです。
 もう少しだけ休ませてもらいましょう。もう少しだけ……。


 …………。


 ……………………。


 …………………………。


「んみゅ」

 パチリ、と目が覚めました。
 意識は冴え冴えとしていて、ばっちり覚醒しています。

「起きたか」

 見慣れない天井、現状把握を最優先。
 わたしが周りを見渡すと、端正な顔が見えました。

「………………ギルティア様?」
「あぁ」
「ここは」
の部屋だ。まぁ、空き部屋の一つに過ぎないが」

 ギルティア様はベッドの横に椅子を置いて本を読んでいたようでした。
 ぱたりと本を閉じて、わたしの顔を覗き込んできます。
 …………って近すぎませんか!?

「もう熱はないようだな」
「はひ」
「だが顔が赤い。やはりもう少し寝ておくか?」
「い、いえ。結構です」

 危なかった。推しのご尊顔を近くで摂取しすぎて尊死するところでした。
 なかなかに破壊力がありますからね、推しの顔は。
 自分の顔が魅力的過ぎることを自覚すべきですよ、まったく。

「そうか。わたしは勝負に勝って……倒れたんですね」
「……驚いていないようだな?」
「無茶をした自覚はありますからね」

 実際、第四世代の魔術を使った時は身が裂かれるような苦痛がありました。
 そのあとの神聖術も身体に負担をかけていたことは想像に難くありません。

「……そんなに俺の小隊に入りたかったのか」
「もちろんです。わたし、ギル様のファンですから」
「……」

 お、推しと見つめ合っています……なにこれご褒美ですか?

「真剣、なのだな?」
「わたしは最初から最後まで真剣です」

 真剣に、あなたを助けたいのです。

「……ところで、体調はどうだ」

 いゃっほう! 推しの心配、いただきました!
 わたしは飛び上がりたい気持ちを抑えながら頷きます。

「完全復活です。ご心配おかけしました」
「……そうか」
「そういえばギル様、なんだか手が温かいのですが……何かしました?」
「いや、何も」
「そうですか?」

 もしや夢にうなされるわたしの手を握ってくれたのかと思いましたが。
 さすがに都合がよすぎる妄想でしたか。

「ギル様が何もないというなら気のせいですね」
「あぁ」

 ギル様は頷き、姿勢を正しました。

「体調に問題ないなら、俺の質問にも答えてもらおう」
「答えられるものなら」

 推しが望むならスリーサイズでも答えますよ?

「一つ。君は太陽教会の手先として送り込まれたのか」
Siシー。毎日報告書を書けと言われています。従うつもりはありませんが」

 素直に答えたわたしに驚いたのか、ギル様が目を丸くしています。
 ふふ。この程度のことならいくらでも答えますよ!

「二つ。君個人は教会が嫌いか?」
Siシー。滅べばいいと思っています」
「……三つ。君は聖女のはずだ。なぜ魔術が使える?」
「それはわたしにも分かりません」

 実際、土壇場で成功したわけですからね。
 最初の魔術が成功しなければ神聖術を使うつもりでしたが。

「むしろわたしが教えて欲しいくらいです」
「……四つ。君は俺と会ったことがある?」
Siシー。まぁ、ギル様は覚えていないと思いますが」

 なにせ『一度目』の世界の出来事ですから。
 嘘はついていません。この時間軸じゃないだけで。
 もしかしたら、戦場のどこかで会っている可能性もありますしね。

「では最後の質問だ」

 ギル様はそう言って、足元のトランクを見ました。
 わたしが持ってきた荷物です。ギル様を救うために色々書き物を詰めました。
 あとは着替えとか包帯とか。生活に必要なもの小物全般が入っています。

 ですが……。

 ギル様がトランクを開けると、ボロボロの布切れがありました。
 非常食として入れてあったドライベリーの瓶は虫の死骸が詰められています。

「これはなんだ」
「あぁ、それは妹の嫌がらせですね」
「は?」

 ギル様が険のある声を出しました。
 もしかして……怒ってらっしゃる?

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