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1章

謎の特待生

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「あなたがシアン・シュドレー?」

昼休み、学園の校舎から少し離れた所にある大木の下で俺は腕を枕にして昼寝していた。
そんな中急に名を呼ばれたので目を開けると、海のように深い青の瞳を持つ端正な顔立ちをした男が俺を見下ろしていた。前髪はセンター分けされ、襟足は少し長め。一見軽薄そうな風貌に見えるが、顔つきは驚く程上品で涼しげな美しさを持つ。
彼が身につけている鎖状のピアスが風に靡き、カチカチと鳴る音が聞こえて俺はようやく声を発する。

「…そうですが、誰?」

風で大木の葉や周りの草花が柔らかく揺れ、陽の光が踊るようにキラキラと輝いていた。そんな心地よい沈黙が少しだけあった。


「俺はイブリン・ヴァレント。会えて嬉しいよ、シアン」

そう言って、彼は涼しげな顔つきの割に思いの外砕けた笑みを見せた。

「お前がイブリン・ヴァレント?」

「うん。はい、これ」

「えっ、いたっ」

イブリン・ヴァレントは急に上から何か白い物体を顔に落としてきたので、反射で飛び起きた。

「これって…俺が飛ばした紙飛行機」

「あなたが飛ばした紙飛行機が俺の元に飛んできた。それも俺とあなたは魔力の相性が1番合っている。なんだか、これって運命かもしれないね?」

そう話しながら彼は俺の隣にしれっと座った。
何か読み取れない笑顔を振りまくこの男、俺には違和感しかなかった。なんとなく、避けたくて嘘を言うことにした。

「へぇ、お前にとっては1番相性が良いのか。でも残念。俺にとってお前は2番目なんだよ。だからあっち行ってくれ」

俺は横に座る彼をあしらうようにして、背を向けて寝転がる。

「…別に何番目でもいいよ。それでも相性が合うことには変わらないんだ。俺とコンパネロの誓いを結ぼう」

「何?コンパネロなんてなるわけないだろ。お前怪しいし」

「なんで?怪しくないよ、名前だって名乗ったし」

「怪しいよ。俺ん家は、いくつかの公爵家の中でも上位の家柄だ。当然俺が知らない貴族はいない。ヴァレントなんて聞いたことがない」

「あぁ、そういうことか。知らないはずだよ。俺は隣国エルネから来たからね。特待生枠で入学したんだ」

(そんな奴いたか?こんなに目立つキャラクターが居たら、攻略対象として出てくるはずなのに…)

「それで、狙いはなんなの?」

「狙いなんてないよ。シアンが気に入ったんだ」

「…まぁ確かに、俺顔可愛いもんな」

俺はしたり顔でイブリンの方を見た。

「ふっ…ははっ、そうだね」

そう言ってイブリンは、まるで十年来の友にでも向けるかのような笑顔を見せた。

「うーん、でも、シアンは可愛いよりも綺麗よりかなぁ」

「真剣に考えるなっつの」

この出会いをきっかけに、イブリン・ヴァレントという謎の男は俺にしつこく付きまとうようになったのだ。



授業が終わると、直ぐに俺は机の下に隠れた。机が階段型の教室で心底助かった。

「失礼します。シアン…シアン・シュドレーさんはいらっしゃいますか?」

イブリンはCクラスで俺と違うクラスだったことは救いなのだが、ここ最近授業後は俺を呼びにクラスにやってくるのだ。その度に俺は隠れて逃げるというのがお決まり。

「こうも毎日来られると困るんだよ…」

そんな独り言を言いながら、俺は競技場へやって来た。

(学園に競技場があるって、さすがというかなんというか…)

なぜ俺が競技場なんかに来ているかと言うと、ゲームの重要イベントがここで発生するからだ。

ここでは、1週間後に迫った実習試験に向けてシュレイとペアの名も知らぬモブが魔法の練習をしているのだ。すると、階級を重んじる国王反逆派の貴族たちがシュレイをこぞっていじめる。そこで、1人目の攻略対象第一王子のユーリアス・クラインが登場するのだ。だが、俺はただ主人公たちがいちゃこらする姿を見に来たわけではないのだ。

《バキッ》

「ぼっ僕の杖が …なんでこんなこと!!」

俺はことの始終を見るために、石柱に隠れて覗くことにする。見たところ、ちょうど侯爵家の出の男4人がシュレイたちの練習を邪魔し、魔法に使う杖を折ったところのようだ。ちなみにだが、シュレイの特異性の魔力についてはまだ周知はされていない。確か暫くは教師と学園長、国王のみが知る秘匿情報であったはずだ。
 
「お前、家は侯爵家でも貧民街出身なんだってな。なんて穢れた生まれなんだ」

「貴族の品位が下がるだろ」

「くっさいなぁ、やはり貧しい者は生まれながらにして汚い」

口々に罵倒する男たち。ペアを組んでいたモブの男には見捨てられ、1人で涙を流す主人公。
――そこで現れる。

「汚らわしいのはお前たちの方だ」

輝くプラチナブロンドの髪にグレーの瞳。広い二重幅を持つ瞼にはびっしりと長いまつ毛が生えている。線は細いものの、体躯は剣で鍛えあげられたもののそれだ。剣術の練習をしていたと見えて、シャープな頬に爽やかな汗がつたい、逞しい左手には木刀が握られている。

「なっ、ユーリアス・クライン様!」

4人の男たちは驚いて、目を下に下ろした。

「なんとも呆れたことよ。石持ちという女神からの祝福の力を与えられて生まれたにも関わらず、ここまで暗愚な者がいるとは」

「こっ、これは違うのです!あの者は下賎であるから、女神の代わりに私たちが痛めつけたに過ぎないのです!」

シュッと今までに聞いたことがない程、重みのある風を切る音がした。
ユーリアスが男の喉元に木刀の切っ先を押し付け、低い声を絞り出すように発した。

「黙れ。言うに事を欠いて、女神の代替者になったと言うのか?はっ、なんという無礼か…。この者が下賎かどうかはお前たちが決めることではない。ましてや私や国王でもない。価値というのは、己自身で決めるものだ」

「っ…ユーリアス殿下、出過ぎたことを申し上げてしまい、大変失礼いたしました。しっしかし、恐れながら申し上げますと、これからはきっとあの方が黙ってはいないはずです」

「あの方?」

ユーリアスは眉尻をピクリと動かした。

「ご存知でしょう?ひっそりとあの方も入学してきていたんですよ、悪名高いシアン・シュドレー様ですよ!」

(あちゃー…)

俺が実際に悪いことをしなくても、こうやって俺の知らないところで俺の名は勝手に使われ、悪の代名詞としてきっとこれからも噂だけが1人歩きしていくのだろう。悪役に生まれたということは、こういうことだ。
本来のシナリオであれば、あの4人組の先頭に俺がいるはずだったのだが、俺は入学以降反逆派の貴族とつるむどころか普通のクラスメイトとすらまともに話をしてきていない。いや、避けられているといった方が正しいかもしれない。だから、あのイベントで悪役令息として華々しい登場を飾らなければ、もしかしたらBLゲームに巻き込まれないかもと淡い期待を抱いていたのだが、やはり無理だったようだ。俺自身が輪に入らずとも、周りのキャラクターによって俺の立ち位置が固められていくようだ。

何も知らないまま死ぬのはさすがに夢見が悪いため、俺の名がどこまで行き渡っているのか、度々確認するつもりだ。
しかし、だからといってずっと主人公にベッタリとくっついてイベントを張り込んで見るなんてことはさすがに出来ない。重要なイベントのみ主人公の動向を確認することに俺は決めた。主人公が危険な目に遭う時は、いつも俺の名が出てくるはずだからな。

競技場を静かに離れて、俺は自分の教室に戻った。

「シアン・シュドレーさん、探しましたよ」

「マークハルトさん…」

教室には、知的そうな黒縁メガネがトレードマークの男がいた。彼は、イグリム・マークハルト。マークハルト公爵家の三男だ。そして、1週間後の実技試験で俺とペアに決まった男である。確か俺との相性は4番目あたりだったと思うが、重要なのはそこではない。イグリム・マークハルトは第一王子の旧知の友人の1人であり、攻略対象の1人でもあるのだ。彼は、公爵家では後継者にはなれないものの非常に策略を講じることに長けており、頭脳明晰と名高い男だ。攻略対象なので、もちろん顔も良い。オリーブの艶やかな色合いの後髪は程よく短く、前髪は少し長めに左側に流し、右側は2つのヘアピンで後れ毛を留めている。顔はくっきりとした鼻立ちに、長い下まつげと黒く鋭い瞳が特徴的だ。
イグリムと悪役令息シアンが最初の実技試験でペアになったことはゲームのシナリオでも少しだけ話題に出た。最初は品行方正な態度のシアンだったが、実技試験ではわざと失敗させた挙句、イグリムのせいだと言い張り面子を丸潰しにさせたという。

「実技試験が1週間後に迫っているでしょう?一応練習しておく必要があると思って、探していました」

「そうでしたか。お手を煩わせました。マークハルトさんはいつ頃お時間空いているでしょうか?」

「今日はもう予定はありませんので、今からでも大丈夫ですか?」

「ええ、もちろん」

思ったよりも物腰柔らかな口調の提案に、俺は素直に応じた。


庭園に出ると、彼のほうから話しかけてきた。

「せっかくペアになったのだから、気軽に話そう。僕のことは、どうぞイグリムと」

「…そうだな。では、俺のことも好きに呼んで欲しい。今更となってすまないが、声をかけてくれて助かった。試験までよろしく頼む、イグリム」

「ええ、よろしく。シアン」

握手を交わすと、早速試験の話をすることに。

「試験は、水、火、土、風の基本的な魔法を組み合わせて自由自在に使えるかを見る課題だよな」

「ええ、どれだけ創意工夫がなされているかによって加点が変わるようだから、まずはアイディアを出し合ってみよう」

お互いがアイディアを出し、話し合っていくうちに日はくれていた。

「では、シアンのアイディアで試してみよう。明日の放課後、競技場で練習してみたいのだが大丈夫かい?」

「問題ない。じゃあ、また明日」

イグリムと別れて寮に戻ると、俺の部屋の前でイブリンが右から左、左から右へと行ったり来たりしていた。

「なにやってんの、お前」

「シアン!探したんだよ」

俺の声に気づいて、イブリンは心配そうに駆け寄ってくる。

 「まさか、授業終わってからずっと探してたのか…?暇なのか、お前」

「だってもしシアンが俺以外の奴とコンパネロの誓いを結ぶ約束とかしてたらって思うと、気が気じゃないんだ」

「心配する必要はない。コンパネロなんてふざけた制度を利用するつもりは無い。だから、もう付きまとうな」

「でっでも、試験に向けてイグリム・マークハルトと関係性が深まったらって思うと…」

「はぁ?なんでお前、今回の試験のペア相手がイグリムって知ってるんだよ」

「えっ…まあ風の噂かなぁ?」

更に目の前の男への不信感が極まり、俺は扉の前にいる長身を押しのけ部屋にこもった。



翌日の放課後、競技場で俺はイグリムを待っていた。時間の設定はしてなかったので、なかなか現れない彼を待ちかねて俺はしぶしぶ探すことにした。

「お前もあいつには気をつけた方がいい」

廊下を歩いて角を曲がろうとした時、まだ鮮明に聞き覚えのある声が聞こえてきた。

恐る恐る角から覗き込むと、ユーリアスとイグリムが立ち話をしているのが見えた。

「しかし、僕は昨日シアン・シュドレーと話をしてみたけれど、存外悪名高い噂とは異なる様子だったよ」

「もちろん、私も噂を鵜呑みにする訳ではない。しかし、社交の場で彼を見た時は横柄で周りを顧みない態度が目に余った。なんと言ってもあのシュドレー公爵家の跡取りであるのだから侮れない人物には変わりない。火のないところに煙は立たぬとも言う。用心はしろ」

「そうだな、まぁ気をつけよう」

昨日のことがあって、早速俺を用心するようにという話し合いの場面のようだ。

主人公と関わりを持つ前の第一王子は非常に硬い頭の持ち主だ。規範を守り、女神を敬虔に信仰し、悪を許さず、疑わしき者は徹底的に警戒する。だからこそ、悪名高い俺にも警戒することは至極当然。とは言っても、もうこの時点から警戒されていたとは驚きである。

競技場に戻ってきた俺は、石畳の上に座った。
なんだかあの2人の話は長引きそうだったので、俺はしばらく待つことにする。

「そのうち来るだろ」

「誰が?」

「うおっ」

後ろから不意に声が聞こえて振り返ると、イブリンが笑って立っていた。

「何、もう…気配消して近づくなよ」

「ははっ、ごめんね。で、待っているのはマークハルトさん?」

「ん、まあな」

「遅れてくるなんて、礼節のないやつだ」

ちゃっかりと俺の隣に座るイブリン。

「まっ、もしかしたら来ないかもな」

「そうなったら、俺が叱りに行ってやるよ。それでペア解消させて、シアンは俺と組んで試験を受ける。問題ないだろう?」

「問題ある。なんでお前と組まなきゃいけないんだ」

「良いアイディアだと思うんだけどな。そのままの流れで半年後、コンパネロになろうよ」

そう言ってイブリンは深い青を輝かせた瞳で俺を見つめた。

「懲りない奴。ここ数日何度きいたことか…」

「ねっじゃあさ、試しに俺と魔法使ってみようよ。俺たちが1番相性良いって、絶対に分かるはずだよ」

イブリンが立ち上がって言った。

(憑依した後は、実際に魔法を使ったことがないんだよな。ちょうど魔法を使う感覚を感じて見たかったところだし、やってみるか)

「ん、良いぜ」

「じゃあまずは、水魔法で水を出現させてみよう。はい、手」

差し伸べられた右手に俺は左手を重ねた。
座学で、最初のうちは手を握ったほうが魔力の波長がより合わさって上手く魔法が使えると習ったからだ。

「さ、唱えよう」

「「アグア」」

呪文を唱え杖を振ると、心臓から何か熱いエネルギーが放出され、急速にそのエネルギーは俺の左手に集中し、イブリンの右手から伝うエネルギーと合致したような感覚になった。
すると、直ぐに水の塊が目の前の空気中に出現したのである。

「で、出来た」

「うん、やっぱり俺たち相性が良いよ。こんなに気持ちよく魔法を使えたことは無かったからさ」

「ふーん」

俺にとっては実質全く初めての魔法なので相性が良いとかそういうことは良く分からなかったため、適当に流しておいた。

(でも、シアンの魔法を使っていた記憶を辿るに、確かに1番相性が良いと言える感覚かもしれない。今までに無いような感じで案外悪くは無かったな…)

「よし、じゃあ次はあの石柱に水の攻撃をしてみよう」

「あ、ああ」

「「アタクアグア」」

呪文を唱えた直後、上からバケツをひっくり返したかのような勢いで大量の水が降ってきた。

「ゲホッゴホッ…シアン!大丈夫!?」

「……」

「シアン?」

「…っ…ふっ、ははっ…あはは!こんなっこんな大失敗あるんだな!ぷっ…くくっお前もビショ濡れ。ふっあはははっ」

「……!ふふっ、そうだね。俺もびっくりしたよ」

涙目になって盛大に笑う俺を見て、イブリンは安心したように微笑んだ。
俺は憑依して2ヶ月目にして、久しぶりに大声を出して笑ったのだ。


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