上 下
135 / 135

スタート!~ママチャリでの渋山峠ヒルクライム~

しおりを挟む
 渋山峠ヒルクライムのスタート直後は緩やかなカーブが連続していて斜度もそこまではキツくは無い。まあ、『そこまでキツくは無い』と言っても斜度が10%を超えるコース後半に比べたらマシだというだけのことなのだが。そしてこの『斜度がそこまでキツくは無い』区間のうちに、坂を速く上ることに死力を尽くす者達所謂『ガチ勢』は速度を上げる……タイムを稼ぐ為に。
 だが、トシヤもハルカもタイムなど求めてはいない。そう言えば聞こえが良いが、実のところハルカはともかくトシヤはロードバイクを駆ってしてもゴールの展望駐車場まで足着き無しで上れる保証が無い。そんなトシヤがママチャリで渋山峠を足着き無しで上りきれるわけが無いのだ。
もちろんハルカだってママチャリで渋山峠を足着き無しで上りきれるなんて最初っから思っていない。今日のママチャリでのヒルクライムは『チャレンジ』と言うより『遊び』なのだ。だが、やるからにはハルカもトシヤも真剣だ。とは言え、いくら真剣になったところで筋力や心肺機能が上がるものでは無い。スタートしたものの、恐ろしくペダルが重く、車体は悲しいぐらい前に進まない。

 スタートしてから数十秒、トシヤの前でハルカがサドルから腰を浮かせた。シッティングでは上れないと判断し、ダンシングで上るつもりなのだ。それを見たトシヤも真似る様に腰を浮かせた。
 ヒルクライムでシッティングからダンシングに移る時はギアを一枚か二枚上げるものだ。だが、ハルカのママチャリは変速機など付いていない。だから固定されたギアのままでペダルに体重を乗せる事になるのでクランクは軽々と回る……わけでは無かった。
 固定ギアのママチャリはフロント34T・リア14Tで、ギア比は2.28というのが一般的らしい。フロント34T・リア14Tと言うとロードバイクのインナートップに近いギアだ。
いくら体重をペダルに乗せてもハルカの軽い体重ではなかなかクランクが回らない。体重に加えて筋力を駆使してなんとかジリジリと上ってはいるのだが、ハルカの筋力が尽きるのは時間の問題だろう。

 トシヤはトシヤでハルカを真似て腰を浮かせたものの、『休むダンシング』が上手く出来無いので結局はシッティング以上に足が疲れてしまい、すぐに力尽きてしまうであろうことは火を見るより明らかだ。

「うわっ、ダメだ!」

 早くもトシヤが声を上げながら足を着いた。ヒルクライムを始めてからまだほんの数分、距離にして十数メートルしか進んでいない。このペースだとゴールの展望台駐車場まで一時間、いや途中でへたばって動けなくなる事を考えると2時間ぐらいかかるかもしれない。

「これはえらいことになっちまったな……」

 わかってはいたが、あらためて呟くしかないトシヤだった。

 トシヤの声を背中に聞きながらもハルカはダンシングで進み続けた。もちろんハルカだって足着き無しでゴールまで上りきれるなんて思ってはいない。いつものハルカならトシヤの事を気遣って止まっていたに違い無い。しかし、この時のハルカは自分がママチャリで渋山峠をどこまで上れるものなのか試したかったのだ。

「くそっ、ハルカちゃんがどんどん上っていくのに……情けねぇ……」

 呻く様に言うトシヤだが、本気を出したハルカに渋山峠で着いていけないのは出会った時からずっと変わっていない。もちろんトシヤも成長しつつはあるのだが、ハルカとの差を埋めるにはまだまだ至っていないのだから。

 トシヤは『ハルカちゃんがどんどん上っていく』と言った。しかし、当然のことながらハルカとて調子よくひょいひょい上っているわけでは無い。いつものエモンダだったらインナーローからギアを二枚上げればダンシングのリズムが良い感じに決まり、軽快に上っていけるのだが、前述の様にママチャリの固定ギアではハルカの軽い体重ではクランクが思うように回せず、のろのろとしか進めない。だがトシヤがサドルに座り、足を着いてへたばっている……つまり完全に止まってしまっている間にハルカとトシヤの距離はどんどん広がっていく。

「いつまでもこうしちゃぁいられないな」

 呟いたトシヤはサドルから尻を浮かすと上死点の位置にあった右のペダルに体重をかけた。だがクランクは足を着いて休む前と変わらずゆっくりしか回らない。トシヤの体重をもってしてもママチャリの固定ギアでは斜度に対してギア比が高過ぎるのだ。となるとペダルに体重をかけると共にハンドルを引き、脚力と背筋の力を必死に使って上るしかない。しかし、そんな力技が続くわけが無く、10メートルも進むか進まないかのうちにトシヤは力尽き、また足を着いてしまった。

「無理! 絶対無理! 上れるわけ無ぇっ!」

 トシヤが思わず声を上げた。もちろんそれはハルカに向けて言ったわけでは無いのだが、その声はハルカの耳に入ったようだ。

「ギブアップ? らしくないわね」

 ハルカは足を止めることも振り返ることもせず、ただ一言だけ言い、ゆるいカーブの向こうに消えていった。

 ハルカの言葉が折れかけていたトシヤの心に火を点けた。初めて渋山峠を上った時、ハルカと出会った時、トシヤは全然上れなかった。だが、今はあの時とは違う。肉体的にも精神的にも少しは成長しているのだ。

「ギブアップ? いいや、まだだね!」

 トシヤは自分に喝を入れるように言うとまたペダルを力いっぱい踏み、ハンドルを思いっきり引いた。


しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

【R-18】クリしつけ

蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。

♡ちょっとエッチなアンソロジー〜合体編〜♡

x頭金x
恋愛
♡ちょっとHなショートショートつめ合わせ♡

あなたを愛していないわたしは、嫉妬などしませんよ?

ふまさ
恋愛
 目の前で抱き合う、婚約者であるダレルと、見知らぬ令嬢。立ち尽くすアレクシアに向き直ったダレルは、唐突に「きみには失望したよ」と吐き捨てた。 「ぼくとバーサは、ただの友人関係だ。なのにきみは、ぼくたちの仲を誤解して、バーサを虐めていたんだってね」  ダレルがバーサを庇うように抱き締めながら、アレクシアを睨み付けてくる。一方のアレクシアは、ぽかんとしていた。 「……あの。わたし、そのバーサという方とはじめてお会いしたのですが」  バーサは、まあ、と涙を滲ませた。 「そんな言い訳するなんて、ひどいですわ! 子爵令嬢のあなたは、伯爵令嬢のわたしに逆らうことなどできないでしょうと、あたしを打ちながら笑っていたではありませんか?!」 「? はあ。あなたは、子爵令嬢なのですね」  覚えがなさ過ぎて、怒りすらわいてこないアレクシア。業を煮やしたように、ダレルは声を荒げた。 「お前! さっきからその態度は何だ!!」  アレクシアは、そう言われましても、と顎に手を当てた。 「──わたしがあなた方の仲を誤解していたとして、それがどうしたというのですか?」 「だ、だから。バーサに嫉妬して、だから、ぼくの知らないとこでバーサを虐めて、ぼくから離れさせようと……っ」 「そこが理解できません。そもそもそのような嫉妬は、相手を愛しているからこそ、するものではないのですか?」  ダレルは、え、と口を半開きにした。  この作品は、小説家になろう様でも掲載しています。

愛する婚約者に殺された公爵令嬢、死に戻りして光の公爵様(お父様)の溺愛に気づく 〜今度こそ、生きて幸せになります〜

あーもんど
恋愛
「愛だの恋だのくだらない」 そう吐き捨てる婚約者に、命を奪われた公爵令嬢ベアトリス。 何もかもに絶望し、死を受け入れるものの……目を覚ますと、過去に戻っていて!? しかも、謎の青年が現れ、逆行の理由は公爵にあると宣う。 よくよく話を聞いてみると、ベアトリスの父────『光の公爵様』は娘の死を受けて、狂ってしまったらしい。 その結果、世界は滅亡の危機へと追いやられ……青年は仲間と共に、慌てて逆行してきたとのこと。 ────ベアトリスを死なせないために。 「いいか?よく聞け!光の公爵様を闇堕ちさせない、たった一つの方法……それは────愛娘であるお前が生きて、幸せになることだ!」 ずっと父親に恨まれていると思っていたベアトリスは、青年の言葉をなかなか信じられなかった。 でも、長年自分を虐げてきた家庭教師が父の手によって居なくなり……少しずつ日常は変化していく。 「私……お父様にちゃんと愛されていたんだ」 不器用で……でも、とてつもなく大きな愛情を向けられていると気づき、ベアトリスはようやく生きる決意を固めた。 ────今度こそ、本当の幸せを手に入れてみせる。 もう偽りの愛情には、縋らない。 ◆小説家になろう様にて、先行公開中◆ *溺愛パパをメインとして書くのは初めてなので、暖かく見守っていただけますと幸いですm(_ _)m*

傷モノ令嬢は冷徹辺境伯に溺愛される

中山紡希
恋愛
父の再婚後、絶世の美女と名高きアイリーンは意地悪な継母と義妹に虐げられる日々を送っていた。 実は、彼女の目元にはある事件をキッカケに痛々しい傷ができてしまった。 それ以来「傷モノ」として扱われ、屋敷に軟禁されて過ごしてきた。 ある日、ひょんなことから仮面舞踏会に参加することに。 目元の傷を隠して参加するアイリーンだが、義妹のソニアによって仮面が剥がされてしまう。 すると、なぜか冷徹辺境伯と呼ばれているエドガーが跪まずき、アイリーンに「結婚してください」と求婚する。 抜群の容姿の良さで社交界で人気のあるエドガーだが、実はある重要な秘密を抱えていて……? 傷モノになったアイリーンが冷徹辺境伯のエドガーに たっぷり愛され甘やかされるお話。 このお話は書き終えていますので、最後までお楽しみ頂けます。 修正をしながら順次更新していきます。 また、この作品は全年齢ですが、私の他の作品はRシーンありのものがあります。 もし御覧頂けた際にはご注意ください。 ※注意※他サイトにも別名義で投稿しています。

処理中です...