92 / 136
優しい嘘
しおりを挟む
トシヤの喉はカラカラで手はじっとりと汗ばんでいる。だがコレは暑さのせいでは無く、極度の緊張によるものだ。そう、トシヤは腹を決めたのだ。今、この場でハルカに『好きだ』と言おうと。
トシヤはボトルのスポーツドリンクを喉に流し込むと口を開いた。
「ハルカちゃ……」
その時、無粋な声が割って入った。
「着いたああぁぁぁぁぁ」
言うまでも無いだろう、マサオの声だ。残念ながらタイムアップ、マサオのプリンスとルナのエモンダが駐車場に到着したのだ。
駐車場に入るなりマサオはフラフラとプリンスから降り、ハンドルを片手で支えながら丁度良い感じの大きな石に座り込んだ。
「あら、ハルカちゃん、パンク?」
ヘタり込んだマサオとは対照的に涼しい顔のルナはひっくり返されたハルカのエモンダとトシヤとハルカの汚れが落としきれていない手を見て尋ねた。するとハルカはバツが悪そうに答えた。
「うん、何か拾っちゃったみたい。もう修理は終わってるから」
「へえ、ハルカちゃん、パンク修理出来るんだ」
ハルカの言葉を聞き、マサオが死にそうな顔でボソッと言った。どうやらマサオはハルカがそんな事を出来るとは思っていなかった様だ。
「何言ってるの、これぐらい出来なくてどうするのよ! 些細なトラブルは自分で何とかするのがローディーってモノでしょ? ううん、パンクなんてトラブルのうちに入らないわよ」
平然と言い放ったハルカにマサオは言葉を失った。
もちろんマサオも一応パンク修理のキットは積んではいる。だが幸いにもソレを使う状況には陥っていない。もし、出先でパンクして手際良く作業を行えるかどうかは疑問だ。
「まあまあハルカちゃん。こればっかりは実際経験してみない事にはね。それにトラブルに見舞われないのが一番なんだから」
ルナがマサオを養護する様に言うが、トシヤはマサオに強く言った。
「いや、出先でパンクする前に家で練習しといた方が良いぞ、タイヤ外すのって意外と大変だからな。それにこのクソ暑い中のポンピングは地獄だぞ」
「ごめんなさい……」
するとマサオでは無くハルカが小さな声を発した。そう、トシヤの「地獄だぞ」という言葉に反応したのだ。
「いや、ハルカちゃん、そんなつもりじゃ……」
しゅんとしてしまったハルカにトシヤは焦った。ほんの数分前までは凄く良い雰囲気だったのに。マサオが上って来るのがもう少し遅ければ、いや、トシヤがあと数秒早く腹を決めていれば気持ちをしっかりと伝える事が出来たのに……
だが、全て後の祭りだ。今となってはしゅんとしてしまったハルカを慰めるしか無い。
「ほら、『地獄』ってのはモノの例えでさ、それぐらいしんどいってだけなんから」
トシヤは頑張って言い繕おうとするが、まったく慰めになっていない。それどころか『しんどい』と強調している様なモノだ。ハルカの顔が益々暗くなった。
「そもそも俺が勝手にやった事なんだから」
そう、ハルカが自分で空気を入れようとしたのをトシヤがポンプを奪い取ったのだ。遥かに罪は無い。
「それにハルカちゃんの……」
必死に口を動かすトシヤが言葉を飲み込んだ。口から出かけた言葉はこうだ。
――ハルカちゃんの為だったらアレぐらいどうってこと無いよ――
だが、マサオとルナの手前それを口に出すのはあまりにも恥ずかしい。そこでトシヤはとっさに違う言葉を口に出した。
「ハルカちゃんのせいじゃ無いよ。パンクしたのは運が悪かったんだからさ」
するとルナが素朴な疑問を口にした。
「でも、ココで修理したんでしょ。ハルカちゃん、ドコでパンクしちゃったの?」
もちろんルナに悪気は無いが、それは今ハルカに一番聞いてはいけない質問だ。ハルカは泣きそうな顔で答えられずにいるとトシヤが代わって答えた。
「駐車場に入った途端ですよ」
「……え?」
トシヤの嘘にハルカは驚いた顔をしたが、トシヤは構わず話し続けた。
「駐車場入る時に溝の蓋を横切るでしょ、その瞬間ブシューってね。目の前だったからちょっとビビりましたよ」
トシヤの言う『溝の蓋』、俗に言う『グレーチング』だ。タイヤの空気圧が低い状態で勢いよくコレを通過するとリム打ちパンクを起こす危険があるが、ヒルクライムに挑むハルカが空気圧の調整を怠るとは考えにくい。だが、ルナは穏やかな声で言った。
「駐車場の出入り口って舗装が荒れて異物が溜まりやすいから気を付けないとね」
ルナは泣きそうな顔のハルカを見て気付いたのだろう、トシヤがハルカを気遣って嘘を吐いていると。トシヤの優しい嘘でハルカに笑顔が戻った。
少し休んでマサオが体力を取り戻し、そろそろ下りようかとハルカがひっくり返していたエモンダをヒョイっと元に戻して跨り、右のクリートを嵌めた。その時、エモンダのリアタイヤが大きく潰れたのをトシヤは見逃さなかった。
「ハルカちゃん、ダメだよ。やっぱ空気足んねーわ」
迷わずハルカを止めたトシヤは自分の携帯ポンプを手に駆け寄ると、ハルカを跨がせたままエモンダのリアタイヤのバルブキャップに手を掛けた。それはもちろん純粋にタイヤに空気を追加しようとしただけだったのだが、計算外のシチュエーションとなってしまった。
バルブに手を掛けると言う事は当然トシヤはリアタイヤの横に座り込む事になる。そしてハルカがエモンダに跨ったままだと言う事は、トシヤが顔を上げればハルカをローアングルから見上げる形になるのだ。言うまでも無いがハルカが履いているのはピタピタのビブショーツ、しかもビブショーツの下はノーパン(かもしれない)だ。
トシヤの視界の隅にはハルカの生足(脹ら脛)が見え、時折り吹く風がハルカの汗の匂いを運んで来る。バルブキャップを外し、フレンチバルブの先端のボルトを緩めながらトシヤは顔を上げたいという誘惑と必死に戦った。
「ハルカちゃん、ペダルに体重掛けてみて」
トシヤの声にハルカがペダルに体重を乗せるとタイヤは僅かばかり潰れるだけとなった。コレなら大丈夫だろう。トシヤはボルトを閉め、バルブキャップを付けると下を向いたまま立ち上がった。
「トシヤ君、ありがとう」
嬉しそうに言うハルカはトシヤがそんな誘惑と必死に戦っていた事など知らない。もちろんトシヤとしても絶対に知られたく無いだろう。
トシヤはボトルのスポーツドリンクを喉に流し込むと口を開いた。
「ハルカちゃ……」
その時、無粋な声が割って入った。
「着いたああぁぁぁぁぁ」
言うまでも無いだろう、マサオの声だ。残念ながらタイムアップ、マサオのプリンスとルナのエモンダが駐車場に到着したのだ。
駐車場に入るなりマサオはフラフラとプリンスから降り、ハンドルを片手で支えながら丁度良い感じの大きな石に座り込んだ。
「あら、ハルカちゃん、パンク?」
ヘタり込んだマサオとは対照的に涼しい顔のルナはひっくり返されたハルカのエモンダとトシヤとハルカの汚れが落としきれていない手を見て尋ねた。するとハルカはバツが悪そうに答えた。
「うん、何か拾っちゃったみたい。もう修理は終わってるから」
「へえ、ハルカちゃん、パンク修理出来るんだ」
ハルカの言葉を聞き、マサオが死にそうな顔でボソッと言った。どうやらマサオはハルカがそんな事を出来るとは思っていなかった様だ。
「何言ってるの、これぐらい出来なくてどうするのよ! 些細なトラブルは自分で何とかするのがローディーってモノでしょ? ううん、パンクなんてトラブルのうちに入らないわよ」
平然と言い放ったハルカにマサオは言葉を失った。
もちろんマサオも一応パンク修理のキットは積んではいる。だが幸いにもソレを使う状況には陥っていない。もし、出先でパンクして手際良く作業を行えるかどうかは疑問だ。
「まあまあハルカちゃん。こればっかりは実際経験してみない事にはね。それにトラブルに見舞われないのが一番なんだから」
ルナがマサオを養護する様に言うが、トシヤはマサオに強く言った。
「いや、出先でパンクする前に家で練習しといた方が良いぞ、タイヤ外すのって意外と大変だからな。それにこのクソ暑い中のポンピングは地獄だぞ」
「ごめんなさい……」
するとマサオでは無くハルカが小さな声を発した。そう、トシヤの「地獄だぞ」という言葉に反応したのだ。
「いや、ハルカちゃん、そんなつもりじゃ……」
しゅんとしてしまったハルカにトシヤは焦った。ほんの数分前までは凄く良い雰囲気だったのに。マサオが上って来るのがもう少し遅ければ、いや、トシヤがあと数秒早く腹を決めていれば気持ちをしっかりと伝える事が出来たのに……
だが、全て後の祭りだ。今となってはしゅんとしてしまったハルカを慰めるしか無い。
「ほら、『地獄』ってのはモノの例えでさ、それぐらいしんどいってだけなんから」
トシヤは頑張って言い繕おうとするが、まったく慰めになっていない。それどころか『しんどい』と強調している様なモノだ。ハルカの顔が益々暗くなった。
「そもそも俺が勝手にやった事なんだから」
そう、ハルカが自分で空気を入れようとしたのをトシヤがポンプを奪い取ったのだ。遥かに罪は無い。
「それにハルカちゃんの……」
必死に口を動かすトシヤが言葉を飲み込んだ。口から出かけた言葉はこうだ。
――ハルカちゃんの為だったらアレぐらいどうってこと無いよ――
だが、マサオとルナの手前それを口に出すのはあまりにも恥ずかしい。そこでトシヤはとっさに違う言葉を口に出した。
「ハルカちゃんのせいじゃ無いよ。パンクしたのは運が悪かったんだからさ」
するとルナが素朴な疑問を口にした。
「でも、ココで修理したんでしょ。ハルカちゃん、ドコでパンクしちゃったの?」
もちろんルナに悪気は無いが、それは今ハルカに一番聞いてはいけない質問だ。ハルカは泣きそうな顔で答えられずにいるとトシヤが代わって答えた。
「駐車場に入った途端ですよ」
「……え?」
トシヤの嘘にハルカは驚いた顔をしたが、トシヤは構わず話し続けた。
「駐車場入る時に溝の蓋を横切るでしょ、その瞬間ブシューってね。目の前だったからちょっとビビりましたよ」
トシヤの言う『溝の蓋』、俗に言う『グレーチング』だ。タイヤの空気圧が低い状態で勢いよくコレを通過するとリム打ちパンクを起こす危険があるが、ヒルクライムに挑むハルカが空気圧の調整を怠るとは考えにくい。だが、ルナは穏やかな声で言った。
「駐車場の出入り口って舗装が荒れて異物が溜まりやすいから気を付けないとね」
ルナは泣きそうな顔のハルカを見て気付いたのだろう、トシヤがハルカを気遣って嘘を吐いていると。トシヤの優しい嘘でハルカに笑顔が戻った。
少し休んでマサオが体力を取り戻し、そろそろ下りようかとハルカがひっくり返していたエモンダをヒョイっと元に戻して跨り、右のクリートを嵌めた。その時、エモンダのリアタイヤが大きく潰れたのをトシヤは見逃さなかった。
「ハルカちゃん、ダメだよ。やっぱ空気足んねーわ」
迷わずハルカを止めたトシヤは自分の携帯ポンプを手に駆け寄ると、ハルカを跨がせたままエモンダのリアタイヤのバルブキャップに手を掛けた。それはもちろん純粋にタイヤに空気を追加しようとしただけだったのだが、計算外のシチュエーションとなってしまった。
バルブに手を掛けると言う事は当然トシヤはリアタイヤの横に座り込む事になる。そしてハルカがエモンダに跨ったままだと言う事は、トシヤが顔を上げればハルカをローアングルから見上げる形になるのだ。言うまでも無いがハルカが履いているのはピタピタのビブショーツ、しかもビブショーツの下はノーパン(かもしれない)だ。
トシヤの視界の隅にはハルカの生足(脹ら脛)が見え、時折り吹く風がハルカの汗の匂いを運んで来る。バルブキャップを外し、フレンチバルブの先端のボルトを緩めながらトシヤは顔を上げたいという誘惑と必死に戦った。
「ハルカちゃん、ペダルに体重掛けてみて」
トシヤの声にハルカがペダルに体重を乗せるとタイヤは僅かばかり潰れるだけとなった。コレなら大丈夫だろう。トシヤはボルトを閉め、バルブキャップを付けると下を向いたまま立ち上がった。
「トシヤ君、ありがとう」
嬉しそうに言うハルカはトシヤがそんな誘惑と必死に戦っていた事など知らない。もちろんトシヤとしても絶対に知られたく無いだろう。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる