ヒルクライム・ラバーズ ~初心者トシヤとクライマーの少女~

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マサオもロードバイクを買うとか言い出した

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「おい、トシヤ」

 教室に戻ったトシヤの背中を突っついたのはマサオだった。

「あの子、誰だよ?」

 振り向いたトシヤにいきなり核心を突く質問をしてきたマサオ。どうやら彼は廊下での出来事を見ていた様だ。とてつもなく羨ましそうな顔をしている。本当の事を話すかどうか迷ったトシヤだったが、マサオにロードバイクについての理解を示させるチャンスだと考えた。

「言っただろ、一つ世界が広がったってな」

 思わせぶりに言ってニヤリと笑うトシヤにマサオは思いっきり食いついた。

「ロードバイクか? ロードバイクであの子達と仲良くなったんか!?」

 驚愕の表情で、尚且つ羨ましそうに言った後、マサオは少し考えてから大きく頷いた。

「俺もロードバイク買うぜ!」

「はあっ?」

「だから、俺もロードバイク買うんだって言ってんだよ」

 マサオは自分もロードバイクに乗ればトシヤの様に女の子と知り合えると考えたらしい。もちろんそんな美味い話は滅多にあるものでは無い事はちょっと考えればわかりそうなものだが……

「でも、お前バイク買うんじゃなかったのか?」

 トシヤが言うとマサオはあっさり答えた。

「俺、十二月生まれだから免許取れるのだいぶ先だからな。今年の夏はロードバイクだぜ」

 普通、免許が取れるのが先だったら、それまでにアルバイトでもしてお金貯めるものだが、マサオはアルバイトなどする必要の無いお金持ちのお坊っちゃんだったりする。気軽に「ロードバイク買う」などと言えるマサオを羨ましく思うトシヤにマサオは甘えた声でねだった。

「なあ、今度の日曜、お前がロードバイク買った店に連れてってくれよ」

 今度の日曜と言えばルナとハルカとライドに行く日だ。適当にやり過ごせば良いのにトシヤがバカ正直に、と言うか自慢げにそれを言ってしまったものだからマサオはいきり立った。

「マジか! じゃあ今日! 帰りに寄って行こうぜ」

 マサオの勢いに押されてトシヤは首を縦に振るしか無く、放課後二人でスポーツ自転車のショップに行く事が決まった。まあ、トシヤとしては動機はともあれマサオがロードバイク仲間となるのは嬉しくもあったのだが。
 放課後、トシヤはマサオを連れてスポーツ自転車のショップを訪れた。平日の夕方だというのに結構な数の客が入っている事に驚きを隠せない。トシヤは並べられているロードバイクを羨望の眼差しで眺め、お金があればなぁ……と溜息を吐いている。

「おっ、コレなんか良いじゃん」

 マサオが展示してある一台のロードバイクを指して言った。黒地に赤の派手なカラーリングに特徴的な曲線を描いたフロントフォーク、ピナレロのドグマだ。

「コレ、いくらするんだ……って、六十万!?」

 マサオはドグマに付けられた値段を見て信じられないといった顔をした。無理も無い、六十万円出せば二百五十CCのバイクが新車で、中古ならリッターバイクだって買えるのだから。驚くマサオにトシヤは追い打ちをかける様に言った。

「それ、フレームだけの値段だから。乗れる状態にしたら百二十万ぐらいになるんじゃないかな」

「百二十って……それ、自転車の値段じゃ無ぇぞ!」

 トシヤの言葉に呆れ返った様子のマサオ。まあ、その気持ちは解らないでも無い。しかし、ドグマと言えばピナレロのフラッグシップ、実際にツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリア等の国際レースで使われているモデルで、車で言えばGTマシンやF1マシンみたいなものだ。お金さえ出せばそんな凄い車体を買う事が出来る、ロードバイクというのはある意味恐ろしい世界だとトシヤが説明すると、マサオはわかった様なわかってない様な顔で一言「なんかとんでもない話だな」とだけ呟いた。
 いくらマサオがお坊っちゃんでもさすがに自転車に百万円は……と思った様で、別の車体に目を向けた。

「じゃあ、コイツはどうだ?」

 次にマサオが目を付けたのはプリンス、やはりピナレロだ。黒と赤に塗り分けられた派手なカラーリングが彼の中二心に火を点けたらしい。トシヤのメリダリアクト400も赤黒で派手なカラーリングだが、ピナレロのプリンスは更にその上を行くド派手なロードバイクだ。

「コレだって五十万ぐらいするぞ」

「そっか、ロードバイクってマジで高いんだな」

 トシヤの言葉にマサオは軽く答えると、他の車体も色々見て回った。店内を一周し、上は百万円オーバーから下は十万円を切る様々なロードバイクを見て、マサオはトシヤにその価格差がどこから来るものなのかを尋ねた。トシヤがフレームの材質の違いや使われているコンポ、そしてロードバイクのブランド等を説明するとマサオはきっぱりと言い切った。

「やっぱ俺、プリンスにするわ」

 ついこの間まで自転車に十万円以上出す心理が解らないと言っていたマサオが五十万円のロードバイクを買うと言う。いくら家がお金持ちだとは言え、いきなりそんな高いロードバイクを……乗り続けるかどうかすら解らないのに。
 驚くトシヤを尻目にマサオは店員に声をかけて購入の意志を伝えたところ、納車は日曜日になると言う。

「えっ、それじゃサイクリングに間に合わないじゃん」

 困った顔で言うマサオにトシヤは呆れた顔で言った。

「お前なぁ、日曜日、一緒に行くつもりだったのか?」

「もちろんだ。だからこそ今日、買いに来たんじゃねぇか」

 まあ、薄々そんな気はしていたが、当然だといった顔で言われるとは。ちょっと引き気味のトシヤだったがマサ
オはお構い無しで「じゃあ、他のにするか」などと言い出す始末だ。トシヤは最後の手段、脅しに出る事にした。

「あのなぁマサオ、お前ビンディングペダル使った事無いだろ?」

「おう、ある訳無いじゃねーか」

「悪い事は言わん。付け外しの練習を一人でしてからにしとけ」

「なんで?」

「アレって結構コツが要るんだよ」

「だから?」

「練習しとかないと、上手く嵌めれなくて格好悪いぞ。それに……」

「それに?」

「最悪立ちゴケする。そんなトコ見られてみろ、再起不能だぞ」

『立ちゴケ』とは止まる際にビンディングで足がペダルに固定されているのを忘れて足を出そうとして、或いはビンディングからクリートを外し損ねて転倒する事で、思いっきり恥ずかしい自滅行為だ。マサオは半分笑いながら聞いていたがトシヤの真剣な表情、そして『再起不能』と言う言葉に反応し、その顔から笑いが消えた。それを見たトシヤは言い聞かせる様にマサオに言った。

「慌てなくてもチャンスはすぐに作ってやるよ。だから悪い事は言わん、まずはしっかり練習しとけ」

 こうまで言われたらマサオも首を縦に振るしか無い。「絶対だぞ、次は絶対俺も誘えよ」とトシヤに釘を刺しながらピナレロのプリンスを買う事を店員に告げた。

 買い物を終えてショップを出たトシヤとマサオはチェーンのコーヒーショップで一息入れる事にした。

「しかしお前って、金持ちだよなー。なんだかんだで六十万の衝動買いだぜ」

 アイスコーヒーを啜りながらトシヤがボヤく様に言った。ついこの間までロードバイクに全く興味を示さなかったマサオがいきなりローディー垂涎のピナレロを買うなんて。しかもヘルメットもウェアも高いヤツをチョイスして、遠目に見れば高校生だとは誰も思わないだろう。心底羨ましく思うトシヤにマサオは澄ました顔で答えた。

「こう見えても俺、ガキの頃からちゃんと貯金してるからな」

 いくら貯金していると言っても高校一年生、そんな凄い金額を貯金出来る訳が無いのだが。マサオの場合、家が金持ちなので小遣いやお年玉の金額がとんでもないのだろうか?ちなみに小遣いでも多すぎると贈与税がかかる。もっとも年間百十万円までは非課税対象なのでその制度を利用すればマサオが十五歳として千六百五十万円までは贈与税がかかる事無く貯金する事が出来るのだが、あまりにも非現実的な数字だ。だが、マサオの様子からすると千六百五十万とはいかなくても三桁万円単位の貯金を持っているであろう事は間違いあるまい。

「あーあ、金持ちは羨ましいねぇ」

 アイスコーヒーをブクブク言わしながら呟くトシヤにマサオは余裕の表情で言った。

「はっはっはっ、そう言うな。まあ、今日は付き合ってもらった事だし奢るぜ。そうだ、ケーキ食おうぜ、ケーキ」

 マサオの言葉に甘えてケーキを突っついているとトシヤのスマホにメールが届いた。

「おっ、ハルカちゃんからだ」

 嬉々としてメールを開こうとするトシヤにさっきとは逆にマサオの羨ましそうな視線が向けられる。

「良いなぁ~~、俺だって女の子からメール貰いてぇよ……」

 そんなマサオの声を聞きながら得意気にハルカからのメールを開いたトシヤだったが、メールの本文を見て凍りついた。マサオはメールの内容が気になる様で身を乗り出して放心状態のトシヤに迫った。

「何だ? ハルカちゃん、何て言ってきたんだ?」

 憐れなぐらい必死になって聞いてくるマサオにトシヤは溜息を吐きながらスマホの画面を見せた。

「連絡事項しか書いて無ぇ。こんなメールでも羨ましいか?」

 ちなみにハルカから送られてきたメールはこうだ。

『日曜日、午前九時に駅前のコンビニに集合』

 見事なまでに簡潔な、最低限の連絡事項しか書いていない、悲しいぐらい素っ気ないメールだった。となると返信するトシヤとしては悩むところだ。送られてきたメールが素っ気ないからと言ってこちらも素っ気ない返事しか返さないのはどうかと思うし、かと言って世間話的なものを加えるとしてもどの程度の文章を打てば良いものやら。悩んだ結果、トシヤはお礼の言葉と楽しみだという事を簡単に打って返信した。その時、マサオの目が怪しく光っていたのに気付きもせずに。

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