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私を敬え!

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 なかなか礼儀に厳しいハルカ。確かに彼女の言う事は間違ってはいないし、そもそも初対面なのだから丁寧な言葉遣いで話すべきだろう。トシヤは改めてハルカに言った。

「色々教えて下さい。よろしくお願いします」

 それを聞いたルナが吹き出した。

「ハルカも偉くなったものね。ついこの間まで何度も足を着いてたのに」

「うわっ、ルナ先輩、なんてこと言うんですか!」

 どうやらハルカも足着き無しでこの峠を上れる様になったのは最近の事みたいだ。それを暴露されて顔を赤くしながらルナに抗議するハルカ。トシヤが二人のやりとりを笑いながら見ていると、ハルカが彼に絡み出した。

「何笑ってるのよ? そうよ、私がこの峠を足着き無しで上れる様になったのは、ついこの間よ。でもね、私が足着き無しで上れるという事実は揺るぎ無いんですからね!」

 ハルカは随分と『足着き無しでこの峠を上った』事に拘っている。彼女にとってそれは一つのベンチマーク、初級レベルを卒業した証と言ったとこなのだろう。

「解ってるよ。って言うか、別に遠山さんの事を笑った訳じゃ無い、二人が羨ましかったんだよ」

「羨ましい? ああ、私達は上れるもんね」

「いや、そういう事じゃ無くって」

 トシヤはロードバイクに乗り始めたばかりで一緒に走る仲間がいない。だから二人で走って、こうやって休憩中にじゃれつく相手がいるハルカが羨ましかったのだ。それを説明すると、ルナが思いもよらない事を言い出した。

「何言ってるの、君も仲間じゃない」

「本当っすか!?」

「うえっ!?」

 ルナの言葉にトシヤとハルカがほぼ同時に、だが正反対の反応を示した。嬉しそうな顔のトシヤに対してハルカは露骨に嫌そうな顔をしている。そんなハルカにルナは子供に言う様に言って聞かせた。

「あのね、ハルカちゃん。同じローディーで、しかも同じ学校なのよ。これを仲間と言わずしてどうするの?」

 ロードバイクは高額な為、同世代のローディーは少ない。目の前に居るトシヤはそんな数少ない同世代のローディーで、しかも同じ学校に通っているというのだ。仲良くしない手は無いだろうというのがルナの言い分だ。

「でも……」

 ハルカにとってトシヤは『自分達を調子良く抜いていったくせに途中でへばってしまい、抜き返された上に峠を上るのを途中で諦めたイキリのくせにヘタレ』としか見れなかったのだ。ハルカの気持ちを汲み取ったルナは溜息混じりで言った。

「最初は誰でも初心者よ。それに今回の件で峠の厳しさを知った事でしょうしね」

 ルナの言葉にトシヤは神妙な顔になった。

「そうっすね。今日、初めて遠くまで走って、俺って結構イケるんじゃないかって調子に乗っちゃいました。峠が
こんなに厳しいものとは……」

 ハルカは恥ずかしそうに言うトシヤの顔をじっと見た。トシヤは美男子では無いが、ブサイクでも無い。まあ、贔屓目に見て中の上といったところだ。まあ、少なくとも一緒に居て恥ずかしくは無いだろう。

「そうですね。彼も懲りた事でしょうし、もうあんな無様なマネはしないでしょうね」

 誤解の無い様に言っておくが、ハルカが言う『無様なマネ』とはトシヤが単にヒルクライムを途中で諦めて引き返した事では無い。ロードバイクでのヒルクライムはキツい。途中で諦めて引き返してしまうのは仕方が無い。トシヤは身の程も知らず調子に乗って淡々と走るルナとハルカを追い抜いたものの力尽きて止まってしまい、挙句の果てに諦めてしまった。その事を言っているのだ。

「そうだね、正直二人の走りを見た時、ヌルい走りだなってバカにした。俺ならもっと速く走れるぜって。その後の辛さも知らずにね」

 トシヤがそれを認める様に言うとハルカは呆れた顔で言った。

「私達が体力を温存しながら走ってるとは知らず、それはもう気持ち良いぐらいの速度差で抜いてったもんね。あの時は凄い人だって思ったんだけど、まさかあんなすぐに力尽きてるとはね」

 そこまで言うとハルカは悪戯っぽく笑った。

「それで、思ったんだ。この人、峠の走り方知らないんだな、素人なんだなってね」

 痛いところを突かれたトシヤは一瞬言葉を失ったが、ハルカの言っている事は全て事実だし、見栄を張っても仕方が無い。何よりここで素直な気持ちを出さないと、この二人とはここで終わってしまう様な気がした。

「うん、俺はロードバイクに乗り始めたばかりの素人なんだ。だからこそ仲間に入れて欲しい。一緒に走って色々教えて欲しい」

 それは飾ることの無いトシヤの正直な気持ちだった。ハルカは真っ直ぐな目をして言うトシヤに思わずドキっとしてしまった。ハルカの周囲の男子達はこんな目でハルカを見た事は一度も無かった。ハルカの男勝りな性格が災いして、周囲の男子達にとってハルカはふざけ合う相手でしか無かったのだ。ハルカはさっきの様にトシヤの言葉遣いを正す事も出来ず、ぷいっと横を向いて答えた。

「わ、わかったわよ。まあ、同じ学校の生徒がいつまでも素人みたいな走りをしてるのは見てられないからね、仕方が無いから私達の仲間に入れて教育してあげるわよ」

 酷い言われ様だが、なんとかハルカもトシヤを仲間として認めてくれた。

「じゃあ、よろしくお願いします。津森先輩、遠山さん」

 嬉しそうに言うトシヤにハルカが不満げな声を出した。

「なんでルナ先輩は『津森先輩』で、私は『遠山さん』なのよ?」

「だって、津森先輩は二年で遠山さんは同じ一年……」

 言いかけたトシヤだったが、空気を読んで言い直した。

「よろしくお願いします。津森先輩、遠山先輩!」

「よし!」

 ハルカが満足そうに笑うとルナも楽しそうに言った。

「ルナで良いわよ。ハルカだって『遠山先輩』じゃ無くって『ハルカ』で良いわよね?」

 それを聞いたハルカは少し顔が赤くなった。どうもハルカは男子に名前で呼ばれるのに慣れていない様だ。それを悟られたくないのだろう、ハルカは大仰に胸を張って答えた。

「まあ、ルナ先輩がそう言うんでしたら仕方がありませんね。ここはひとつ大人になってそう呼ぶのを認める事にしましょうか」

 もちろんハルカもピチピチのサイクルジャージを着ている。胸を張った事で胸のラインが強調されるが、ハルカの胸は残念な事にささやかなものだった。いや、残念な事など無い。彼女は小柄でスレンダーなボーイッシュ系美少女なのだ。

「じゃあ、よろしくお願いします。ルナ先輩、ハルカ先輩!」


 家に帰ったトシヤは絞った雑巾でリアクトの汚れを落としていた。今日の走った距離は五十キロにも満たないが、初めてのロングライド、そしてルナとハルカとの出会い。トシヤは充実感に満ちながらフレームのトップチューブを拭こうとした時、白い塊が付いているのに気付いた。

「なんだこりゃ? 鳥に糞でも落とされたか?」

 まいったなという顔でトシヤが見てみると、トップチューブだけでは無く、ハンドルやステム、フロントフォークにまで白い点が幾つか付着している。不愉快な顔でトシヤが雑巾で拭うと、白い塊はボロボロと崩れ、粉状になった。

「コレ、塩だ」

 トシヤは理解した。それは鳥の糞などでは無く、彼がかいた汗がフレームに落ち、乾いて固まったものなのだと。そういえば、サイクルジャージも汗が乾いて塩を吹いていたなと思い出しながらトシヤは丁寧に雑巾で拭き、ピカピカになったリアクトの前で呟いた。

「今日は最高の一日だったな」

 峠を上りきる事は出来なかったが、ロングライドは楽しかったし、何と言ってもルナとハルカ、二人の女の子と知り合えた。これから先の展開を想像、いや妄想してニヤけるトシヤの未来は明るいのだろうか?
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