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第1式:神前の悪魔
第1式-20-「まだクビじゃないんですか」
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田上さんは暫くじっと僕の顔を見た後、はははは、とお腹を抱えて笑った。
「いや、書かねぇな。そうか、てめーにとってこれは、1+1でごぜーましたか」
デスクチェアに身を預け、可笑しそうにくるくると数回回転した後彼は、3つ質問するぜ、と僕の顔をまた引き寄せた。
緊張から僕はゴクリと唾を飲む。
「95×486は?」
なんですかそれ。
「46170ですね」
まさかの計算問題に肩の力が抜ける。
「357159÷456852は?」
「れ、0.78178272です」
意図がわからず、僕は内心首を傾げた。いや、彼の意図がわかったことなど今までなかった。しかし、彼の行動に、意図がなかったこともなかった。きっとこの単調なやり取りにも、理由があるのだ。
僕は、最後のチャンスに食らいつくために、本命であろう3つ目の質問に全神経を集中させた。
「比とやらを駆使して俺の身長を求めてみろよっつったらこの場でできんのでごぜーますか?」
え、と声に出てしまったかもしれない。
3つの質問改め、3つの問題で彼が何をしたいのか、いよいよわからない。ただやればいいだけじゃないことは、たった今身をもって痛感したが、相手が何を求めてるかわからない以上、僕は思ったままを答えることしかできなかった。
「185です。誤差は…±0.5くらいだと思います…」
一瞬目を見開いた田上さんは、僕を引き寄せていた手をパッと離し、ギィと背もたれが軋むほど大袈裟に椅子に体重をかけた。
「それてめー今計算したんでごぜーますか」
「え、はい」
間違っていたのだろうか。
どこでずれたのだろう。やはり目測でなく、ちゃんと定規で測ってみるべきだったかと、後から後悔が押し寄せる。
そんなことを考えていたらいつの間にか表情が変わっていたのだろう。彼は考え込む僕の向こう脛を、痛くない程度につま先で小突いた。
「ちげーよ。あってるでごぜーます。寸分違わず、俺は確かに185でごぜーます」
僕の心を読んだのか、彼はまた僕が何を考えていたのか当てて先回りをしてみせる。
「最初の2つの答えは、俺にはわからん。適当言ったからな。でも、てめーが嘘や誤魔化しで答えたんじゃねーってのは顔見りゃわかるでごぜーます」
僕はホッと息を吐いた。
「でもお前、できるかどうかを聞いたのに、答えを言っちまうんでごぜーますね」
たった今吐いたばかりの空気は、ヒュッと肺に戻って行った。
僕がうろうろと視線を彷徨わせる中、彼はデスクに置かれた方眼紙に、サラサラと何かを書き込んでいく。ちらりと見ると、それはいつ運び込むだとか、誰にやらせるだとか、そういう事を事細かに書いているようだった。
そんなことが、僕の渡した方眼紙に書き込まれているのに、少なからず胸がキュッとなる。
「ごくろーさん。取り敢えず飾り付けの件、てめーの仕事は終わりでごぜーますよ」
これでもうこの話はおしまい、とばかりに、彼はデスクに本格的に向かい始めた。
しかし、ねぎらいの言葉を貰って尚、僕の脳裏にはとある1つの不安要素が燻っている。
「た、田上さん」
「ん?」
藪をつついて蛇を出す、というのはまさしくこのことで、僕は今から言わなくていいことを言おうとしているに違いない。でも、このままなあなあにして帰っても、きっと僕は眠れない。
「僕、まだクビじゃないんですか」
震えの走る僕の声に、田上さんの手がピタリと止まる。
「なんで」
一言だけ、彼は返した。
「ぼ、僕、質問しませんでした。た、田上さんが僕にして欲しかったこと、ちゃんと、できませんでした」
乾いた唇にめいっぱい歯を立てて、ぎゅっと目を瞑る。仕事を頼まれて調子に乗っていた自分を思い出して、恥ずかしくなった。
「Cだな」
ペンを置いた彼は椅子ごと僕の方を向き、足を組んだ。
「あの時俺がお前にして欲しかったこと。Aが"よくできた"、Bが"まあまあ"、Cが"全然だめ"だと仮定するなら、お前は確かにCだったでごぜーます」
鼓動が速くなる。顔が青ざめる。
全然だめ、と言われた僕が、この場に残れるなんて、万に一つもあるのだろうか。
飾り付けが採用されることと、今後も一緒に仕事ができるかどうかはまた違う。僕は、田上さんの信頼を裏切ってしまった気がした。
「でも」
彼は組んでいた足を解き、立ち上がって僕に歩み寄る。
「"とりあえずは1人でできるところまでやれ"っつーのは、ちゃんとできたでごぜーませんか」
俯いていた僕の肩を彼はポンポンと叩いた。
「"わかんねー"とこがあったらなんでも答えてやるっつったのは、俺でごぜーます」
僕の肩に肘を乗せると、彼は意地悪そうな声で言った。
「わかんねーとこがねーなら別に無理に聞くこともねーですよ」
だって1+1なんでごぜーましょ?
弾かれるように顔を上げた僕とすれ違い、彼は後ろの棚に手を伸ばす。
「そーいやまだ渡してなかったでごぜーますな。いちいち他の奴らに教えんの、不便したんで暫くはこれをつけとけでごぜーます」
乱暴に棚を漁った彼は、振り返って僕に何かを投げてよこした。
中に紙を入れるタイプのネームプレートには、大里雛観と書いてある。
乾く前に入れたのだろう、少し擦れたインクはまだ乾いていなかった。
「あの、つまりっ」
動悸がとまらない。
同じ心臓の動きなのに、僕の顔はわかりやすく紅潮した。
「その仕事、胸張っていいでごぜーますよ。俺の用意した基準の評価は例えCでも、てめーのそれはウルトラCに匹敵するもんでごぜーます」
「…ウルトラC、ですか?」
聞き慣れない単語に現実感を削がれる。
「ああ、てめーらの世代じゃもう死語なんでごぜーますな」
彼は棚に背を預けた。
「"大逆転"ってことでごぜーますよ」
田上さんは口の右端だけを釣り上げて笑っていた。
「いや、書かねぇな。そうか、てめーにとってこれは、1+1でごぜーましたか」
デスクチェアに身を預け、可笑しそうにくるくると数回回転した後彼は、3つ質問するぜ、と僕の顔をまた引き寄せた。
緊張から僕はゴクリと唾を飲む。
「95×486は?」
なんですかそれ。
「46170ですね」
まさかの計算問題に肩の力が抜ける。
「357159÷456852は?」
「れ、0.78178272です」
意図がわからず、僕は内心首を傾げた。いや、彼の意図がわかったことなど今までなかった。しかし、彼の行動に、意図がなかったこともなかった。きっとこの単調なやり取りにも、理由があるのだ。
僕は、最後のチャンスに食らいつくために、本命であろう3つ目の質問に全神経を集中させた。
「比とやらを駆使して俺の身長を求めてみろよっつったらこの場でできんのでごぜーますか?」
え、と声に出てしまったかもしれない。
3つの質問改め、3つの問題で彼が何をしたいのか、いよいよわからない。ただやればいいだけじゃないことは、たった今身をもって痛感したが、相手が何を求めてるかわからない以上、僕は思ったままを答えることしかできなかった。
「185です。誤差は…±0.5くらいだと思います…」
一瞬目を見開いた田上さんは、僕を引き寄せていた手をパッと離し、ギィと背もたれが軋むほど大袈裟に椅子に体重をかけた。
「それてめー今計算したんでごぜーますか」
「え、はい」
間違っていたのだろうか。
どこでずれたのだろう。やはり目測でなく、ちゃんと定規で測ってみるべきだったかと、後から後悔が押し寄せる。
そんなことを考えていたらいつの間にか表情が変わっていたのだろう。彼は考え込む僕の向こう脛を、痛くない程度につま先で小突いた。
「ちげーよ。あってるでごぜーます。寸分違わず、俺は確かに185でごぜーます」
僕の心を読んだのか、彼はまた僕が何を考えていたのか当てて先回りをしてみせる。
「最初の2つの答えは、俺にはわからん。適当言ったからな。でも、てめーが嘘や誤魔化しで答えたんじゃねーってのは顔見りゃわかるでごぜーます」
僕はホッと息を吐いた。
「でもお前、できるかどうかを聞いたのに、答えを言っちまうんでごぜーますね」
たった今吐いたばかりの空気は、ヒュッと肺に戻って行った。
僕がうろうろと視線を彷徨わせる中、彼はデスクに置かれた方眼紙に、サラサラと何かを書き込んでいく。ちらりと見ると、それはいつ運び込むだとか、誰にやらせるだとか、そういう事を事細かに書いているようだった。
そんなことが、僕の渡した方眼紙に書き込まれているのに、少なからず胸がキュッとなる。
「ごくろーさん。取り敢えず飾り付けの件、てめーの仕事は終わりでごぜーますよ」
これでもうこの話はおしまい、とばかりに、彼はデスクに本格的に向かい始めた。
しかし、ねぎらいの言葉を貰って尚、僕の脳裏にはとある1つの不安要素が燻っている。
「た、田上さん」
「ん?」
藪をつついて蛇を出す、というのはまさしくこのことで、僕は今から言わなくていいことを言おうとしているに違いない。でも、このままなあなあにして帰っても、きっと僕は眠れない。
「僕、まだクビじゃないんですか」
震えの走る僕の声に、田上さんの手がピタリと止まる。
「なんで」
一言だけ、彼は返した。
「ぼ、僕、質問しませんでした。た、田上さんが僕にして欲しかったこと、ちゃんと、できませんでした」
乾いた唇にめいっぱい歯を立てて、ぎゅっと目を瞑る。仕事を頼まれて調子に乗っていた自分を思い出して、恥ずかしくなった。
「Cだな」
ペンを置いた彼は椅子ごと僕の方を向き、足を組んだ。
「あの時俺がお前にして欲しかったこと。Aが"よくできた"、Bが"まあまあ"、Cが"全然だめ"だと仮定するなら、お前は確かにCだったでごぜーます」
鼓動が速くなる。顔が青ざめる。
全然だめ、と言われた僕が、この場に残れるなんて、万に一つもあるのだろうか。
飾り付けが採用されることと、今後も一緒に仕事ができるかどうかはまた違う。僕は、田上さんの信頼を裏切ってしまった気がした。
「でも」
彼は組んでいた足を解き、立ち上がって僕に歩み寄る。
「"とりあえずは1人でできるところまでやれ"っつーのは、ちゃんとできたでごぜーませんか」
俯いていた僕の肩を彼はポンポンと叩いた。
「"わかんねー"とこがあったらなんでも答えてやるっつったのは、俺でごぜーます」
僕の肩に肘を乗せると、彼は意地悪そうな声で言った。
「わかんねーとこがねーなら別に無理に聞くこともねーですよ」
だって1+1なんでごぜーましょ?
弾かれるように顔を上げた僕とすれ違い、彼は後ろの棚に手を伸ばす。
「そーいやまだ渡してなかったでごぜーますな。いちいち他の奴らに教えんの、不便したんで暫くはこれをつけとけでごぜーます」
乱暴に棚を漁った彼は、振り返って僕に何かを投げてよこした。
中に紙を入れるタイプのネームプレートには、大里雛観と書いてある。
乾く前に入れたのだろう、少し擦れたインクはまだ乾いていなかった。
「あの、つまりっ」
動悸がとまらない。
同じ心臓の動きなのに、僕の顔はわかりやすく紅潮した。
「その仕事、胸張っていいでごぜーますよ。俺の用意した基準の評価は例えCでも、てめーのそれはウルトラCに匹敵するもんでごぜーます」
「…ウルトラC、ですか?」
聞き慣れない単語に現実感を削がれる。
「ああ、てめーらの世代じゃもう死語なんでごぜーますな」
彼は棚に背を預けた。
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