悪役令嬢は令息になりました。

fuluri

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幼少期

後悔と治癒です。

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きっと私はこの光景を一生忘れられず、何かあるごとにフラッシュバックする事になるのだろう。
そう確信できるほど、月の光に照らされて目に飛び込んできた光景は一瞬で脳裏に焼き付き、私の心の奥深くに鋭い楔となって打ち込まれてしまった。
あまりのショックから視線を逸らす事も出来ず、ただ呆然と立ち尽くしたまま、半ば無意識に魂が抜けたような声が出る。

「これは……」

その場の空気は重く、微かな音さえも立てるのを戸惑うほど息苦しい。
そんな空気の中、厳しい面持ちでソートが口を開いた。

「…酷い状態です。フィレンツ様に保護されていなければ、あと一週間と保たなかったでしょう」

「……」

ソートの声が耳に届いた瞬間、はっとしたように空回っていた思考が戻り、止まっていた時間がようやく動き出した。
聞こえてきた言葉に、私はきつく目を瞑る。
言葉が出てこなかった。

「リューティカ様、やはり…」

ナードが「もう無理しなくていい、エルクントの命を背負わなくてもいい」…そう続けたそうな、心配そうな顔で声をかけてきた。
逃げ道を用意してくれる彼は、きっと私がショックを受けていることに気がついているのだろう。
でも、どれだけショックを受けようとも、私は逃げるわけにはいかないのだ。
…それは、エゴなのかもしれないけれど。

「…ねえ、エルクントの症状を詳しく教えて。大まかにしか聞いてないから」

「…はい。…リューティカ様は、エルクント様が長らく軟禁されていたのはご存知ですか?」

用意してくれた逃げ道を塞ぐように声をかけると、それに戸惑うように少し沈黙した後、ソートが気遣わしげにこちらを見やりながら言葉を選ぶようにしながらそう言った。
後ろで静かに控えているナードも、相変わらず心配気な視線で私を見ている。
二人に気を遣わせてしまっている自分が情けなくて、精一杯気丈に振舞いながらも、軟禁という言葉を聞いて肩が震えた。

「…うん、それは知ってる。…ねえ、僕に気遣いなんて要らないから、正確に、的確に、事実をそのまま教えて」

それでも、気遣いのオブラートに包まれたものではなく、現実が知りたい。
エルクントが保護された今になって、エルクントのこの弱りきった姿を見て、今更ながら私は激しく後悔しているのだ。
…私は、ゲームの知識でエルクントがこうなる事を薄っすらとであっても知っていたのにどうして、と。

(どうして私はこんなになるまで放っておいたの…?!)

…答えなんて、最初から分かっている。
きっと命に関わるような出来事でも、「イベント」とか、「単なる過去の身の上話」としてしか…ゲーム上のことだとしか考えていなかったからだ。
現実とゲームの中のことが頭の中でしっかりと結びついていない上、攻略対象なのだから死ぬことはないだろうと無意識に甘く考えていた。
そんな保証、どこにもないのに。
ハイルやお父様達に守られて、愛されて、あまりにも平和ボケしすぎていた。
その事は、今日痛感したばかりだったのに。
…本当に、後悔してもしきれない。
けれど、今優先すべきはエルクントの現状の把握と治療だ。
…集中しないと。

「…分かりました。全てを包み隠さずお伝えいたします」

ソートが覚悟を決めたように頷き、話しだした。

「…エルクント様は、明かりも入らない暗く狭い部屋に閉じ込められ、食事は二日か三日に一度のみだったのに加えて、その中に弱い毒が含まれていたため体の内側がボロボロの状態です。それに加えて、時折暴力も受けていたらしく…外傷はそれほど酷くはありませんが、生傷の絶えない状態であったかと。心身ともに衰弱しきっているので…先程も申しましたが、フィレンツ様が保護しなければあと数日と保たなかったでしょう。すぐにでも治したかったのですが…エルクント様は体力がないため、私の癒しの力では助ける前に力尽きてしまいかねず、どうすることも…」

痛ましげに顔を歪ませながら、エルクントの状態を細かく教えてくれた。
ソートは治癒師として、助けたいのに手が出せない現状に対し、伏せられた視線や声に悔しさを滲ませている。
確かに、中級以下の精霊との契約では体力を回復させつつ肉体を癒すのは不可能だ。
そもそも、一般に知られている光の精霊の癒しの力は本人の治癒力を高めて癒すものなのだから、その本人に体力がなければ治癒が成り立たない。

「…そう…。じゃあ、とりあえず体力の回復を急いだほうが良さそうだね。今回は一気に治すと本人にかかる負担が大きすぎるから、二回に分けて治そう」

「え…?」

けれど、光の高位精霊…ハイルは、違う。
何というか、根本から違うのだ。
中級以下の精霊が回復を早めることで治癒しているのに対し、ハイルの力は不可能を可能にするとでも言えばいいのだろうか。
理屈では説明がつかないような、文字通り「奇跡」を起こす力なのだ。
低位、中位、高位と分けられてはいてもやはり高位精霊は別格だということなのか、高位精霊の中でもハイルが特別だということなのか…比較対象がいないし、よく分からないけれど。
まあハイルにも治せないものもあるのかもしれないが…少なくとも今回は、確実に治せる。
同調した影響なのか、なぜかそれが感覚としてはっきり分かるのだ。
だからこそ、私は後悔こそすれ、取り乱さずにエルクントに向き合うことが出来ている。
でもそれは私にしか分からないため、私が何を言ったのかうまく呑み込めずにソートが不思議な顔をしている。
…まあ、セイル兄様を治した時とは状況が全く違うし、治せないと思っても無理もない。

「ハイル。魔力を送るよ」

『うん』

回復するビジョンを明確に思い浮かべて肩に乗っているハイルに魔力を送りながら、私はエルクントが少しでも早く楽になるようにと願いを込め、熱くなっている額を冷やすようにエルクントの額の上にそっと手を伸ばす。
私の手とエルクントの額が触れ合った瞬間、暖かい光が私の手のひらから溢れ出し、エルクントの全身を包み始めた。

「えっ…?!」

私は驚いて目を見開く。
何これ、どうなってるの!?
この感覚…これ、ただの光じゃない。
これは、治癒魔法の光…?
いつもは私がハイルに魔力を送って、その魔力を使って魔法を行使するのに…どうして今は、私の手から魔法が出てるの?
思わずエルクントの額から手を離しそうになると、すぐに手の上にハイルが降りてきて真剣な表情で制止される。

「ティカ、そのまま!僕が補助するから」

「わ、分かった!」

何が何だか分からないけど、とにかく今はエルクントの治療が先だ。
ハイルが補助してくれるらしいし、私はさっきと同じようにエルクントが楽になるようにひたすら祈っておこう。
それに、よく見れば私の手からだけじゃなくハイルからも魔法が発せられている。
暖かい光はしばらくそのまま私の手から出続け、いつもよりも多く分散されている私の魔力がどんどんなくなっていく。
このまま減っていったら治しきる前に魔法が使えなくなってしまうのではとはらはらしたが、幸いにも魔力は足りたようで、光がエルクントの体に吸い込まれるようにして消える頃にはエルクントの呼吸が正常になっていた。
顔色も良くなってるし、心なしか表情も安らかになって穏やかに眠っている。
…あれっ、体にあった痣とか傷まで消えてるんだけど…。

「…………だ…」

「へ?」

ソートが、茫然としながらぼそりと何か呟いた。
声が小さくて何を言っているのか聞こえなかった私が間抜けな声を上げると、私の方へ視線を落としたソートと視線がかち合った。
なんか瞳がキラキラしてるような…と思った次の瞬間、ソートがもの凄い勢いで私の肩をガシッと掴み、興奮しているのか頰を紅潮させながら私の体をガクガクと揺さぶりながら叫ぶ。

「奇跡ですっ、リューティカ様!!」

「わぁっ?!」

『ちょっ、ティカが!放しなよ、もう!』

「ソート殿、落ち着いてください」

ハイルとナードがソートの凶行を止めてくれたため、解放された私はヨロヨロとエルクントのベッドの端にもたれかかった。
あ、頭がシェイクされて気持ち悪…オェッ…。
私がグロッキーになっていると、ハイルが飛んできて頰に触れて癒してくれた。
ありがとうハイル…私の第二の天使!!
…ん、あれ、第二の天使はアシュレだっけ?
じゃあ、ハイルは第三…?
どっちがどっちだったかなあ…。
などとどうでもいいことを考えている間にも、先程の私の癒しについてソートは熱弁をふるい続けている。

「あのような美しく優しい癒しは見たことがありません!月の光に照らされながら治癒を行うお姿は非常に神秘的で、ありきたりな表現ではありますが、あれはまさに月の女神のごとく…」

「…~~っもう、静かにして!エルクントが起きちゃうでしょ!」

「ん…ぅ」

私がそう言ったとたん、エルクントが小さく声を上げた。
私自身が恥ずかしいのもあるけど、それ以上にエルクントのためにソートの暴走を止めようと思ったのに、逆に私の声がエルクントを起こしかけてしまったらしい。
…うぅ、ソートのせいだぁ…。
幸いにもエルクントはまたすぐに寝息を立て始めたので、起こさなくて良かったとほっと息をついた。

「ハイル、エルクントの容態、私にはもう大丈夫に見えるんだけど、どう?」

『大丈夫だよ。心の方はこれから少しずつ癒していくしかないけど、少なくとも体は明日には動けるようになる。…まあ、ずっと軟禁状態だったなら体の動かし方が分からないだろうから、まずはそこからだけど』

「そっか、じゃあひとまずは安心だ、ね…」

安心したら、急に視界が点滅するようにちかちかしだした。
ついでに動悸が激しくなってきて、息切れがするのに手足は冷えていく。
頭も瞼も猛烈に重いし、足元も覚束なくなってきた。

(やばいこれ、魔力切れの兆候じゃ…)

ここで倒れるのはまずいのでどこでもいいから座ろうと思ったけれど、そんな私を嘲笑うかのように私の意識は遠のいていき、ハイル達の慌てたような声を最後に完全に途切れてしまったのだった。
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