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56.機嫌が悪いんじゃないんだけど

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「なんだ?  さっきのことまだ怒ってんのか?」

  高速道路を走る静かな車内で、痺れを切らしたらしい部長はため息混じりにこちらを向いた。

「いえ別に、何も……」
「あーそう。
じゃあただ機嫌が悪いだけか」

  投げやりに、でも少し笑みを浮かべて、部長は窓の淵に肘をかけて正面に向き直った。

「機嫌も悪いわけじゃ、ないんだけど……」

  ボソッと呟くも、彼の人間離れした驚異的聴力ならば聞こえているだろうに、部長は特に何も言ってこない。
  部長なりに気を使ってのことなのか、それとも無視しているのか……。

  そうは考えてはみたものの、やはり、普段からパーソナリティースペースを大事にしているらしい部長の気遣いなのだろうという結論に至った。

  今日を除いてそれまでの1週間弱、部長の家で生活してきて、寝込みを襲ったり、私の入浴前後に脱衣所に来たりはしたことが無かった。

  だからこそ今日は慌てたわけだが、洗濯物ですら別にカゴを用意して来て分けていた。
(居候中の身だからと私が洗濯していたけど、念のため分けて洗っていた)

  始めは私に気を遣っているのだと思っていたけど、次第に分かったことがある。

  部長は、都合の悪い時に目を逸らす。

  目を見て話せ!  と人には言うくせに、時折部長にしては不自然に目を逸らすのだ。

  最初にそれを感じたのは、あの家に来てすぐだった。
「何故吸血鬼の家に冷蔵庫があるのか」と尋ねた。

ほぼ水しか飲まず、この梅雨の湿めついた状態でも身体が冷えているような吸血鬼に、何故冷蔵庫が必要なのか、と疑問に思ったからだが、部長は「人間を家にあげる時に、無いと怪しまれるだろ?」と応えたが、その時も目を合わせようとしなかった。

  その時はなんとなく追求してはいけないと思って、別な話題に変えたけど……。

  彼なりに、触れて欲しくない内容だったんだろうと思う。

  もしかしたら、建前で置いたのはなだけで、本当は冷凍庫を利用しているのかもしれない。

  冷凍庫の中には死体が入っていて、時折解凍してその血を吸っているのかも……もしくは、血そのものが凍らされているのかも……。

  なんて妄想を始めると、夜眠れなくなりそうだから(そう思っても気を吸われて結局爆睡し続けたわけだが)やめた。

  ただ、口では刻印の相手だ、結婚する、子供を作るとか言うくせに、どこか入ることの出来ない壁があって、なんだか遠ざけられているように感じることがある。

  近いようで、遠い。
  それが今隣に座っている状態でもそう感じてしまうのだから、その感覚は間違っていないのだろう。

  部長の考えていることは読めないし、計り知れない。

  でもあの時ーー脱衣所にいた時、部長の様子はおかしかった。
  声も低く感じたし、いつもよりも故意的に目を逸らしていた。

  私の心音を、気にしていたーー。



  
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