上 下
13 / 30
『白き妖狐は甘い夢を見るか』

しおりを挟む
 微かに虫の鳴き声がする以外、辺りは静寂に包まれている。湖面には月の光が反射して、夜の街とはまた異なる、きらきらとした輝きを放っていた。

 小春は水の中に前足を入れてみたが、あまりの冷たさにすぐ引っ込めた。夢の中だというのに、やけに感覚がはっきりしている。

 水が弧を描いて波紋を作った。そこに、白い毛に包まれた自分の姿が、歪んで映り込む。

「……人間に、なりたい」

 小春が人間の女の子として生まれて、成長してから優祈に出会えていたのなら。優祈は、一人の男として小春を見てくれたかもしれない。

 しかし、小春が彼を好きになったのは、共に過ごしてきた年月があったからだ。それは、記憶から絶対に消したくない、大切な思い出。自分が妖狐でなければ、彼が親身になって育ててくれることも、術を仕込でくれることもなかったはずなのだ。

 小春は、人間の姿に変化した。湖面は既に平らになっており、そこに栗色の髪を持つ裸の女性が映る。この変化の術も、優祈が教えてくれたものだ。おかげで、小春の考える理想の女性の姿に化けることができている。この姿をもってしても、優祈は振り向いてくれなかったが。

「好きです。ご主人様……」

 母はどんな相手と結ばれて、自分を生んだのだろうか。好きな相手との子を生めたのなら、きっと幸せだっただろう。母の姿は覚えていないが、生まれた直後に感じた温もりは、小春の中にも残っている。

「お母様、私はどうしたらいいですか?」

 湖面に問いかけても、返事などない。誰かに答えを与えてもらえたら楽なのに。

 行き場のない恋慕は、小春の胸の内をぐるぐると駆けまわって、涙の結晶として瞳から零れ落ちた。



 その直後、近くの茂みからガサガサと音がして、小春は驚き、振り返った。何かが近づいてくる。身構えていると、白い着物姿の人間が現れた。

 小春は、目をみはる。

「小春!」
「ご、ご主人様……?」

 小春は夢を上手く制御できなかったらしい。ここに優祈が現れる予定などなかった。ただ、会いたいと願っていたから、無意識に呼んでしまったのかもしれない。

 優祈は息を切らして小春に駆け寄ってくると、その華奢な身体を抱きしめた。着物のあちこちが泥で汚れて、額に汗をかいている。彼は、ここに走ってきたのだ。

「屋敷から小春の気配がなくなったから、慌てて追いかけてきたんだ。無事で、よかった……」
「あ……心配かけて、ごめんなさい……」
「いいんだよ。僕も、そっけない態度をとってしまって反省していた。どこも怪我はない?」
「はい」

 夢の中でも、小春は優祈に迷惑をかけてしまった。猛省しつつも、抱きしめてもらえることが嬉しくて、小春はその首に腕を回した。優祈の体温も確かに感じる。夢というのはいいものだ。

「えっと……なにか、着るものがいるね」

 優祈は頬を赤く染めて、少し困ったように笑った。傍から見れば全裸の女性を抱きしめているのだから、人間の彼は戸惑うのだろう。

「帰る時は妖狐の姿になるので、大丈夫です」
「そうか。それにしても、懐かしいところに来たね」
「はい。ご主人様に出会った場所だから……」

 小春は腕を緩め、優祈の頬を両手で包んだ。今なら、何度想いを伝えても許されるだろう。

「ご主人様、大好きです」
「小春……」
「私にはずっと、あなただけ……」

 優祈の瞳が、切なく細められた。受け止められない想いに、どう答えたらいいのか考えているのだ。

 小春は彼を困らせていると分かっていても、夢の中だというのを免罪符にして、その唇を奪った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

処理中です...