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『白き妖狐は甘い夢を見るか』
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微かに虫の鳴き声がする以外、辺りは静寂に包まれている。湖面には月の光が反射して、夜の街とはまた異なる、きらきらとした輝きを放っていた。
小春は水の中に前足を入れてみたが、あまりの冷たさにすぐ引っ込めた。夢の中だというのに、やけに感覚がはっきりしている。
水が弧を描いて波紋を作った。そこに、白い毛に包まれた自分の姿が、歪んで映り込む。
「……人間に、なりたい」
小春が人間の女の子として生まれて、成長してから優祈に出会えていたのなら。優祈は、一人の男として小春を見てくれたかもしれない。
しかし、小春が彼を好きになったのは、共に過ごしてきた年月があったからだ。それは、記憶から絶対に消したくない、大切な思い出。自分が妖狐でなければ、彼が親身になって育ててくれることも、術を仕込でくれることもなかったはずなのだ。
小春は、人間の姿に変化した。湖面は既に平らになっており、そこに栗色の髪を持つ裸の女性が映る。この変化の術も、優祈が教えてくれたものだ。おかげで、小春の考える理想の女性の姿に化けることができている。この姿をもってしても、優祈は振り向いてくれなかったが。
「好きです。ご主人様……」
母はどんな相手と結ばれて、自分を生んだのだろうか。好きな相手との子を生めたのなら、きっと幸せだっただろう。母の姿は覚えていないが、生まれた直後に感じた温もりは、小春の中にも残っている。
「お母様、私はどうしたらいいですか?」
湖面に問いかけても、返事などない。誰かに答えを与えてもらえたら楽なのに。
行き場のない恋慕は、小春の胸の内をぐるぐると駆けまわって、涙の結晶として瞳から零れ落ちた。
その直後、近くの茂みからガサガサと音がして、小春は驚き、振り返った。何かが近づいてくる。身構えていると、白い着物姿の人間が現れた。
小春は、目を瞠る。
「小春!」
「ご、ご主人様……?」
小春は夢を上手く制御できなかったらしい。ここに優祈が現れる予定などなかった。ただ、会いたいと願っていたから、無意識に呼んでしまったのかもしれない。
優祈は息を切らして小春に駆け寄ってくると、その華奢な身体を抱きしめた。着物のあちこちが泥で汚れて、額に汗をかいている。彼は、ここに走ってきたのだ。
「屋敷から小春の気配がなくなったから、慌てて追いかけてきたんだ。無事で、よかった……」
「あ……心配かけて、ごめんなさい……」
「いいんだよ。僕も、そっけない態度をとってしまって反省していた。どこも怪我はない?」
「はい」
夢の中でも、小春は優祈に迷惑をかけてしまった。猛省しつつも、抱きしめてもらえることが嬉しくて、小春はその首に腕を回した。優祈の体温も確かに感じる。夢というのはいいものだ。
「えっと……なにか、着るものがいるね」
優祈は頬を赤く染めて、少し困ったように笑った。傍から見れば全裸の女性を抱きしめているのだから、人間の彼は戸惑うのだろう。
「帰る時は妖狐の姿になるので、大丈夫です」
「そうか。それにしても、懐かしいところに来たね」
「はい。ご主人様に出会った場所だから……」
小春は腕を緩め、優祈の頬を両手で包んだ。今なら、何度想いを伝えても許されるだろう。
「ご主人様、大好きです」
「小春……」
「私にはずっと、あなただけ……」
優祈の瞳が、切なく細められた。受け止められない想いに、どう答えたらいいのか考えているのだ。
小春は彼を困らせていると分かっていても、夢の中だというのを免罪符にして、その唇を奪った。
小春は水の中に前足を入れてみたが、あまりの冷たさにすぐ引っ込めた。夢の中だというのに、やけに感覚がはっきりしている。
水が弧を描いて波紋を作った。そこに、白い毛に包まれた自分の姿が、歪んで映り込む。
「……人間に、なりたい」
小春が人間の女の子として生まれて、成長してから優祈に出会えていたのなら。優祈は、一人の男として小春を見てくれたかもしれない。
しかし、小春が彼を好きになったのは、共に過ごしてきた年月があったからだ。それは、記憶から絶対に消したくない、大切な思い出。自分が妖狐でなければ、彼が親身になって育ててくれることも、術を仕込でくれることもなかったはずなのだ。
小春は、人間の姿に変化した。湖面は既に平らになっており、そこに栗色の髪を持つ裸の女性が映る。この変化の術も、優祈が教えてくれたものだ。おかげで、小春の考える理想の女性の姿に化けることができている。この姿をもってしても、優祈は振り向いてくれなかったが。
「好きです。ご主人様……」
母はどんな相手と結ばれて、自分を生んだのだろうか。好きな相手との子を生めたのなら、きっと幸せだっただろう。母の姿は覚えていないが、生まれた直後に感じた温もりは、小春の中にも残っている。
「お母様、私はどうしたらいいですか?」
湖面に問いかけても、返事などない。誰かに答えを与えてもらえたら楽なのに。
行き場のない恋慕は、小春の胸の内をぐるぐると駆けまわって、涙の結晶として瞳から零れ落ちた。
その直後、近くの茂みからガサガサと音がして、小春は驚き、振り返った。何かが近づいてくる。身構えていると、白い着物姿の人間が現れた。
小春は、目を瞠る。
「小春!」
「ご、ご主人様……?」
小春は夢を上手く制御できなかったらしい。ここに優祈が現れる予定などなかった。ただ、会いたいと願っていたから、無意識に呼んでしまったのかもしれない。
優祈は息を切らして小春に駆け寄ってくると、その華奢な身体を抱きしめた。着物のあちこちが泥で汚れて、額に汗をかいている。彼は、ここに走ってきたのだ。
「屋敷から小春の気配がなくなったから、慌てて追いかけてきたんだ。無事で、よかった……」
「あ……心配かけて、ごめんなさい……」
「いいんだよ。僕も、そっけない態度をとってしまって反省していた。どこも怪我はない?」
「はい」
夢の中でも、小春は優祈に迷惑をかけてしまった。猛省しつつも、抱きしめてもらえることが嬉しくて、小春はその首に腕を回した。優祈の体温も確かに感じる。夢というのはいいものだ。
「えっと……なにか、着るものがいるね」
優祈は頬を赤く染めて、少し困ったように笑った。傍から見れば全裸の女性を抱きしめているのだから、人間の彼は戸惑うのだろう。
「帰る時は妖狐の姿になるので、大丈夫です」
「そうか。それにしても、懐かしいところに来たね」
「はい。ご主人様に出会った場所だから……」
小春は腕を緩め、優祈の頬を両手で包んだ。今なら、何度想いを伝えても許されるだろう。
「ご主人様、大好きです」
「小春……」
「私にはずっと、あなただけ……」
優祈の瞳が、切なく細められた。受け止められない想いに、どう答えたらいいのか考えているのだ。
小春は彼を困らせていると分かっていても、夢の中だというのを免罪符にして、その唇を奪った。
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