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『ほっと・ちょこれいと逃避行』
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「へえ。あなたが美緒さんですか……」
客間でお父様と一緒に待っていると、青山に連れられて一人の男性が入ってきた。見た目にも分かる上質な背広に身を包み、髭をたっぷりと蓄えたその人は、私よりも随分と年上だ。四十前後といったところか。
彼は、私とお父様の向かい側にある長椅子にゆったりと腰掛け、私をじろじろと値踏みするかのように見た。
「お父様、この方は?」
「ここ数年で、船舶事業を成功させた方でね、西園寺さんというんだ」
ということは、戦後に力をつけてきた事業家、いわゆる成金だ。その彼が、私に用事があるということは、縁談だろうか。それとも、私が働く場所を提供してくれるのだろうか。
戸惑いのあまり、私は助けを求めるように青山を見た。けれど、彼はお茶を出して、そのまま客間を出て行った。静かになった部屋の中、西園寺さんが口を開く。
「初めまして、美緒さん。噂に聞いていたより、美しいお嬢さんだ」
「は、初めまして。東條美緒と申します。お褒め頂き、光栄でございます……」
声が震える。どうか、ただの顔合わせであってほしいと願った。けれど、お父様の口から出てきたのは、無慈悲な言葉だった。
「至らないところは多くあるかと思うのですが、わがままも言いませんし、気立てのいい娘に育ってくれたと自負しております」
「え、お父様、何のこと?」
隣に座るお父様の腕を掴み、問い詰める。お父様は、私の目を見てくれなかった。
「頼む、美緒。この家を守るためなんだ。いずれ立て直したら、必ずここに戻してやるから。一度、西園寺さんのところで世話になってくれないか?」
「っ……」
冷たい空気が、ひゅっと喉を通っていった。やはり、身売りの話だったのだ。
嫌だ。そんな形で屋敷を出たくない。売られた女性たちがどのような環境に置かれるのか、噂で聞いたことがあるからこそ、ここに戻って来られるとは到底思えなかった。首を横に振っていると、西園寺さんがくくっと笑いをこぼす。
「怖がらないで。ひどいようにはしませんよ。場合によっては、美緒さんにも働いてもらって、東條さんの家が早く持ち直せるようになればいいんですから」
「働くって……どこででしょうか?」
「それは、美緒さんのやる気次第ですね」
下卑た笑みを浮かべる西園寺さんが怖くて、私は俯いた。確かに家は守りたいし、お父様に辛い思いをさせたくない。少しひどい目に遭うくらい、家のためならなんてことない。
それでも、どうしても心に引っかかるのは、青山のことだ。もう、離れなければならないのだろうか。
「分かりました……お受けします」
「はい。いいお返事をいただけると思っていましたよ」
「美緒、すまない……」
選ぶべき答えは、一つしかなかった。
客間でお父様と一緒に待っていると、青山に連れられて一人の男性が入ってきた。見た目にも分かる上質な背広に身を包み、髭をたっぷりと蓄えたその人は、私よりも随分と年上だ。四十前後といったところか。
彼は、私とお父様の向かい側にある長椅子にゆったりと腰掛け、私をじろじろと値踏みするかのように見た。
「お父様、この方は?」
「ここ数年で、船舶事業を成功させた方でね、西園寺さんというんだ」
ということは、戦後に力をつけてきた事業家、いわゆる成金だ。その彼が、私に用事があるということは、縁談だろうか。それとも、私が働く場所を提供してくれるのだろうか。
戸惑いのあまり、私は助けを求めるように青山を見た。けれど、彼はお茶を出して、そのまま客間を出て行った。静かになった部屋の中、西園寺さんが口を開く。
「初めまして、美緒さん。噂に聞いていたより、美しいお嬢さんだ」
「は、初めまして。東條美緒と申します。お褒め頂き、光栄でございます……」
声が震える。どうか、ただの顔合わせであってほしいと願った。けれど、お父様の口から出てきたのは、無慈悲な言葉だった。
「至らないところは多くあるかと思うのですが、わがままも言いませんし、気立てのいい娘に育ってくれたと自負しております」
「え、お父様、何のこと?」
隣に座るお父様の腕を掴み、問い詰める。お父様は、私の目を見てくれなかった。
「頼む、美緒。この家を守るためなんだ。いずれ立て直したら、必ずここに戻してやるから。一度、西園寺さんのところで世話になってくれないか?」
「っ……」
冷たい空気が、ひゅっと喉を通っていった。やはり、身売りの話だったのだ。
嫌だ。そんな形で屋敷を出たくない。売られた女性たちがどのような環境に置かれるのか、噂で聞いたことがあるからこそ、ここに戻って来られるとは到底思えなかった。首を横に振っていると、西園寺さんがくくっと笑いをこぼす。
「怖がらないで。ひどいようにはしませんよ。場合によっては、美緒さんにも働いてもらって、東條さんの家が早く持ち直せるようになればいいんですから」
「働くって……どこででしょうか?」
「それは、美緒さんのやる気次第ですね」
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それでも、どうしても心に引っかかるのは、青山のことだ。もう、離れなければならないのだろうか。
「分かりました……お受けします」
「はい。いいお返事をいただけると思っていましたよ」
「美緒、すまない……」
選ぶべき答えは、一つしかなかった。
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